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元剣聖ハル・シアード・レイの神獣討伐記  作者: 夜て
新世界と古き血脈編
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古き血脈 例え落ちたとしても

 深くローブを被ったハルは、人々の大歓声で溢れる街の中央を避けて、まだ崩壊した建物のなどが残る瓦礫の山を通って、街から砦へと移動していた。

 すれ違う人たちが、街の中央に吸い寄せられていく。きっと、空腹を満たすために走っていたのだろう。彼らの瞳は希望に満ちていた。それか、今頃、民衆の心を掴んで離さない英雄の噂でも聞きつけ、その姿を一目見ようとしているのだろうか?

 そのように、ハルとすれ違う人たちは皆、希望に満ちた表情を宿していた。


 一方、砦に向かうハルはどうか?今ではすっかりみんなに忘れ去られ、ハルという存在はとっくに忘れ去られていた。

 この復興拠点の砦にいる、スフィア王国の女王ジェニメアでさえ、もうハル・シアード・レイという人物に対して興味関心を失い。いまではルナ・ホーテン・イグニカに注目していた。


 そのため、ハルの立場はますます光を浴びることがなくなった。


 街の中央でルナの姿を見た。彼女は民衆と対話し、希望を放っていた。それはハルにかつてのレイド王国での自分の姿を連想させた。人々に希望と救いを与え、大量の愛と感謝を浴びる。それが当たり前となったハルが人を好きになるのはごく当たり前のことであった。

 それに周りには、ライキル、エウス、キャミルなど信頼できるたくさんの仲間たちもいた。

 ハルの周りにはいつだって人々の愛で溢れていた。


 それがいまでは、どうか?すれ違う人たちがハルに気づかないのは当然として、彼を知る者ももう限られていた。


 かつての大英雄は存在事消滅してしまい人々の記憶に残らず、唯一覚えてくれている人たちだけが、ハルの希望だった。


 その希望は小さく脆く少ない。


 神威というものを習得すれば、ハルへの記憶が蘇る可能性があるようなのだが、いまから誰かの記憶に干渉するのは億劫だった。ハルを忘れた人たちにはもう、彼らの世界があり、それにハル・シアード・レイを思い出したところで、きっとこれからはもう失望しか待っていないと考えると、無理やり、思い出させる気はハルには一切なかった。


 変わってしまったのだ。それは人々を助けるためだったのかもしれない。ハルが自分を犠牲にしてでも、この世界から理不尽な存在を消したい、その一心で戦ってきた。

 だが、その結果得たものは、自己の存在消滅と多分他にも何か大切なものを失っているのだろうが、それすら思い出せず、消滅してしまっていた。

 レイド王国の王都を二度も守り、四大神獣白虎、黒龍と大災害級の獣を討伐して、ハルは得たものよりも失ったものの方が大きかった。


 だから、ハルはいま自分の手元にあるものを大切にしたかった。自分の存在を見出すには彼らが必要不可欠だった。それは普通の人が思っている以上に、いまのハルには寄り添ってくれる人が必要だった。


 そう、だから、いまみんなといられる時間が、とてもかけがえのないものということを、ハルはよく理解していた。


 しかし、ハルの足はそこで止まった。


『戻れない…』


 けれど、ハルはこの日砦に戻ったのは深夜を回ったころになるのは、自分でも予想をしないことだった。


『戻っちゃいけない…』


 ハルは砦に行くことを止めていた。振り返り再び希望が集う、街へと繰り出した。

 心残りがあった。

 自分がもう表舞台に立つ人間ではなくなったことを改めて、群衆の中に身をさらすことで自覚しなければならなかった。

 それはハルにとって大事なことだった。これからハルが進もうとしている道には非情な選択でも迷わず選べる人間性を備えていなければならず、英雄という大衆と密接に関わる立場ではもう無かった。みんなが望むような自分でいる必要もなく。ただ自らのために、犠牲をいくら払ってでも、目的を達成遂行することだけが何よりも重視されることだった。


 ハルは、フードを深く被ったまま、英雄の噂でもちきりの街を歩いた。街の中央に戻れば戻るほど、ルナの英雄の話で持ち切りだった。


 ルナのいる街の中央広場から少し離れた街道があった。ハルは路地からその街道沿いに飛び出そうとした。けれど、ハルが路地に伸びる強い影の中から一歩先に出ることはできなかった。路地から出られないハルは立ち止まり、その場にしゃがみ込みこんだ。横目に視線をあげると、その先には光に溢れた街道に大勢の人たちが集まっていた。影の中から、その光景をしばらく意味もなく眺めていた。


 その街道を通る荷馬車の行列でさえも、物資を求める人々で溢れかえっていた。荷馬車は護衛たちに固く守られており、御者らしき男と騎士数人が協力して荷馬車の物資を、市民たちに配っていた。


「みんな辛抱強いんだな…」


 この非常時に人間の本性が出るという可能性も捨てきれなかった。そのため、荷馬車一台一台に複数人の護衛をつけていたのだろう。だが、スフィア王国の民たちにいまさらそんな元気が残っているはずがなかった。そのため、我先にとなるところでもみんな律儀に長い列を作って食料を配られるのを待っていた。


