古き血脈 奈落に落ちる希望たち
王城の敷地内の第二区画に炎の槍が驟雨のごとく降り注ぐ。空には無数の炎の槍がハルを串刺しにしようと待機している。
そんな天気が炎の槍となった街の中を、ハルは逃げ回りながら戦っていた。
ひとまず攻めの姿勢を解き、路地裏に入り頭上から降って来る槍の数と射線を減らすことを優先した。
戦況は完全にエルヴァイス側に傾いていた。
狂化状態という我を忘れてあらゆる能力が跳ね上がるエルフという種族だけに許された知性を捨て去った特攻は、弱体化したハルが捌き切れるものではなかった。
そして、さらに最悪なことにエルヴァイスはその狂化状態であるにも関わらず自我を保っており、デメリットを消した単なるパワーアップだけをしたという点で質が悪かった。
いくつも曲がり角が用意された路地の隙間を埋めるように炎の槍が降り注ぐ。
ハルは走りながら、右手に持った二メートル越えの刀を振るい、せめて頭上に降り注ぐ分の炎の槍だけでもまとめて吹き飛ばした。
空を見上げる。
そこには無数の赤い点が浮かんでおり、そのすべてが召喚された炎の槍であることを知ると、ハルはうんざりした。その量はまさに国崩しも容易なほどの数であり、それは個人に向けられる魔法ではないのではと叫びたくなるほどであった。
『こうなったらもう建物の中に隠れてやり過ごした方がいいか?いや、ダメか、あれは屋根を貫いて来るな…』
これといってよい案も無く、完全に打開策を見いだせないでいた。それも当然だった。
ここ数年ハルの前に好敵手が現れたことなど一度もなかった。
いままでは、いかにして自身の持っている力を制御して戦いに挑むかを考えるばかりで作戦など、一切考えてこなかった。
『なんていうか、ツケが回って来てる感じがするな…』
どんな場面でも圧倒的な力で返すことで覆して来たハル。最強故に本来なら考えなければならないことを省いてきたことによる影響がここで出て来ていた。
自分よりも少し力量さのある敵に対しての対処をハルは改めて考え直すことにした。
「まずはあれだ。相手の行動の癖を見つけることから……なんて、そんなことしてたら消耗するし…」
ハルは頭を抱える。
「なんかもっと露骨に弱点みたいなのは無いのか…」
その瞬間、突如、背後にあった建物の壁を破壊して、エルヴァイスが現れた。
「!?」
ハルはとっさに刀を振るって鋭い空間を裂いて進むような衝撃波をはなった。
エルヴァイスが両手でつかみ取るような動作で真っ向からその衝撃波を受け止めるとそのまま消滅させた。
それは彼の両手に宿る特殊な能力のおかげであった。彼の手に重なった部分はこの世から消滅すると考えた方が良かった。放った衝撃波の勢いも彼の両手に重なったことで消滅させられ勢いを殺されたのだろう。
そのせいでハルの左手もいまは無い状態が続いていた。
「逃げてないで戦ってくれよ、英雄!!」
『さっきの炎の槍を払って、位置がばれたか…』
降り注ぐ頭上の炎の槍を刀で払ったことで、空からでも監視していた彼の目に留まったのだろう。こんなことなら弾き飛ばさなければよかったと思ったが、避けるにしても受け止めるにしても、威力も高く数も多いとくれば、弾き飛ばすのが一番安全であった。
「俺は知ってるんだぜ、お前さんがこんなもんじゃないってこと!」
エルヴァイスの周囲一帯の地面が不気味にうねったかと思うと、地面から巨大な四本の腕が現れた。
その地中から生えた四本の腕はハルを捕まえようと蛇のように腕を伸ばし襲い掛かってきた。
ハルは距離を取りながら建物の屋根に飛び上がり、迫りくる土の腕に刀を振るった。鋭い衝撃波が土の腕を切り落とすが、落ちた側からすぐに再生しては距離を詰めて来た。
「土魔法は、厄介だな…」
「俺がいることも忘れないでくれ」
ハルはいつの間にか背後に回っていたエルヴァイスの振るわれた拳に刀を合わせていた。彼の手は何でもかんでもすり抜けるがこの刀だけはどういうことか、彼の手を通すことはなかった。
そのためハルは彼の拳を刀で受けきることができた。
しかし、その威力は破格のものであった。そんじゃそこらのエルフの拳とは比べ物にならないほどの怪力でハルは建物の壁をいくつも突き破りながら吹き飛ばされた。
吹き飛ばされて止まった建物は大きな倉庫のようで、大量の食糧が入った木箱の山に激突しようやく勢いを止めた。
「狂化状態だったこと忘れてた…相手の攻撃を受けれないってのもきついな……」
ハルは果物が詰まった箱の山から降りて、少しばかりエルヴァイスの攻略方法について頭を回した。
『四属性の魔法が使えるみたいだな、それもどれも高い水準で…さすがは魔法に適性のあるエルフ様だけど、彼は規模が違うんだよな…』
魔導士ですら、炎と水の扱いに長けていれば凡才であり、そこからさらにもうひとつ基本の四属性の土か風の魔法を扱えれば優秀であり、四属性すべてをそれも実践で扱えるほどの大規模魔法をいとも簡単に出力する彼は、エルフの中でも天才のそれであった。
