古き血脈 乾いた心
ベットの上で目を覚ました。
自分以外誰もいない病室には朝焼けがジワリと傍にあった窓から差し込んでいた。光の感覚に涙ぐんでしまった。
「ああ、そうか……」
ハルは眠ってしまう前のことを思い出した。自らの目を潰し、傍らで化け物の絶叫が鳴り止まない。そんな世界が遠い過去の記憶のようにぼんやりと頭の片隅に残っていた。
状態を起こし視線を起こすと当たり前のようにライキルがハルのベットの横の椅子に座って眠っていた。寝るときはいつも一緒だったが、病人のベットにはさすがに遠慮したのだろうか?彼女とハルは病室で二人きりだった。
しばらく、ハルがライキルの寝顔を見つめていると、彼女が目を覚ました。
「…ハル…ハル!!」
ライキルが椅子から身を乗り出して、ベットにいたハルの前に来て顔を近づけた。まじまじと見つめる彼女にハルは判決を待つかの如く緊張した面持ちでその場にじっとしていた。
「目、見えますか?」
「うん…」
ハルが小さく頷く。ハルの目の前には、ライキルの可愛らしい顔で埋まっていた。
「私のこと人間に見えていますか?」
「見えてる…」
後ろめたさからハルの返事の声は小さかった。
「瞳、元の綺麗な青色に戻ってますよ」
「ほんと…」
「ええ、私のよく知る瞳です」
ハルが目元周りをペタペタと手で触って確認していた。
その間にライキルがハルから離れ、疲れ切った様子で椅子に戻った。そのまま、項垂れて大きなため息をついた。
「怒ってる…?」
ライキルが顔をあげると少し眉間にしわを寄せていたが、その怒りはどうやらハルに向いているものではないように思われた。
「私がハルに怒ることなんて何一つありません」
「ごめん…」
「ハルは何も悪くないです。私、いつも思うんです。あなたの抱えている問題にいつも気づいてあげられないって…」
深刻な顔でライキルは視線を落とし、座ったまま前かがみになって組んだ手を見つめていた。
「それは違う、俺が勝手に抱え込んで来て、みんながそれに巻き込まれてる…だから……」
「ハルが何か問題を抱え込んでる時はいつだって誰かのためです。今回だってそうだったはずです。そうですよね?」
上目遣いで見つめられる。黄色い水晶のような彼女の瞳は憂いを帯びていた。彼女にとって何が最悪なのか、それはハルが伝えることによって大きく変わるのだろう。
「俺は……」
全部話たかった。一から十まで君のためだと伝えたかった。だけど、それで本当に彼女が喜んでくれるかは別だった。最後の結果を迎えた時に、彼女は笑ってくれていると確信はしていた。けれどその道中は見せたくもないもので溢れていた。彼女が知らなくていいこと、見なくていいもの、この世には見るに耐えない穢れが存在していた。あの目もそのひとつだったのかもしれない。そんな穢れに彼女は関わって欲しくなかった。それは自分だけで良かった。もちろん、穢れた自分が彼女に受け入れてもらえるかも心配するところではあったが、そこはもう彼女にゆだねるしかなかった。
それでも、彼女には最後最高の場所、理想郷を用意すると決めていた。
「私、知ってますよ。ハルがずっと無理していること…」
「無理?」
「そうです。ずっと辛かったはずです…だって、ハル……あんなにたくさん、私、聞いたんです。ベッケさんから…」
ハルはそこでライキルが何を言いたいかは察しがついた。ライキルが口を開けたままあと少し言葉に詰まっていた。手助けするようにハルがどうしようもないといった顔で笑った。
「聞いたんだ。やっぱり…」
「ごめんなさい…」
「ライキルこそ謝ることなんて何もないよ、それは事実だし、それに謝るなら俺の方だよ…俺の手は汚れてる。本当はもうライキルにだって触れちゃダメなはずなんだよ…」
ハルが自分の手のひらを見つめる。自分の手が血に染まっていた。それは穢れだった。
『俺の手は穢れてる…』
けれど、そこにライキルが包み込むように両手で掴むと、自分の真っ赤だった手が強い思い込みによる幻覚だったと悟った。
「汚れてるなんて冗談じゃないです。ハルの手は綺麗です。殺した?ハルは守ったんです。それにハルが選ばなければ、私が選んでました。だから、ハルがいつも私たちの分まで背負ってくれて、私たちはいつもそれを見てるだけなんですよ。私たちが何をしましたか?ハルが戦ってくれている間、私たちがしていたこと知っていますか?
悔しさが混じった怒りは、やはりライキルが自分自身に向けて発している感情であった。
「逃げ回っていただけですよ?ハルが頑張っている時、いつだって私たちは恐ろしいことが過ぎ去るのを待っているだけで何もしない。いつだってそうです。五年前のレイド王国が襲撃されるときも白虎の時も、黒龍の時だって、全部あなたに任せて私は無力で…何もしてあげられなくて…あなたの隣にいていいのかも分からなくなる日があるんです…」
ライキルの瞳からはポロポロと涙が零れ始めていた。
ハルは嬉しかった。彼女がこんなにも自分のためを思って涙まで流してくれていることが、この世界で最後に寄り辺である彼女にここまで思ってもらえていたことが、これだけでハルは救われた気分だったが、彼女にそんなに自分を高く見てもらう必要はなかった。むしろこっちが彼女と一緒にいていいのか悩む日ことが常だった。けれどそのように悩むのは本当に相手のことを思っている証拠でもあった。
ハルが彼女の涙を手で拭ってあげた。
「何もしてない?無力?違う。それは全然違う。俺はライキルが生きてくれているだけで幸せで、毎日、毎日、俺と顔を合わせるといつも笑顔でいてくれて、それで、くだらない話にまで付き合ってくれて、好きな時にハグだってさせてくれる。俺はそんな日常をくれるライキルが大好きで毎日がライキルのおかげで幸せだよ…だから、どんな辛いことがあっても乗り越えられた。俺はずっとライキルに支えられてここまで来た。君がいなかったら、俺は何一つとして乗り越えられなかった…」
ハルもライキルの手を包み込むように握りしめた。
「私、ハルの役に立ってた?」
「ずっと前から、ライキルは俺の支えになってたよ」
力いっぱい口を堅く結んだあと、ライキルの表情が崩れ、安堵からの笑顔を見せた。
「よ、よがっだぁ……私、ハルの傍にいていいんだ……」
ライキルがとめどなく流れ落ちる温かい涙と共に胸をなでおろしていた。
そして、そのまま、ハルの胸に飛び込んできた彼女を優しく抱きしめてあげた。
しかし、こうして彼女と分かり合い距離を縮めるたびに、ハルは心の中には何か違和感のようなものが積もっていくような感じがした。
『なんでこんなにも満たされているのに…』
心は満たされているのにまるで底に穴が開いているかのように、その幸せはすぐに充填されるが落ちていく。
『何かが足りない…』
乾いた心に歯止めが利かず飢え続けていた。