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元剣聖ハル・シアード・レイの神獣討伐記  作者: 夜て
新世界と古き血脈編
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古き血脈 夜のせい

 避難民たちのテントが無数に広がるキャンプ場を後にした。背中にはキャンプ場で灯るテントから漏れた明かりで寂しく照らされていた。ハルはそのまま瓦礫と化した街に向かって歩き出した。ゆらゆらと粉雪が降り注ぐ。結界で気温は調整しているためさほど寒さは感じなかったが、さすがに雪のような物質まではじく結界を構築はしていないようだった。そのような結界を構築するとなると、途端に結界を作る難しさは跳ね上がってしまうため、それなりの魔法道具などを用意しなければならないらしいのだが、詳しくは知らなかった。


 復興拠点の廃墟の街。翼をもったエルフが奇襲を仕掛けてきたことによって生み出された光景がそこには広がっていた。復興中だったところをねらわれたため、建設途中で廃墟になった建物も多い。廃墟になる前、短期間で作り上げられた街にしてはそれはここは本当に見事なものだった。最初にここに訪れた時、ハルは人々の団結力に圧倒させられた。

 もともとは森だったことで資源はたくさんあった。そこにエルフたちの知識と魔法が加わった。生木たちはみるみる炎魔法で乾燥させられ使える木材となり、風魔法は瞬く間に材料を加工するための工具に変わった。土魔法を使えるごくわずかの人々は建物が立つ土地を均し、水魔法は大量の土と混ぜられ土壁の材料となった。人々の生活圏が広がりつつあり、ささやかな居住の安定が約束されるはずだった。だが、人々の努力もたったひとりの悪意によって灰にされ土に還されてしまうのならば、心が折れても無理はなかった。大量のログハウスは灰となり、土で固められた壁は瓦礫となった。人でも多かったため、すでに小さな街ほどの規模があったのに、それも九割は土に還ってしまっていた。


 瓦礫の街にはいまだに死臭と死体の一部が時折転がっていた。ハルはその一部を見つけるたびに心が痛んだ。しかし、ハルが心を痛める権利など有していないことは明らかだった。


「なんで、逃げ出してきたんだよ…せっかく、新しい…友が………」


 瓦礫の街の中で、ハルはひとり、雪に振られながら立ち尽くし、顔を手で覆った。まるでいまここにいる自分が現実ではないかのように、力強く顔を手で掴み歪ませた。


 強い拒絶反応がハルを襲った。


「……うッ…………」


 やがて、強い嫌悪感と吐き気が込み上げてくると、激しくむせると同時にハルはその場に崩れ落ち、胃の中にあったものを吐き出してしまった。


「なん…だよ………ハァ……ハァ………」


 月も隠れてしまった暗い夜に、ハルはひとり、得体の知れない気持ち悪さに苛まれていた。


『俺は変わってしまったのか……』


 強い拒絶反応が出たのはロップが口にした言葉だった。人と人が分かり合える。ハルの中でその意味が吐き気を催すほど気持ち悪く感じ、体の内に侵入してはあちこちに反射するように落ちやがて、自分の中でその言葉を酷く嘲笑する者が現れるとハルは、テントを飛び出していた。

 それからだった。彼等の声が聞くに堪えないものになったのは。彼らが話している言葉の意味は理解できた。しかし、彼らの声を聞くたびに、まるで自分の体の中に他人の吐瀉物をぶちまけられているような、最悪の気分だった。そんな嫌悪感を抱く中、懸命に会話に不自然がないようにつなげていた。あの時はもう人と話しているという感覚は一切なかった。けれどそれでも彼らが善良であることを知っていたから、その場から礼儀正しく足早に去ったのだ。


『気持ち悪い…気持ち悪い……気持ち悪い………』


 ただ気持ち悪さがそこにはあった。人に対する気持ち悪さがあった。同じ人間でありながら

 ハルは人間という生き物に対して、当たり前のように不快感と嫌悪感を抱くようになってしまっていた。話したくない、触れて欲しくない、見たくもなければ、近寄りたくもなくなっていた。


