古き血脈 血の誓い
怒り狂ったミルケーの血走った目がルナを捉えた。
「あ…」
その時、ルナは自分の死を悟った。
「おまえは…」
そうミルケーが呟いた時には彼女の拳が容赦なくルナに向かって振るわれていた。
「ヒッ」
小さな悲鳴と共にルナがとっさに天性魔法を発動させるが、どう考えても避けられるスピードではなかった。
『うええん、せっかくなんかすごい理想的なハルに会えたのに私ここで死んじゃうの!?』
「ハル…」
ルナが涙ぐんだところで、闇が再び姿を現した。
「おまたせ、少し待たせたかな」
しかし、その落ち着く声だけでルナの元から急速に死が逃げていくのを感じた。
「ハル!!」
ルナの隣にはハル・シアード・レイがおり、ルナの頭を軽く撫でて安心させていた。彼女はその場に立ち尽くし、涙ぐんでいたのだからしょうがない。
「あ?」
そして、ミルケーがルナに振るったはずの拳はどこにも見当たらなかった。さらに、そのミルケーの拳は彼女自身の前腕の先についているはずの箇所にもくっ付いていなかった。
それでは彼女の手はどこにいったのか?
「すぐに暴力を振るう悪い手は切り落とされて当然だね、反省しときな?」
ミルケーの前腕から先の拳が無く、地面に彼女の手だけが綺麗に切り落とされていた。ハルが右手の大太刀の血を払った。その大きな剣であるのにも関わらず、ルナはハルが剣を振るったところを見ることすらできなかった。
「ハル…お前は私まで殺そうとするのか?」
ミルケーが唸るようにハルに言った。
ハルがそこで彼女に素敵な笑顔を見せた。
「おいおい勘違いするな。俺は、お前どころか、お前に関わるすべての人間を殺すんだから、感謝しろよな、害虫め」
希望の無い微笑。
「しゅ、しゅてきです…ハル……」
吹き荒れる神威で体をこわばらせるルナが噛みながらも、甘えるようにハルに身を寄せていた。
だが、ミルケーの怒りは収まらない。負のオーラを放ちながら限界まで怒りを抑えているようだった。それは火山が噴火する寸前の静けさのように不気味であった。
「お前というやつは存在すべきじゃないんだ…なんでお前のようなイレギュラーな存在がこの世にはいるんだ。おかしいだろ……」
ミルケーが感情をなんとか爆発させないように呟く。
「そんなこと言ったら、神であるお前だってそうだろ?ここは俺やルナのような普通の人間たちが生きる場所だ。お前のような過剰な力をもった存在がいていい場所じゃないだろ?」
「お前がそれを言うか!?ハル・シアード・レイ、お前の方がよっぽど!」
しかし、そうミルケーが怒りに身を任せて言葉を返そうとした時だった。
「俺はなあ!!!!」
ミルケーの怒りよりも先にハルが怒鳴りどこから来たかも分からない憤怒を爆発させた。
「お前たちみたいなこの世の理不尽を詰め込んだ存在が大っ嫌いなんだよ!」
ミルケーの神威が霞むほどの濃密なハルの神威が周囲の空気を塗り替えていく。
「どいつもこいつも力でねじ伏せようとするから、俺も持ってる力で応えるしかない、力には力、死には死、そうだろがよぉ!!!」
ハルが吐き捨てるように言うと、ミルケーが目を見開いて言葉を失っていた。しかし、そこで代わりにルナが口を開く。
「ああ、ハル様、その通りです!やっとこの世の真実に気が付いたのですね、ルナはとっても嬉しく思います。ああ、本当に今日は素晴らしい最高の日です!!」
ハルは冷めきった目で傍にいた彼女に視線を送る。
「…あの、ルナさん、ちょっと静かにしてもらえます?」
「え?あ、はい!わかりました、えへへ…」
ハルの視線の下では、ルナが恍惚としたデレデレ顔でハルを見上げていた。そんなルナを見て、ハルはなんとも言えない表情をしていた。
しかし、そんないちゃつきも、束の間、ハルは言った。
「だから、ミルケー、お前は俺がここで殺す」
