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元剣聖ハル・シアード・レイの神獣討伐記  作者: 夜て
新世界と古き血脈編
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古き血脈 深淵の使徒 鳴り響く地鳴り

 覗き込んだ水たまりの底から伸びた手がブロッサーの身体を掴んだ。人間の身体を丸ごと包み込めるような手の大きさは人間のそれではなかった。ブロッサーはなすすべもなく、身動きの一切を封じられてしまった。


 深淵の水たまりから突如現れたその腕は、丸太のように太く、筋肉は鋼のように強固であった。それに加え、その腕は深淵を塗りたくったような深い黒であり、そこに血管のように赤い線がひび割れのように刻まれては、ほんのりと赤く明滅していた。


「なんだ、これは!?」


 天使ともなれば人の身に余る力を、主神から与えられているはずであった。それは普通の人の十倍、百倍と、桁違いの強さであるにも関わらず、ブロッサーがどれだけ掴まれた腕を振りほどこうとしても、自力では決して抜け出せないほどの怪力に締め上げられていた。


「ぐっ…あが……」


 ミシミシと自分の内側から骨が軋む音が聞こえる。

 ブロッサーを掴んでいた剛腕が深淵を孕んだ水たまりから、ゆっくりと腕を伸ばす。

 水たまりから一本の腕が空へ向けてつきあがる。その突き上げられた拳には骨ごと折られそうになっているブロッサーが握られていた。


 ブロッサーはすぐさま、近くにあった蔓たちを自分のもとに集め、この怪力の手をこじ開けようと試みた。


 だが、結果はブロッサーにとって悪い方へと進んだ。


 水たまりから突きあがった悪魔の腕に蔓が絡まり始める。ブロッサーを助けるために蔓たちはねじれ絡み合っては強度を増し、腕を締め上げ固定した。そこからブロッサーを握りつぶそうとしている太い指に絡み、一本一本指を剥がそうとしていた。


 徐々に指が持ち上がりブロッサーの身体を圧迫していた力が抜けていく。


「もっと蔓に力を送らなければ…」


 ブロッサーがありったけの魔力を注ぎ蔓たちに力を分け与える。蔓たちもそれにこたえようと、指を引っ張る力に勢いが出る。


 そして、功を奏したのか、握りしめていた手は指を自ら開いてあっさりとブロッサーを解放した。


「よくやった、このまま、僕を安全な……」


 しかし、その時だった。


 悪魔の手が大きく後ろにのけ反ると、目にも止まらぬ速さで振りぬき、ブロッサーのことを羽虫をたたき落すかのごとく地面にはたき落した。


 ブロッサーが地面に叩きつけられると、地面にクレーターが広がり、周囲に大きな亀裂が走った。


「……が…………は……ぁ…」


 息をすることもままならず、全身があらゆる方向へと潰れ曲がった姿は天使というにはあまりにも悲惨な光景だった。


 それでもブロッサーの肉体は数秒もしないうちにみるみると元通りに治癒していく。これこそ神性が与えてくれた神の恵であった。物理的な損傷に極端に強く、本来ならば、天使に傷をつけることこそ不可能に近いのだが、深淵の彼はもはや人ならざるものであり、人と思ってはいけなかった。


 天使と悪魔。双方正反対の立ち位置にいる存在ではあるが、この世に存在する位としては同等のものといえた。


 ブロッサーが見上げる先には九メートルほどの片腕がこちらをじっと見つめるようにたたずんでいた。


「愚かな悪魔…この天使である僕に再生能力を使わせるとは…」


 ブロッサーの傷が数秒たらずで完治するにまで至る。人が天使に敵わない理由の一つがこの驚異的な回復力ともいえた。


「だけど、無駄だ僕にどれだけ致命傷を与えてもタフさでいったら、僕は三人の中で一番頑丈なんだ……」


 そのようにブロッサーが自身の頑丈さを再認識していると、悪魔は次の段階に入っていた。


 九メートルもあった腕が水の中に潜り、再び辺りは不気味な静けさに包まれる。


「なんだ?」


 ブロッサーが疑問に思っていると、突如小さな水たまりから十二本の指が現れる。そして、その六本指の両手は深淵と現世の境界線を掴み、その境界を広げるようにこじ開け始めた。


