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元剣聖ハル・シアード・レイの神獣討伐記  作者: 夜て
新世界と古き血脈編
507/781

古き血脈 殻に響く崩壊の前奏曲

 エルフの森に形成された仮拠点に名前は無い。

 王都はすぐに奪還され平穏を取り戻すとスフィア王国の女王ジェニメアが生き残った民たちに約束したからであった。

 名前があるといつまでもこの場所に留まらなければならない。そんな不安を少しでも払しょくさせる気休めではあったが、こんな悲惨な場所に名前を付けて歴史の教科書に載せたくはなかった。

 この一連の出来事はスフィア王国にとって、屈辱的な汚点ですらあった。しかし、そんなことも言っていられない。民たちが何よりも苦痛に耐え凌いでいるのだ。王都が陥落したことで、逃げ延びた人々はこの仮拠点で野宿と変わらない生活を強いられていた。

 ジェニメアがそのことを誰よりも分かっているつもりではあった。だが、手が回らないのも事実だった。

 仮拠点は、スフィア王国の首都、王都エアロが、襲撃を受け避難してきた者たちが集った最後の砦。

 何としてでも最後まで生き残り王都を奪還しなければならなかった。


 そして、始まった奪還作戦に伴い、このエルフの森を切り拓いて造り上げた仮拠点の街には誰一人として人間は残っていなかった。

 女王が住む砦とその敷地内の建物、その砦の麓に建てた街の居住区の建物にも、大勢の人が暮らすテントの海が広がるキャンプ場にも、仮拠点に人はひとりもいなくなっていた。


 そんな避難民たちは現在、あるひとつの建物中に避難していた。


 その建物の内装は、巨大な木造の半円の建物だった。

 まるで食卓に並ぶ木のボウルを大地にひっくり返して置いただけのシンプルな造りだった。もう少し詳しく説明すると、手を重ね合わせたように巨大な木が組み合って、その下にいる避難民たちを一か所にまとめて守っていた。


 その建物には名前があった。


【グリーンシェル】


 王都エアロの奪還作戦が始まる前に、避難民たちはその巨大なドームの中で保護されていた。

 シェルターの天辺の天井には巨大な光の球が円を描くように浮いており、優秀なエルフたちの魔法であることは一目でわかった。

 その明かりの元にはここの守護を任せられた騎士たちがおり、さらには女王ジェニメア並びに王都から生き延びた上級貴族たちなども、民たちに加わりこのシェルターの中にいた。

 そして、そのシェルターの中には当然、奪還作戦に参加できなかった者たちもいた。


 貴族、来賓などの要人たちは、シェルターに設けられた仕切りのある場所で、一般人たちとは隔離され、椅子が用意されている広場に集められていた。これはせめてもの安全対策であった。もしも市民たちの怒りの矛先が貴族などに向こうものなら、シェルター内はその意味を無くして中で戦争になってしまう。それを回避するための簡単な仕切りであった。ただし、それ以外は国民たちと同じ対応であり、そこには椅子があるかないかの違いだけであった。

 唯一、女王だけが個室を用意されており、その中に上級貴族や護衛のスフィアの剣聖アルバーノと帝国の第二剣聖フォルテ、帝国エルガー騎士団副団長ルルクたち以外はみんな個室の外、つまりシェルター内の、雑草が生えている地べたか、簡素で固い椅子に座るかの二択だった。


 そんな中、ライキルは固い椅子に上品に座って、呼吸を整えていた。


 周りには、エウス、ビナ、ガルナ、ギゼラがおり彼らもライキルの傍で固い椅子に座って、些細な会話をして緊張をほぐしては、すぐに黙り込んでを繰り返していた。


 シェルター内は程よい静けさに満たされており、誰もがひそひそと会話をしていた。その口々にはこの現状に不安を抱くものばかりであった。外との情報は奪還作戦に出て行った偵察部隊からの報告がなければ何も入ってこなかった。万が一負けることがあれば、ここに居る勢力だけで、敵と戦わなければならなかった。