「まあ、弱点があるとすればひとつしか無いな」
「魔力切れだろ?」
「そういうこと」
とっさに声を掛けられたハルが返事を返してしまう。
エルヴァイスが、ハルが吹き飛ばされて開けた穴をさらに身長に合うように拳で壊してから倉庫内に入って来た。
「どおりで本気で戦ってくれないわけだ」
エルヴァイスがつまらなそうな顔で言った。
「正直、この結界内だと限られた手札で戦うしかできなくてね…久々に戦闘で頭を使った気がするよ」
会話してくれることは何よりありがたかった。休めるからだ。ハルはなるべく彼に調子を合わせて話すことにした。
「確かにこの結界はミルケーがお前さんのためだけに創ったって言ってたな」
エルヴァイスが周囲を見渡す。罠を張ってないか確認しているのだろうが、ハルにそんな小細工ができるほどの魔法などは持ち合わせていない。
「この結界がお前さんの力を封じ込めているのか?」
「そうみたいで、おかげで、ミルケーやあんたのような人間たちに手こずる始末さ」
ハルが肩をすくめて見せる。冗談だとアピールするため大げさな仕草で応える。
「ミルケーはお前に何も教えなかったのか?この結界の仕組みとか刻まれてる魔法とか?」
「いや、あいつと過ごした時間のほとんどは雑談ばっかりで…ってとまあ、そんなもんで俺はほとんど知らないな」
「そうかい、それは幸せそうでなによりだったな…」
ハルのその言葉でエルヴァイスは内心驚いている様子だったが、すぐに表情を暗くしたかと思うと彼は言った。
「いいや、幸せはもう俺の人生にはない。それだけは知ってる。よく、分かってる…」
その彼の機敏な表情の変化の理由を詮索する余裕がいまのハルには無かった。
なぜなら、事態はハルにとって都合の悪い方向へと突き進んでいたからだ。
ハルは周囲を警戒するために薄く散らばせていた自身の天性魔法に引っかかる反応でミルケーがこっちに向かってきていることを悟った。
「ところで、こっちにあんたの主様が来るみたいだが、できれば追い払ってくれないか?男同士の戦いなんだろ?」
すっかり弱きになっていたハルがそんな情けない言葉を口にしては、エルヴァイスとの温度差を広げていく。
エルヴァイスの瞳からも戦意が消えていくのが分かるとハルは少しばかり希望をもつことができたがそれが束の間であることも知っていた。
ハルはこれから始まる激戦に備え限界まで体の疲れを取るために、果物の木箱に座って休憩し始めた。そして、少しでもその時間を得ようとハルは彼に対して思っていた疑問を投げかけた。
「なあ、エルヴァイスさん、あんたのことでひとつ気になったことがあったんだが…」
「なんだ?」
「あんたがたどり着きたい答えってやつ」
「ああ、そのことか」
「それは本当に俺と戦って見つけ出せる答えなのか?」
「そうだと思ったんだが、どうにも思うようにいかなくてだな…お前さん弱ってるみたいだしさ…」
エルヴァイスがどうしたものかと頭を悩ませていた。
ハルは彼が抱えているものについて少しだけ頭を使ってみることにした。
『ガルナやフォルテみたいに強さを求めているようにも見えない…それなのに強者と戦うことを望んでる。そもそも、彼はミルケーのために戦っているとも何か違うし、どこか空っぽのようにも見える…うん、空っぽ?』
ハルが彼を見ると、どこか以前の自分と同じような顔をしている気がした。
『ああ、そうかこの人…もしかして……』
あるひとつの仮説にたどり着いてしまう。それはハルからすれば難しい問いではなかった。なぜなら、ハルも一度彼と似たような空虚に満ちた顔をしていたからであった。
静寂が辺りを包み込む前にハルが切り出した。
「あんた死にたいのか?」
ハルはエルヴァイスの顔を見上げながら言った。
「………」
返事は返ってこなかった。
「…当たってるのか?」
「………」
「答えてくれ、どうせあんたとはここで向き合わないと、俺は次に進めそうにないんだ」
ハルも自分がどこかで攻めの姿勢に転じられない理由に気づき始めていた。ベッケやレイチェルが善人であるように、彼もまた善人の匂いがしたから手を出すことに躊躇してしまっていた。
ハルのように私欲を満たすために身を落とした悪人とは違い、彼らはずっと誰かのために戦って来た人であったそんな気がした。そうじゃなければまず、彼の名前がこの世間に良い意味でも悪い意味でも轟いていないことが不思議でならなかった。
ひとりで国を落とせるほどの力を持った人間がいままで何をしていたのか?その力を誇示せずに無名のまま、余生を過ごしていたのだとすれば、納得がいく。だが、力を持った人間はたいていその力に溺れてこの世を去るか、後世にまで語り継がれるほどの偉業を残すものではないのか?それなのにも関わらず、彼はいまのいままでその正体を世間にさらけ出すことすらなく生きて来た。
それはむやみに力を振るわず、他人を思って生きて来た証拠なのではないだろうか?
