表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元剣聖ハル・シアード・レイの神獣討伐記  作者: 夜て
新世界と古き血脈編
480/781

古き血脈 失明

 綺麗に半分になった二階建ての宿。以前は長い廊下に並んでいた部屋の西側はすべて跡形もなく消し飛び、その廊下を境に東側の部屋だけが無傷だった。そのため、東側の一階の扉の前はすぐ外に出れてしまい、長い廊下などどこにもなかった。二階に関しては廊下が消えてしまったので、扉に入るには梯子を掛けるかして入ることになるのだが、寝ぼけて二階の扉を開けて落下するのが危険ということで、現在、ハルたちが泊まる部屋の二階は誰も使わず、一階に部屋を移していた。


 ルナと別れた後、ハルが一階の自室の扉にノックをしようと、手の甲を扉の前に上げた。

 しかし、その手はぴたりと止まってしまい、それ以上ハルがここで何かをする意志は削がれてしまった。不安があった。もし扉の向こうに化け物に変わったライキルたちがいたら、受け入れられるか…。怖かった。その嫌悪感は自分で我慢できるという程度を遥かに超えていた。

 ハルのそれは、身体に毒を入れて口では大丈夫と言っているようなものであった。実際に毒に侵された身体が拒絶反応を示すのは当然のことであった。熱が出ては、腫れ、痺れ、せき込み、血を吐き出しては、死にたくなるような痛みに襲われる。ハルの発作も同じことだった。人々が突然嫌悪の塊に変わっては、ハルの世界を一変させた。


「どうしよう…もし、ライキルたちも変わってしまっていたら…俺は…」


 いつまでもその扉の向こうの真実を確認できないままでいると、背後から声が掛った。


「あれ…ハル?」


「お!ほんとだぁ!!」


 声がした方向にすぐにハルが振り向くと、そこには夜でも鮮明に輝く金髪をなびかせるライキルと肩の下まで伸びたピンク色のブロンドを揺らすガルナの姿があった。二人ともあの奇襲攻撃以来武装を許された剣と大剣を装備しており、散歩というにはかなり物騒な格好をしていた。


「ライキル…ガルナ……」


 ハルは身震いした。心の準備ができないまま彼女たちに出会って頭が真っ白になってしまった。


「良かったです。無事に帰って来て。待てなくなって外を少し見て回ってたんです…」


 安堵の笑みを浮かべたライキルがハルの手を取った。彼女たちが武装していた意味にも納得がいった。


「ハル!遅いぞ!どこで何してたんだ?ずっと、ハルの帰りを待ってたんだぞ?」


 ガルナが勢いよくハルに飛びつくとそのまましがみついた。そして、彼女は愛猫のように頬と頬を擦り合わせて、甘い声を出す。


「会いたかった…」


「ちょっと、ガルナ、ばっかりずるいですよ!ハル、私にも……ん!?」


 ライキルが握っていた手を見つめた。ハルの手は尋常じゃない量の汗をかいていた。滝のように流れる汗と顔面蒼白のハルに彼女が気づかないわけがなかった。


 だが、そう、すでにこの呪いがハルを人を憎むように誘導しているならば、それはもうきっちりと役割を果たしていた。目の前でいつ化け物に変わるか分からない人たちに対して、ハルの心が安らぐ事が無いということ。

 ガルナの体温の温かさと、いつ変わるのかと身構える不安と不気味さの温度差がハルの一挙一動や表情までもをぎこちなくした。


「ハル、すごい汗ですよ…大丈夫ですか?」


「ああ、うん、大丈夫、それより、ガルナ一旦離れてもらっていいかな?」


「ええ…やだけど…」


 しがみつくガルナが子供っぽく不満そうな顔をしたが、すぐにハルに従って抱き着くのを止めた。


「二人に話したいことがあるから…部屋で話そう」


 ハルが先に誰もいない扉を開けて中に入ると、ライキルとガルナは二人で顔を見合わせていた。


 ***


 部屋に入ったハルは二人に自分が今日体験した、人が化け物に見えることを話した。二人はそのハルの話を真面目に聞いてくれた。けれど、ライキルはハルからその話を聞けば聞くほど顔が青ざめていき、信じたくないという顔をしていた。