 ハルはそんな群衆を路地の日陰で座り込んで、横目に見つめていた。


 荷馬車から食べ物を受け取った人たちはみんな、感謝を述べては笑顔を浮かべてそれはもう幸せそうだった。ただ、幸せを手に入れたからではない、絶望からマシになったから笑っていたのだろう。ハルはその笑顔を幸せと呼ぶことはなかった。

 幸せとは絶望から程遠いところにあるべきものであるという考えがハルにはあった。それは一輪の花のように一度大輪を咲かせた後、ゆっくりとただ朽ちて土に還るような。後世に残すものなど無くても、ただ生きているうちに花をゆっくりと咲かせられるだけの時間と、適度な雨、優しい陽だまりが繰り返し続くことが、ハルが思い描く何よりの幸せだった。

 そんな未来を創るためにハルは誰かの絶望になると決めていた。例え英雄と真逆の立場に立つことになったとしても、これから先自分に影が落ち続ける人生であったとしても、みんなのいる場所が光に溢れていて欲しかった。


 ハルが切に願うことはただそれだけだった。


「………?」


 そこに、ハルのいる路地に向かって歩いてくる二人の男女がいることに気づいた。物資を受け取って来たばかりのエルフと人族の異種族の間柄。二人は友人か恋人か?何にせよハルにとってはどうでも良かったが、その二人が、ハルのいる路地の方に迫っていた。


「ねえ、いま例のあの翼の悪魔を追い払ってくれた英雄様が街の中央で演説してるんだってよ、一目見に広場に行ってみない?」


 茶髪の男がそういうと、金髪の女のエルフが呆れた顔で言った。


「そんなことより、もう一度並んで明日と明後日の分をもらって来ることの方が先でしょ?」


「いま見に行かなきゃ、もう英雄様が街に下りて来てくれないかもしれないんだよ?俺たちの命の恩人なんだよぉ?」


「もう、子供じゃないんだから、さっさとこの食料をテントに置いてもう一回並ぶよ」


「ちぇ、見たかったな、どんな姿をしてるのかな…英雄様は……」


 その男女二人が、ハルの前を通り過ぎるとき、ハルは視線を下に落として、道端の石のようにじっと身を固めて、彼らが去るのを待った。あまりこんな姿を見られたくはなかったが、どうにも自分が酷く落ち込みみじめな気分になっていることに気づいた時には、もう手を差し伸べられていた。


「あの、大丈夫ですか?」


「………」


「これ良かったらどうですか?」


 茶髪の青年がハルの前でしゃがんで、差し出してくれたのは、パンがたくさん詰まった袋だった。


「ちょっと、ロップそれは私たちの…」


「お兄さんもお腹すいたでしょ?これ良かったら持って行ってください!」


 ハルが視線をあげると、そこには人の心を底から温めてくれるような本物の天使のような笑顔を浮かべる青年の姿があった。


「ここに置いておきますね!」


 そう言った青年は、ハルに向かって親指立てて肯定的なサインを送ると、もったいなさそうな顔で諦めきれないエルフの彼女の、腰を掴んで無理やり前を向かせ、二人で歩いて行ってしまった。


「ねえ、ロップ…」


「いいから、行くよ、それにまた並ぶんでしょ?だったら早くそっちの袋おいて来ようよ!」


「あなたって本当に、そういうところ……」


 エルフの彼女は彼の行動に完全に呆れていた。しかし、その呆れは決して軽蔑や不快感からくるものではなく、自分にはない部分に惹かれている人が見せる。羨望からくるものだった。

 彼女の最後の嬉しそうな笑みが、それを裏付けていた。


 そして、もう二人は、振り返ることなく路地を曲がり行ってしまった。


 ハルはしばらく隣に置かれたパンいっぱいの紙袋を見つめていた。

 今の青年から受け取ったものがとても暖かく、それはかつての自分が失ってしまった類の自己犠牲や善意から来る行動だったということだけは即座に理解できた。


「そうか、こんなところにいれば……ハハッ…」


 乾いた笑い声が路地の壁に吸い込まれる。

 かつての大英雄ですら路地でうずくまっていれば、憐みの対象になってしまう。ハルなら、なおさらそうだった。人々を平和を守っていたハル・シアード・レイを知る者などもうごくわずかしかおらず、異国の地ともなれば当然の結果だった。大陸中に知れ渡っていた名前も、今では、その名を名乗れば詐欺師と言われても否定はできない。

 現実に存在する真実はいつだって多数決で歪められ、見る人の主観や角度で変わってしまうまがい物だった。だから、他人に強要するつもりもなければ、こだわる必要もなかった。自分さえ覚えていればそこにハル・シアード・レイはちゃんといた。例えそれが過去になったとしても、ハルが、ハル・シアード・レイだった頃を忘れることはなかった。


「俺はもう、そうなんだな…」


 ハルが目を閉じ、自分の中にあった心残りが消えたことを確認すると、パンが詰まった袋を持って駆け出していた。

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