古き血脈 レイチェルを繋ぎ止めるもの
「後は頼みました。私は王都へ戻ります」
レイチェルは王都の外のエルフの森で待機していた後方支援部隊に、王都エアロで生き残った負傷者たちを受け渡していた。担当者たちに現在の戦況と死者の報告を終えると、すぐにレイチェルは戦場に舞い戻るため歩き出していた。
「あの、俺たちも連れてってくれませんか!?」
レイチェルが行こうとすると後ろから声がかかった。そこには数十人ほどのエルフの戦士たちだった。そこにいた全員が自分たちの行き場のない闘争をぶつけたくて仕方がない様子だった。
彼等の覚悟は決まっていた。
しかし、連れて行くことはできなかった。
「ごめんなさい、あなた達はこのまま負傷者を連れて、街に戻っていてください」
それでもレイチェルの前に来たエルフは微動だにしなかった。
「私の恩師は第一にいたんです。彼が帰ってこないのならこの怒りはどうすればよいのですか?」
第一部隊は、壊滅していた。突然割れた地面の底に落ち、這い上がろうとした者たちは蔓によってたたき落され、生き残った精鋭たちがわずか数名といった始末。この惨状から彼らを投入したところで、無駄死にがいいところだった。
最高戦力は最初に投入し壊滅したのだ。戦力の逐次投入ほど無駄な行為はなかった。
「あなたはそんなに死にたいの?」
「いえ、ただ、死んだ恩師のためにも我々は戦いたいのです。私の後ろにいる彼らも同じ気持ちです」
彼の後ろには同じように瞳に輝きを宿したエルフたちが頷いていた。そこから何となく彼らが自分よりも遥かに若いエルフだということを察した。
「どうかお願いします。我々も連れて行ってください」
時間は無かった。こうしてる間にもレイチェルはいまも戦闘中のベッケのことが気がかりだった。だから、話し合いではなく手っ取り早く決着を着けることにした。
レイチェルは先頭にいた男性のエルフの腹を思いっきり殴りあげた。男の足が地面から離れ、身体が宙に浮く。レイチェルはそのまま宙に浮いた男を右足で蹴り飛ばし、背後にいたエルフたちに叩きつけた。
吹き飛ばされた男をキャッチしたエルフたちが呆然とした後、抗議を始める。
「何をするんですか、彼は仲間ですよ!?」
ざわざわと波紋が広がる中、腹の底から怒気を込めた声でしかし冷静さを失わずにレイチェルは言った。
「なぜ避けれない」
レイチェルの言葉で、兵士たちの燃え上がる闘志が凍り付く。
「なぜ、防がない」
「そんな急に殴りかかってきたら…」
「戦場は待ってくれない。これがどういうことか分かってるのか?」
戦士たちは黙っていた。
「お前たちの恩師が死んだのは罠に掛ったからだ。どれだけ腕っぷしが強くても戦場では人を殺すあらゆる殺意が渦巻いている。束になれば一網打尽にされ、バラければ一人ずつ狩られる。どれだけ準備したところで、準備は足りない…私たちは最初の作戦で敗北したんだ」
レイチェルと戦士たちのやり取りに、周りにいた後方支援の衛生兵や護衛達も息を呑んでいった。
「だけど、たったひとりの戦士がいまその戦況を覆そうとしているんだ。諦めなかった戦士は視線を潜りいまも戦ってる。はっきり言えばお前たちは足手まといにしかならない」
レイチェルも戦場に舞い戻ったところで、ベッケの役に立つかは怪しいところであったが、死ぬならば常に彼の隣と決めていたレイチェルが向かわない選択肢はなかった。
しかし、彼らは違った。
その恩師とやらが彼等を先方に従事させなかった意味をくみ取るなら、それは若き芽だったからなのだろう。そんな希望をあんな罠だらけで無駄死にするだけの地獄に足を踏み入れさせることは到底できる分けがなかった。
ここはレイチェルたちのような老兵の出番であった。
若き芽をやすやす潰させるほど、助けには困っていない。特にベッケがいるならなおさらだ。
「君たちは今日、この日の悔しさを忘れなければそれでいい。その恩師とやらがお前たちをこの後方支援部隊に留まらせたわけも一緒に考えるんだ」
それ以降レイチェルについて行くという者は誰もいなかった。
レイチェルが後方支援部隊がいたエルフの森を後にする。森を出たところで飛行魔法を展開した。二つの光のリングが背中に現れ、身体を宙へと持ち上げ、王都エアロへ飛び立っていった。
「ベッケ、待っててね…」
