古き血脈 神と人
蝋燭の炎が灯る薄暗い部屋で食事をしていた。最初の一口はスープだった。温かいそのスープは冷え切った体を芯まで温めた。
ミルケーとの戦闘に敗れ、目覚めてからのここ一週間ほどは、ろくな食事を与えられていなかった。
そのおかげで悔しくもミルケーが作ったスープは胃に染み美味しく感じた。
とろりとしたスープにごろごろと入った大きな肉や野菜が次々と喉を通り過ぎていった。
「そんなにおいしいかい?私の手料理は」
エルヴァイスは彼女のそんな挑発的な発言を無視して、スープを掻き込んだ。捕虜の身であるためいつ食べられるか分からない以上、胃袋を満たしておくことは優先事項だった。
「そんなに慌てなくても、昼から私がひとりで作ってたんだ。まだまだ、たくさんあるから取って来るよ」
ミルケーが向かいのテーブル席から外し、部屋の外に出て行った。
この部屋はあの最先端の芸術感覚を持ち合わせたエントランスの建物内にある一室でキッチンの傍にあった。
スフィア王国の王都エアロにある王城クライノートの敷地は、全部で四つの区域に分かれ各場所に代表的な建物が建っていた。
一つ目は、今いる真っ白い巨大な最先端の建物であり、城へと続くエントランスの役割があった。
二つ目は、城を運営していくための重要施設がいくつも立ち並ぶ区域であり、軍事施設はもちろん、食糧庫、厩舎、来賓用の宿、王立図書館、王立の花園など、詰め込めるものを詰め込めるだけこの二つ目の区域に詰め込んでいた。
三つ目が、王城クライノートであった。石造りの大きな堅牢な体を持った赤い尖塔がある城。そこには王族や貴族たちが集まった。まさに城の中枢であり、女王を中心とした政治が行われる場所であった。差別のない自由意思をもったエルフたちが樹立した国の根幹だった。
そして、最後の四つ目は王宮。王族たちが実際に生活するための居住区で、立派な建物が城の背後には建っていたが、見たものは本当に少しの人間しかいないという噂があった。
エルヴァイスがこの一週間ほど走り回って手に入れた情報はそれくらいだった。しかし、その四つの区域を囲う城壁のどの場所からもエルヴァイスが外に出られることはなかった。
城の敷地内を囲うように、外の城下町に張ってあるものよりも強力な結界が、この城の周囲に張ってあり、エルヴァイスが単独で逃げ出すことはできなかった。それはミルケーが重傷を負って一時的にエルヴァイスの拘束が外れた時も同じだった。ここの結界は何としてでもエルヴァイスを逃さないように何重も丁寧に結界魔法が張られていた。
今日、目を付けた城の敷地内の上空も確認したが、答えは同じだった。ここからはネズミ一匹逃げ出すことは許されない。大きな檻の中だった。
そんな檻の中で、エルヴァイスは空腹を満たすためにスープを啜る。
出て行ったはずのミルケーはすぐに、ワゴンを押して部屋に入って来た。その荷台の上には色とりどりの豪華な料理がいくつも皿に載っていた。
「たくさん、食べてください。私はひとしきりここに食事を持ってくるから」
彼女はエルヴァイスのテーブルの前に料理を置いていくと、すぐにまた部屋を出て行った。
この部屋からキッチンまではそこまで遠くはないが、それでも料理を取って来るとなると5分くらいは掛かってもいいのだが、彼女はわずか十秒も掛からず次々と料理をエルヴァイスの元に運んで来た。
「お前以外に、誰か召使いがいるのか?」
「ここにはいま私とヴァイスしかいないよ。スレーライは本館で雑務を任せてるから」
「そうか…」
エルヴァイスの瞳にミルケーの顔が映る。
「あ、ようやくまともに私を見てくれたね」
彼女が新しいワゴンをテーブルから離した場所に止めると自分の席に座った。エルヴァイスを真っ直ぐ見つめた。その視線に応えなければならないと引きずられてしまったエルヴァイスも、彼女と目を合わせてしまう。合わせたくもないのに。
エルヴァイスが食事をしている間は彼女は一口も食事には手を付けずに、自分で盗んで来たボトルを開け、ずっとその中のワインだけをグラスに注いで味わっていた。エルヴァイスが食事をしている間彼女はこちらを眺めるだけで言葉は交わさなかった。
来客用の豪華な個室で二人だけの時間が流れる。エルヴァイスはこう見えても捕虜であるため、次いつ飯が食べれなくなるか分からないため限界まで腹の中に食べ物を詰め込んでいた。例え毒が入っていようがたいていのものならなんとかで来た。身体は他の者たちより丈夫であることは自負していた。胸に風穴を開けられ、心臓を潰されても、白魔法で完治させられれば、二週間とそこら一か月も経たないうちに目を覚ます。エルフの中でも恵まれた強靭さを兼ね備えていた。
ワゴンにあった食事も平らげ、夕食も底が尽きてくると、自然とエルヴァイスの視線はミルケーの方へと向いた。
「美味しかったかな?」
その問いかけには答えずに、エルヴァイスは質問をした。
「お前の目的はなんだ?まさか本当に俺を王に還すとか、フルブラットを復活させるとか、純血主義だけの世界を創るとか、くだらないことじゃないだろうな?」
