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元剣聖ハル・シアード・レイの神獣討伐記  作者: 夜て
新世界と古き血脈編
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古き血脈 感情崩御

 ハルは自分の内側に知らない部分がある。その内側に潜む感情に触れるたびに強く思うのは、どうして、こんな重たい感情を今まで忘れて生きていたんだろうという、戸惑いと怒りだけだった。この感情を抱いている以上はもう、後戻りはできない。これからきっとよくない道をひたすらに突き進んで破滅していくんだろう。何となく、そんな未来を描いていく予感は少し前から感じていた。

 それは新しい世界に目覚めてからずっとあった違和感が原因なのだろうか?何かを忘れているけれど何を忘れているかも分からない。得体の知れない喪失感だけがまとわりついて、その感覚を忘れようとしても、絶対に自分はその失われた空っぽの部分を忘れようとしなかった。まるでもうひとりの自分がその忘却されたという感覚を忘れることに警鐘を鳴らすように、ふとした時に必ず思い出しては、『お前はそれを忘れているんだぞ』と、『お前はそれを思い出さなければいけなんだぞ』と、自分の知らない自分がそう言っている気がした。

 そして、そんな喪失感を抱えた先に待っていたのは、途方もない憎悪だけだった。空白の部分に触れようと自分の内なる声を聞けば聞くほど、自分が驚くほど人間というものに激しい憎しみを抱いていることに気づいた。

 最初、それは気のせいかと思っていた。しかし、ハルが初めて人間の命に手を掛けた時、タガが外れてしまった。

 ハルが人を殺した時、罪悪感は一切なくそれは正しいことだと、考える前に理解してしまっていた。人間は殺すべき、そうあるべきだと、それは命を奪った自分を正当化するといった自己防衛ではなく、そんなもの通り越してそれがさも当たり前かのように、正しいことであるかのように、頭がその考えを善悪の善としてとらえていることに、驚きを隠せなかった。人は殺していい、殺さなければならない。ハルの中でそれは息をするように当たり前として、頭の中に根付いてしまっていた。

 最初はその狂った考えの自分を許すことができなかったが、いくら頭でその感覚を押さえたとしても体はすぐに自分の限界を教えてくれた。そして、それは自分の瞳に異常を抱えた時に始まった。あれは今にして思えば無理をしていた自分を正そうとしていた防衛本能だったのかもしれない。人間たちを愛する間違った景色を、本来ハルが見るべきはずだった正しい景色に戻す、それこそが【暗き瞳】の役割だったのではないか?そう思った。

 人間は滅んで当然の生き物で、ハルからすればこの世にいる全人類は醜悪な化け物でしかないと、そう自分自身の身体が真実を見せてくれた結果があの暗き瞳による、人間の化け物化だった。


 しかし、そうなると、ハルはある重大な問題に行き当たることになった。


 なぜ、ライキルまでもが、化け物に見えなくちゃならなかったのか?


 ハルが愛する彼女までもが、暗き瞳により化け物の姿に見えたのはなぜか?ハルはライキルまでもが死んで当然の醜悪な人間に分類されることを望んでいたことになる。例えそう思っていなくてもハルという存在は無意識下で彼女を拒絶していたことになる。ハルは表面上の愛を語っていたことになる。彼女への愛は嘘だったのか?他のみんなにも向けていた愛情や友情は見せかけのものだったのだろうか?

 エウスと出会ってさんざんやってきたバカも、ガルナと出会ってたくさん交わしてきた戦闘の中で芽生えた愛情も、ビナと出会って仲良くなっては複雑に一方的だけれどそれでも芽生えた愛情も、ハルが出会って来た人たちとの時間は全部無駄だったのか?


 違う。


 それだけは違った。


 そんなはずが無かった。


 今まで出会ってきた人たちの顔を思い出せばハルはそれを簡単に否定することができた。


 たかが姿かたちが変わっただけならば、自分の瞳を閉じればいい。


 どれだけ世界が変わって醜く牙を剥いてもハルが居たい場所は変らなかった。そこに留まっていられなくなったとしても、別の方法を探しては、みんなと一緒に居られる道を探せばよいだけだった。


 そして、それはハルにあるひとつの道を選択させた。


 理想郷を創る。


 それが今のハルの目標のひとつだった。その理想郷は愛する人たちだけに囲まれた誰にも邪魔されない世界と隔離された場所であり、そこでは理不尽や悲しみなど一切無く、必要なものがすべてそろった楽園であった。

 その選択は人類にとってもハルにとっても、双方が幸せにしかならない素晴らしい選択だった。

 ハルに目をつけられた時点でその種族の滅亡が決まったようなものなのに対して、ハルはそんな彼らに干渉せずに閉じこもろうと配慮するのだから、ハルの理想郷の創造こそ、人類の救いであった。さもないとハルの暴威が世界に蔓延し悲惨な未来が訪れることになるくらいにはハルにとっての人間の価値は知らぬ間に下がり続けていた。


