古き血脈 瓦礫の海であなたを見つけて…
朝が始まり思うことは、失った妻のことだった。
【ダズ・ハサー】は、復興拠点となっていた瓦礫の山となった街で、失った妻の亡骸を探していた。彼にすることはもうそれくらいしか残っていなかった。
朝一番に死体安置所に向かって、燃やされる前の新しい死体を確認した。昼には、集まった亡骸は一斉に燃やされてしまうため、確認が必要であった。
「いないな…」
ダズは破壊つくされた復興途中だった瓦礫の街に向かった。
復興拠点の復興というあまりにも悲惨な出来事が起きてしまっていたのは、数日前の襲撃が原因だった。
突如、現れた翼の生えた天使のような同じ顔のエルフたちが、復興拠点であったこの街を無差別に奇襲を仕掛け、多くの人が命を失った。
ただでさえ、王都からここに来るまでようやく生き延びた人々が、悲しみに包まれながらも希望を抱いて前を向き始めていたところの襲撃であった。そのため、この襲撃で完全に心が折れてしまった者も多かった。
ダズもその一人と言えた。彼は人族であり、エルフではなかった。そんな彼がスフィア王国にいた理由は、靴職人として、王都エアロでお店を開いていたからだった。
ダズは、もともとレイド王国に住んでおり、人族の靴を作って売っていたが、ある日、彼のお店に女性のエルフのお客さんが来ると、私に合う靴を売って欲しいと言われた。もちろん、ダズも彼女にあった靴を選んであげるつもりだった。しかし、エルフたちは人族とは足の大きさが全く違っていたため、その時、店に置いていた靴では、彼女のサイズに合うものが一足も無かった。
ダズは、彼女のために特注で靴を作りたいと申し出た。迷っていた彼女に頼み込んだのは、ダズの靴職人としての誇りがそうさせていたからだった。
*
店を訪れた人に丈夫で長持ちする靴を履いてもらいたいという願いは、ダズが子供の頃にあった出来事が強く影響していた。
子供の頃ダズは裸足で街に飛び出したことがあった。裸足だったため、荒い造りだった石畳で足裏を切って、ケガしてしまった。
その時、近くの靴屋からその様子を見ていた主人が、彼を店に連れて、消毒し包帯を巻いてくれたのが、彼が靴職人を目指そうとしたきっかけだった。
『お前さん、なんで裸足だったんだ?』
『好きで裸足だったわけじゃない…』
子供の頃のダズは、お礼も言わずに擦れた心で言った。
『なんだ、お前さん顔もケガしてるやないか…転んだのか?』
『ちげえ、兄貴に殴られたんだよ…』
そこで靴屋の店主も顔をしかめたが、その後、優しい顔でダズを見た。
『喧嘩か?』
『一方的だよ…』
『兄貴のほかにも誰かいたのか?』
ダズは首を振った。つまりそれは一対一を意味していた。
『じゃあ、喧嘩だな』
店主がそういうと悔しそうにダズは下を向いた。
『だが、そうか、お前さんには家族がいるのか?それは幸せなことだな…』
『幸せ?どこがだよ。兄貴にはいつも殴られるし、母は弟たちの世話で忙しいし、父さんは騎士の仕事で忙しくていつもいない。だから、俺はいつも独りでいなきゃいけない…』
『家族のことは極力大切にした方がいいぞ…なぜだか分かるか?』
店主が救急箱を片付けながら言った。
『知るかよ…』
椅子に座っていたダズは、ささくれ立った態度で答えた。
『お前のこれからを決める重要な人間関係だからだ』
『どういうことだよ…』
『ひとつ、予言してやろう。いいか、お前の兄貴はもう少し大人に近づけば、お前と喧嘩することもなくなり、丸くなるだろう』
『ありえない、兄貴は乱暴者で、俺をすぐ殴る』
ダズは殴られた跡が残る頬を撫でた。
『お前の兄貴、騎士でも目指してるんだろ?違うか?』
『なんで知ってるんだよ…』
『そんなこと、少し考えれば分かる、周りに力を示して自分に自信をつけてるんだろう。子供のやりそうなことだ。そういう子は騎士に憧れてることが多い』
店主が救急箱を棚にしまうと、腰に手を当て堂々とした態度でダズを見下ろした。
