古き血脈 刹那闇は溢れて
業火が裂け目の底を満たした後。その勢いはあまりにも強く他の炎も一緒にまとめて吹き飛ばしていた。裂け目の底には小さな種火たちがあちらこちらに散らばり灯るばかりで、その輝きは失われつつあった。
裂け目の底には再び静寂と暗闇が忍び寄っていた。
「…あ………」
そして、すぐ傍で爆炎の直撃を受けたハルは、すでに虫の息であった。ハルは全身大やけど状態で、特に上半身から上は酷い火傷をいくつも負っていた。顔には見るに耐えない火傷の後があり、ハルの双方の瞼は熱で焼かれ開けることができず、完全に視界を封じられていた。
それでもハルはその場に倒れることなく、刀を右手から離さずに、その場に立っていた。
そして、目の前にはエルヴァイスも無傷で立っていた。
「ハルさん、あんたはこんなもんじゃないだろ…」
「………」
ハルが口を動かすが熱を帯びた口も上手く動かすことができずに、小さな息を吸ったりはいたりして、ヒュー、ヒューとなるだけであった。
ハルは何とかまだ戦いの意思を見せようと、刀をエルヴァイスに向けた。その手は小刻みに震えており、もはや戦える状態ではなかった。
「俺は見込み違いをしていたのか?だったら、悪かった…俺はあんたに酷いことを押し付けてしまったようだな…」
「………」
ハルはまだ戦えると天性魔法を捻出しようとしたが、身体から光が溢れることはなかった。すべて、一瞬のうちに起こったエルヴァイスの炎の核の大爆発の防御に回し、生きていること自体が奇跡であった。
「ハルさん、俺とあんたは敵だった。だから決着は着けなくちゃいけない。分かるだろ」
ハルはそう言ったエルヴァイスに向かって、首を少し前に傾け頷いた。それは覚悟を決めた者の返事であった。どれだけみじめで同情したくなるほどボロボロでも、ハルとエルヴァイスは敵となってしまった以上、決着は着けなければならなかった。
「最後に、俺の天性魔法で終わらせてやる。死んだことにも気づかないから痛くはないぜ…」
エルヴァイスがそう言うとハルの心臓に手を伸ばした。彼の腕がハルの胸の肉体を透き通ってハルの心臓まで、その透き通った手を差し込んだ。
「ハルさん、俺はこれから、多分苦しむと思う」
エルヴァイスはハルの顔を覗き込んでいたが、ハルが彼の顔を確認することは無かった。天性魔法も両目も使い物にならなくなった。ハルが見る景色は闇だけだった。
「あなたを殺してしまうこと、ミルケーと共にこの先数えきれないほどの罪を抱えて生きていくこと、そして、マロンを忘れて生きていくこと…」
エルヴァイスが寂しそうに笑う。
「俺はきっと最初から間違っていたんだと思う。ここに至るまでいろんな困難があったけど、何一つとして正しい道を歩めてこなかった。唯一仲間のベッケやレイチェル、そして、マロンに出会えたことも、こうして失っていつか忘れていくのなら、最初から間違いだったんじゃないかって思ったんだ…出会わなければよかったって、そう、思うんだ」
ハルが刀を下ろすと、そのまま手を離し、地面に刀を捨てた。
そして、空いた右手で、熱でくっ付いた口に当てると、チャックを開けるように開くと言った。
「間違って…ない……」
ハルはそのままエルヴァイスを片手で押して彼を遠ざけた。まだ死ぬわけにはいかない。
「自分が…生きた…人生を……否定するな………」
ハルはその場に倒れ込むようにしゃがみこんだ。真っ暗闇で平衡感覚もなく立っていられなかった。
「ハルさん、あんたが俺の人生の最後を飾ってくれると思ったんだが」
「エル、ヴァイス…いいか、俺はいまこんなんだが……負けたとは…思ってない……」
「いや、決着はついたよ」
エルヴァイスがハルにとどめを刺すために一歩踏み込んで来る。
「俺は死ねない、みんなを置いて先にはいけない……」
ハルは傍にあった刀の柄を握った。もはや持ち上がる腕力は残っていなかった。
「………」
ハルは死後の世界のことが頭によぎった。
『ここで死んだら俺は何になるんだろう…』
死んだらどうなるか?もし本当に生まれ変わるのだとしたら何になるのだろうか?自分の望みは何か?避けようのない死が迫りハルは思考を止めてしまっていた。しかし、そんな中無理やりに響いたのはあの不気味な声だった。
『望みはあるだろ?ハル…』
ハルの頭の中には相変わらず不気味で不快な誰かも分からない声が響いていた。
『いいことを教えてやる。お前はやはり力を解放するべきだ』
ハルは自然と首を横に振っていた。
『だったら、ほらいいものを見せてやる』
ハルの脳内に直接、別の場所を切り取った映像が流れて来てた。
