古き血脈 壊れた世界で君は狂って
「そちらの方は?」
ルルクが隣に並んだルナの横顔を見ながら女王に尋ねた。
女王ジェニメアが彼の返事に答える前に、彼女に頭を下げようとした。だが、ルナはそれを制止させた。ジェニメアは頭を下げるのを止めた。
「私はルナ・ホーテン・イグニカ聞き覚えは?」
「これは失礼いたしました。お名前は存じております」
「あら、誰から聞いたの?」
「我が第二剣聖フォルテ・クレール・ナキアからです。しかし、あなたのような方がどうしてここへ?」
「決まっているわ、スフィア王国を救いに来たのよ、あなた達もそうなんでしょ?」
「はい、我々もここに支援をするように言われてきました」
「それにしてはずいぶんと連れは少ないようね?それに精鋭って雰囲気の者たちでもない」
ルナがルルクの両隣りにいた騎士たちに目をやった。彼らは若く誰の目から見ても見習いにしか見えなかった。
「どうかその点は剣聖を送ったことで勘弁してはくださいませんか?」
他国に剣聖を送ることは実際にあまりなかった。友好国か緊急事態でない限り、剣聖たちは自分たちの国を守るのが常だった。各国は剣聖を国に一人しか置かないが、アスラ帝国のように剣聖の称号を持った人物を二人も抱えていると、片方は自国を守り片方は自由など、融通が利いた。
「その剣聖はどこにいるの?姿が見えないのだけれど」
「それがここでご友人たちを見つけたみたいで、彼らと一緒にこの砦の敷地内に行ってしまいまして…こうして、さきに陛下並びに周辺の皆さんに周知しておこうと思いまして」
ルルクもこの状況があまりよくないことを把握しており、苦い顔をしていた。
「他国の剣聖が許可もなく人の敷地内を踏み荒らしているんじゃ、ここの安全が保たれないわね」
ルナが他人事のように言った。
「ええ、ですので、ここでのあいさつが終わり次第、すぐに敷地内を捜索させてもらいたく…陛下、よろしいでしょうか?」
ルルクも自分で言っていて信用を落とすことは承知しているようだったが、いま彼が取れる行動がその一点に尽きることだけは確かで頭を下げることで精一杯だった。
「私は構いません、帝国がここに兵を送って頂いたことだけでもありがたいと思っています。いまこの場はどこも人手不足で兵も足りていません。この拠点の守り手として帝国の剣聖のお力をお借りすることができるというのはとても心強いことです。なので、ルルク様どうか、この砦をご自由に見て回ってください。我々一同あなた方を心から歓迎いたします」
ジェニメアがルルクに対して強気に出ることは一切なかった。むしろここに来てくれたことをとても感謝していた。それもそのはず、スフィア王国が現時点で一番立場の弱い位置にいた。それはジェニメアの態度からもそれは明白だった。
「早々に迷惑をおかけしたにも関わらず温かい言葉感謝いたします。それではすぐに彼をここに連れて挨拶をさせますのでしばしお時間をいただきます」
そういうとルルクはジェニメアとルナにお辞儀をして、外に出て行った。
「ジェニメア、あなたの女王としての尊厳はどこにいったのかしら?」
帝国の彼らが出て行った後で、ルナが素っ気なく言った。
「フフッ、それならまだちゃんと残っているのでルナ様が心配する必要はありませんよ。ただ、彼は礼儀正しく好感の持てる青年だったので、こちらも女王として相応しい態度を示しただけですよ」
「あんまり各方面に頭を下げていると、付け込まれるわよ」
「その時は、ルナ様たちに守ってもらうので心配していません」
「あんたってやっぱり図太い性格してるのね」
それだけ言うとルナたちもすぐに謁見の間から外の通路に向かい始めた。
「ルナ様、ゆっくりしていかないんですか?お茶くらい出しますよ」
ジェニメアの声が謁見の間の奥から聞こえて来たが、ルナは振り返りもせずに通路への扉へと歩いて行き、ハルも彼女の後にぴったりとくっ付いて行った。
