古き血脈 あなたを知ってるそれだけでいい
夜。宿の部屋に帰宅する。ハルの住む場所は世界でここにしかない。前にはもっとたくさん帰る場所があったが、いまはここにしか無い。
愛する人たちが待っている部屋へと帰る。
「ただいま」
「おかえりなさい、ハル」
聞きなれた声が聞こえてくる。
改築後に備え付けられた暖炉の傍にライキルがいた。
温かい炎に彼女は照らされていた。
自分のことを覚えていてくれて『おかえり』と言ってくれる人がいる。それがどれだけ素晴らしいことか、失ってからしか分からないとは言わせない。
「まだ、起きてたんだ。寝てても良かったのに…」
「ハルが帰って来るまで眠れませんよ」
「ごめん…」
「最近、私によく謝りますよね。何も悪く無いのに…」
ライキルが冗談で頬を膨れさせ怒って見せた。だが、ハルは夜の闇に飲み込まれるように軽く俯きながら返した。
「多分、後ろめたいことがあるんだと思う。いつも夜遅く帰って来るし、ライキルにとっては面白くないことで時間を使ってる…」
「じゃあ、ハル、今から私と楽しみましょう?ちょっと隣に来てもらえますか?私動けなくて」
ハルがライキルの方に寄ると、彼女の膝の上ではすでにガルナがぐっすりと眠っていた。
ライキルの隣に腰を下ろすと、彼女が腕を組んできた。その組まれた先にある彼女の手をハルからそっと指と指の隙間に絡ませるように握ると彼女はこの世で世界一幸せな女性のように笑った。
「毎晩遅くまで、頑張ってるんですよね?私、知ってます」
「頑張ってないよ」
ハルはすぐに否定し辺りを静かにしたが、ライキルがこれにやられる器ではなかった。彼女はすぐに言葉を紡いだ。
「ハルがみんなの幸せを願っているってこと、私、知ってます」
「そんなこと願ってない」
「だって、実際にみんなの命を救ったじゃないですか」
「あれはルナのおかげだよ、みんなが彼女に感謝してる」
ルナの名前が出て来たところで、ライキルが怯み口が一度止まった。ハルは彼女の手を強く握った。彼女が離れて行かないように。そうすることで彼女を安心させようとした。一時的にでも。
「嘘は良くないですね…」
「嘘ぐらいつくよ」
「ハルの嘘は人を傷つけない優しい嘘ですから」
「きっと本当のことを言ったらライキルは俺に失望するよ」
ライキルが首を傾けハルの肩に頭を乗せた。
「意地悪しようとしてます?」
これがいつもの冗談だったらどれほど良かっただろうか。ライキルに対して重ねている裏切りが、ハルの心をダメにしてしまったのかもしれない。一時的だったが、目の色が変わったのもそういった心からくる病気だったのかもしれない。そんなの聞いたことなかったが、もしかしたらあり得たかもしれない。
「本当のことを話そうとしてる」
ハルが暖炉で燃える炎を見つめる。その業火で燃やされでもすれば人の罪は燃え尽きるのか?
知りたくもなかったことを告げられて現実を得るか、心を隠した偽りの表情を浮かべ続けられて、幻想を見続けるか?
「その話でハルは幸せになれますか?」
「全然、みんな不幸になる、特にライキルは」
「じゃあ、いいです」
「俺に関することでもある…」
「聞いてほしいんですね?」
「話したくはない…」
ライキルがそこでハルの耳元で軽く囁いた
「話してください」
「ルナの相手をしてた…男女の……」
疲れ切り申し訳なさそうな顔でハルが即答した。しばしの沈黙の後、ライキルが困惑した表情で言った。
「え、それだけですか?」
「まだ、あります…」
「はい、じゃあ、聞きますね」
ライキルが楽しそうにハルの懺悔に耳を傾ける。その笑顔は別に悪意などは無いいつものハルの話を聞くのが大好きなライキルの顔だった。しかし、その反対にハルはどこまでも深く沈んでいた。選択肢を間違え続けているかのように絶望という鋭い針が心を抉っていた。
「ビナも家族にしたいです…」
「ええ!?」
二つ目の秘密にはさすがのライキルも度肝を抜かれていた。
「ライキル次第だけど…」
ハルが婚約者として囲う相手を増やすときの絶対条件として、ライキルの許可があった。ここはハルが譲れないところだった。ハルがどれだけ素晴らしい女性を連れて来てもライキルがダメと言えば、妻を増やすことはなかった。ライキル以上の女性はいないことを指しており、ハルがむやみやたらに新たな妻候補を連れてくることはなかった。
だから、ガルナ然り、ビナ然り、ハルがライキルに打ち明けた二人に対しての本気度がうかがえた。
ただ、裏を返せば、ハルが拒もうがライキルが受け入れると言えばだれでも気に入った女性をハルにあてがうことができた。そんなことありえないと思っていたが、ルナがその一例となってしまった。
ハルが断ろうとしたが、ライキルに止められ、妻の一人として数えることになってしまった。
ライキルにはそのことを後悔して欲しかった。
