古き血脈 たとえ明日が来なくても今ここで生きる
明日が来ないことを上手く想像できなかった。
漠然と過ごす今日に焦ることもなかった。
血の滾りは緩やかに衰退し、錆びついた剣のように朽ちては誰の目にも止まらないような日々が続いた。過去に縋ることの意味の無さと、明日を夢見ることもなくなった無気力な身体に、もう一度熱い血が流れるとすればそれは愛する人へ出会うことただそれだけだとずっと思っていた。人生が終わり君と再び出会う。それこそが至上の喜びで最上の幸せだと決めつけていた。だから死ななければ自分は一生幸せにはなれないとそう思っていた。
だけど、それはマロンが言った通りやっぱり間違いだった。エルヴァイスはミルケーの死を目撃してそれがようやくわかった。
人は背負っていたものの重さを失って初めて分かる。空っぽになった喪失感を埋めるように後悔だけが募る。
それでも。
『それでも、生きて今を生きれば』
奇跡は起こる。
今ともにいるミルケーがその証だった。一緒に隣で最後まで戦ってくれている彼女がそこにはいた。だから、人生は何が起こるか分からない。分からないのならそこには可能性がある。
エルヴァイスは戦う意味を見つけた。
今後、永遠に失われないであろう最後まで愛する人へ会いに行くという目標を掲げて、愛を探しに行く。
広場の中心で闇が渦巻く。
愛を探す旅路の最初の敵がハルだというなら、愛とはなんと無理難題な問題をぶつけてくるのか。
『勝つんだ。勝って今一緒に居るミルケーと共にまたみんなと会って、もう一度、俺は皆の居場所になるんだ。そして、そうやって最後まで君に言われた通り生きた後、また君に会いに行く』
ヴァイスは闇が広がる世界で彼女の名前を心の中で叫ぶ。
『マロン!また必ず会えると俺は信じてる』
迫りくる触手を何よりも存在を優先される手で切り裂きながら、この闇を晴らすためにさらに奥へと臆することなく進み続ける。
その闇を塗りたくったような触手たちをかき分けながら進んだ先に、彼はいた。
闇を生み出し続ける者がいた。
「ハルさん」
広場だった場所はすでにハルの闇が創り出した真っ黒な生肉を継ぎ合せたような触手によって、まるで触手の樹海のように広がり忙しなく蠢いていた。
「聞いてくれ、もう、ミルケーは死んだ…」
エルヴァイスはそう言うだけ言ってみた。
「それで…」
「俺たちに戦う意味はあるか?」
「十分にある…」
聞き耳を持たないといった具合で、闇の触手の中にいるハルは完全に闇を司る怪物となり果てていた。顔の半分に闇がこびりつきブクブクと常に泡立ち、煮え立つように沸き立っていた。
「ミルケーはまだ死んでいない、そこにいるんだろ?」
ハルがエルヴァイスの背後を指さす。そう指摘されたエルヴァイスとミルケーの背筋は凍った。
「わかるさ、結界が壊れていないことが無いよりも証拠だ。それに…」
ハルがそう言って視線を横に反らした。エルヴァイスもハルが見たその方向に目をやった。
『ヴァイス、正面!!』
背後でミルケーが叫んだ。
エルヴァイスが両手を前に出す。すると気が付けばハルがエルヴァイスに斬りかかっており、エルヴァイスは彼の刀を両手で掴んでいた。
一瞬で距離を詰めて来たハルが言った。
「ほら、また防いだ。これを防げる力はエルヴァイス、あんたには無かった。誰かが助力しているんだろ?」
ハルが刀を下ろすと、エルヴァイスはそのまま両手で彼に触れようとした。だが、気が付けばもうそこにハルの姿はなかった。
代わりに大量の触手たちがエルヴァイスに襲い掛かった。周囲一帯を触手に囲まれたエルヴァイスは魔法を唱える。
「炎よ広がれ」
エルヴァイスの周囲一帯を灼熱の炎が焼き尽くし触手たちを燃やし尽くしていった。広場の触手たちが燃えていき、その炎が周囲を明るく照らす。
そこには相変わらず新鮮な死肉が鮮血を噴きだしながら大地に赤い染みとなって広域に広がっていた。
その惨状はあまりにも残酷な景色だった。だがこの地獄を創ったのが自分たちであることをエルヴァイスは決して忘れることはなかった。
『争う意味はあるよな…、ああ、そうだ、俺たちはどちらかが生きるまで戦わなきゃならないんだ。たとえどっちが勝ってもそこに正義が無くても…』
エルヴァイスは身体にマナを流す。流れる血と共に体をマナが回っては魔力となって次々と魔法を創り出す。
「それにあんたは言った、殺して欲しいと」
「ああ、だが、気が変わった。悪いな生きる目的が見つかったんだ」
エルヴァイスの手元に真っ赤に染まった炎の槍が現れる。【炎槍:鳳凰】エルヴァイスの愛用して来た魔法武器だった。
