古き血脈 変革
スフィア王国の仮拠点の街に、大所帯のレイド王国の兵士たちが溢れたのは、ちょうど太陽が真上を通り過ぎた頃だった。
街中に活気があふれる。荷馬車に積まれた大量の物資が、レイドの兵士たちから、エルフたちに配られると、住民たちは歓喜と共に兵士たちを迎えた。ありとあらゆる人たちがまず食べ物が詰まった荷馬車に殺到した。未調理のものまでエルフたちが手を伸ばし始めたので、レイドの兵士たちはすぐに炊き出しを行い、簡単なけれどたくさんの具が入った栄養満点のスープを短時間で大量に作り街中の人たちに無償で配り与えた。
人が人を呼び、レイド兵が炊き出しを始めた仮拠点の街の中央には一気に人が殺到した。
奇襲を受けた仮拠点の街は、お祭り騒ぎとなり、人々は美味しいスープを口に、今だけは辛い現実を忘れ、感謝と満腹感に満たされ幸せからくる笑みを浮かべていた。
レイド兵たちが運んできたのは食料だけではなかった。エルフたちでも着られる服を人数分以上用意し、さらには建物を建てるのに必要な建材や、土魔法の使える優秀な魔導士たちも連れており、仮拠点に着くや否や魔法を使い早速街の復興に取り掛かっていた。
このレイドから来た兵士たちは、エルフたちの大きな希望の光となった。そして、その最前線で指示を取っていたのは、ルナ・ホーテン・イグニカだった。
彼女が荷馬車の中から物資を配っていく、人々から目立つ位置で笑顔に振る舞う彼女の姿は、まさに救済の女神であった。多くのエルフたちの目が彼女に釘付けになっていた。
その場にいた誰もかれもが、ルナの健気な献身さと明るい笑顔に魅了されていた。
「皆さん、押さないでください。物資はまだまだたくさんありますから、並んでください」
エルフたちが、彼女の周りにどんどん集まって来る。物資は他の場所でも配っているが、彼女の周りが一番押し寄せる人の数が多かった。レイドの兵士たちも彼女を守るように警備し始めて、瞬く間にルナはこの復興拠点の街で有名人になりかけていた。
ルナが運ばれてきた物資の指揮を執り、彼女自身も直接スフィアの市民たちと関わるように表舞台に上がっているのも、全て命令でやっていることだった。
そして、彼女にはそれだけではない命令がまだ残っていた。
それは物資を配り終わり、人々が幸せに満ちた時だった。一時の幸福に満たされた人々に向かってルナが、魔法で拡張された言葉で人々に語り掛けた。
「スフィア王国の皆さん、聞いてください。今日、ここに物資を運んで来たのはレイド王国の騎士たちです。短い期間で、この危険な土地に多くの物資を運んで来てくれました。まずは彼らを労う意味を込めて、この場を盛大な拍手で満たしたいのです!」
ルナが飛び切りの笑顔と明るさで告げると、目の前で聞いていたひとりのエルフが、彼女の言葉の後に拍手をした。その拍手をきっかけに、瞬く間に街中に響き渡る大きさに成長した労いの音は、人々を笑顔にし、感謝の念で包み込んでいた。
拍手が勢いを衰えると、ルナが口を開く。街の広場は一瞬にして彼女の言葉を聞くために静まり返った。
「ありがとうございます。ただ、私が何よりも本当に労いたいのは、ここにいるスフィア王国の方々に他ならないことを、皆様にお伝えしなければなりません」
スフィア王国のエルフたちの目が、彼女への期待で満ち溢れていた。その期待に応えるように彼女は声高らかに告げる。
「スフィア王国の皆さん!今日この日まで耐え抜いた自分たちに労いの拍手を送りましょう!よく、今日この日まで皆さん頑張りました!!」
今度はルナが率先して拍手をする。先ほどよりも大きな拍手喝采が街中に響き渡った。
その場にいた誰もが、周りにいた人たちのために拍手をしていた。
共に今日という日を迎えられたこと、命があって生きているということ、それだけしかないけれど、確かにここにいる人たちは今を生きていた。
そして、その何もない状態から、希望ある未来に引っ張っていってくれる先導者が必要であった。スフィア王国の人々は、いま漠然とでもいいから誰かにどこかに導いて欲しいことに間違いなかった。