『騎士を目指しているなら、そのうちお前の兄貴は家から出て行くだろう。そして、お前さんより下の弟たちともなるとその様子じゃ、まだ赤ん坊なんだろ?その子たちもしっかりと育てば、母親は手も空いてお前のことも見てくれるようになる。それまではお前もしっかり自分の弟を見てやれ、兄のように殴っちゃだめだぞ?あと父親が忙しいのは、時代のせいだから仕方がないと言えるな、最近は、魔獣どもがわんさか人里に下りてきているようだからな…しかし、それもいずれ終わるだろうけど……』
その時の店主はカウンターの奥にあった一足の靴に目をやり遠い目をしていた。しかし、すぐにダズの方を向くと彼は続けた。
『お前さんの悩みは時が解決してくれることばかりだ。その間、好きなだけ自分の人生を生きてみろ、なんだったら、兄貴に仕返しする方法教えてやろうか?』
『できるのか!?そんなことが…』
『ああ、まずはそうだな、靴を履け、丈夫な靴を履くことからだ』
そういうと、店主は近くの棚から子供用の靴を取ってダズに履かせてやった。
『ここにある靴はすべて俺が作った。そして、どんなサイズでもある。お前さんのように道を裸足で歩かずに済むようにな』
『俺、金持ってないぞ』
『金なんかいらん、そんなことより、今からお前にとっておきの蹴り技を伝授するそれで兄貴が殴ってきたら一発その技をお見舞いしてやれ、そして、またここに来て俺にお前の勝利報告を聞かせてくれよ』
そこで数時間ほどその靴屋の店主と、その日はもう閉めてしまった店内で、ひとつの蹴り技を練習した。
夕暮れ前に、ダズは簡単な蹴り技をひとつ覚えて、丈夫な靴を履いて家に帰ることになった。
『俺、必ず、おじさんにいい報告を届けるよ』
『ああ、自分の道は自分で切り開け、少年、未来はいつだって明るいこと忘れるな。この街のようにな』
そういって店主は最後に、ダズに手紙を持たせて、家に帰らせた。
そこから後日譚としては、帰ってから普通に兄貴には負けた。そして、おじさんが渡してくれた手紙は靴をダズにタダで譲ったというサイン入りの証拠の手紙だった。きっと、子供が勝手に盗んで来たと余計な心配をかけないようにとの配慮だったのだろう。
母親とダズは、その靴屋に感謝を言いに行ってから、ダズはよくその靴屋に顔を出すようになった。それが、ダズが靴職人になるきっかけだった。
*
そして、ダズはそのエルフのお客さんのために、靴を作ってあげることになった。彼女はエルフであったが、人族の国に興味があり、留学に来た学生だった。学生と言っても、すでにその時点で彼女の歳は百を超えていた。それでもエルフの中では圧倒的に若く、そして、彼女の外見もまた鮮やかな金髪で若々しく美しさの結晶であった。
だが、ダズはそんな彼女の外見よりも、ただひたすらに彼女に合った靴を作るために必死になる日々が続いた。
彼女がレイドの学院に通いながら、ダズの靴屋に顔を出すことが多くなった。ダズが靴を作っているところを眺めているのが、彼女の日課になっていた。
そして、一か月ほどかかってようやく完成した時には、すでにダズと彼女は、深い仲になっていた。
そこから、ありふれた毎日が続いた。やがて、彼女がレイドから離れるとなった時に、ダズはレイドからスフィア王国に一緒についていくことを決めた。
そして、子供の頃知り合った店主であり、ダズの師匠となってくれたステンとは、その時、そこで別れたのを最後に、彼とは死別してしまった。
五年前に起きたレイド王国神獣襲撃事件によって、店主のステンはその生涯を終えてしまった。ダズが戻った時、家族や友人たちは奇跡的に全員無事であったが、彼だけは唯一犠牲になってしまった。
彼の遺体を安置所で見たときは、言葉を失ってしまった。自分を育て上げてくれた手足は探しきれず、哀れな姿がそこにはあった。傍に妻がいなければ、立ち直ることなど考えられなかった。
だが、そんなことも言っていられないほどの悲劇が今のダズを襲っていた。失った妻の遺体を探すそれがダズの人生最後のやらなければならないことだった。
魔法で破壊された道は整備されておらず、でこぼこで歩きづらかった。ダズは靴を作って来た手で燃えた木の柱をどけ、大量の瓦礫をひとつずつ丁寧にどけていた。道具も何もなく手での作業はこんなだった。
「吹き飛ばされたなら、ここら辺のはずなんだ…」
ダズの手はもう日夜の作業でボロボロだった。崩れた家屋の重い柱や壁をどかすことができず、人手が欲しかったが、彼を支えてくれる人はこの街に誰一人としてもういなかった。