 ブロッサーはすぐさまその水たまりめがけて、攻撃を始めた。


「不味い!!」


 片腕だけならまだしも、悪魔はその本体を、この世に顕現させようとしていた。


 ブロッサーは水たまりに向かって腕を振り下ろすようなしぐさで、大樹に攻撃の指示を出す。

 巨大な大樹。その一角を飲み込むほどの樹冠が淡く発光し始めた。


 ブロッサーがその水たまりから離れる。

 次の瞬間。

 背後の大樹の樹冠から激しい緑色の雨が降り注いだ。その雨はひとつひとつが緑の葉だった。樹冠と結びつき風に揺れていた無数の葉。それでもその葉が樹冠から離れ、高速でまるで針のように地面に直撃すると、街の石畳をまるで紙切れにナイフを突き立てように貫いていた。

 強力な刃となった無数の葉っぱが、街の一角に降り注ぐ。さらにそこでブロッサーがその降り注ぐ葉をコントロールすることで、いままさに姿を現そうとしていた場所の水たまりに集中させていた。


『片腕一本であの力、本体が出てきたら僕でも倒しきれるか分からない…仮に倒してきれたとして、コアを守る力が残っているとは思えない…』


 大樹から降り注ぐ、全てを貫く刃の葉が、水たまり周辺を集中的に攻撃する。もはや地面を削り跡形もなくなったそこは更地となっていた。


 深淵へと通じる黒い水たまりもちりじりに消えてしまっていた。


 緑の雨を止め、ブロッサーは砂埃舞う地面へと降りて確認しに向かった。


 何もない。


 辺りには塵埃と化した街の骸だけが転がるばかりであった。


「なんとか、本体の顕現は阻止できたか…」


 ブロッサーが安堵から気を緩めた時だった。


 街を破壊したことで舞い上がった激しい砂埃に、巨大な真っ黒な影が映る。


 その影は二十メートルはあった。


「………」


 ブロッサーはその影を目撃して、声を失ってしまった。


 砂埃が晴れると、そこには化け物が一体立っていた。


 頭は後ろに試験管のように伸びては、鼻と耳も無く、大きなワーム状の口だけが広がっていた。目は左右に八つ横に不規則に並んでいた。鋼で構成されたような剛腕のうでに大きな手とかぎ爪。筋肉をありたっけ凝縮したような分厚い胸板に、背中からは流動的で現れては消えてを繰り返す泡のようなものが絶え間なく沸き立ち続けていた。

 そのように上半身はまるで肉団子のように大きな図体をしていたが、それに比べて下半身はあまりにも細長く華奢だった。その細い脚で上半身を支えていることはあまりにも無謀で、立っていることが奇跡に近く、動くことすらできないではないかと思わせるほど体のバランスが合っていなかった。

 しかし、そのバランスの悪さと見た目の不気味さも相まって、神聖な天使としてのブロッサーが吐き気を催すのは至極当然のことだった。

 姿を現した悪魔は全身を深淵のそこで腐ったような深紫色をしており、その体全体には赤い筋が張り巡らされ淡く光っていた。


「化け物…」


 それ以外言葉が見つからなかった。


 ブロッサーがその化け物を視認したのもつかの間、ブロッサーの眼前に、その巨体の四つの目玉が睨んでいた。


「は?」


 ブロッサーは何が起こったのか分からず、次の瞬間には、その化け物の剛腕によって、大樹へと吹き飛ばされていた。


 建物をなぎ倒しながら、ブロッサーは大樹へ追いやれた。

 吹き飛ばされたブロッサーはどこかの民家の中でようやく止まった。

 ブロッサーが見据える前方にはいくつも倒壊した建物が並び、その先には二十メートルほどの化け物が醜い咆哮を上げていた。


「何が…起こった……」


 しかし、その遥か遠くで唸っていた、その化け物が再び姿を消す。


「消えた?」


 ブロッサーが立ち上がりこの大樹周辺に忍ばせている蔓を使って、自分を掴ませ上へと運んだ。


 半壊した建物から屋上に出たブロッサーの背後には四つの目があった。


「なっ!?」


 突如振り向く間もなく、ブロッサーは二度目の強烈な拳を食らってしまう。


 身体が加えられた力の分だけまた吹き飛ぶが、ブロッサーが覚悟をしなければならないのはここからだった。吹き飛ばされている間は決して休憩時間ではないということを、ブロッサーは並走してきていた化け物の四つ目と目が合って確信した。