ここではない、希望ある明るい未来へ、導いてくれる先導者。そんな人がいるのか?本来ならば、王族や貴族たちなどがそうだろう。国の中心人物たちが民衆を束ねて困難に国一丸となって立ち向かう。だが、そんなことをみすみす許しはしない。民衆を導くのは決して王や貴族たちだけじゃない。混乱しているいま、ここに王権のような権力など無いに等しかった。
だから、ルナを英雄に仕立てあげた。
民衆の心を掴み、彼女を通して、スフィア王国の民意を手に入れ、実質的に彼女がスフィア王国を意のままに操れるようにするため、王家と合わせて民衆も手にすれば、スフィア王国という、大国ひとつは、ルナという英雄の手の中も同然だった。
これは素晴らしい成果だった。
拍手が止む。しかし、勢いづいていたルナが民衆を歓喜に扇動する。
「今日からあなた方は救われます。ここでもう一切血は流れず、王都は奪還作戦され、自分たちの家に帰る日々が近々必ず来ることを、レイド王国の聖騎士であるこの私、ルナ・ホーテン・イグニカがここに誓います」
群衆が新たな英雄の誕生に歓喜の声を上げた。街は熱狂に包まれ、人々はその熱を彼女に向ける。あたりはお祭り騒ぎであり、ルナの掛け声とともに街中が大きな喝采に包まれる。
そんな盛り上がりを見せた街の広場で、英雄を崇めるエルフたちを横目に、ルナは遠くの路地に目を向けていた。
群衆の奥、フードを深く被り陽の光を拒む、遠くの路地から見守っている彼がいた。騒音とむせ返る人込みの中、ルナは彼にだけ熱い視線を注いだ。
フードの彼がルナの視線に気づくと人目を気にしながら、顔をあげ、微笑み頷いてくれていた。
いますぐにでも彼の元に駆け出したかったルナだったが、最後まで任務を遂行するために、飾り物のような安い英雄を演じ続けた。
けれど、救いを求めていた人々にとって、彼女は紛れもない英雄だった。
ルナからすれば、ここにいる人々の命などどうでもいいのだが、彼女は必死に、今日ここにいた人々に向けて、明るく希望ある言葉や、絶望から這い上がれるような勇気づける言葉を吐き捨て続けた。
彼女には彼女の目的があるのだ。たったひとりの人に認められるために、彼女は偽善者の言葉で民衆を励まし続ける。心にもないがそれでも、彼女は言う。
「みんなが、いまを生きてくれて、私、本当に嬉しい…だから、何度でも伝えさせてください。みんな生きていてくれてありがとう!」
大歓声がルナの耳を打つ。しかし、彼女にとってそんな歓声はただの騒音でしかなかった。それでも彼女は続ける。いつしか聞いたフレーズで。
「私も生きて、みんなに平穏な日々が訪れるまで戦い続けるので、だからどうか、これからも一緒に生きていきましょう。そして、また王都を奪還した暁には、こうしてみんなで祝いませんか?」
長い年月を生きているエルフたちは普段から冷静沈着な者たちが多いのだが、この時はルナの言葉に興奮冷めずに、民衆たちは彼女を祭り上げていた。
そんなルナの虚勢に騙されているとも知らない民衆に彼女は最後の言葉を捧げた。
「命ある限り、私たちがこの世に存在して、生きているということを世界に知らしめましょう!」
レイドからの物資到着は、ルナという英雄を誕生させた。人族の女性が、エルフたちを虜にし、スフィア王国のエルフたちの価値観に変革を与えた。
収まらないスフィアの民衆たちの熱気の中、ルナが再び路地を見たときにはもう彼の姿はなかった。
『最後まで見てて欲しかったのに……』
ルナの顔からあからさまに元気が失われていたが、そんなことを気にする人々は誰ひとりいなかった。
民衆はすでに彼らが信じたいイメージをルナに押し付けては、英雄という存在に縋っていた。
『クソッ、人が多くて、気持ち悪い……』
自分を見上げる群衆に唾を吐きそうになったが、慌てて笑顔に切り替えるルナであった。
『後でたくさん褒めてもらわなくちゃ…』