遠くで瓦礫が崩れる音が聞こえた。崩壊した復興拠点の街はまだ至る所で崩れかかった建物があり、危険があたりに潜んでいた。
しかし、そんな中ダズは不思議な光景を見た。
遠くでひとりの青年が巨大な柱をありえないことに片手で持ち上げ軽々とどかし、その柱の下敷きになっていた死体を抱きかかえている姿があった。
誰もが寝静まっている早朝。その青年は黙々と誰も手を付けていなかった危険な崩れかかった建物に入っていき、ひとりで捜索を続けていた。
ダズは、ゆっくりと彼がそっと寝かせた遺体の元に足を進めた。それは今助け出した遺体が自分の妻のものかもしれないという絶望的な希望があったからであった。しかし、ダズがその遺体のもとまで行くと、そのエルフはダズの妻とは別人だった。
「違うか…もしかしたらもう…とっくに焼かれちまったのかも……」
ダズが、遺体の傍でうなだれていると声が掛った。
「大丈夫ですか…?」
顔を上げると、そこにはくすんだ青髪の青年が立っていた。彼はエルフではなく自分と同じ人族であった。そして、彼の腕の中には別のエルフの遺体が抱きかかえられていた。そのエルフも彼の妻とは全くの別人だった。
「ここにいたら危ないですよ…」
青年がそういうと、遺体をもうひとつの遺体の傍に寝かせた。
「この建物にはもう遺体もないので撤去しますから…」
それだけ言うと、ダズの前で再びありえない光景が広がった。
青年が手を翳すと、建物が基礎の地盤からゆっくりと宙に浮かび上がり、その直後一気に圧縮された建物は小さく潰れ、地面に細かな砂利となって、跡形もなくなってしまった。
「あんた、何者なんだ…」
青年が暗い夜のような瞳でダズを見た。だが、彼はその質問に答えずに興味なさそうに黙々と次の建物に向かっては遺体探しを再開していた。
ダズが放心状態で、その場にとどまっていたが、やがてその青年の後を追って、彼の手伝いをし始めた。
崩れかかった危険な建物に入っては遺体を探して、なければ、その建物を不思議な魔法で潰し砂利と屑に戻した。崩壊した建物に対しては、その怪力で次から次へと重たい柱や壁をどかし遺体を次々見つけ出していった。
その日、ダズは、彼に一言も口を聞いてもらえなかった。そして、彼は日が昇って来て、人が増えてくると、見つけ出した遺体を、安置所に持って行き、どこかに消えてしまった。
そうダズが一瞬目を離した時にはもうどこにも彼はいなかった。
「何だったんだ…」
それでも次の日から、ダズはいつも通り死体安置所に寄ってから、街に行くと彼がひとりで作業をしているところに遭遇した。ダズは彼の助手のように着いて回り、黙々と遺体を安置所に運ぶ作業を手伝った。そこには妻の遺体を見つけるという目的もあったが、それと同時になぜ彼がこうして誰にもいない時間に遺体探しをするのか理由が知りたかった。もしかしたら、自分と同じ境遇なのかもしれないと思ってしまったのかもしれない。それほど、彼は虚ろな目をしながらそれでも毎日欠かさず朝には遺体を探していたからだ。
「俺の名前はダズ・ハサーっていうんだ」
けれどそれから四日目のことだった。ダズは早朝よりももっと早い夜中を過ぎたみんなが寝静まって間もないころに松明を持って、街に繰り出した時だった。
瓦礫の海が広がる中、彼はいた。そして、一人で黙々と作業を続けていた。
ダズはその時心底驚いたが、黙って同じように朝まで彼に付き添って、作業の補助をした。
彼の空虚な目でありながらも、その根性に感服したダズは、ダメもとで自己紹介をしてみた。自己開示といっても良かった。誰かに自分の不幸を聞いてもらいたかっただけなのかもしれない。若い彼にこんなことを言うのもあれだが、この時はもうダズは相当参っている状態ではあった。
それでも、何とか最後に彼を希望を見出そうとしていた。
朝焼けが差しこむのもまじかとなった夜明けの時、今日の作業も終わりが近づいて来た頃だった。
ダズは彼に自分の名前を告げていた。
「俺は、王都エアロでは靴職人をしていてな、ここには妻と命からがら逃げて来たんだが…えっと、そのあれだ、数日前の襲撃で逃げる際に妻だけ爆風で吹き飛ばされちまって、多分死んじまったと思うんだ…」
