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元剣聖ハル・シアード・レイの神獣討伐記  作者: 夜て
新世界と古き血脈編
503/781

古き血脈 自己に紛れ悪魔をやり過ごす 立ち上る闇

 壁が破壊され、レイドの王都が神獣たちに蹂躙されたあの日に、私は命を救われた。

 それからずっと貴方のことを遠い場所からそっと見守ってきた。それが輝かしい時代を生きていた貴方にできる、当時の精一杯の愛の伝え方だった。


 貴方がレイド王国で剣聖になった五年前。


 私と来たらその時にはもう貴方とは正反対な場所にいた。レイドを裏か支え、平和という名の品薄の商品を仕入れるために、大量の犠牲を払っては国に貢献していた。国に使えるのもそこ以外に行きたい場所も帰りたい場所が無いから、ただ居座っていただけに近かったが、それでも、当時の私はすっかり殺しが日常と化した生活を送っていた。


 そんな私が、愛を語るにはすでに手遅れであることは当然だった。


 近づけば壊してしまうと分かっていた。拒絶されることも。そこには愛など語り合う隙も無く。ただひたすらに深い溝だけが空いていることを知っていた。


 貴方は光にいて私は影の中にいる。交わることのない境界線がそこにはあった。踏み越えることもできず、影にいた人間が光の中を歩くことは、光の人間が影の中に落ちてくることよりも難しかった。

 だから、私は見守るしかなかった。貴方が光の中で仲間たちと笑っている姿を、物陰から見守っている事しかできなかった。


「ハル」


 名前を、愛する尊い貴方の名前を呟く。


 その名前を呼ぶだけで私の心にはさわやかな風が吹いた。心地よい青々としたその風は、私の凍てつく季節に終わりを告げた。

 暗く冷たいだけの月光の刃は、貴方のための剣へと変わった。


 私はルナ。

 ハルの夜を照らす者。


 私は貴方に救われたところからすべてが始まった。

 終わりのない絶望などない、必ず私たちは救われる。


 冬の後には始まりの春が来るように。


 *** *** ***


 街の狭い路地に翼を折りたたんだエルフが独りいた。


「なんだ、あの化け物は…」


 キリヤは呼吸を激しく乱しては震える肩を掴んでいた。

 震えが止まらなかった。

 身体の奥底まで刻み込まれた恐怖が彼を掴んで放さなかった。


 キリヤの白い衣の前はズタズタに切り裂かれ、肌が露出していた。彼の胸には深く抉られた切り傷が無数にあり、大量の血を流していた。

 しかし、その彼の傷だらけの胸板の周りは白く発光しており、白魔法で回復している途中であった。


 キリヤはルナとの戦闘から逃げ延びている最中だった。


 現状からキリヤが優勢なはずもなく。

 威勢のよさはどこへ行ったのか?

 握る光の剣も光量を著しく減らしていまにも消えかけていた。


「くそ…なぜ俺がこんな……」


 ルナとの戦闘から逃げ切る際、キリヤは、この街で保有していた複製体のほとんどを彼女にぶつけてきたため、こうして休息を取る時間を確保することができてはいたのだが…。

 大幅な戦力を投入したため、もしも、彼女に充てた複製体たちがすべて殺されたとしたら、キリヤの手札はここに居る精鋭の人形数体を残して、いなくなってしまった。


 しかし、そこまで簡単に追い込まれてしまうほど、敵は強大で、いまのキリヤは生にしがみつくことで精一杯であった。


「天使である俺が人間に恐れるなど…あっていいのか……」


 キリヤは、ミルケーによって与えられた神性によって、彼女に使える天使として、第二の人生を送っていた。天使になってからはずいぶんと恐怖が抑制されるようになった。神性に属す存在に人間らしさは不要といった具合に、キリヤが天使になったその日から、あらゆる感情には制限が設けられていた。


 だから、天使になってからはいつだって恐怖に支配されることなく、どんな相手を前にしても、キリヤは臆することなく戦ってこれたのだろうと思った。


 だが実際はどうだろうか?


