古き血脈 再臨
人は何かと出会った時に新しい人生が始まる。生まれて最初に目にした光の中で産声をあげ世界と出会う。そこから家族と共に過ごす時間があり、成長していくにしたがって、多くの人と出会いすれ違う。親しき友と出会い、恋心抱く相手を見つけ、尊敬するに値する人物を見つける。
そして、生きていれば必ず自分にとってもっとも厄介な敵とも出会うことになる。ミルケーがそうだとしたら、心が彼女に惹かれないのもそういうことなのだろう。
マロンが死んだとき、エルヴァイスは彼女の傍にいた。誓いは守れた。彼女は最後まで健康に過ごし自宅のベットの上で老衰した。エルヴァイスは彼女が死んだとき、思い出が詰まったその小さな家ごと彼女を火葬した。葬式は執り行わなかった。彼女の亡骸を二人で過ごしたその地に埋めた。二人の間に子供はいなかった。それでも幸せだった。
しかし、それももう彼女が死んだその瞬間から過去になって、エルヴァイスに重くののしかかっていた。
彼女の墓を建てた後、エルヴァイスは家も金も無くなり、森で食料を取ってはそれを食べて、残った時間は彼女が眠る墓の前で、ただ呆然とその墓を見つめるだけの日々が続いた。その行為は十年間という期間続いたがエルフからすれば十年間などあっという間だった。
しかし、エルヴァイスが墓参りをしている時間はまさに地獄で無限の苦痛の中、日々空っぽになるために、心を失い続けていた。その時のエルヴァイスは一種の現象としてこの世に存在していた。愛する人が眠る墓参りをする哀れなエルフとして、そこにエルヴァイスという意志が介在しないほど、精神はすり減っていた。死など戦場でいくらでも見て来たのに彼女の死だけは受け入れることができなかった。
きっと死ぬまでこうして、自分は彼女の墓を見つめて終わるのだろうと思うと同時に、自分でも抗うことはできないことは分かっていた。どんなに心を殺し新しい生活を始めようとしても、きっとエルヴァイスはマロンの墓参りをする方が、人生において重要なのだと意味づけしてしまうため、この習慣から逃れることはできなかった。彼女のことを思う以上に人生に対して意味を見出せなかった。
だが、そこに声を掛けてくれたのが、親友の二人だった。
いつものように、亡霊のごとく墓を見つめている時だった。ベッケとレイチェルが花束を持って訪れてくれた。
エルフの感覚は大きくずれている時があった。それは他種族に対するものだと相当なものだった。百も生きないマロンの百歳のお祝いのために駆け付けた二人は、墓の前でボロボロになった親友を見つけると、彼らはショックを隠すことができずにいた。
この出来事は二人を酷く後悔させることにもなってしまったが、エルヴァイスは二人を責めることは一切なかった。むしろ、来てくれたことに感謝していた。
そもそも、その時の二人が異種族に対して深い知識を持つこともないことは当然だった。エルフの血巡り他種族はエルフ狩りをしていた時代だ。本来ならば敵でもあったマロンを受け入れてくれること自体、純潔のエルフからしたらありえないことであった。それなのにも関わらず、彼らはエルヴァイスが選んだからという理由で、マロンというドワーフを受け入れてくれたのだ。
こんな素敵な二人に感謝しなくていったい、エルヴァイスという人間は誰に感謝するのか?二人はまともで、エルヴァイスの方が狂っていたというのに。
その後、エルヴァイスはベッケとレイチェルの家で暮らすことになり、少しずつ人間性を取り戻していくことになった。
改めてベッケとレイチェルに出会ったことで、エルヴァイスの新たな人生が始まった。友人や趣味ができ、古き時代は過ぎ去っていった。その過ぎ去った過去に置いて来たものは多かった。しかし、それをすべて救い上げれるほど人に時間や機械は与えられていない。例え千年の時を生きるエルフだとしても、生きている限り取りこぼし見過ごすことだらけで、決して取り戻すことはできない。だから、その時に一番自分らしい選択ができるように、見極め、あらゆることを考慮して最善じゃなくても、納得のいく答えを選択していくしかなかった。
エルヴァイスは個室で、ベットに横たわり最後のひとりの時間を過ごしていた。
天井を見つめるのにも飽きると目を閉じて、思い出の中に身を投じた。