「ヴァイスにはいま言ったことがくだらないことだって言えるんだ…」
「当たり前だろ、どれもこれも古い考え方だ」
「古い考え方は悪なのかな?」
ミルケーがグラスの中のワインを見つめていた。
「悪じゃねえ、時代にそぐわなければ淘汰されるって言ってるんだよ、そして、お前が持ってるその思想は今の時代と逆行してるって言ってんだ」
「君はそんなに、私たちのことが嫌いになったのか…あの輝かしい日々を取り戻したいとは思わないのか?すべてがあった過去の栄華。あそこで君は世界の中心人物だった」
そんな時代もあった。彼女の言葉が決して間違いではなく、過去にあった事実を述べているだけなのは確かであった。だからこそ、エルヴァイスはいまも過去を引きずってる彼女を見て哀れに思うのだった。エルヴァイスはもうとっくに前に進んでいた。だが、もしも、まだ取り残されている者たちがいるなら、過去に囚われ苦しんでいる者がいるのなら、少しでもエルヴァイスは彼らの苦しみを取り除いてあげたかった。自分に何かできるならそうしてやりたかった。それが、エルヴァイスが間違った道に進んで見つけた答えでもあった。
「世界の中心にいたからなんだ?それはお前から見た俺でしかないだろ。誰も自分以外の人間にはなれねえんだよ。だから、お前の価値観を勝手に俺の未来にするな、それは意味のないことだ」
「そんな、誰だって、飢えているより満ちている方がいいだろ?貧しいより裕福の方がいいだろ?嫌われてるより慕われている方がいいだろ?君だってそうだ。名もなきエルフより、純潔の凶王、大英雄、フルブラットの総帥の方がいいだろ」
「たかが呼び名に何の意味がある?」
「君はこれからなんでも手に入れられるんだ。私と一緒にこの世界のなんだって手に入れられる。なんでも手に入るんだ。君が望めばすべて手に入るんだぞ?それは素晴らしいことだろ。それに私と共に世界を手に入れた後は居心地のいい世界が待ってる。楽園だよ」
ミルケーが必死の顔になり、理解が追い付いていないようだった。
誰よりも下からみあげるだけで上から広い視野で周りを見渡さない彼女のような人間には一生分からないのかもしれない。一度頂に届いてしまった者の気持ちは、そこから先どこに行けばいいのか分からなくなってしまうのだろう。頂に立ったら、次は降りなくてはならないことを知らないのだ。そして、別の頂を目指してSまた一から始めなければならないことを。彼女は頂に立ち翼を広げ飛び立とうとしていた。
別にそんな人生の頂上に到達しなくたって本当に大切なものには気づけるのに、小さな頂にもいくつも幸せは落ちているのに、彼女は目的を見失っていた。なぜ、過去のフルブラットが輝かしいものだったのかを、彼女は過去の記憶に囚われていた。
あるいはもう答えにたどり着いているのに、目を背けているだけなのかもしれない。
「お前は間違ってる。こんな形でフルブラットを復活させても意味がない。そもそも純血主義にもう意味がないんだ。時代は変ったんだ。いつまでも過去に囚われるな」
「なんで君は私を拒絶するんだ。私は神様なんだぞ?君は本来ならば恐れ敬わなきゃいけない存在なんだぞ…私は寄り添っているのに、それなのに君は……あなた様は……」
「さっきも言ったがミルケー、人は自分以外の他の誰かにはなれない。だからお前はミルケーでしかない、どこまでいってもどんなに姿が変わっても、お前はミルケーなんだ」
苦悶の表情がミルケーを覆った。そこにエルヴァイスが呟いた。
「人は神にはなれないさ」
ミルケーが握っていたグラスを握りつぶした。彼女の右手は赤ワインと血痕で真っ赤に濡れていた。
「君は神を否定するのか?」
「否定?いいや、俺はお前が神であろうとすることを否定しているだけだ。そもそも神は人間と対等になろうとはしないだろ?」
「私は本当にこの目で見たんだ!神の姿を!」
「じゃあ、そいつは神なんだろう。だが、お前は違う。何度も言うがお前はミルケーだ。俺が知ってる元フルブラットのミルケー。俺がお前の存在を知っている限りお前は神でもなんでもないぞ」
「ぐぐぐっ…」
彼女は悔しそうに一度テーブルを叩くと亀裂が走った。彼女はそのまま立ち上がって、部屋の出口に向かった。
「少し頭を冷やしてくる。ヴァイスは好きにしてていいから」
部屋の扉がきつく閉められた。
エルヴァイスはテーブルに残っていたワインのボトルを持ち上げ自分のグラスに注いだ。
『間違ってもいい、戻ってこい…人間なんだから何度だって過ちを犯す…』
「正しい奴なんていないさ」
エルヴァイスは注がれたわずかなワインを一気に飲み干した。エルヴァイスはまだワゴンに載っていたボトルを何本か手に取って、部屋の外に出た。
不気味なほど真っ白い廊下に出たエルヴァイスは、彼女を探すためにぶらぶらと歩き始めた。
『俺はお前たちのことを忘れたわけじゃないんだよ…』
薄暗い廊下の外から見える窓からは、雲に見え隠れする丸い月が顔を覗かせていた。