窓の少ない通路に出た。そこで屋外に出るためのエントランスに向かって歩いているルルクたちの姿があった。ハルはそこで彼らの後を追うことにした。
「俺は彼らを案内するから、ルナは街に戻って任務を続けて」
「え、私、また街に戻らないといけないんですか?」
ルナが小声で露骨に嫌そうな顔をした。
「みんながルナを待ってる、俺は彼に確かめたいことがあるから、頼んだよ」
「え、ちょっと、待って…」
ルナが寂しそうな声をあげるがハルは一切振り向かずに、彼らの元へと駆けて行った。
「もう、だったら今夜はたくさん構ってもらうんだから…」
ルナがそんな可愛げな怒りを発しながら通りに立ち尽くしていたが、周りにいたエルフたちの顔はその彼女の不機嫌な表情を見て怯えていた。
***
「あの、すみません…」
ルルクたちが外に出た時にハルは後ろから彼らに声を掛けた。
「はい、何でしょうか?」
「もしよければこの砦を案内させてもらおうかと思いまして…それとフォルテ剣聖が向かった場所にも心当たりがあるんです」
「本当ですか!?それでしたらぜひ案内してもらってもいいですか?」
「はい、いいですよ」
ハルの表情は少しこわばり、心臓の鼓動も早かった。
「それでしたら、早速ついて来てもらっても良いですか?」
「分かりました。ただ、ちょっと部下たちに指示を出してきますので少し時間をください。すぐに戻ります」
そういうとルルクは、外で待機していた兵たちになにやら的確な指示を出していた。自分たちが泊る場所や竜たちを繋ぎ止めて置く場所などを、この砦の人たちに聞いておけという主旨の話のようで、彼らはすぐに彼の指示通りの行動を始めていた。
彼のテキパキした指示を出す姿を眺めている間、ハルは緊張しっぱなしだった。それでもその焦りや不安を表にだすことは決してしなかった。
「お待たせしました。行きましょうか」
砦の中を歩く。天気は晴れ、砦内は結界によって気温が一定に保たれているため、そこまで寒さに関して心配する必要はなかった。特に砦内の気温はより一層過ごしやすい温度帯になるように結界が組まれていたため、街や避難民のキャンプ場なんかよりもずっと快適だった。
砦の敷地内も森を切り開いて作ったため、木々が密集しているところはちょっとした迷路になっており、迷いやすかった。しかし、それもレイド王国の人たちがやってきて豊富な物資を投入されると、砦の敷地内は一変した。木々は職人たちによって切りそろえられ、道には石畳が敷かれ、分かれ道には案内板が設置されるなど、利便性が向上し、砦の裏にある敷地は、まるで観光客を楽しませるような旅館によくある風景と遜色ないものへと早変わりした。
ハルとルルクはそんな趣のある敷地内を二人だけで歩いていた。
「この先が、我々、来客用の宿屋が立ち並ぶ施設となっています」
「なるほど、王都が陥落したと聞いた時は、難民キャンプを想像していましたが、これは凄いですね…」
ルルクが辺りの景色を見まわし、その脳内とのギャップで驚き関心していた。
ハルもこの変わりように驚いており、ルナが住む近くだけやたらと整備されているが、これは誰の指示なのかが気になった。まさかルナが自分で依頼したのかとも思ったが、彼女にそのことを聞いたら、ハル以外の人とは極力話したくないのと意味不明な返事が返ってくる始末であった。
「こういう風に変わったのもつい最近なんです。前までここは森の中だったんです」
「レイドは対応が早いですね…」
「そうですね、私も今回のレイドの足の速さには驚かされました。ずる賢い。というよりかは人情に厚いと言っておくべきですかね」
「確かに、その方が愛がありますね」
ハルが気さくに笑い冗談を言うと、ルルクの硬かった表情もほぐれていった。