ダズはそこで大人として、その青年の前では何とか虚勢をはり、見栄を張ろうとしていたのだが、限界だった。気が付けば涙があふれて止まらなくなっていた。
「俺は人の波に押されて彼女を助けることができなかった…」
「………」
青年は背中で彼の言葉を聞いていた。
「妻はエルフで、年は離れてたけど、エルフでは百歳はまだ人族でいうと十代、二十代そこらなんだと、だから、まだ全然これからだったんだよ…それなのに俺は彼女を守れなかった…あの時逃げまどう人込みを押し切ってでも戻っていれば……助けられたかもしれないのに……」
「………」
青年は何も言わずただそこで立ち止まって聴いていてはくれた。
「俺はまだまだ彼女のために靴を作るつもりだったんだ…それで、俺が先に爺になって、看取ってもらうつもりだった。エルフは死ぬ直前まで一切老けないらしいから、若い頃のまま俺が彼女に看取ってもらうつもりだった……」
ダズはそこで崩れ落ちていた。
青年はくすんだ青髪を揺らし、崩れかけの建物中に入って行った。
もう立ち上がる力も残っていなかった。目を閉じれば彼女の笑顔があった。けれど目を開ければ、ただ、ただ辛い現実が広がっていた。
『もう無理だ、俺は立ち直れない…これ以上は生きていられない……』
妻を失った彼にはもうこの世界で生きる意味を見出すことができなかった。生きる価値の無い世界で生きるつもりはダズにはもうなかった。
ギギィ…。
不吉な音を耳にしたダズが顔を上げた瞬間だった。青年が入っていた建物が悲鳴をあげ、土砂崩れのように目の前で崩壊した。
「おい!!そんな、おい、大丈夫かぁ!!!」
ダズが崩壊した建物に駆け寄った時だった。崩れたはずの瓦礫が重力を失ったかのように、一気に宙に浮いて、空に打ち上った。そして、空の上で収束し圧縮され潰れると、塵になって空に舞った。
ダズが空を見上げていると目の前には、ひとりのエルフの女性を抱えた青年が立っていた。
「無事だったか…俺はてっきり……っ!?」
ダズはそこで目を見開いて固まってしまった。
「ロラ…」
震えた声でその遺体の女性の名前を呟いた。
青年がそこで、ダズに、そのロラと呼ばれたエルフの遺体を渡した。泣きながら彼が、彼女を抱きかかえる。彼でも持ち上げられたのは、体の至る所が欠損しているからであった。
「もう、会えないかと思った…俺は、君を死なせてしまった……俺はもう……君なしじゃこの世界を生きていけない…………」
彼女を抱きかかえて地べたに座り込むダズは泣き叫んでいた。
「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
絶叫響く街に、朝焼けの陽ざしが差し込む。夜が終わり、青空が広がる冬空にはまだ星々の光が輝いていた。
泣き叫ぶダズの代わりに、青年は他の遺体たちを抱えた。彼をひとり残して、青年は安置所に向かった。
青年が彼に直接かける言葉は無かった。
***
朝焼けが眩しかったが、両手は遺体で塞がっていた。
後ろを振り返ると、ダズと名乗った男が、愛する人の亡骸を抱えて悲痛な叫び声をあげて泣き続けていた。
「なんでこうも世界は理不尽なんだ……彼が何をした?」
両手が塞がっていたハルが、とめどなく流れる自分の涙を拭く手段は何一つなかった。
「なあ、神様ってやつがいるなら答えてくれよ…どうして、俺たちは幸せになれない…?」
ハルは朝日に背を向けた。どこまでも澄んだ空気がいまのハルには邪魔だった。
「どうして、こんな世界を創った?」
愛する人を失った悲痛な彼の叫び声は、街中に響き続ける。
「なあ、黙ってないで、答えてくれよ…」
ハルですらいまは神という存在にすがりつき、答えを示して欲しかった。けれど当然そんな都合よく答えてくれる存在はいなかった。
遺体を抱えながらハルは突き進む。
自分が止まることができないことはもう知っていた。悲劇の中にいる人を見捨ててでも、自分のするべきことをしに、ハルは安置所を目指した。
「俺たちはいつ幸せになれるんだ…」
光を背に瓦礫の海をハルは進み続けた。
その日の朝に、大切な人を失った者の絶叫が止むことはなかった。