生まれてからここに至るまで多くの出来事があった。そんな自分の人生の中で大きな割合を占めているのはやはりどうしても、マロンと一緒にいた時間だった。二人で生活をしている時はまるで永遠の時の中にいるような感覚だった。だが、それもすぐに終わってしまった。エルヴァイスの人生にそのことはいまでも大きな影響を与えていた。
エルヴァイスはベットから起きて、窓を開けた。外には欠けた月が浮かんでおり、街を覆う結界でその姿は歪んでいた。そんな歪んだ欠けた月に語り掛けるように、独り呟く。
「マロン、俺はいまでもお前のことを思い出してしまうんだが、お前はどうだ?死んだ後、少しは俺のことを気に掛けてくれたか?」
静まり返った外に返事はなかった。
「俺はお前と過ごした日々の面影を見るとしょっちゅう思い出しちまう。今日だって、そうだった。お前のことを思い出すばかりで、今日あった出来事をろくに覚えてない。過去に囚われるノスタルジアってやつだな、最近余計に酷くなってきたんだ」
エルフ特有の病ノスタルジア。過去に囚われ今を生きれなくなる病。エルフの場合だと日常生活に支障が出るほど深刻なものがあった。
「だけど、そんな過去に囚われている時は凄い幸せなんだよな…」
窓の外は相変わらず肌寒く、冷たい風が吹いていた。
「まあ、結局、そう考えると俺の人生はお前に出会って別れるまでが寿命だったってことになるんだよ。お前が死んだ時俺も一緒に死んじまった。肉体はここにあるがそれだけだ、あとは全部マロン、お前と共に逝っちまった」
窓の外に手を伸ばし——
「空っぽなんだよ…」
空を掴んだ——
***
ミルケーもまた独り、部屋に壁に寄りかかり、エルヴァイスの独白に耳を傾けていた。この結界ないで彼女が知らないことはない。この王都エアロに張られた結界内はミルケーの手中の中だった。だから、エルヴァイスがどこにいようが何をしていようが、把握することができた。
「私は眼中に無いのは当然か…頑張ったんだけどな…」
『エルヴァイス様はそんな偽物なんか認めるわけない』
エルヴァイスの頭の中に出てくるマロンを演じていた。彼が求めた人に近づこうと工夫を凝らしていたが、どれも彼の心には響かなかった。ただ、どこかでミルケーも自分が彼に心のそこから愛されないことは分かっていた。
それはいまの自分を見れば当然のことだった。見た目がどうこうではない。神となり人の心を失ったミルケーには愛がどのようなものだったか忘れてしまっていた。
いまのミルケーは目的を果たすためだけに、人間らしい仕草や行動、思考があった。自分の意志で決めることはなにひとつ無く、全ての行動の判断基準に最終目標である純潔のエルフ以外の殺害があった。それに付随するようにフルブラットの復活があり、エルヴァイスを引き入れようとしているのも、最終目標を達成するための色仕掛けに近かった。
「私じゃ役者不足だったか…」
『お前はエルヴァイス様を何も分かってない』
神の意志の介在により、自我を奪われていた。ミルケーの自由が利く領域は思考の中だけになっていた。それはエルヴァイスに対して抱く激しい尊敬の念が、強制力のある神の意志に背く自我として競り勝っていることに間違いはなかった。
神なった日からミルケーであってミルケーではなかった。ただエルヴァイスの生き方に憧れを抱いた、神を信じる崇高な乙女が、神になる契約をすることで、純潔を失った。神は黒く染まり瞳は暗く濁った。
エルヴァイスに初めて逆らったあの日、ミルケーは死の淵にいた。そこで聞こえた声に身を委ねたことが始まりだった。
『人間、契約だ。神の力と引き換えに己が欲望を叶えよ、それが我が目的の糧となるだろう』
その時、目も見えず瀕死だったミルケーは、その声のする方に縋るように手を伸ばしてしまった。
それ以来、ミルケーの意識は、自身の身体の奥に閉じ込められ幽閉されてしまった。
誰も気づいてはくれない檻の中、自分の意志が介入しない生。罰だと思った。自分が犯した愚かな行為に対する罰なのだと、だから、絶望はしなかった。償いができるのなら、この檻となってしまった自分から抜け出すことができるのなら、ミルケーはじっと機会を待つしかなかった。息をひそめ神の隙を突くしかなかった。
「早く、エルヴァイスに会いたいな…」
神の意志に乗っ取られたミルケーが感情があるように呟く。誰も見ていないのにまるで世界に自分は本物のミルケーだと証明するように、彼女は演じていた。
しかし、その時だった。そこで意識の奥底に沈められ縛られていた私は確かに聞いた。
「だけど俺と同じ空っぽになっちまったあいつのことを俺は…」