 キリヤがこれまでに相手をしてきたのは人間だった。彼等は、神威ひとつで身動きが取れなくなり、その後はただキリヤが生かすか殺すかを選択することができた。


 それは闘争ではなく、虐殺であった。


 天使になってからは莫大な魔力と高度な魔法のおかげで、自身の操り人形である複製体を扱えるようになり、自身が生身で戦場に出ることも減った。天使になってキリヤが思ったことは、この世界はあまりにも軟弱で取るに足らないものなのだと、見下してすらいた。


 だが、それはハル・シアード・レイという存在を通して考えを改め、そして、いま、ひとり立ちはだかる少女と剣を交えた時に分かったのだ。


 この世界にはまだまだ自分を脅かす存在に溢れていると。

 人間という器に悪魔はいくらでも潜んでいると。

 天使になったところでこの世界はまだまだ牙をむくのだと。


「ありえない。あってはならない…ハルという男だけが唯一の障壁だと思っていたのに、なんなんだ、あいつはまるで…人間では……」


 ただそれはミルケーの前にハルという存在が立ちふさがったように、考えればわかることだった。この世に絶対的な安心や約束された勝利などどこにも無いということを。


「考えろ、俺も乗り越えるんだ。この試練を…そうだこれは試練だ。神々が俺に成長する機会を与えてくれたんだ」


 胸から流れ出ていた鮮血は、ようやくその痛々しい姿を再生された皮膚で覆い隠していた。

 治癒が終わったことで、キリヤ本人は、親指の爪を噛んでこれからのことを冷静に考えた。


「よし、治癒も終わった。あとは彼女をどうするかだ…」


 ルナという存在は思っている以上に、人側の領域に属していなかった。彼女は人間の皮を被った悪魔であることは間違いなく、人類が彼女を放置していることがもっとも愚かなことだと、文句をつけてやりたかった。『どうして、彼女のような人間を真っ先に殺しておかないのか?』と、それほどまでに彼女の瞳の奥に秘めた闇に底はなかった。


「とりあえず、時間稼ぎだな…コアに関しては俺のところは切り捨てるしかないな」


 キリヤの思考からすでにコアを守ることへの重要度は下がっていた。


「残りの二人のが無事なら大丈夫だろう。俺のところはあのルナという女を足止めさえしておけばこちらの勝利はぐっと上がる。あとはミルケー様がハルを殺してくれさえすればいい、俺はこれでいい…」


 キリヤは我ながらなんともみっともない作戦だと思ったが、自分の中では納得はしていた。自分の天使としての誇りよりも、ミルケーの目的を選び取った時、何よりもこの時間稼ぎという案が最適だと判断した。


 それはルナという化け物と剣を交えて初めて分かったことであった。誰しもが戦いには自分が勝つと思って挑み、本気でぶつかって見なければ分からないことが多い。


 キリヤもルナに対してそう思っていた。


 だが、それが間違いであることに剣を交える前から気付くべきだった。


 彼女が危険だというシグナルは発信されていた。


 それは彼女が神威を扱えるということ。神威に耐性があるのではなく。彼女自身が神威を発し扱うことができるという点にもっと注目しておくべきであった。


 キリヤの神威は天使の神性という特性から、通常の神威の何十倍もの威力を持って放つことができた。そんな神威を前に本来ならば、普通の人間たちが立ち向かうことなどできるはずがないことは当然のことであった。

 人にも微量ながら神威に対して抵抗する力はいくつかあった。だが、神聖な神々の前で正常でいられるほど、人間の精神は強くはない。

 奇跡のような光景を目の当たりにした人間はおおよそ固まって動けなくなるか、失神してしまうかのどれかであった。


 だが、キリヤが対峙している彼女は、神威を扱っていた。神威に殺意を込めて操っていた。


「俺は間違ったんだ。だからすべて考え直す必要がある」


 驕った態度で、ミルケーの名すら出して人間のまねごとをして、正々堂々戦っている場合ではなかった。相手は聖なるものが忌み嫌う悪魔なのだ。戯れている場合ではなかった。


「俺は騙されたんだ。相手は人間じゃなかった悪魔だ。悪魔に契りの言葉はいらない。悪魔と交わすのは剣だけ」


 キリヤは自分の震える拳に握られていた光の剣を見つめた。


「大丈夫、俺は天使だ。悪を滅する神の使い。聖なる者だ」


 自分を奮い立たせるためにキリヤは立ち上がった。

 キリヤは光が差す路地の先の広場へと向かった。

 その広場には光となって揺れている人たちが大量に集まっていた。まるで陽炎のようにゆらゆらと揺れるその光の人間たちを見た後、キリヤは空を見上げて言った。


「ああ、ミルケー様、再び私にこの聖なる光たちを我が傀儡として利用することをお許しください」


 聖なる光。天使であるキリヤたちはそう呼んでいた。この街中の住人たちを光に変えたのはミルケーであり、彼らはエネルギー体としての役割があった。ただし、同時に生物としての定義にも当てはまっており、キリヤはこの光の人間たちを生贄にして、自身の複製体を創りだすことができた。