ハルが辛抱強く彼の答えを待っている時だった。
「ごきげんよう、お二人とも、こんな薄暗いところで何してるの?お話なら私も混ぜて、混ぜて」
エルヴァイスの背後からミルケーが顔を出した。白い服に身を包んだ二人はとても華やかに見えた。
「いいのか、このままだと俺は普通に死ぬぞ?」
なんとも情けないセリフを吐くとともにハルは立ち上がって、刀をゆっくりと二人に向かって構えた。
「俺ならエルヴァイスさんあんたの願い叶えてやることだってできるんだぜ?」
その時、エルヴァイスの瞳に希望の光が差し込んだ。その瞳を見たハルはやるせない気持ちになった。
彼がどんな思いでいまここに立っているのかなんてハルは分からなかったし、分かる必要も無いと思った。
ただ、彼が望むのならばそうしてやることが正しいことのようにも見えた。
『辛いよな、俺もそうだった…』
だがそこでハルはあるひとつのことに気づく。
『あれ、でも、なんで死にたかったんだっけ?思い出せない……?』
記憶にぽっかりと開いた空白のような部分をハルは埋めることができなかった。
「ミルケー、応援に来てくれたことは嬉しいが少しだけ下がっていてくれないか?」
「え、でも、私とあなたで戦った方がすぐに終わるよ」
「そうかもしれない、だけど、ここは俺に免じて二人だけで戦わせてくれないか?」
エルヴァイスの青い瞳に熱が宿る。
なぜなら、それはハルの真っ暗に染まった瞳にも熱が宿っていたからに違いない。
ミルケーはとても不服そうな表情でエルヴァイスとハルを交互に見ていた。
「でも、あいつだけは本当に殺しておかなきゃ…」
駄々をこねたミルケーを、瞳の奥に炎を灯したエルヴァイスの青い瞳が見つめる。
「お願いだ」
「………」
ミルケーの表情がみるみる赤く染まり、言葉を失いやがてコクリと小さく頷いていた。
エルヴァイスがハルに向き直ると彼は言った。
「ハルさん、俺に見せてくれるんだね?」
「ああ、正直、気が変わった。後先考えずにあんたを殺すことだけを考えてやる。ミルケーも王都奪還もすべて忘れて、お前だけは必ず殺しきってやるよ」
温かい言葉を送ってやる。それは彼にとって救いの言葉だった。
「ありがとう、俺はずっとあんたのような人を待っていたのかもしれない……」
エルヴァイスがこの世に別れを告げるかのように寂しそうに微笑む。
「その代わり、ここから先はあんたの想像を超える地獄だってこと忘れるな…」
それだけ言ったハルは刀を地面に突き刺し、拳を構えた。
それだけで場の空気が一変した。ハルの殺気が場を支配し大気を揺るがした。
『エルヴァイス、お前の抱えたもの全部ぶっ壊して、救ってやるよ…』
ハルの中に眠るどす黒い感情がせりあがって来る。暗い瞳がより深く底を突き抜けて闇に染まっていく。手を出してはいけない領域にハルは簡単に腕を伸ばす。
その時だった。
『繰り返すのかい?』
誰かが水を差すようにハルに、そう言った。
『繰り返すさ、何度だって、そのたびに彼女に会えるなら』
一切の間も空けずに答える。その答えは自分でも訳の分からないものであったがそれでいい気がしていた。
『俺は何度だってこの選択をするさ』
目の前で自分を求めている人がいるならハルは悪魔にだってなった。世界を敵にすることだって厭わなかった。
愛する人のために、全てを手に入れようとする最低で豪快な愛ある男だ。
中途半端なことはしない。
「ハアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
絶叫したハルが振り上げた拳をそのまま地面に向かって叩きつけた。三人がいた倉庫一帯、いや、第二区画一帯の地面が一瞬で真っ二つに大きく口を開いたように割れた。
その余波留まること知らず街に崩壊をもたらし始めた。街が地面を切り開いて広がる奈落に飲み込まれていく。
その一撃は第二区画を超えて王城の敷地の外へまで亀裂を走らせ崩壊は留まることを知らない。
崩壊し奈落が広がる第二区画の底に落ちる中、ハルがエルヴァイスに叫んだ。
「始めよう、エルヴァイス!俺があんたの物語を終わらせてやるよ!!」
「アハハハハハ!ハルさん、お前さん、マジで最高すぎるぜ!!!」
広がり続ける奈落の底に落ちる二人。
次の瞬間には殺し合いが始まるのにも関わらず。
そこには希望しかなかった。