「帰らなきゃ…」


 ハルは砦を目指すことにした。


「会いたい…」


 だが数歩先へ歩いたところで彼の目に、数人の人影が映った。瓦礫の山の中、人々は今日配られた食料のパンを食べながら、火をおこし、仲間たちと会話を楽しんでいた。

 その焚火による小さな明かりと人の集まりは、遠くでちらほら見えた。さらには崩れかけた壁が無く支柱だけで屋根を支えている建物の中でも、焚火を起こし、休息をとっている人たちがいた。街にもキャンプ場にも居場所がない人たちが少しでもマシな場所を選んだ結果が、この崩れかけた建物の中だったのかもしれない。彼等はみんな今日支給された食料を分け合いながら楽しそうに粉雪がパラパラ降る夜を満喫していた。


「うっ…」


 しかし、ハルの瞳には、そんな彼らの姿が反吐が出るほど気持ちの悪い肉の化け物に見えていた。

 焚火の炎に一瞬照らしだされたその化け物たちは、人間の形は保っていた。しかし、その身体は不定形の黒い肉の塊で埋め尽くされ顔すらなかった。ぬめぬめとした醜悪でいびつな造形を保ち、ハルの目の奥に像を結んでいた。

 そして何よりハルは、そんな彼らのありとあらゆる行為に嫌悪感を覚えた。食べ物を咀嚼する音はやけに大きくそして汚く聞こえ、何気ない会話はすべて耳障りな騒音に変わった。彼らが集まった時の嫌悪感は見るに耐えず、近づこうものなら吐き気が襲ってきた。


 夜のしわざだと思いたかった。実際のものとは違ったものを見せた。それは錯覚であったり、本人が闇の余白に想像した狂気だったり、認めるべきものを認めなかったために、夜は誇張的な解釈を人間にばらまいた。だから、物静かな野犬が狼に見え、木の実しか食べない鳥が人を食らう怪鳥になった。暗闇は常に人々に恐怖と混乱を与えて来た。だから、ハルはこれを夜の錯覚だと信じたかった。


 だが、遠くから彼らの姿を見ても、化け物に変わりはなかった。


『何がどうなってる…』


 目をこすってみるが、景色は変わらない。そこにいるのは確かに人のはずでそれ以外ありえないのだが、そこにはゲラゲラと下品な汚い声と悪臭をまき散らす化け物たちに変わりはなかった。


「おかしい…こんなのおかしい…ありえない!!」


 目に映る世界が、こんなにも汚れているはずがない。自分のいた世界が未知の化け物たちの住処となっていた。


「おかしい……こんなの絶対ありえない………」


 ハルはその場にうずくまって、自分の狂気を否定しようとした。世界が変わってしまうより自分がおかしくなったことを真っ先に疑った。その方が現実味があった。


「この目がおかしいのか…この目が……」


 狂気は人から選択肢を奪う。その一方的すぎる思考は他の見解を認めない。異形の者を映し続ける自らの瞳にハルは手を伸ばした。


 その時だった。


「大丈夫ですか?」


 ハルが顔をあげると目の前に、複数の化け物が現れた。思考が止まった。人間の言葉を話す化け物たちがぞろぞろとハルの前にいた。ぞわぞわと体が気持ち悪さで震えた。


「あの、こんなところに居たら風邪ひきますよ…?」


 優しい言葉がかけられる。ハルの顔から血の気が引いた。


「兄ちゃん、大丈夫か?顔色悪いぞ?」


「なあ、この人火に当てた方がいいんじゃないか?すごく寒そうだよ」


「そうね、そうするべきね」


「こっちに来なよ、暖かいスープもあるし、こんないい夜に一人は寂しいだろ?」


 ハルの周りに大勢の人のようなものがたくさん寄って来ていた。その人たちはハルを助けてあげようとしていた。そこにいる誰もがハルを孤独から救ってあげようと善意を持って接していた。