 奪還作戦に向かった戦力に劣るこの少ない戦力で、避難民や女王たちを逃がしながら。


「なあ、俺たちも何かできることないかな?」


 エウスがそんなことを言った。ライキルもそのことをずっと考えていたが、考えるだけ無駄なことは分かっていた。


「ないですよ。私たちはいま避難民としてここに居るんですから、おとなしくしておいてください」


 正しいことを言ったビナに、エウスは不貞腐れたが納得せざるを得ないことを理解し、項垂れていた。


「分かってるさ。別にこれからここを抜け出して王都へ向かっても、エウス様の新鮮な死体が出来上がって終わりだからな」


「私だって力になりたいとは思いました。ハルのために少しでもと、ですが、今回はガルナですらここに居るんです。その時点で私たちにできることはありませんよ」


 ビナも元気が無かった。この状況で元気のある人間などひとりもいなかった。


 しかし、ライキルが思うにハルが自分たちを連れて行かなかったことにはもっと別の理由があることを薄々全員が感じ取っていた。

 今回の敵は、四大神獣討伐の時の獣たちとは違い。


 敵は生身の人間だった。


 それも罪の無い人間たちも複製体として操られており、とてもじゃないが正当な大義名分があろうと、その手を血で染めることは確実であった。


「私たちは卑怯だね…全部ハルに任せて……」


「………」


 その言葉はその場にいた全員を黙らせるには十分すぎた。


 ライキルたちのような国を表から守る騎士たちがずっとしてきたことは、魔獣を狩るためのものであり、決して人を殺すためのものではなかった。

 長い間戦争などなかった。ましてやライキルたちが人間間の戦争を経験したことなど一度もなかった。

 近年、人々は獣を相手にするのが精一杯で団結を強いられてきた。それはそれで悲惨でありハルがその理不尽な暴力を沈めてきたおかげで、四大神獣の脅威は日に日に薄れていっていた。

 だが、その結果が人間同士の争いに繋がるのだとすれば、ライキルはそれが怖くて仕方がなかった。もしかしたら、このスフィア王国の国家転覆も始まりに過ぎないのかもしれない。


 この大陸から四大神獣が消えてしまった次の日には、大国同士の戦争が始まってしまうかもしれない。

 人々は高い壁を築き、隣国を憎み、自分たちを守るために敵を殺すかもしれない。戦争の手綱を握っている人間が、適切に指示を出せば、人々は簡単に殺し合ってしまうだろう。


 ライキルはいままさに戦争を避難民として体験し、その先に待ち伏せている悲惨な未来を想像しては怯えていた。


 そして、今まさに、この場にいないハルのことが心配でたまらなかった。


『ハル…早く戻って来て……私たちにあなたの笑顔を見せて……』


 ライキルはこうべを垂らし神に祈った。


 その時、シェルター内に大きな振動が走り、地面を揺らした。


 静けさを纏っていたシェルター内に悲鳴が上がる。そのシェルターの揺れは次第に大きく激しいものになっていた。


「何?」


 ライキルが椅子から立ち上がって天井を見上げる。


「ライキル、私のそばにいろ」


 ガルナが傍に寄って来て背中の大剣の柄を握っていた。


「おいおい、まさか…違うよな」


 エウスが予期していたことは、ライキルと一緒ではあった。それは本隊がやられて敵がこちらにまで迫っているという最悪のシナリオだった。


「ハルたちがやられたのか?」


 その一言でライキルたちに絶望が走るが、そこでギゼラが口を開いた。


「みなさん、落ち着いてください。こういう時こそ冷静さが必要です。まず、ハルさんが負けるところを私でも想像できないのに、あなた達が信じないでどうするんですか…」


「ああ、そうだったな、悪かった」


「きっと、敵が攻めて来たのには変わりありませんが、きっと彼らも本隊ではないはずです。こんな短時間でハルさんやルナさんたちが負けるようなら、世界はとっくにその人たちによっていいようにされてるはずです」