 そんなハルを閉じ込めておく理想郷を実現できるならば、これほど平和的解決策はなかった。


 しかし、理想郷など口では簡単に言うが、実現するとなるとあらゆる困難が待ち構えていることは確かではあった。

 ただ閉じこもるだけならば、それは簡単にできた。しかし、ハルが心配していることはまさに理不尽な悪意だった。ハルは外の世界に蔓延る悪意をすべて浄化して閉じこもるつもりだった。だから、ハルはその理想郷を手に入れるためなら、人間だって、神獣だって、神様だって殺すつもりであった。


 外の世界の悪を亡ぼした後、ハルは理想郷でライキルたちと一生幸せに暮らすつもりだった。

 そして、もう二度と他の人間たちとは関わらないことも決めていた。


 その理想郷でハルは人生を完結させることだけを考えていた。


 そして、今、ハルにはその理想郷を手に入れるための準備が整った状態だった。


 輝かしい青から闇に染まった姿に変わり果てたハルの中にはもう、人間に対する愛情など消え失せていた。すべてはハルが愛する人たちのため、特にライキルにはより一層深い感情がハルの中に芽生え始めていた。それは以前よりもずっと感情の底から湧き上がってきた暗く重たい愛だった。

 彼女のためなら、どんな手段を使っても理想郷の樹立を成し遂げるつもりであった。


 ハルは彼女のいない世界に意味はないと思っていた。


 ハルのすべては彼女を中心に回っていた。


 彼女こそがハルの一番だと確信していた。


 けれどそう思えば思うほど、ハルの中にはひとつの違和感が大きく膨らんでいくことになった。


 やはり、そこで頭の中を支配するのは『自分は何かを忘れている…』だった。


 忘れてはいけないことを忘れている。


 それは。


 埋まらない空白。

 人間への無条件の憎悪。

 愛する人への異常な執着。


 それはすべてハルが忘れていることの中に、答えがあるはずだった。


 そして、ハルがその忘れてしまっていることを思い出そうとすると、決まって頭の中の景色に広がるのは、深い霧が漂う森の中だった。


 誰かが霧の奥にいて、その霧の中の人影はこちらをずっと見つめている。


 ハルもその人影から目を離せずにいた。


『君はいつも俺の傍にはいてくれないね…』


 ハルはふとそんなことを考えてしまう。


『君は誰なんだい?』


 その人影がライキルではないことも何となくわかっていた。そして、その人影が女性であることも影の形から分かることではあった。


 ハルはその霧の森を自らの足で後にする。その思考の森に長居してはいけなかった。


 人影が去っていくハルをずっと見つめていることは知っていた。


 だからこそハルはいつだって振り返らずにその霧がかかった森を出た。


 その人影はハルを酷く不安にさせた。


 その霧の森の人影を思い出してしまえば、ここにいる自分の全てが壊れてしまうそう気がして怖かった。できることならその霧が一生晴れてくれないことを願うばかりだった。霧の奥にいるその人を知ってしまえば、もう後戻りはできないような気がした。それはここにいる自分のハル・シアード・レイの終わりを意味していた。


「なあ、エルヴァイスさん、俺はどうしたらいいかな?」


 エルフの彼に尋ねてみる。長い年月を生きる彼ならきっと何かしらの助言をしてくれるはずだった。


「なにがですか…?」


 彼はいろいろと現状を諦めたような顔をしていた。

 ハルはもうすぐ死ぬ彼の立場をいいことに誰にも相談できなかったことを彼に話した。


「愛する人を愛すれば愛するほど、自分の中に違和感が溜まっていくんだ…」


 彼は意外そうな顔をした後、最後まで黙って聞いてくれる姿勢を見せてくれたのでハルは続けた。


「お前が愛する人はその人じゃないって、お前は間違っているって…」


「どういう意味だ?それはお前さんがそう思ってるのか?」


「いや、俺は確かにその人のことを深く愛しているんだ。だけど、それじゃあ、まるで自分の感情のつじつまが合わないんだ」


「意味がわからないな、お前さんは自分で自分の愛する人も決められないのか?」


 エルヴァイスは呆れた顔をしていた。

 それでもハルにとっては真剣な問題だった。

 ライキルを深く愛することで得られる喜びと罪悪感。

 やはりハルには何かが決定的に欠けていた。


「俺は誰か大切な人を忘れてる…その人を差し置いて幸せにはなれない…幸せにしなくちゃいけない人が他にいるような気がするんだ…」


 その発言にエルヴァイスが顔をしかめた。


「なあ、ハルさん、たとえお前さんにそういう真っ先に幸せにしなくちゃいけない誰かがいたとしても、もう、自分の傍にいる確かな人たちを大切にした方がいい…傍にいる人たちほど、お前さんを支えてくれてる存在は無いと俺は思う…」