 だが、それほどハルを苦しめるものは無かった。

 限界を迎えた。


「うおおええええええええええええええええええ」


 ハルは彼らの前で胃の中の者を全部出しきってしまった。周りにいた人々がとっさにハルから距離を取った。

 ハルの視界には醜いものしか映らず、その化け物たちから漂う匂いは強烈で、吐くのも当然だった。


「大丈夫ですか……」


 その場にいたひとりの雌と思われる怪物が、吐いたハルに近づこうとした時だった。


「待て、不用意に近づくな、どんな感染症を持っているか分からん」


 雄の化け物がその雌を手で止めた。


「だけど、彼、辛そうですよ」


「ここは一旦、白魔導士を呼んで来た方がいい…」


「待て、待て、白魔導士なんて砦にしかいないぞ?」


 他の雄が、その引き留めた雄に向かって言った。


「俺たちのような一般市民のために街に下りてくるわけないだろ…」


「じゃあ、どうするんだ。こいつをこのまま放置するのか?」


「そんなわけないだろ、だったら、まずは彼を清潔にした方がいい…」


「清潔たって…清潔にするものがないだろ……」


 彼らがハルの処置に対して意見交換をしている間、ハルの気分は悪化の一途をたどっていた。動悸に眩暈、息苦しくまでなり、足に力が入らず立ち上がることすら困難になっていた。


「ねえ、ちょっとお父さん、彼苦しそうよ」


「待て、だから、触るんじゃない、お前は離れていなさい、彼は私たちが処置するから、戻っていないさい」


 思考すらままならないハルは、化け物に家族がいるのかと思った。


「もう、お父さんたちじゃ、埒が明かないわ!私が砦に彼を連れて行く」


 大人の化け物たちがまた考え込んでいると、その娘が大人の意見を無視して勇敢な行動に出た。

 その雌の化け物手がハルに肩に触れた。その触れたところを中心にぞわりと鳥肌が立ち、耐えられなくなったハルはその雌の手から身を避けた。


「大丈夫よ、私があなたを連れてってあげるわ」


「おい、こら、ダメだといっただろ!!」


「うるさい、お父さんは黙ってて…!!ほら、もう大丈夫よ」


 そうして、もう一度その雌がハルに触れようとした時だった。


「お前ら、何してんだ?」


 汚物が詰まったような汚い音しか聞こえていなかったハルが、そこでようやく心地よい声を聞いた。それだけで、ハルの動悸は収まり、幾分か落ち着きを取り戻した。そして、顔をあげるとそこには、黒髪の少女が立っていた。


「ルナ…」


 彼女の紅い瞳が化け物たちを、きつく睨みつけていた。


 現れた希望に手を伸ばすと、すぐさまルナが手を取って肩を貸してくれた。汚れていた口元も彼女はすぐに自らの服でふき取って綺麗にしてくれた。


「ごめん…」


「全然、いいのよ。それよりハル、こいつらに何かされた?」


 ルナが周りの化け物たちを睥睨した。雌の化け物が彼女のあまりにも鋭い眼光に怯んでいた。


「違う。だけど、ルナ、ひとつ命令。こいつらを全員追い払って欲しい…」


 疲弊しきったハルが絞り出した願いは、暖かく迎え入れようとしてくれた人たちに対しての手痛い仕打ちだった。


「分かった」


 ルナが立ち上がると、周りの化け物たちに言った。


「お前ら、この場から全員今すぐ消えろ」


 ハルがそこでルナの顔を見た。あからさまに不機嫌な彼女がいた。しかしそれだけだった。


 ルナの吐いた理不尽な言葉は、優しさを携えて寄って来た化け物、いや、人々の反感を買う態度だった。


「待ちな、嬢ちゃん、俺たちは別に彼に危害を加えたわけじゃない。こんな瓦礫の街でひとりで奇声をあげて、倒れこんでたんだから心配して声を掛けてあげたんだ。なあ、みんな?そうだったよな?」