それはエルヴァイスが本気だ戦う時にしか使わない槍だった。
「ハルさん、俺はあなたに勝って、俺の物語を続けることにしたよ、だってそうだろ、まだ語るには未完成だ」
エルヴァイスがハルに向かって炎の槍を突いた。すると、着いた先の景色に業火の壁がそそり立った。槍の先から放出された禍々しい炎が街を両断した。
「そうか、それは結構、無駄に足掻いてみればいい、足掻いたところで何も変わらないけどな…」
当たり前のように炎をかき消してハルがエルヴァイスに正面から前進してくる。
「はあああああああああ!!」
威勢よくエルヴァイスが手にした炎の槍〈鳳凰〉で突くが、ハルに片手で槍の先を掴まれる。
「放熱!旋回!」
〈炎槍:鳳凰〉の槍が激しく燃え上がり、さらには回転し始める。魔法で生み出した槍であるため、姿形は自由自在に変えることができた。
回転しさらには燃え上がった槍はハルの手元で音を立てて鋭さと熱量を増していくが、ハルが軽々と槍を砕くと魔法は中断されてしまった。
ハルがエルヴァイスに手を翳す。そこから闇の触手が溢れ出した。エルヴァイスの身体に巻き付き動きを拘束しようとしたが、そこでエルヴァイスは自らの天性魔法で触手を切り裂き逃れた。
「クソ、槍が効かない、反則だろ」
『ヴァイス、後ろ!!』
息をする間もないまま、危機を察知したエルヴァイスの身体が自動的に動き、すぐに振り向き両手を前に突き出した。ハルの刀を受け止める。本来ならばそのまま両手ごと両断されていてもおかしくはないのだが、そこはミルケーの守護の力のおかげで彼の莫大な力とも対等に渡り合えていた。
「どうしてこの攻撃を防げるか、本当に分からないんだ。少し実験に付き合ってもらうよ」
そう言うとハルの姿がまた忽然と消えた。
エルヴァイスが辺りを見渡すと本当にハルの気配は消え、辺りにまき散らされていた致死量の神威すらも止んでいた。
「何か嫌な感じがする…ミルケーそっちはどうだ?何か見えるか?」
エルヴァイスが背後にいた彼女に声を掛ける。
『ううん、まだ分からない、だけど何か仕掛けてくるのは確実だから注意し…』
その時、ミルケーが危機を察知して、その危機に対してエルヴァイスに叫ぶ。
「前方から来る!注意して!」
エルヴァイスがとっさに両手を構えると、そこにはハルがいてそしてその彼の拳がエルヴァイスの両手に触れていた。凄まじい衝撃が走り、辺りの地面に亀裂が走った。
そして、ハルの振りかざした拳はエルヴァイスの天性魔法によってみるみる削り取られてついには、腕まで一気にエルヴァイスの手でそぎ落とされてしまった。
「ハルさん、あんたなんで素手で!!」
「これは賭けだ…」
その時だった。
『ヴァイス!後ろ!!』
ミルケーの声で、エルヴァイスはとっさに振り向いた。するととんでもない速度で加速しきった大太刀が空間を切り裂いて直進して来ていた。エルヴァイスはすぐさま振り向くが、その時ハルがエルヴァイスの首に片手で組み付いた。
「何を!!」
「賭けだと言っただろ、もう、終わらせよう」
のけ反ったエルヴァイスの身体に刀が迫る。
『ヴァイス!!!』
ミルケーがエルヴァイスに叫ぶ。それは危機を知らせるもので、今までミルケーが事前に察知した危機を伝えればすべて彼が自動的に防いでくれていたが、いま加速してきている刀はミルケーがエルヴァイスへの危機だと察知できなかった。しかし、彼女自身もそのことに気付いてはいなかった。
なぜなら、これはエルヴァイスにとっては危機から逃れる最高の手段だったからだ。
エルヴァイスの胸に大太刀が深々と突き刺さった。
「ガハッ…」
それはあまりにも致命的な一撃だった。
『そんな…どうして…』
ミルケーも自分自身の守護霊としての力で、彼への危険を防げなかったことに酷く動揺していた。
「ハハッ、当たったな、やっぱり、そう言うことか……」
背後でそう言ったハルがエルヴァイスの首に組み付くのを止めた。
そして…。
ドサッと、エルヴァイスの背後で何かが落ちる音がした。
振り向くとそこには、エルヴァイス同様、心臓を貫かれた後のハルの姿があった。
「………」
エルヴァイスは自分に突き刺さった刀を抜き、自分の胸に手を当てて白魔法を掛けると傷はみるみると塞がっていった。
エルヴァイスの目の下で、ハルが大量の血を胸から流して倒れていた。
「ハルさん…」
「………」
ミルケーは何が起こったか分からなかったが、すぐに守護霊の能力がこの状況を説明してくれた。それはハルが確かにまたあの未来の時間軸を消費してこの結末に至ったことだった。