刀を持ったハルの姿が、ルナとミルケーの前から一瞬消える。
「安心して死んで逝け」
ハルはすでにミルケーの目の前に瞬間移動しており、刀を振るう直前まで抜刀の動作に入っていた。
ミルケーはというと、ハルの強力な神威に充てられて呆然として無防備を晒していた。
決着が着く。
ハルが刀を振るった。
そのひと振りは、街をまるまるひとつ吹き飛ばすほどの威力を秘めていた。
刀の刃に触れる以前にミルケーの身体が崩壊することなど目に見えていた。
しかし、ハルの前でミルケーがバラバラの肉塊になることはなかった。
「ハルさん、まずは俺からだろ?」
ミルケーとハルの間に割り込む【乱入者】現る。
ハルの刀を素手で受け止めるその乱入者はひとりのエルフだった。
そのエルフはミルケーの前に華麗に降臨した。
そのエルフ狂乱ゆえ、正義が分からず、長い時の流れで立場を失い、間違いだらけの選択を選び続け、そして、いまもまた彼は誤った選択を取ることに躊躇はしなかった。
その先に未来が無くてもこの男は、失われるはずだった未来を少しでも先延ばしにするためにそこにいた。
たとえ、いまからの選択も間違っていようが、彼はただ弱者のために立ち上がる自分を否定はしなかった。
「うん、いいね、それでこそ、あなたって感じがするよ、エルヴァイスさん…」
ハルはベッケやレイチェルから聞かされていた人物像と一致する本当のエルヴァイスにいまここでやっと出会えた気がした。
ハルはそんな彼を切り刻むために、刀に力を入れて押し込む。
反発しあうハルの刀とエルヴァイスの手と間で押し合いが始まる。
「ミルケー、さっさと目を覚ませ!これは命令だ!!」
虚ろな目をしているミルケーにエルヴァイスが呼びかける。
「俺と一緒に戦ってくれるんだろ?」
エルヴァイスの手にハルの刀が食い込み始める。相容れない刀を受け入れたエルヴァイスの手から出血するという事象が起こる。
『まずいな、全然張り合えなくなってる…ハルさん、マジで本気って感じだな…ハハッ……』
エルヴァイスも闇に染まったハルを見て、心の底から恐怖が湧き上がってきた。それでも、エルヴァイスにはそんな恐怖すら跳ねのけてしまう、とっておきのことがあった。それはきっとミルケーにも届く勇気が込み上げてくる言葉であった。
それはエルヴァイスが言うからこそ意味のあるものであった。
「おい、ミルケーこれから大事なことを言うから…寝ぼけてないでちゃんと耳の穴かっぽじって、よく聴いておけ…」
エルヴァイスの手にハルの刀が深く食い込み、次々と血が滴る。
「喜べ、ミルケー、俺は今宵、この一夜だけ、フルブラットを復活させたぞ!!」
エルヴァイスのその言葉は、ミルケーの霞んでいた頭の中の霧を一気に吹き飛ばした。
「ベッケやレイチェルも来てる。いいか、昔みたいに目の前の敵を倒したらみんなで酒を食らうんだ。夜通しバカ騒ぎして、お前酒好きでよく酔っぱらってたよな、覚えてるだろ?みんなでまたあれをやるぞ、きっと楽しい…だから……」
ハルが一気に大太刀を振りぬこうとして、エルヴァイスの手が切り飛ばされそうになる。
「なあ、だからミルケー、早く目を覚ましてくれ!!!」
エルヴァイスの握っていた刀に、新たに手が加わりハルの刀を止めた。
「ミルケー…」
「ヴァイス…来てくれてありがとう…私なんかのために……」
その時、ミルケーの黒かった長い髪が黄金に輝き始めた。それはまるで夜明けのように輝かしい光を放っていた。彼女の夜のように暗い瞳も、純潔のエルフ特有の青い色を取り戻し、彼女はエルヴァイスのよく知る昔のミルケーの姿に戻っていた。
「おまえ…」
「どうしたの?」
「昔に戻ってるぞ…」
「そっか、じゃあ、多分、奇跡ってやつだね…神の奇跡……」
ミルケーがそう言って微笑むと、ハルの振るっていた刀を押し返した。