 娘のいるリーダー格の父親のエルフがそう周りに声を掛けると、賛成の声が全員から上がった。特に彼の娘は力強くうなずき、先ほど怯えていた表情も消え、大人数の力を借りて強気に出ていた。


「そうよ、あなたたちは人様の好意を無下にする気なの?」


「お前ら聞こえなかったのか?今すぐこの場から消えろ」


 ルナがあたりにいた人たちに同じ言葉を繰り返した。するとやはり、彼らは納得がいかないのか言葉を返してきた。


「なあ、それは無いんじゃないか?それにあんたよりも先に我々が彼の面倒を見ていたんだぞ?」


 自分たちが良かれと思ってしたことに彼等は憤慨していた。しかし、ルナからすればそんなこと知ったことではなかった。


「面倒見てただ?彼の口を拭いたのは誰だ?私だ。ごちゃごちゃ言ってないで全員私たちの視界から消えろよ」


「あなたね、私は彼が具合が悪そうだったから砦まで連れて行ってあげようと…」


 そこでルナがどぎつい言葉で口を挟んだ。


「おい、うちの旦那に色目使ってんじゃねえぞ!てめぇから死ぬか!?」


 ルナがため込んでいた神威を一気に解き放った。濃厚な神威が耐性の無い人々の意識を軽々と狩っていった。ハルとルナ以外の人間が地に伏せる。バタバタと倒れた人間たちを見て満足気に微笑んだ彼女はハルに肩を貸して歩き出した。


「どうしたんですか?気分でも悪いんですか?」


「人気の無いところに行ってくれ…いますぐに……」


「それってまさか…へへ、いいんですか?」


 美人な彼女にそぐわない下卑た笑い声と舌なめずりを気にも留めずに、ハルは彼女に急ぐように言った。


「早く…ここに居たくないんだ…」


「分かりました!このルナがあなたを人気の無い場所に連れて行ってあげますよ!」


 ルナがハルを抱きかかえると、三つの光のリングが夜の闇を照らした。排出される赤い光が彼女の身体を持ち上げる。するとそのまま宙に舞い上がり、ルナは近くの森の中を目指して飛び去った。ちらほら振る粉雪を蹴散らし、ルナは全速力でハルと二人だけになる場所を探した。


 ハルは彼女の腕に抱かれている間。地上を見下ろすと、化け物たちが地面に這いつくばっているのが見えた。しかし、それが化け物ではなく人であることをルナを通して理解していた。もしも、彼らが化け物だった。たぶん、ルナは有無を言わさず、真っ先に彼等を殺したはずだった。そんな彼女が落ち着いて対話までしていたとなると、やはり、おかしいのは彼らなのではなく、ハル自身のというところまでは分かった。


 やがて、ハルが抱きかかえられれていると、ルナの声が掛った。


「白魔法かけておきますね。体十分に回復させておいてください。長い夜が待ってますからね…えへへへ」


 白い光がハルを包み込んだ。それだけで気分が良くなった。そして、その白い光に照らし出されたルナだけは、あの地上にいた化け物たちとはかけ離れた普段通り人の姿をしていた。ハルはその安堵からかふいに彼女の頬に手を伸ばし、彼女が本当に人間なのか確かめた。


「ひゃう!」


「ルナはルナだ…」


「フフッ、もう気が早いですね!ハルは。えっと、どこかにいい場所はないかなぁ…あ!?あそこでいいかしら?ずいぶん離れたから大丈夫でしょう!」


 ルナがハルを抱えたまま、瓦礫の街から少し離れた森の開けた場所に急降下していった。空から地上に降りながらルナが言った。


「さあ、ハル楽しみましょう、二人だけの時間を!」


 彼女の欲にまみれたみっともない笑顔を横目に、ハルはただルナがルナであったことに安堵していた。


『変わってなくて良かった…』

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