 キリヤは広場の中央にあった噴水を目指した。その噴水の装飾は、エルフたちが模られた石像があり、それは見事なものだった。そんな噴水のエルフたちの像の上にたったキリヤは、大量に集まっていた聖なる光たちを見渡した。


「ここでいい、彼らを戦力に変える。すべては崇高で偉大なミルケー様の悲願のため」


 キリヤは目を閉じて詠唱を始めた。


「我が魂は無限に増殖する愛憎 故に形を保たず器を欲する」


 噴水の上にいたキリヤを中心に、リング状の赤い光が出現した。その光はすぐに弾けて消えたかと思うと広場の隅々まで紋様を刻みながら、地面を這うように広がって行った。あっという間に満たした赤い光の筋が、広場をぼんやりと赤く発光させた。


「自己を投影するは光の子」


 キリヤは莫大な魔力が消費されることを身体で感じた。人間ならば耐えられるはずもないであろう天使の肉体がそれを可能にしていた。

 魔力を生み出す素となっているマナによくなじむ天使の身体は、魔力の出力を人間よりも遥かに跳ね上げることができた。その天使の身体を利用して、本来ならば魔法陣を展開することすらできない、この禁忌の儀式魔法を成立させていた。


「わが身を宿した光よ 我が命に従いこの世に顕現せよ」


 キリヤの詠唱が終わると、魔法陣が禍々しく赤い光を放ち、周囲を魔力で満たした。


 次の瞬間には、広場にいた無数の光の人間たちは、キリヤの姿をした翼の生えたエルフに変わっていた。

 多少個体差はあれどすべて姿かたちは白い衣を着たキリヤと同じで見分けることは不可能に近かった。


 一万体は軽く超える自身の姿に、キリヤは満足気に微笑んだ。


「いつ見てもおぞましい魔法だな。こうも大量の自己を複製すると、本当に自分が自分である意味を失ってしまいそうだ…」


 広場にはキリヤという自己で満たされた異様な空間が広がっていた。


「諸君、聞き給え」


 キリヤの声に、広場にいた切り離された自己たちが、噴水のキリヤ本人に視線を向けた。


「いまここにキリヤとして生まれ変わったことを幸運に思い、我が神ミルケーのためにその命を捧げるのだ」


 誰もがキリヤの言葉に反論を示すことなく熱心に耳を傾けていた。当然だ、いまや彼らはキリヤと同一化し、彼の一部となってしまったのだから、自我などあるはずがなかった。

 それでも、キリヤは演説しないわけにはいかなかった。

 自己を奮い立たせるために、彼らに自分に告げなければならなかった。


「聖戦に備えよ!!敵はもうすぐそばまで来ている。奴は人間の皮を被った悪魔だ。この世に存在してはならない忌むべきものだ。我が女神ミルケーの名において奴を塵も残さず滅せよ!!」