「ところであなたのお名前を聞いてもよろしいでしょうか?」
ルルクがハルにそう言った。
「おっと、そうでしたね、すみません。名乗らずにべらべらと無駄話を」
ハルはそこでかぶっていたフードを脱いで素顔を晒した。
「俺の名前は、ハルって言います」
ハルがそれだけ言うと相手の反応を笑顔で待った。しかし、そこでハルの挨拶が終わったと思ったルルクが自分の名前を名乗り挨拶を返して来た。
「私の名前はルルク・アクシムと申します。帝国のエルガーという騎士団で副団長を務めています。よろしくお願いします」
「………」
ハルはそこで彼に向かって何でもない笑顔を向け続けた。その笑顔に彼もその子供っぽさの中に大人の魅力を秘めた笑顔を返してくれた。
やはり、彼はハルのことを忘れていた。それだけが分かったところで、ハルは彼との接し方をいま出会ったばかりの人として接することに決めた。それはあまりにも歪で心に来るものがあったが、ハルはその姿勢を崩しはしなかった。
ハルは半壊した宿を目指し彼と一緒に整備された道を歩いた。
「ここに来るまで大変でした。本来ならば私とフォルテだけで来る予定だったのですが」
「剣聖のことを呼び捨てにしてもよろしいんですか?」
ハルは二人の関係をよく知っていたがあえて聞くことで、彼にとって自分が初めて出会った相手というものを演じた。そこに虚しさが募ったとしても必要なことだった。
「ええ、彼とは長い付き合いで立場どうこうより、まだ私からしたら言葉は汚いのですが、彼はガキなんです。実際に、こうして軍紀を乱しては勝手な行動ばかり取ってる。彼が剣聖じゃなければ、ぶちのめしていましたよ」
「本当に仲がよろしいんですね」
「やめてください、腐れ縁ってやつですよ」
ルルクが嫌そうな顔をしていたが、そこに本当の悪意を感じることはできなかった。
「ハルさんはどうしてここに?」
「俺はルナさんの付き添いとしてここにいます」
「ルナさん。ああ、さっきの…ということはあなたもレイドから来たのですね?」
「ええ、俺はレイドで騎士をしていました。その縁があって彼女に拾われたって感じです…」
適当だけれどありそうな過去を勝手に作って、ハルは自分がレイドにいたという、もう偽りとなってしまった記憶を生み出していた。
「騎士ですか、どこの騎士団だったんですか?」
「アリア騎士団に所属していました。まあ、所属してただけなんですけどね…ちょっと訳あって実践には出ていなかったんですが…」
また嘘をついた。これでアリア騎士団にいたことを探られて在籍していなかったとなれば面倒なことになると思い言葉を濁していた。ただ実際にハルはアリアに所属していたが、剣聖となったため、その期間はとても短かった。
「アリアってレイドの中でも相当優秀な騎士団でしたよね?確か、ライラに次ぐ騎士団だったかと…あのカイ剣聖もそうでしたよね?」
「ええ、そうです。ただ、俺は下っ端だったので、あんまり彼らと会う機会はありませんでした」
言葉を重ねるたびに自分の口から大量の嘘が吐き出されていることに気づいたハルはそれでも決して穏やかな表情を崩しはしなかった。
「私、こう見えても剣聖の事情には詳しくて、レイドはここ数十年ずっと剣聖が不在だったのに、カイ剣聖が現れてレイドの新たな希望になった」
楽しそうに話すルルクが続ける。
「眠れない…いや、眠らない三日間でしたっけ?私もレイドの剣聖祭行きたかったですよ。」
「剣聖祭すごかったですよ…」
「その場にいたんですね!羨ましいです」
「剣聖祭はどの国でも毎年ありますから、ぜひお越しください。その時は一杯おごりますよ」
「ありがとうございます。楽しみが増えました」