 さすがはレイドの裏部隊でルナについていただけのことはあった。この緊張感の中で、ギゼラの落ち着きっぷりは相当訓練されたもののようだった。


「まずは情報を集めるところからです。わたしが女王様がいる会議室に向かうので、あなた達はここで周囲の警戒を続けていてください。動いちゃだめですよ?」


 ギゼラはそれだけ言うと、小走りで個室に向かっていった。


 それから数分後、ライキルが辺りを見渡していると、怯えている群衆の中を迷いなく数人の騎士たちが女王のいる個室に向かって走っていくのを見かけた。


 それから数分して、ギゼラが戻って来た。しかし、そこには彼女以外に複数人の騎士たちを連れていた。


「みんな、ここに居たのか」


 そこにはアスラ帝国の第二剣聖のフォルテ・クレール・ナキアが立っていた。


「フォルテさん」


 彼は帝国の剣聖が着る正式な赤い鎧を身に纏っていた。いつも冗談で来ていた金ぴかの鎧を着ている時とはあまりにも雰囲気が違った。そこには四大神獣討伐の時ですら見せなかった。冷酷さがあった。


「ルルク、彼らの傍にいて護衛しろ、俺は外の連中をかたずけて来る」


「分かった。だが、フォルテ、無理はするな、ヤバくなったらすぐに戻ってこい」


 フォルテがそう後ろにいたルルクたちに指示をだした後すぐにライキルたちに振り返った。


「みんな、そういうわけだ。危なくなったらあいつらと一緒にここを脱出してくれ」


「フォルテさん、ひとりで行くんですか?」


「ああ…ここから先は俺ひとりだ」


「私たちにも力になれることは何かありませんか?」


 無駄なことは分かっていた。ルルクたちよりも役に立たないライキルのような精鋭でもない騎士ができることなどせいぜい足手まといがいいところだった。


「そうだな…」


 しかし、そこでフォルテはライキルたちのことを無下にしないで、考えを巡らせてくれた。


「そうだ、だったら、ひとつだけ」


「なんですか?」


「外の安全が確保されても、みんなはすぐに出てこないで欲しいんだ」


「…どうしてですか?」


 聞き返したときにライキルは後悔した。


「俺がここに戻って来た時、きっと外は悲惨なことになってる。人間相手に半端はできないからな」


「…ああ……」


 外で戦うということは、人を殺しに行くということだった。それに獣と人では狡猾さがまるで違う。少しの油断もできないのが人間という知恵を備えた生き物であった。


「シェルターの外にはそれなりの数の敵が集まって来てるらしいし、獣と違って人間は完璧に殺さないといけない。やり方も汚くなるだろうし、見て気分の良いものじゃない」


 フォルテがそう言うと背中に背負っていた刃が波状のフランベルジュという剣の皮の鞘の紐を解いた。

 そして、背後のエルガー騎士たちに向かってもう一度念を押すように言った。


「お前たち彼らをしっかり守れよ。彼らはここの女王なんかよりよっぽど護衛対象としては優先順位が上だからな、わかったか?」


 ルルク以外のエルガーの騎士たちが「ハッ!」と威勢よく返事をしていた。


「フォルテ、もう一度言うが無理は…」


 ルルクの言葉をフォルテが遮った。


「ルルク、俺が相手にするのは敵の残りカスみたいな戦力だけだ。心配は無用だ」


「わかった。存分に暴れてこい」


 フォルテとルルクが互いの拳をぶつける。

 二人は相手の幸運を祈った。


 フォルテはシェルターの中央へと向かって行った。


「皆さん、安心してください」


 ルルクがライキルたちに向かって言った。


「フォルテが出て行ったからにはもうこのシェルターは安全です。彼が戻って来るのを待ちましょう」


「ルルクさんは心配じゃないんですか?フォルテ剣聖のことが…」


「ええ、心配していませんよ、これっぽちも」


 ライキルがそう尋ねると、彼はにっこりと紳士的に笑っていた。


「死んじゃうかもしれないんですよ…」