 キリヤがそう言うと、一万の複製体が声をそろえて叫んだ。


「滅せ!!!滅せ!!!悪魔を亡ぼせ!!!!」


 街中に響かんとする揃った声は大気を揺らした。


「そうだ!!俺たちは神の意志を授かりし者!!恐れることは何も無い!!!」


 キリヤがそう言うと複製体たちもキリヤの意思を通じて叫ぶ。


「恐れはない!!!!我々に恐れはない!!!!神ミルケーの名の下に!!!悪魔を亡ぼせ!!!!」


「そうだ、いいぞ、その意気だ…」


 高揚したキリヤは満足気に胸をなでおろした後、大きく息を吸って彼らに命令を下した。


「全軍前進!!!あの女の首をとって来い!!!」


 一万の結束が殺意をむき出しに動き出す。


『いい、これは何たる全能感だ。やはり天使とは神とはすばらしい。このような魔法を生身ひとつで代償なしに実行できるなんてな、ああ、ミルケー様本当に感謝しています…』


 希望を取り戻した全能感に包まれたキリヤが、広場を取り囲む街の居住区に目を向けた時だった。


 その建物の中のひとつに目が留まった。

 その建物の窓の中にはひとりの女性がいてこちらを見ていた。


 身動きひとつ取らずに大きな赤い瞳でじっと目を逸らさずに見続けていた。


「………」


 キリヤは彼女と目を合わせると完全に時間が止まった。


 何も考えることができず、ただ彼女を見つめることしかできなかった。


 背筋が凍った。


 生きてる心地がしなかった。


 天使になろうが、一万体の自己がいようが、結局、ひとつの恐怖に勝ことはなかった。


 窓の中で彼女は呪詛のように何かを呟いている。


 その口元から発する言葉は、二文字だけだった。彼女は建物中でずっとそのひと言を永遠と繰り返し呟きながら、キリヤを見つめることをやめなかった。


「ハル…」


 キリヤが彼女の口元をまねるように言葉を発した。


 しかし、キリヤはそこで慌てて自らの口を塞いだ。

 忘れてはいけないことを忘れていたのだ。


「悪魔と言葉を交わしてはならない…」


 それは呪いであった。


 突如、広場を囲んでいた建物の中のひとつから窓が割れる音がした。


「あっ…」


 それは悪魔がキリヤのいる現実世界へと入門して来る音だった。


 窓枠の縁に足をかけたルナが、足に力を込めると一気に飛び出した。


 キリヤは飛び出してきた悪魔に対処しなければならなかったが、刻み込まれた恐怖で足がすくんでしまった。


「逃げてんじゃねえよ!!!このクソ天使!!!!」


「うわあああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 悲鳴を上げたキリヤは全力で噴水の上から飛び降り、自己で満ちた群衆の中へと姿を滑りこませた。


「待てよ、逃げたら殺せないだろうがぁよお!!!?」


 建物の窓枠から飛んだルナの背中には、三つの赤いリングが展開され、そこから放出された光による推進力で飛行を維持していた。


「悪魔め!近寄るな!!お前たち何をしてるやつを殺せ!!!」


 キリヤの指示で広場にいた複製体たちが一斉に翼をはためかせルナに襲い掛かろうとした。


「雑魚がいくら集まったところで意味がねえんだよ」


 ルナが空中で止まると自分の真下に向かって人差し指を指した。


 その時だった。ルナの真下を中心に地面が一瞬で陥没した。その影響で周りの地面がせりあがり、逃げていたキリヤは、弾かれるようにルナもとへと吹き飛ばされてしまった。


「さあ、続きしようかぁ!!?」


 ルナの振りかぶった双剣の前に、キリヤが飛んでくる。


 絶対絶命のキリヤが最後に思うことは、愛しい人の顔だった。それは紛れもなく自身の神である黒髪のミルケーだった。


『俺は死ぬのか?』


「ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」


 ゲラゲラと愉快そうに笑いながら、ルナは狂ったように振りかぶっていた双剣を振るった。


 だが、キリヤがそのルナの刃に掛かることはなかった。


 ルナの双剣が振りかざされると同時に、キリヤの複製体たちが肉壁となってキリヤを守っていた。

 しかし、ルナが振るった双剣には魔法が掛かっていたのか、肉壁をクッションに挟んでも、その威力はキリヤを広場の端の建物まで吹き飛ばす力があった。


 吹き飛ばされたキリヤは、崩壊した建物の一階の奥の瓦礫の山に体を預けてぐったりとしていた。


 キリヤは思った。


『どうしてこんなことになったんだ…俺はただ、ミルケー様と共にありたかっただけなのに…』


 キリヤは次にするべき行動は分かっていた。


『それ以外何も必要なかったのに…』


 キリヤの元に、特別な個体である精鋭の複製体が来て手を差し出してくれた。


 キリヤは彼の手を取って立ち上がる。

 そして、建物の外に足を引きずりながら向かった。


 建物の外にはまさにキリヤにとっての地獄が広がっていた。

 悪魔に一方的に虐殺され続けている自分たちの姿があった。


 双剣で翼を心臓を首を切刻まれては、引力で吸い寄せられて潰されていた。無差別に放たれた劫火の球が自分たちを焼死体に変えていく光景を地獄と言わずになんと言おうか?


 それを見かねたキリヤが一度彼女に群がることを止めさせた。無残に自分の死体が量産されることが耐えられなかった。


 しかし、攻撃の手を緩めると、当然のその悪魔の視線はキリヤの元へと向かった。


「あら、戦う気になった?」


「お前は悪魔だ。人間じゃない」


「悪魔?」


 ルナはわけが分からず首を傾げていた。


「そうだ、悪魔はこの世に不必要な存在。お前はまさに悪魔そのものだ」


 ルナは悪魔という言葉を聞いて、口角を上げてにやりと笑った。


「そうね、悪魔、そうかもしれないわね。私は悪魔だったのかもしれない。うん、だけど、そんな悪魔の私よりも、世間じゃ、あなた達の方がよっぽど悪魔だと言われてるのだけれど?」