***
レイチェルが王都エアロの街の上空に到達する。塔のように縦長の建物を糸を縫うように間をすり抜けていくと、前方に目的地の巨大な樹木が見えて来た。その木まで数キロ離れていたが、飛行魔法を使えば数分といったところであった。
『ここからは気を引き締めて行かないと…』
罠を張ってくるような相手だ。きっと空に対しても何かしらの罠を張っていることは間違いなかった。レイチェルは辺りを警戒しながら慎重に街を飛んだ。
いつあの蔓たちが襲い掛かって来るかわかったものではなかった。
レイチェルの飛行魔法の能力はそれほど高くはなかった。飛行魔法としては及第点である二つのリングが、レイチェルには限界だった。
飛行魔法を使用する際に、出現する光のリング。そのリングひとつにつき、機動力がけた違いに上がることは、飛行魔法を知る者たちの間では常識だった。
リングは多ければ多いほど、必要となる魔力は増えることから、リングが多いものは魔法に長けている証拠であった。
レイチェルはエルフであり長寿ということもあり、たくさんの魔法を知ってはいるが、扱える魔法はそれほど多くはなかった。
その点ベッケは多彩な魔法を使えるため、羨ましく思っていたが、本人はそれほど魔法に対しての興味はないようであった。
彼が飛行魔法を習得すれば、レイチェルでも習得できた二つ以上リングを出せることは確実であり、もしかすれば、四つ、五つといった。飛行魔法の中でもトップクラスの機動力と速度を出せる移動手段を得られるチャンスがあったのに、彼は飛行魔法を覚える気が一切なかった。
レイチェルはふとベッケが言っていたことを思い出す。
『空を人が生身で飛ぶには、あまりにも高い…そうは思いませんか?』
彼が言うには飛行魔法は好きになれないとのことだった。
そんなことを思い出していたレイチェルだったが、視界の先の巨樹では刻々と状況が変化していた。
「木から何か降ってるみたいだけど、あれはなんなんだろう…」
レイチェルの視線の遥か先にある巨樹からはずっと何かが雨のように降り注いでいた。
「それにしても、さっきから私に何も襲い掛かってこないのはどうして……もしかして空に対しては何も対策をしてないとか?」
レイチェルは不気味すぎるほど何も起こらない街の中を飛んでいた。
「さっきからあの蔓も見ないし…」
疑問を浮かべながらも、警戒を怠らず、光のリングの出力を絞ってゆっくり飛ぶ。
「ああ、待って…違う、違うよ……」
だが、そこで考えるまでも無く、レイチェルは現在の状況を察することができた。
「これは、ベッケに決まってるじゃないか………」
レイチェルが考えるにこの蔓を操っていた術者は、自分のような侵入者に手が回らないほど、苦戦を強いられているのではないか?という考えしか思い浮かばなかった。
ただし、その推測が正しいとやはりベッケがあれをやったという事実が色濃くなり、レイチェルは不安に煽られた。
ベッケがひとりで戦う時は必ずあれをやることは分かっていた。
光の届かない底に希望はなく、そこには闇だけが存在する。
彼が底に沈むたびに、だんだんと彼の人間性が削り取られていくような気がして、レイチェルは怖かった。いつか後戻りできなくなってしまうのではないかと心配だった。その結果ベッケが昔と比べてひとりの時に怖い顔をしていることが多くなったような気がしていた。
『ベッケは私が守る…あなたは私の唯一の希望だから……』
共に先の時代に進むことができた最愛の人。彼なしでこの先を独りで生きていくことはレイチェルにはもはや不可能だった。彼以外にレイチェルが心を許せる人間などもうひとりも残っていなかった。レイチェルにとって、彼だけが心のよりどころであり、自分が生きている意味であった。依存ではなかった。長く連れ添った彼はレイチェルにとって、自分の半身ですらあった。だから、レイチェルはベッケが死ねば自分も死ぬという誓いを立てていた。
それに彼のいない世界で生きていけるほど、レイチェルは強くはなかったし、この世界に興味もなかった。
長寿のエルフにありがちな、生きていることに対しての執着が希薄になってしまうという弊害。
長く退屈な人生を生きるか、短く刺激的な人生を生きるか、どちらが幸せか?エルフたちは短く刺激的な人生を選んだとしても、必ず待っている長寿であるが故の穏やかな死。
レイチェルはこの世とベッケという細い命綱でぎりぎり繋がっているに過ぎなかった。
「いまいくからね…」
光のリングの出力を上げた、レイチェルはベッケのいる巨樹へと向かった。