 彼の言うとおりだった。しかし、それでもハルは言い返したかった。


「それでも、今ここに居ない人にだって俺は支えられて生きてきたことを忘れちゃいけないと思ってしまう。その人を思い出せなくても、俺はその人のことだって愛していたはずなんだ…その愛が今もまだそこにあるような気がするんだ」


 そう、結局、ハルが言いたいことは、ライキルや他の誰よりも、その霧の森の中の人影の女性のことを考えてしまっている自分がいることに対して、行き場のない怒りや失望を抱くと同時に気が付けばハルは狂ってしまっていた。


「目の前の人を大事にできないで、そのいま愛している人のことも大事にできるとは、俺は思えないな」


 それはもうハルの精神を完全に蝕んで破壊してしまった。


「俺は、ライキルを愛しているのに…幸せにはできないんだ……」


 ハルは知っていた自分がもうライキルのみならず、ガルナ、ビナにだって愛を語ってはいけないことを、彼女たちを愛するにはもう自分の手は大量に血に染まりすぎていた。あたりを見ればそれは分かり切ったことだった。


 一面を血の海にしたのは自分以外の何者でもなかった。


「俺はライキルを裏切り続けている…」


「ハルさん?」


「なんで俺はこんなふうになっちゃったんだ…」


 全身真っ赤に染まったハルが、自分の真っ赤に染まった手のひらを見つめて震え出す。


「お前さんは正しいことをしたと思うぜ…これはお前さんだけのせいじゃない…あいつのせいでもある、気に病むことは…」


 エルヴァイスはハルが自衛のために殺したキリヤの複製体、すなわち無垢な命を犠牲にしたことを、ハルが悔やんでいるのだと思っていた。しかし、それは大きな誤解だった。ハルはいま散った人間の命などすでにどうでもよかった。


「正しい?何が正しい?俺はライキル以外の女性を愛したんだぞ?」


 次第にハルとエルヴァイスの会話がずれていく。


「…ガルナ、ビナのことも好きだよ…大好きだ……だけどきっとライキルはそのことを本当は快く思ってない、分かる…分かるよ、俺だってライキルが他の人を好きだったら我慢できないから…でも、二人を殺したくないし、ああ、ライキルにも嫌われたくない…」


「なあ…ハルさん」


「それなのに俺は…ライキルでもガルナでもビナでも、ルナでもない人に惹かれてる。君はいったい誰なんだ?俺の知らない記憶の裏に隠れて出てこない君はさ!!!」


「なんだ、ど、どうしたんだ?」


 ハルはすでに正気とはかけ離れた場所にいた。


「俺はライキルの為ならどんなことでもする。誰でも殺すそれが神だろうが何だろうが、俺の邪魔する奴らは全員殺す。この際俺はどうなってもいいぜ!!!フフッ、フ、アハ、アハハハハハハハハハハハハッハッハッハッハッハッ!!!」


 ハルの真っ暗な瞳はどこにも定まらず、白目を常に絶えず動き回っていた。

 突発的な狂気にエルヴァイスは戸惑い、どうすればいいか分からなかった。

 意思疎通ができていたはずの人が急に壊れるとそこには驚愕があり、そして、恐怖があった。


「あんたはどう思う?ライキルの幸せを願ってくれるか?それとも、霧の中で知りもしない少女を探すか?なあ、答えろよ!!!」


 ハルがそう叫んで刀を振るおうとした時だった。


 エルヴァイスの視線の先にいたハルが、空間を駆け抜けた紫の光の筋に飲み込まれた。


 その紫の光の筋が止むとそこには、真っ黒な黒い球体で身を守ったハルの姿があった。闇がハルを守るように障壁を張っていた。


 だが、その闇を解いたハルのすぐ直前には拳を振りぬくレイチェルの姿があった。彼女の拳をケラケラと笑っていたハルがもろに顔に食らう。


 ハルは数十メートルと吹き飛んでいくと、赤い血の海に横たわった。


 そして、エルヴァイスは自分の背後から凄まじい殺気を感じると、その後ろには空中に浮かぶミルケーの姿があった。


「狂人が、死ね…」


 ミルケーが横たわるハルに魔法を放った。それは闇に覆われた結界内の街全域すべてを照らし出すほどの魔法の光球だった。その光球がハルに着弾すると、一瞬で光の柱が結界の天井にまで立ち上がった。


 エルヴァイスはあっという間の出来事にその場でただ見ていることしかできなかった。


 しかし、そんな平穏もつかの間だった。


 光の柱の勢いが衰えやがて、闇に完全に吸い込まれてしまうと、エルヴァイスたちは目撃した。


 そこには一切無傷の狂人の姿があった。


「よし、第二ラウンドといこう、みんな死ぬ気でかかってこい、時間まで遊んでやるよ!!」


 ハルの正気はすでにどこかに落としてきてしまった。それは自分の頭の中にある霧の森だったのかもしれない。


「ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」


 知性の無い笑い声が広場に溜まった血の海に響いていた。

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