 症状はこうだった。誰かと一緒に居ると突然その人の姿が化け物に変わった。化け物は人の形を保っているが、その全身がブヨブヨと気持ちの悪い赤黒い肉の塊に変わり、そして、ハルにだけしか感じ取れない、ヘドロのような悪臭を放ち、ハルにしか聞こえない奇声を発し、とにかく、その化け物に変わってしまった人に対して、ハルは忌避することしかできなかった。

 その化け物はハルにとって無条件で恐ろしい存在であり、見た目や匂いがどうこうではなく、絶対に受け入れられない存在だった。殺すわけにもいかないことは言わずもがなであり、ハルはいま、パニック状態であることに変わりはなかった。


「私のこと、いまどう見えていますか?その化け物じゃないですか?」


「ライキルとガルナ、どっちも、今は普通に見えてる…」


 二人ともいつも通りの人の姿をしていた。だから、ハルはありのままを伝えたがライキルの表情が晴れることはなかった。


「ハルはもし私たちがその化け物に変わったらどうしますか…というより、もし私たちが化け物になったら、どうすればいいですか…」


「俺はライキルやガルナの傍に居たい…たとえみんながそう見えてしまっても……」


 口ではいくらでも彼女たちに気を遣うことができた。しかし、実際に変わったらまず正常でいられる自信はなかった。


「だって、ハルの話を聞いている限りだと、もし私たちが化け物になったら、近づいてすら欲しくないように聞こえたんですけど、そこはどうなんでしょう…」


「それは…」


 脳内に今日起きた出来事の中で、化け物たちに囲まれた瞬間がフラッシュバックすると、ハルはすぐに手を口に当てた。顔色はみるみる悪くなった。


「…大丈夫ですか?」


「うん、大丈夫、何でもない…」


『まずい、本当にどうすればいいんだ…このままだと、ハハッ、マジで人を嫌いになりそうだな…』


 もうここまで来ると、過去の自分がすべて幻想だったのだと言われても納得するしかなかった。ハル・シアード・レイ。人智を超えた巨大な脅威を貫く絶対的な矛であり、人々を理不尽な死から守る絶対的な盾だった。それがいまでは人が化け物に見えるなど冗談にも程があった。人が人に見えないなどの異端者というより、そう、化け物はどう考えてもハルの方だった。人を殺すことに躊躇しなくなったのもそのせいだと、言い訳も成立した。結局のところハルは自分が正常である自覚が欲しかっただけであった。


『ライキルを嫌いになったら、俺は存在する価値があるのか?ああ、無いな…そうなったら死んでもいい……』


 ハルの心の中にある種の過激な思想が芽生え始めていた。


「これからはなるべく人に会わない方がいいってことですよね?その症状が治るまでは…」


「そうかもしれない。だけどその前にこの症状がどうやったら発症するか確認もしなくちゃいけない…」


「それもそうですね。ただ、どうやって確認するかですよね…」


「ひとつ試したいことがある…」


「何ですか?」


 ハルが首を傾げているライキルの傍に近寄った。そこでライキルがこれからハルが何をするか全く分からないといった顔でただ微笑んでいた。そこで不意打ちのようにハルは彼女にキスをした。


「!?」


 ライキルは目を丸くしていたが、そんな呆然とした表情とは反対に、彼女はすかさずハルをそのまま逃がさないように背中に手を回していた。一回目のキスが終わるとハルとライキルは見つめ合っていた。お互いの興奮した熱い吐息が相手の唇にかかる。そこにはもう二人だけの世界が完成していた。