やはり世界からハルという存在が消えたことの整合性を取るために、何もかもがハルがいなかったはずの未来へと変わっていた。ハルというルール外の存在のような人間というよりかはもはや化け物が起こした不始末を無理やり修正したかのように世界そのものが形を変えていた。その大きな力に抗えることはまず普通の人たちには無理なのだろう。ハルという存在を忘れないためには、やはり、特別な力が働く必要があった。その一つが神威であるのだろう。
すべては自分が引き起こした現象だったが、こうしてその現象の後遺症を目の当たりにすると、心に来るものがあった。忘れられるのはハルだったとしても辛かった。
それでもハルは何とか内面に溜まった負の感情を飲み込むことができ、新しい彼を受け入れることができた。それは簡単なことではなかったが仕方のないことではあった。すべては自業自得であった。
『俺が自分で犯した過ちなんだから、俺が傷つく権利なんて何一つないんだよな……』
ハルは終始笑顔でルルクと語り歩き、目的地まで目指すのだった。
ハルの張り裂けそうに脈打つ心臓もやがて勢いを失い正常に戻っていた。
***
ハルがルルクと共に自分たちが住む改築済みの宿にたどり着くと、そこにはすでに人だかりができていた。
ライキル、エウス、ビナ、ガルナ、サム、ギゼラ、ベッケ、レイチェルたちが、そこにいたひとりの青年を囲んで話をしていた。
ハルとルルクがその場に現れる。
「いましたね、彼がそうですよね?」
ハルがその輪の中心にいた人物を示すと、ルルクがその輪の中にいた人物に目を凝らした。
「あ、本当にいました!あいつ、勝手に行動しやがって、ってあれ?あれはエウスさんに、ライキルさん?ビナさんも!?」
「………」
ハルは押し黙った。ルルクが、ライキルやエウスたちのことはちゃんと覚えていることが嬉しいと同時にやはり自分だけ忘れられているという疎外感に襲われた。
「おーい、皆さん!お久しぶりです!!」
ルルクが走っていく、その後ろでハルは立ち止まった。彼がみんなの元にたどり着くと、エウスやライキルは彼との再会に心弾ませていた。
『そっか、いいな、みんなはルルクさんと再会できて…』
あの輪に入って行くのが怖かった。そこにはもう自分がいてはいけない場所だと思ってしまい、足がすくんで動かなかった。踏み出す勇気よりも、離れる覚悟の方がずっと強く自分の中に滞留していた。
ハルがそんな彼らを遠くから見守っているときだった。
輪の中心にいた白い金髪の青年が、みんなが再開を喜んでいるところを押しのけて、姿を現した。
「何するんだ!」
突き飛ばされたルルクが怒りを露にしていたが、フォルテはそんな友人である彼の言葉を無視して、瞳孔を開いたままその場に立ち尽くしていた。
「おい、フォルテ、聞いてるのか?お前に言っているだぞ?勝手に行動しておいて、私を突き飛ばすとはいい度胸してるな!」
「ルルク、少し黙ってろ」
フォルテがハルを見つめたまま濃い瘴気のようなものを放った。それはハルたちも見たことのあるもので、それは【神威】だった。
気圧されたルルクが黙り込み、その強い不意打ちの神威に彼の周りにいた全員がすくみあがっていた。
フォルテの神威がハルの肌にも触れた。その神威はずいぶんとざらついたもので複雑な感情が入り混じっている様子だった。それは怒りに似ていたが、ハルに向けられたものでもなかった。
フォルテが神威を保ったまま呟いた。
「ハル、久しぶりだな…」
「お前、ハルさんと知り合いなのか?」
傍でルルクが驚きの表情でフォルテを見ていた。そのルルクの反応にフォルテは苛立ちを募らせながら続けた。
「この通り、ほとんどの世界の人間がおかしくなっちまった。俺もある意味ではそのひとりになっちまったが、こいつのような奴よりはまともだと思ってる」
フォルテがルルクを親指で指し示すと、指された彼は何が何だか分からない顔をしていた。それは仕方のないことだったが、フォルテからすればどうやらそれは見過ごせない問題のようだった。