ミルケーはエルヴァイスの危機に関わる全てのことを認識することができるため、ハルが未来の時間軸を使って殴りかかって組み付いて来たのは確実でそこまでは能力で把握することができたが、なぜ死ぬために刀を反対側から投げて来たのかまでは分からなかった。それでも確かに彼はその刀についても未来の時間を消費して投げ飛ばしたことだけは予想ができた。
『でも、どうして、この飛んで来た刀だけは防げなかった…』
ミルケーは地面に落ちた刀を見つめていると、その刀はまるで生き物のように地面の血を吸い込んでいるように見えた。ただそれは実際に見間違いで、刀はただ血の海に浮かんでいるだけだった。
「ハルさん…」
返事は無かった。エルヴァイスが彼の口元に手を添えると、すでに息は無かった。
即死だった。
エルヴァイスはとっさに白魔法を掛けようと手を伸ばしたが、その手をミルケーが止めた。
「だって、このままじゃ、死ぬんだぞ!」
自分でも何を言っているか分からなかった。
『ヴァイス、もう、彼は死んでる。それに私たちは彼を殺すために戦ったんでしょ…』
「だって、ハルさんはこんなことしなくたって…」
いくらでもやり方はあったはずだった。結界を克服するまで待てばよかったし、街にある三つの〈コア〉を先に破壊して待ってもいい、時間さえかければエルヴァイスたちに勝機は初めから無いようなものだった。それなのにこれではまるで自殺だった。
攻撃は確かにエルヴァイスに命中した。それでも倒しきれないのなら意味が無かった。
『ヴァイス、誰か来た…』
広場の向こうに人影が見えた。
エルヴァイスは傷を癒すと顔を上げて、走って来るその人影を見た。
それは、ひとりの人間の女の子のようだった。
彼女は血みどろの広場を突き進み、エルヴァイスのもとまで来ると、そのまま膝をついてすぐ傍で倒れている青年の顔を覗き込んだ。
「あ…ああ………あああ…………」
彼女は今にも絶叫しそうな声を抑えて、彼の開いた胸に手を置いて溢れ出る血を押しとどめようとしていた。だが、すでに致死量を超えた血を流しきっていることは誰が見ても一目瞭然だった。
「ハル、待ってて、いま治しますから……」
その少女は死んだ彼に泣きながら全身全霊で白魔法を掛けていた。その白魔法は闇の中、凄まじい光を放ち辺りを昼間のように照らし出した。
「大丈夫です、すぐに良くなりますから………うっ…」
しかしそんな高出力の白魔法は長くは続かない。彼女は魔力が切れたのかその手からも光が出なくなっていた。それでも彼女は彼の胸に手を当てて魔法を使おうとすることを止めなかった。
「私が治しますから…すぐに、元気になるようにしますから…だから気をしっかり持って、ほら、目を覚ましてください!!」
闇にも染まった長い黒髪で、赤い瞳から大量の涙を流している彼女は、ルナ・ホーテン・イグニカだった。
「ねえ、ハル…起きてください……私を置いてかないでください……ねえ……」
ハルは目を閉じたまま返事をしなかった。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッあああッあああああああああああああああああああ!!!!」
最愛の人の死を前に、もはや泣き崩れるしかなかった。
エルヴァイスが死体の上で泣き叫ぶ彼女を見下ろす。
『ヴァイス、この子、たぶん…その……』
「ここで殺した方がいいっていうのか…」
ミルケーも気が気ではなかったが、彼女は一度ミルケーたちを殺しかけていた。そのことを今も鮮明に覚えていた。彼女が危険人物であることを知っていた。
『彼女は危険よ、きっとこれからの貴方の人生を滅茶苦茶にするわ…だけど今、彼女は魔法も使えないし、無防備…』
エルヴァイスは炎の槍を取り出し、ルナに向ける。彼女は泣き叫ぶばかりでエルヴァイスたちのことなどちっとも見向きもしなかった。
エルヴァイスの手が震える。
「ミルケー、この子に復讐の機会を与えてはダメか…」
『ヴァイス…それはダメ…それはまた私みたいな怪物を生み出す…ここで愛する人と葬ってやるのが一番彼女の幸せだと思うわ…』
ミルケーはエルヴァイスの槍を持つ手に一緒に触れる。
『私も、一緒に背負うから…ここで終わらせよう……』
エルヴァイスは辛く息を吸い込むと、槍を振りかざした。
「ハル…私…ちゃんと、ちゃんとね……」
その時彼女は泣き叫びながら言った。
「コア、破壊して来たよ」
結界が崩壊する。
新たな世界に再びハルが訪れる。