「これが試したいことですか?」


「この続きも試したいんだけど…」


「もちろん、いいですよ、試しましょう。だけど、途中で変わったら…」


「その時は、我慢する。ライキルを満足させるまでは…」


 そうしてライキルと実験も兼ねた行為を始めようとした時。ガルナがそっとその場から立ち去ろうとしていたのを見たハルが、彼女の腕を掴んだ。


「どこ行くの?」


「え!?ああ…だってハルとライキルは、その…いまから……えっと、ほら……」


 ハルが彼女の腕を引っ張り、自分の前に強引に座らせると、そのままライキルにもしたように彼女の唇にも同じだけキスをした。


 それだけで彼女の表情はバターのようにとろけ、すっかりその気になっていた。


「実験に付き合ってくれる?」


「わ、分かった、協力する!」


 ハルはそのまま、夜が明けるまで、彼女たちと身体を交わした。幸いなことにその日彼女たちが肉人形に変わることはなかった。


 ***


 行為が終わる頃にはすっかり夜が明けていた。三人で一枚の毛布に包まり部屋の壁に寄りかかっていた。ハルの左隣にいたガルナはすっかり眠ってしまっていた。右隣にいたライキルだけは、行為の余韻に浸っては、ハルを愛おしく見つめていた。


「ハル、いま私が化け物に見えますか?」


「見えてない…」


「良かった」


 ライキルが首を傾け彼女の頭がハルの肩に乗った。


「ねえ、ハル」


「なに…」


「もし、私が化け物になったら嫌いになっていいですからね?」


「ハハッ、そう言われると絶対嫌いになれないかな」


 いまここにある幸せを噛みしめるように笑った。


「私はハルのことを一番に思っています。できるだけ、私はハルのお荷物になりたくないんです。あなたの幸せの障害になりたくない…だから、ハルが私から離れて幸せになれるなら…」


 そこまで言うとハルが彼女の言葉を遮った。


「ライキル無しじゃ、幸せになれないよ」


「そう言ってくれるととっても嬉しいです」


 ハルは大きなため息をついた後、部屋の隅を見つめた。窓からは朝の陽ざしが差し込むが、その部屋の隅にその光が当たることはなかった。


「俺は、本当にライキルが大好きだ。君のためにできることをいつも考えてる。君が幸せになれるように、いつもね」


「私はハルが傍にいてくれればそれだけでいいですよ」


「そう言ってもらえるとありがたいけど、今の俺は結構ろくでもない奴なんだけど、いいの?ほら、人間だって化け物に見えるくらいだし…」


 そこでようやくハルはその症状を冗談にすることができた。いまここでライキルが化け物に変わってしまうのは怖かったけれど、それ以上に、彼女と愛し合えたことが嬉しかった。


「なんていうか俺の目は腐ってるよ…」


 そう吐き捨てると、ライキルが毛布から手を出してハルの顔を掴んだ。彼女が自分の方にハルの顔を向けてじっとこちらを覗き込んでいた。


「どうした?」


「ハルは自分で気づいてましたか?ハルの瞳の色が変わったこと」


「え?」


「ハルの瞳って綺麗な青でしたよね?でも、今は真っ黒なんですよ…」


 自分の瞳の色くらいは把握していた。しかし、そんなことがあり得るのか?とも思ったが、ライキルがここで嘘をつく理由も無かった。


「それって何か関係あるのかな?」


 彼女が知るはずもなかったが、ハルもそう尋ねずにはいられなかった。


「分からないですけど、一度、医師に診てもらった方がいいかもしれません」


「そうするよ…でも、安心した、ライキルは変わってな…………」


 ハルの暗き瞳が映すものに例外は無かった。


 どれだけ相手を愛そうがそれが人である以上は、誰もが化け物に映った。


 ライキルの半身がどろどろと溶けた肉で構成され、それはもう見るもおぞましい姿になっていた。


「………」


「どうかしましたか?」


 やがてハルの頬を支えていた彼女の両手も不気味な赤黒いぬらぬらした肉の手に変わっては、ハルの神経を一気にすり減らした。そして、ライキルの顔がみるみる醜い姿に変わっていくのを目の当たりにしたハルは、その場に卒倒しそうになった。