急な力に体勢を崩しかけたハルはすぐに数歩距離を取り、刀を構え直していた。
「そっちの方が似合ってる」
「ありがとう…ございます……」
「どうした急にかしこまって…」
「なんだか、あなたがフルブラットを復活させるって聞いたら、昔の記憶を思い出して…なんか…申し訳なくなって…」
「そうか、まあ、好きにしろ、俺はどっちのお前もいいと思うぞ」
「本当…」
「ああ、だから、今は前の化け物に集中しろ、来るぞ」
ハルが一歩踏み込むと姿が消えた。
「後ろ!!」
反応で来たのはミルケーだけだった。振るわれた刀をミルケーが蹴り上げる。ハルの手から刀が離れ宙を舞う。
しかし、刀を失ったところでハルの攻撃が止むことはなかった。打ち上げられた腕の脇を占めてすぐにファイティングポーズを取ったハルが素手で殴りかかって来る。
エルヴァイスがミルケーの前に出て、身体を張って受け止めようとしたが、ミルケーがすぐさまその間違ったエルヴァイスの行動を正すように、彼の腕を後ろに掴んで後方に離脱した。
直後ハルが殴り損なったエルヴァイスに当たるはずだった拳が空をきって地面を殴りつけると、凄まじい衝撃と共に殴られた後に巨大なクレーターが出来上がった。
「あなたはハルの攻撃をまともに受けちゃダメ、間違いなく即死する。受けるならあなたのその特別な手だけにして、じゃないと白魔法も間に合わないまま、肉塊になっちゃう」
エルヴァイスが今立たされている状況を理解し、ミルケーの後ろに下がった。
「わかった、俺は援護に回る」
「うん、私が主力で戦うから」
さすがにいまの戦力だとエルヴァイスよりミルケーの方が格上ではあった。神にまでなった彼女に、ずっと争いを避けて来たエルヴァイスが敵うはずがなかった。
それでも、エルヴァイスはこの状況がなんだか嬉しくてたまらなかった。
「ミルケー」
そこでエルヴァイスが彼女の名前を呼んだ。
「なに?」
「勝つぞ」
ミルケーが振り向いてエルヴァイスの顔を見ると微笑んだ。
「ええ」
宙に舞い上がった刀をハルがキャッチすると、そのまま間を置かずに問答無用で、斬りかかってきた。その速度はやはり常人のエルヴァイスでは目で追い切れない速さであった。
「神性魔法【神装】」
ミルケーの姿が一瞬で闇を切り裂くほど眩い銀色の軽装鎧に身を包んだ。
「神性魔法【神光剣】」
続けてミルケーがそう呟くと、どこからともなく光り輝く剣がミルケーの手に召喚された。その剣はまさに神の光の名を冠するがごとく、ミルケーの手の先で、白刃が厳かに空間を切り裂き続けていた。その剣の異様な神々しさはまさに神の武器に相応しい剣であった。
「私に剣を抜かせたからには…」
ミルケーが言葉をしゃべるまもなく、ハルの狙いはエルヴァイスに向かって剣が振るわれていた。
今度はミルケーがぎりぎりで、エルヴァイスとハルの間に割って入った。
「ハル、お前は必ず私が殺す」
「ごちゃごちゃ喋ってないで、その陳腐な剣で俺をいますぐ切り殺したらどうだ?」
「そうさせてもらうわよ!ヴァイス!!」
鍔迫り合いをしていたハルの前に、ミルケーの背後からぬるりとエルヴァイスの両手が伸びて来た。
さすがのハルもすでに左手の経験があり、それがどれだけ危険な手なのか知っていた。
ハルが目にも止まらぬ速さでミルケーとエルヴァイスから距離を取る。
「君のその手だけは本当に厄介だね…」
「ハルさんにそう言ってもらえると、光栄の極みだね」
エルヴァイスが冷や汗と共に口角を上げる。久々の本気の強敵との命のやり取りに緊張が走っていた。
「だけど、君が足手まといなのは変わらないだろ」
ミルケーとエルヴァイスの目の前にいたはずのハルが、すでに二人の後ろで刀を振るっていた。
確実に仕留めたと思ったハルだったが、ここに来て再び乱入者が現れる。