 外は戦場であり、命のやり取りが行われる場所だった。それは剣聖であるフォルテですら同じ土俵にいる以上は死がまとわりつく。

 しかし、それでもルルクは何一つ取り乱すことは無かった。


「そうですね…」


「じゃあ」


 その理由を尋ねようとした時ルルが呟いた。


「ただ」


 彼は淡々とみんなに説明するように言った。


「ただ、いつもは腐れ縁だの、生意気なガキなど、馬が合わない犬猿の仲だの、私と彼の関係はさんざんですが、それでも、こんな私が彼を認めているところがひとつだけあります」


 全員がルルクのどこまでも突き抜けた笑みから目が離せずにいた。


「それは彼が剣聖であることです」


 それはごくごく当たり前のことだった。フォルテがアスラ帝国の第二剣聖であることは多くの人たちに知られていた。ライキルたちにも身近にハルという存在がいたため、それがどういうことか理解するのに時間が掛ったが、よくよく考えてみれば分かることだった。

 そう剣聖とは凄いのだ。それも大国ともなればその凄さは並々ならぬものだった。凄い、そんな短慮な言葉で表されてはあまりにも剣聖という称号が報われないが、騎士の中でも最上級のその位を得ることの困難さは計り知れないものであった。


 ただ強いだけでなれるのであれば、苦労はしなかった。


「私は彼のそこだけは高く評価し尊敬しています。こんなこと本人の前じゃ口が裂けてもいけませんがね」


 照れくさそうに笑う、ルルクの後ろで、エルガー騎士団たちがまんざらでもない顔をしていた。それに気が付いたルルクが剣を抜きかかったところで、ライキルが声を掛けた。


「信じているんですね」


「ええ、だから、皆さんは無事にこのシェルターの外に出られる。それは保障します。彼が来たからにはもう誰も失いません。大切な人たちは誰もね」



 多くの避難民たちがひとりの剣聖の登場によって、道を開けていた。そこには赤い鎧に身を包んだアスラ帝国の第二剣聖のフォルテ・クレール・ナキアの姿があった。

 彼は付き添いのエルガー騎士たちとシェルターの中央に向かって歩いていた。


 シェルターの中央では、スフィア王国の上級魔導士たちが佇み彼が来るのを待っていた。


「お待ちしておりました。フォルテ剣聖、準備はできております」


「ああ、お前たちはここまででいい、持ち場に戻れ」


 フォルテがそう付き添いのエルガー騎士二人に声を掛けると、彼らは「ハッ」と短く返事をするとフォルテから一歩下がり頭を下げていた。


「フォルテ剣聖、本当にお供をつけなくてよろしいのですか?よければ私たちであれば援護くらいはできますが?」


 フォルテは、背の高いエルフが実際に腰を低くして、話しかけて来てくれた肩を軽く叩くと言った。


「ありがたいが、ここは俺だけでいい、外に出してくれ」


 フォルテはすでに戦闘態勢に入っており、誰も逆らえない独特の雰囲気を放って周りを無意識に威圧していた。


「承知しました。それでは中央に」


 エルフの指示に従って、フォルテはシェルターの中央に立った。


「それではフォルテ剣聖どうかご無事で」


「ああ…」


 フォルテが短く返事をする。

 四人のエルフたちが一斉になにやら呪文を唱え始めた。


 すると足元に突如綺麗に加工されたような四角形の木が現れ、天井へと一気にフォルテを持ち上げていった。


 そして頂上に到達する直前で、天井の木がフォルテを避けるように反り返ったかと思うと、彼が上り突き抜けた後の天井の木々たちは、瞬く間にその反り返った枝をしならせては、穴を塞ぎシェルターの天井の一部となった。


 シェルターから外へ。


 青い空にはどんな星よりも輝く太陽が昼を支配していた。


 剣聖が持つフランベルジュの刃が何度も光を反射する。


「天性魔法」


【鳴らずの聖鐘】


 世界から音という音が崩壊していく。

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