「ハル?」


 しかし、その時だった。ふいにハルは思った。


『だから、何だ?』


 それは純粋な怒りだった。ハルは心の底から怒り狂っていた。まさにこんな理不尽に対する怒りだった。その怒りの矛先は当然自分に向けられた。


『なんでライキルまで失わなくちゃいけないんだ?』


 ハルはここに来てから随分と精神をすり減らしていた。自分が忘れられていること。沢山の人を自らの手で殺してしまったこと。ルナが英雄になり、自分が何者でもなくなったこと。人が化け物に見えるようになったこと。


 そして、ライキルまでもがその呪いから逃れられなかったこと。


 この時から着実にハルは狂い始めていた。その証拠に彼はそこで信じられない行動を取った。


『こんな腐った目なんかいるかよ…』


 ハルは自分の両目に両手を当てて、そのまま力の限り握りつぶした。眼球はハルの手の圧でぐちゃりと同時に潰れ、大量に血をあたりにまき散らした。愛する人を正しく見れない目など不要だった。ハルは光を失った。


 その血が目の前にいたライキルだった化け物の顔にかかると、その化け物は大きな奇声を上げた。


「があががあああががああああああぎゃがやあああああああががあああああぐぐああああ」


 きっとそれはライキルの悲鳴か何かだったのだろうが、ハルにはもう彼女の言葉が正しく聞き取れない耳になっていた。だから、ただ淡々と彼女に言葉をかけ続けることにした。幸い自分の口は動き意志は伝えられた。彼女に届いていればいいと思った。


「ライキル、愛してる。大好きなんだ。例え君がどんなに変わってしまっても…」


 視界は真っ暗になったが、それでもハルは目の前にいたはずの彼女を抱きしめ続けた。肌に触れた感覚はやはり最悪で、匂いもライキルの匂いとは似ても似つかない醜悪なものに変わり果ててしまっていたが、気にしなかった。ハルは彼女に愛だけを囁き続けた。


「俺が君を嫌いになるくらいなら、ここで死んでもいい、それくらい愛してるんだ…」


 腕の中の化け物は喚き暴れていた。そんな化け物をハルはずっと優しく抱きしめていた。

 光が届かなくなった深淵で、浮かび上がってくるイメージはライキルの笑顔だけだった。


「ぐぎゃがああああぎゃああああぐううううあああああああいいがががががあああああ」


「ごめん、もう少しだけこうさせて欲しい…」


 ハルの両目から大量の血が流れる。しかし、ハルは変わらず、その化け物のことを抱きしめ続けていた。化け物が必死にハルの腕から逃れようとしていた。奇声をあげて泣き叫んでいるのが何となく分かった。


「大丈夫だよ、安心して、一緒に居よう…」


 かつて英雄だった青年の心はすでに病んでいた。そこに唯一の希望を失いかけて壊れないわけがなかった。


 自分の腐った両目を潰す。これはハルがいまここで示せるライキルに対しての最高の愛情表現だった。


 真っ暗闇で君の笑顔を見た。


 ハルは愛を囁き、化け物は泣き叫んでいた。



 *** *** ***



 彼にはまだ彼自身にも知らない秘密があった。


 失った夢に答えを求めようにももう彼はあの夢も見れない。


 そして、自ら消してしまった記憶を思い出すことすらできない。


 その記憶で微笑む彼女を思い出すこともない…。


 そんな彼が人を憎む世界を映し出す暗き瞳を潰してしまうことは必然であった。


 だが、青年が己に宿ったその瞳の意味を知った時、彼はまだ正気でいられるだろうか?


 なぜ、人を憎むように仕向けられるのか?


 愛情深い彼がなぜ、人を殺せる心を持つことができたのか…。


 しかし、その答えに辿り着くまでにはまだ時間が残されていた。



 *** *** ***

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