「フォルテ、お前どうしたんだ…」
ルルクがフォルテに問いかけようとした時だった。彼の後ろにいたライキルとエウスが、ルルクを引き留めた。
「ルルクさんも、ハルを覚えていないんですね…」
「もし、そうなら、ここは少し下がっていてください…」
「ライキルさん、エウスさん、どうして……」
二人の顔はどこまでも深く悲しみに沈んでいた。ルルクが二人がなぜそんなに悲しい表情をしているのかも分からなかった。しかし、話の分かる彼が身を引く理由に、フォルテの本気の怒りと、二人の悲しい表情があればそれだけで十分だった。
「フォルテ、久しぶりだね、俺のことは覚えてるみたいだね…」
「覚えてるだと?忘れるわけねえだろ。誰が、なんで、お前のことを忘れられるんだよ!!」
フォルテの神威がより一層強くなった。無差別な神威がみんなを襲おうとしていたが、ハルも対抗するように神威を発して、傍にいたみんなをフォルテの神威から守ってあげた。
「少し痩せたか?」
ハルは彼の顔を見てそう思った。フォルテの顔には病的なまでの疲れ切った表情が常に張り付いていた。
「お前がいなくなってから、世界が変わっちまった。なあ、なんでみんなお前のことを知らないって言うんだ?」
「それは、ごめん、俺のせいなんだ…」
「ハルのせい…?」
「ああ、俺がこの世界をめちゃくちゃにしたんだ。だから、みんなが俺のことを覚えていないのも全部俺の自業自得なんだ…」
「自業自得だと…」
フォルテの感情を抑えつけるように握っていた拳が震え出した。
「何が自業自得なんだ、言ってみろ」
「えっと、だから、これは俺が黒龍を退治するために必要だった力の制御ができなくなった結果で…俺がもっとちゃんと自分の力を扱えていれば、こんなことにも……」
「ほら見ろ、どこが自業自得だ。お前は何も悪くねえ、それなのにこの仕打ちはなんだ?なんで誰もハル、お前に感謝しない?この大陸から黒龍がいなくなってどうなっているか知ってるか?平和が戻って来たんだぞ…あれだけ、死と隣り合わせにさせられて来た帝国は今や獣たちの脅威が消えて安全で、平和な国になったんだ!その平和を作ったのは誰だ?神か?いいや違う、ハル、お前だろ!!」
ハルはフォルテの怒りの矛先が分かったことで安心した。そして、それはとても嬉しいことだったが、もう、最初から手遅れなことだった。
「フォルテ、ありがとう。でもいいんだ。もう、俺はこの世界で生きていくって決めたから」
「なんでお前が納得してるんだよ、お前がこの大陸の平和を創ったんだろ!そんな大英雄様がなんでみんなから忘れられないといけないんだ!!おかしいだろそんなの!!」
フォルテも怒りで完全に我を忘れている様子だった。マグマのように煮えたぎる思いを発散させずにいられずに彼は苦しそうだった。しかし、その苦しみも本来彼が抱えなくていいものだった。そう、ハルが冷静でいる限り、彼が抱くその思いはどこまでも虚しいものだった。
「おかしくないよ。なあ、フォルテ、もういいんだよ。俺はこれからこの世界と向き合っていくって決めたんだ。それにもう俺の代わりはいる」
「代わりだとお前の代わりが務まるやつなんかいるはずがないだろ!誰があの雷鳴轟く霧を晴らせる?誰が邪知暴虐の龍が棲みつく山脈ごと消し飛ばせる?なあ、ハル分かるだろ、お前の代わりなんて今後一生現れないんだよ…」
興奮している彼に話が通じるとは思わなかったがハルは淡々と説明することにした。
「俺の代わりは別に何百何千と神獣を殺せなくていい、森を破壊し山を削るような力もいらない。ただ、人々に希望を与えられる存在であればいい。例えその希望が虚構でも人々が明日を生きようと思えればそれでいいんだ。分かるだろ、この世界にはもう俺みたいな存在は必要ないんだ…」
「…………」