そこには避難民たちが集まっているシェルターがあり辺りは炎の海であった。そして、そのすぐ近くをふわふわと浮かぶ植物の蔓を球状に丸めて固めた巨大な化け物が浮かんでいた。
『これは…何が……』
『よく、見ろ、いいのか?ここに居る奴らみんな死ぬぜ、ほら、この顔に見覚えがあるだろ?』
そこにはライキルの姿があった。絶望一色に染まった彼女の姿があった。
そして、その蔓状の化け物はシェルターの上に到達すると、そのままライキルたちのいるシェルターに落下し、全てを押しつぶしていた。
映像は最後に、その蔓状の化け物が去り、ライキルや他のみんながバラバラの死体になった映像が映し出されて終わっていた。
『いいか、お前がここで死ねばこれが現実になる…だからいまここでお前は力を解放しなければならない、ほら、お前が彼女に封印された力が眠るカギだ。俺が返してやる』
自分の頭の中の意識下で、悪魔のような手から差し出された古びた鍵を、ハルは見つめていた。
『ほら、受け取れ、それだけでいいあとはお前の身体が知ってる』
ハルが受け取ろうとする直前に言った。
「力を解放したら俺はどうなる?」
『心配するな、これはもともとお前の中にあった力だ』
「これでみんな救えるんだな?」
『ああ、そうだ、お前が本当の力を振るえばこの世界はお前の思い通りだ』
ハルが古びた鍵を恐る恐る悪魔の手から受け取った。
『それでいい』
彼は言った。
『さあ、見せてくれ、お前の持ってる可能性を…』
そう言って不気味な声はハルの中から消え去っていった。
***
エルヴァイスはそこでありえない光景を目にしていた。
さっきまで業火に焼き尽くされて瀕死だったハルが、傷一つ無く立っていた。
そこに立っていたのは完璧に闇を取り込んだハルの姿があった。
くすんだ青い髪は真っ黒に染まり、瞳もまた同じように黒く光を失っていた。失っていた左手はまるで黒い義手をとりつけたように闇によって補われていた。ハルの白い肌だけが唯一闇と一切交わらない純粋さを保っていたが、その白さもどこか不気味なほど美しく完璧で傷一つなかった。
「お前さん、本当にハルさんか?」
ハルは刀を持つとエルヴァイスの隣を素通りした。
「エルヴァイスさん、ひとついいですか?」
「………」
ハルの柔らかい声に、エルヴァイスの戦意は喪失していた。声が出せなかったエルヴァイスにハルが続けて語り掛けた。
「少し待っていてください、急用ができたので」
「ああ…」
「すぐに戻ってきます」
それはエルヴァイスにとっては幸か不幸か頭の中を整理する時間が確保できた瞬間だった。
「それと、エルヴァイスさん」
「…なんだ?」
「仲間を集めておいてください、味方も敵も関係なく、あとで全員俺が殺しにいくので…」
「ハァ?」
ハルがそこでエルヴァイスに微笑みかけた。
「仲間を集めて待っていてください、まとめて全員殺すので」
「何を言ってんだ、まだ俺とお前さんとの勝負の最中だろうが」
「遊びの時間は終わりです。ああ、もうすぐ時間になってしまいますね、上に上がりましょう」
ハルがエルヴァイスに背中を見せて歩き出した。
「おい、何一方的に話を終わらせてるんだよ!?勝負はこれからだろ!!」
エルヴァイスが両手を透明化させて、ハルとの距離を詰めようとした時だった。
「あなたには情けをかけてもらったから、これはそのお返しです」
するとハルとエルヴァイスの間に闇が溢れた。
「こいつは!?」
まるで海面が上昇するかのように、周りにあった闇が足元から溢れ出した。エルヴァイスの視界からハルの姿が闇で遮られ見えなくなると一気に闇がエルヴァイスの身体を地以上に向かって押し上げ始めた。
そこからは一瞬の出来事だった。エルヴァイスが裂け目から溢れた闇に連れられて一切の抵抗もできずに地上に強制的に浮上させられていた。
エルヴァイスが地上に出た時はまだ明るく、急に明るい場所に出た者にとって午後の陽ざしは目に毒でジンジンと痛んでいた。
しかし、その瞳でエルヴァイスはミルケーの姿を捉えると彼女の元に駆け出すのであった。
その間、裂け目の底から吹き上がった闇で結界の外にまで移動したハルは一度、エルヴァイスとミルケーが感動の再開をしている場面を目撃するところを見ると、一言呟いた。
「俺が来るまでどうか幸せに…」
そう言うと、ハルは仮拠点がある方角を見て言った。
「ライキル、もう、大丈夫だよ…」
未来の光景を変えるため、ハルはライキルたちがいる仮拠点へと姿を消した。
結界には闇が広がりつつあった。
*** *** ***