黒い大きな影が空に見えた気がした。
『ん?』
ハルが刀を振るうよりも早く、地面が急速にせりあがり、ハル、エルヴァイス、ミルケーの三人は宙に舞っていた。
「あれは…」
ハルが宙に放り出される際にそれは見えた。ハルの視線の先には謁見の間にもいた体長二十メートルはある化け物の姿があった。その化け物は地面を強く踏み込み、まるでシーソの反対側を持ち上げるように、その踏み込んだ場所と少し離れたハルたちがいた地面をせりあげていた。
空中にいる際、天性魔法を足場に、持っていた刀でエルヴァイスを狙おうとしたが、ミルケーの神光剣がいつの間にか四つに増えており、空中を浮遊するその剣たちがハルに向かって射出されると、それを防いだハルは再び振り出しに戻された。
地面に着地するとハルと、その先にいるのはエルヴァイス、ミルケーと化け物一匹とそして、あとから遅れて来たのはレイチェルだった。
「その化け物も、お友達か?」
「おお、紹介が遅れたな、こいつはベッケだよ」
「へえ…」
ハルは驚きはしたものの、感情の起伏は小さかった。
「じゃあ、ひとつだけいいか?」
「なんだ?」
「ベッケさんやレイチェルさんもそっちにつくってことでいいのかな?」
ハルがその問いに、エルヴァイスが後ろの二人を見た。ベッケはエルヴァイスと目を合わせ静かにうなずく、レイチェルに関しても同じくベッケが頷いた後にしっかりと頷いていた。
「ああ、そうだ。こいつらもこっち側だ」
「じゃあ、彼等も裏切り者ってことでいいね?」
ハルがその場で刀を斜めに軽く一振りすると、凄まじい剣圧がエルヴァイスたちをのけ反らせた。
「お前ら、本当にいいのか?俺につくってことはあのベッケよりも化け物じみたハルさんと戦わなくちゃいけないんだぞ?多分、普通に死ぬぞ?」
「大丈夫、私がそうはさせないから…」
ミルケーがそう言うが、エルヴァイスがここに居る三人全員を守れるとは思えなかった。
「いいよ、どうせ、わたしたちはあんたの命令には逆らえないんだから」
レイチェルがそう言うと、エルヴァイスは苦笑いをした。
「そんな恐怖政治を敷いた覚えはないんだが?」
「はあ、だから、それくらいあんたには借りがあるっていってるの、きっとベッケ風にいうと、この世界を敵に回しても私たちはあなたの味方ってことよ、それでいいんでしょベッケ」
レイチェルがそう言うとベッケは深く頷いていた。
「そうか、わかった…ありがとなお前ら」
エルヴァイスが二人に感謝を告げると、前を向いてハルに言った。
「つうことで、こいつらも俺につくようだ」
「わかった、じゃあ、全員死ぬ覚悟はあるってことでいいんだな」
ハルが刀を構えるとすぐに空気が一気に変わり全員に緊張が走った。それは死を想像させるには十分すぎる迫力があった。
それでもフルブラットのメンバーは誰一人としてハルの威圧に屈することは無く、各々戦闘態勢に入っていた。
だが、そこでエルヴァイスが全員に向かって掛け声をかけた。それはとても懐かしい掛け声でチームを一丸とする魔法の言葉だった。
「フルブラット、諸君、血の誓いはここに、我々は皆と共にある!!」
エルヴァイスが胸に手の平を当て握りしめる。
そして、三人も同じように復唱した。
「血の誓いはここに!!!」
それは純潔のエルフたちの間で古くから大事な場面で使われてきたものであった。それは純潔のエルフはみんな古き血脈で繋がっている同胞であり、君はいつだってひとりなんかじゃないという、大人が子供に教えるおまじないのようなものだった。
しかし、それをエルヴァイスは過去に戦場で何度もみんなの前で披露したことで、フルブラットが戦に赴く時は常に誰かがその言葉を口にしていた。
「やるぞ、お前ら!!」
エルヴァイスの掛け声とともに、今宵復活したフルブラットによる最後の戦いが幕を開けた。