いつの間にかフォルテの血の気は引いてハルの話に耳を傾けていた。
「なあ、ハル、俺はお前が黒龍を討伐した時から、お前のことが分からなくなったんだ…」
フォルテはその場に座り込んで、項垂れ、静々と語り始めた。
「普通、人間は地図に載るような山脈を更地に還すことはできない。分かるだろ。みんなお前を覚えている奴はハルだからと納得すると思うが、俺は目が覚めたよ。ハルお前は何者なんだ?どこから来て、この世界をどうするつもりだ?なあ、教えてくれよ、俺は寝ても覚めてもそのことで頭がいっぱいになっちまったんだ…だから、俺に答えをくれよ、ハル…」
疲れ切っているフォルテだった。しかし、もしもそんなことで悩んでいるのだとしたら、やはり、フォルテはただのお人よしだった。
「病弱になっていると思ったら、ずいぶんと俺のことで悩んでいてくれていたみたいだな…」
ハルはフォルテの肩に手を置いた。
「うるせえよ…、さっさと正体を明かせ…化け物が……」
力なくつぶやく彼に、ハルは友人に語り掛けるようないつもの調子で言った。
「フォルテ。俺は、今、お前の言った通り、化け物ってやつで多分合ってる。間違ってない」
もうハルは自分が英雄や剣聖であったことも忘れかけていた。ただ、いまハルの中にあるのは、すぐそこにいるライキルやエウス、ビナやガルナ、ハルの手から零れ落ちなかった残された者たちのためだけに生きていた。その生き方は、愛に生きる化け物だった。
「化け物が人を救うかよ…」
「その化け物はきっと人のことを愛していたんだと思う」
「ライキルとかか?」
「ライキルなんかは特に好き」
そこでライキルを見つめると、彼女は嬉しそうに顔を赤らめては笑っていた。
「なあ、俺は、フォルテが俺のことを覚えていてくれてすごく嬉しかったんだ。大勢の人が俺を忘れてもこうやって覚えていてくれる人たちがいるってこと、それだけですごい救われた気分になったんだ」
「なんだよ、それ…。だったら、忘れた人間に会うたびにお前は傷つくことになるだろが…」
フォルテが不貞腐れながら言うが、ハルは穏やかに続けた。
「今日、ルルクさんと会って分かったんだ。みんなは何も変わってない。変わったのは俺の方なんだって」
「どこまで自分を犠牲にするつもりだ」
「俺は自分を犠牲にしてない。むしろ俺はこれから多くの人を犠牲にするかもしれない…」
「そうか、いいんじゃねえか、お前は化け物なんだろ…?」
フォルテはもうどうでもいいといった感じで、疲れ切っていた。ハルが予想するにきっと彼は最後までハル・シアード・レイという人間が存在していたことを叫んでくれていたんだろう。周りの意見に流されず頭がおかしくなったと言われても彼はハルという人間の存在を肯定し続けてくれていたのだろう。
『だけどもういいんだ。そのハルはもうどこにもいないんだ…』
英雄のハルは消え、元剣聖のハル・シアード・レイも消えた。ここにいるのはただの欲にまみれた薄汚れた人だった。いいや、たまたま人間と同じ皮を被っていただけの、化け物だった。
「あぁ、俺はもうハルでも、ないのかもしれないな…」
そうハルが呟くと、フォルテが小さな声でその言葉にだけは反論を示した。
「お前は、ハルだよ。紛れもないハルその人だ。他の誰でもない……」
その言葉は何よりもハルの心を揺さ振った。
「うん、そうだね、その通りだ…」
それは犯した罪から逃れないようにと自分への戒めとなった。
その後、ルルクとフォルテは女王に挨拶をするために、砦へと戻って行った。ハルとフォルテのやり取りは周りのみんなに改めてハルと同じくらいショックな出来事に映っていたようでしばらく彼らが去った後もみんなその場に立ち尽くし沈黙が続いていた。
ハルはそんなみんなから逃げるように、ルナのいる街に向かって歩き出した。
その時、ハルに声を掛けるものはひとりもいなかった。