空っぽになった私が大きく目を見開く。
「救ってやりたいんだ…」
私の頬に一筋の涙が伝った。
ミルケーの方は救うといった言葉を聞いてにやりと笑っていた。
「私のために、エルヴァイス…ありがとう……」
ミルケーがわざとらしいセリフを吐く中、私は涙を流していた。
言葉にならない感謝の気持ちが私を襲っていた。あれだけ酷い仕打ちを彼にしておいて、まだ彼は私のことを救おうとしていた。
私は泣くことしかできなかった。感情がここにあることに感謝した。彼の存在を感じれることに感謝した。いまは何もできないが、どうしても自由になった時彼に直接言いたかった。
『ありがとう』と。
*** *** ***
それから三日間は、エルヴァイスとミルケーの二人は、結婚式の準備を進めるため大忙しだった。
あの日以来、エルヴァイスとミルケーの仲はとても深まり、それはもう本当の恋人のようだった。片時もはなれずお互いがお互いを尊重し合いながら、仲睦まじく暮らしていた。
そして、四日目の朝。二人の結婚式は幕を開けた。
天気は晴れ。結界内の気温は相変わらず良好で、そよ風吹く過ごしやすい日だった。
純白の正装で身を包んだエルヴァイスと、同じく純白のドレスに身を包んだミルケーは、共に王城の謁見の間に入場した。二人で飾り付けをした些細な装飾を眺めなら、謁見の間の玄関から玉座の前まで伸びる赤いカーペットの上を並んで歩いた。
愛の証人である神父役は、スレーライがしてくれることになった。彼は四六時中緊張していた。そんな緊張していた彼をみてエルヴァイスとミルケーはそんなに緊張しなくてもいいと声を掛けていた。
婚儀が始まった。
二人は互いに相手へ愛を誓い、誓いのキスをした。
スムーズに進んだ結婚式は、ほどなくして無事に終わった。
エルヴァイスが微笑むと、その横ではミルケーも幸せそうに笑っていた。
そして、城の外に出ると二人を祝福するための鐘が鳴った。
お城の前には新たに夫婦となった男女のエルフがいた。
「ヴァイス、私いま本当に幸せだよ、こんなことがあっていいのかな?」
「俺もだ、これからは二人で支え合って生きて行こう」
「うん、ああ、嬉しくて涙が出て来ちゃった」
エルヴァイスが彼女の涙をぬぐってやった。
「これからは笑顔が絶えない日々にしよう。涙は悲しい時のために取っておこう。人生は過酷で泣きたい夜もあるからね…」
「わかった、ヴァイスの前では笑顔でいる」
「うん、俺も君の笑顔が好きだ」
「私もヴァイスの笑顔が好き!大好き!!」
王都エアロはいま二人の幸せに包まれ満たされていた。今日という日は二人にとって素晴らしい一日になるのだろう。
そう、二人にとって永遠に忘れられない日になるはずなのだ。永遠に、この日が忘れられない日になるはずだった…。
突然ミルケーの顔から笑顔が消えた。
空を見上げた彼女の鋭い眼光が、怒気を放った。
エルヴァイスも彼女が敵意を向ける視線の先に目をやった。結界の上に人の姿のようなものがあった。
特殊魔法の〈望遠〉でより鮮明にその姿を拡大した。
そこにはくすんだ青髪を揺らす人族の青年の姿があった。青年は片手に巨大な一振りの刀を持って結界の上に立っていた。
「あれは…」
その青年に、エルヴァイスは見覚えがあった。
「レイドの元剣聖……」
エルヴァイスがそう呟くと、その青年は結界に向かって持っていた刀を深々と突き立てた。
王都エアロを何重にも覆っていた魔法の強固な結界が、彼のその一撃で、概念魔法の結界を残し、すべて破壊されてしまった。
ミルケーが憎々しい声でその青年の名を叫んだ。
「ハル・シアード・レイ!!貴様!!!」
その時、エルヴァイスはそのハル・シアード・レイと目が合ってしまった。彼の瞳はどこまでも深く闇に染まっていた。夜さえ飲み込んでしまうような真っ暗な瞳は、恐ろしいほどの冷酷さを秘めていた。そんなエルヴァイスでもゾッとするほど深い殺気を放っていた。それは視線はだけで人を殺してしまいそうなほどですらあった。
そんな彼が結界内に侵入して来た。
遥か上空から凄まじい勢いで落下して来たハルが着地すると、王城の前の石畳を吹き飛ばした。舞い上がった土煙が止むと傷ひとつないハルが、二人の前に降臨した。
「じゃあ、続き始めようか?」
戦闘態勢に入ったハルが二人に刀を向けた。
エルヴァイスとミルケーの前に絶対的な英雄が立ちはだかる。
古き時代を生きた者たちに終焉が訪れる。
死神が笑う。