 ルナが王都エアロに住んでいた民衆たちの声を代弁して言った。


「崇高な目的には犠牲はつきものだ。お前たちのような悪に染まった人間たちに邪魔されなければ、この世界はもっと素晴らしい世界に変わっていた。それを邪魔するなどあってはならないことなんだ」


「それって、あなた達の主義の純潔のエルフだけを残して後は皆殺しってことでしょ?」


「その答えは半分正解で、半分外れだ」


「ん?」


「ミルケー様は、この世の人間すべてを純潔のエルフにすることが目的なんだ」


 ミルケーのその悲願は言ってしまえば、世界をエルフで満たし、一つにすることであった。


「そんなことできるわけない」


「できるミルケー様なら」


 キリヤはミルケーのことでは決して譲らなかった。


「同じ種族となれば争いも減る。世界はより良い方向へと進む。これ以上人間が争わなくてすむように、神となったミルケー様がこの世を救済してくれるんだ。神、自らがその手で人間たちを導いてくれるんだ。こんな素晴らしいことはないと思わないのか?」


 キリヤのその弁論に理論や裏付けもなく、そこにあったのはただキリヤにとっての真実であり現実であった。そのため、その話の破綻具合に気づくことすらできなかった。


「ふーん」


 退屈そうにルナが相槌を打つ。


「わかるだろ、争いの無い世界が来るんだ。こうやって殺し合うことのない平和な世界が、ミルケー様の手によって…俺たちはそこで……」


 ルナが口を挟むように言った。


「もしそれが本当だとしたら…」


 ルナがそこで言葉を切ってゆっくりと息を吸ったあと、続けた。


「あなたの神は本当に救いようのないバカなのね」


「なんだと…」


 キリヤはそこで相手に調子を合わせずに怒りの色を示してしまった。それは聞き捨てならないセリフだったからだ。


「この世から争いが無くなる?何寝ぼけたこと言ってるのよ。あなたは本当にこの世界を見てきたことがあるの?いいかしら、この世には家族同士でも平然と殺し合う人間がいるのよ?たかが、種族をひとつに統一したところで、この世に平和が訪れるわけないでしょ」


「黙れ、黙れ!!お前こそ何も分かってない。この世はミルケー様によって救済されるんだ。お前のような悪魔は裁きの業火で最後灰も残らないだろう」


 劣勢であろうと恐怖がその身を包もうと、キリヤはミルケーのことを思えば、いくらでも立ち上がる勇気を奮い立たせることができた。


「ミルケー様は絶対だ、俺は必ず彼女の悲願を叶えて見せる!!」


 キリヤの手にあった光の剣が再び輝きを放った。

 ルナはそんな彼を冷たい目で見つめていた。


『そうか、彼も私と同じなんだ…愛する人のためなら何でもする…そういうやつなんだね?』


「だけど、私にとってお前は邪魔者以外の何者でもない。ここで死んでもらう。それだけよ」


 ルナが双剣を腰に収めると、即座に自分の両手を合わせ固く握りあい祈りのようなポーズを取った。


「潰れろ」


 次の瞬間にはキリヤたちを潰そうと両側から凄まじい圧が掛かり、建物ごとキリヤたちを挟み込んでは潰しにかかっていた。


「ぐぐっ…」


 逃げ場のなくなったキリヤは、迫る透明な壁を複製体たちと押しては追い返そうとしていた。


「お前たち、奴を止めろ!!」


 複製体たちにルナを止めるように仕向けるが、誰も彼女の仕組みの分からないバリアによって阻まれ、攻撃はおろか触れることすらできなかった。


『こんな簡単に俺は負けて死ぬのか?』


「嫌だ…誰か、何か……」


 キリヤは、なんでもいいからこの現状を打開することが起こってくれることを願った。


 この理不尽を一変させる。


 盤上をひっくり返す奇跡が起こることを願った。


「助け…て……」


 その時、キリヤの悲痛な声は、聞き届けられ、救われることになった。


 キリヤを潰そうとしていたルナの魔法は解除され、建物が崩壊した。瓦礫の壁をキリヤが天使の怪力でどけると、相変わらず空には憎き彼女が飛んでいた。


 しかし、様子がおかしかった。


 キリヤも何も言わずに、足を前に進め、彼女が見上げる方へ顔を向けた時だった。


「なんだ、あれ……」


 王城クライノートのある方角から深い闇が広がっていた。その闇はドーム内へと広がり辺りを夜へと変貌させていた。


「ハル…」


 ルナが不安そうに呟いているよこで、キリヤも彼女と同類の不安を感じていた。


「ミルケー様……」


 二人が呆然と見つめる王城の空は絶え間なく闇が広がり続けていた。

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