「蔓たちよ、守れ!!!」


 吹き飛ばされながら、ブロッサーは蔓たちにそう命じると、蔓たちはブロッサーと紫の深淵の化け物との間に割って入った。


「僕をもっと上へ!!」


 この場から離れるためにブロッサー自分を蔓に掴ませて空へと逃げようとした。

 しかし、ブロッサーの命令は虚しく、両手を合わせてハンマーのように振るわれた拳に薄っぺらな蔓ごと、地面に叩き潰されてしまう。


「がはっ!!!」


 そこからは深淵の化け物の圧倒的な力による拳の連打だった。


 ただひたすらに力による暴力が地面にいるブロッサーに浴びせられる。大地が悲鳴を上げてもなお振り下ろされる拳に容赦はなかった。


 化け物の拳が止むと、そこには地面でぐちゃぐちゃになって潰れた天使の姿があった。


 勝ち誇った咆哮を上げる深淵の化け物だった。


 だが、しかし、そこで深淵の化け物の身体を貫く巨大な針のような蔓が地面から生えてくると、化け物は咆哮することを止め、つまらなそうに心臓を貫かれた蔓を千切って地面に捨てた。


 ブロッサーにはまだ息があった。


「この僕を本気で怒らせたな…絶対に許さない…」


 身体の半分はまだ治癒の途中で骨があらゆる方向に吹き飛び、片足は無くなっていた。それでも蔓に支えられて何とか体勢を立て直すブロッサーは怒りと憎悪に駆られていた。


「お前はここで僕が殺す。忌々しい悪魔め!!」


 ブロッサーの片手が上に上がると、地面から、化け物を檻に閉じ込めるように蔓が這い上がってきた。ブロッサーも敵を侮ることを止め、本気で狩に行くつもりで臨戦態勢に入った。


「降り注ぎ、悪魔を殲滅しろ」


 ブロッサーの言葉で数ブロック離れていた大樹から緑の刃が降り注ぎ始め、状況はますます悪化してく。


 蔓の檻の中にいた化け物は、いとも容易く蔓の檻を食い破る。降り注ぐ刃の葉を気にも留めない。傷ついた体はすぐに深紫色の肉が沸き立ち治癒してしまう。


 深淵の化け物が正面を向き、ブロッサーを八つの目で睥睨した。


 ブロッサーもそれに応えるように、憎たらしく彼を睨みつけた。


 互いに相手の力量を察したところで、二人の戦いが幕を開こうとした時だった。


 あたりに地鳴りが響く。


 凄まじい地響きが地面を伝わりブロッサーと化け物の元へと振動となって到達した。


「なんだ?」


 ブロッサーは化け物が何かしたのかと身構えたが、それは間違いだった。


 化け物がまるで何かに惹かれるように、遥か先の王城クライノートの方を見つめていた。


 ブロッサーもそこで後ろを振り向き、化け物と同じ方角を見ると、そこには深い闇が王城の方角から空へと昇るように湧き上がり、結界内を満たすように広がっている光景が映し出されていた。


 それはこの世の終わりにも似たような絶望が漂っていた。


 目を離したすきに、その化け物はブロッサーに見向きもせずに、その闇へと駆けだした。


「おい、貴様!!逃げるのか!?僕との決着がまだだぞ!!!」


 ブロッサーはコアの守りがあるため、ここを離れることもできず、去っていく化け物を見ている事しかできなかった。


「何がどうなってるんだ…」


 混乱する頭を冷やしたいところではあったが、ブロッサーをさらに悩ませたのは主神たるミルケーの安全だった。


「ミルケー様…」


 ブロッサーは選択を迫られていた。


 ミルケーの言いつけを守り、この場に留まりコアを守るか、それとも化け物とともに闇が溢れる王城へ向かうか。


「どうすればいい、そもそも、何が起きているんだ…」


 混乱の中、ブロッサーはその場にとどまり判断できずにいた。


 その間にも闇は結界内を埋め尽くすように広がり続けては、ブロッサーの頭上に影を落としていた。

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