実際に、ルナには、ハルとライキルの時間は確実に貪られていた。もちろん、今はハルが彼女と行動を共にすることが多いため仕方のないことだったのだが、あからさまに帰りが遅くなっていた。
それにハルも彼女の魅力に気づき始めてしまっているところが手に負えず、彼女には常に引っ掻き回されていた。
「だって、ビナにはもう恋人のフルミーナさんがいて、そこはどうなるんですか?」
パースの街にある図書館〈トロン〉の館長をやっているエルフであった。そして、何よりそのフルミーナは女性だった。
「そこはビナが自分で話を着けるって…俺にはその時来ないで欲しいって…」
「ビナがそう言ったんですか?」
「フルミーナには自分ひとりで話をするからって…」
「じゃあ、ビナもハルの結婚を受け入れたんですね?」
「半ば強制的にだけど…」
「まあ、ビナがハルの好意を拒絶できるわけがないので、当然ですね」
ライキルが冷静に分析しては、ハルは肩を落とす。誠実さも消え欲にまみれた自分がいることは知っていた。それでも手放したくない人たちには傍にいて欲しかった。我欲でビナを不幸にしてでも、その気持ちは変わらなかった。ハルが構想する理想郷に彼女もいて欲しかった。それに健気に尽くして来てくれたことや、ライキル、ガルナ、エウスたちなどとも気が合うことが何よりも彼女もハルが妻にしたい要因のひとつだった。
「それでどうなのかな…」
しばらくの沈黙の後、ライキルは言った。
「正直、大歓迎ですが、フルミーナさんがどういうかですね…」
「…………」
それはライキルの許可を下りた瞬間であり、ビナがハルの妻のひとりに迎えられたことと同義だった。緊張がはじけ安堵が胸の中に降ってきた。
ハルはライキルの頬に軽くキスをした。
「感謝の印ならちゃんと唇にしてください。長いやつを」
「ライキルだけは幸せにして見せるから…」
ライキルの頭に疑問が浮かぶが、その時にはすでにハルの唇が重ねられ、全てがどうでもよくなっていた。
先に眠ってしまったガルナを三人用のベットで寝かせてあげた。
ハルとライキルは二人で暖炉の前で朝が来るまでひとつの毛布に包まって語りあった。その時、ハルは自分の暗い部分のこと、世界が変わってしまったことなど都合の悪いことなどは、全て忘れて、ライキルと二人きりで楽しく話すことができた。
昔の思い出に花を咲かせては、その時どのように思っていたかなど、お互いをさらに知るきっかけとなった。道場シルバでのことを中心に話して話題は尽きなかった。けれど、二人にとって時間は残酷なものだった。気が付けば暖炉の炎は消え、窓から朝の光が差し込んでいた。
最後にライキルがベットに戻る前にハルに向かって尋ねた。それはライキルがずっと言いたくても言い出せないことだった。
「ハル、辛くないですか?」
「何が?」
「人に忘れられて…」
ハルの頭にルルク・アクシムの顔が浮かんだことが想像に難くなかった。
「辛いよ、だけど、乗り越えなきゃ…」
「神威を覚えさせるってのはどうですか、私たちみたいに記憶を取り戻せると思うんですが…」
「ライキルはそれが正しいと思ってる?」
「はい、だってみんなハルのことを思い出せば、ハルだってこんなに辛い気持ちにならなくて済むと思いますよ」
そこに関してだけ、ライキルの意見とハルの意見は正反対だった。
「そうなんだけど、もう、彼らには俺を知らない彼らの世界があるから、もう、いいんだ。みんなには俺に振り回されて生きて欲しくないと思ってる。彼等には自由に自分たちの人生を歩んで欲しいんだ…」
「だって、フォルテさんも言っていましたが、それじゃあ、ハルがあまりに報われません」
「報われる必要はないよ、俺にはライキルがいるそれだけでいい。それ以外はいらないんだ」
「嬉しいですけど、私…」
ライキルが自信なさげに燃え尽きた暖炉の灰を見つめた。そのまま彼女が言葉を続けようとしたが、ハルが言葉を遮った。
「君だけは必ず幸せにする」
「は、はい…」
そこで思わずうなずいてしまったライキルだったが、慌ててハルに言い直すように言った。
「待って私だけじゃなくて、ガルナやビナ、ルナさんもでしょ!」
その答えに、ハルはただ笑みを浮かべているだけで一言も返事をしなかった。
「もう、寝ようか…」
ハルがライキルの視界を手で覆い隠すと、彼女は簡単に意識を失うように睡魔に誘われ眠ってしまった。
彼女をベットで寝転ぶガルナの隣に寝かせた。ハルは二人を残して、部屋の扉のドアノブに手を掛けた。
「おやすみ、ライキル」
ハルはそのまま部屋の外に出てた。
扉の脇には騎士服を来たルナが立っていた。
「おはよう、ハル」
「おはよう」
「行きましょうか、今日から始めさせるんでしょ?」
「うん、役者はそろったからね…」
その日、女王から近日中に、重大な会議が開くとの号令が掛かり、ありとあらゆる重鎮たちに招集が掛った。
反撃の狼煙が立ち上ろうとしていた。