古き血脈 貪欲
孤独が深まる静かな森の中。冷たい外気にさらされながら、殺風景な暗い夜道を行く。
これから向かうところに彼女が待ってくれているかどうか、不安はあった。けれど別に待ってくれていなくても構わなかった。無理を言って呼び出したのだから。
しかし、待ち合わせの場所に着くと彼女はちゃんとそこにいた。葉がすっかり落ちた木のふもとにちょこんと座っていた。
「遅くなってごめん、こっちが呼び出したのに…」
「ハル団長!」
森の中に赤い髪の少女がひとり、ハルが来るのを待っていた。
「待ってる間、寒かったでしょ?」
「いえ、私も今来たことろだったので、全然大丈夫です」
ビナ・アルファ。ドワーフのように小さな背に、赤い髪を後ろで一本に髪留めでまとめて流していた。
うっすらと汗をかいているのは、昼間から街の復旧作業を手伝っていた。それでも有り余る体力で彼女はハルの待ち合わせ場所に駆け付けて来てくれたのだろう。
「ハル団長もわざわざ、忙しいのに会いに来てくれてありがとうございます…えへへ」
彼女の恥じらう愛らしい姿に、ハルはどう反応してあげればいいのか迷った。
「うん、だけど、ごめん。こんな人目のつかない危ないところで…」
「いえ、ハル団長とこうして二人っきりで会える時間ができて私、とっても嬉しいですよ!」
「そう言ってもらえると俺も嬉しい…」
ビナと深い仲になることを決めていた。ただ、ここに来てハルは彼女に苦手意識を芽生えさせていた。
ハルがしたことは、ビナという女性を手に入れるため、立場を利用して脅し、彼女が密かに向けていたハルへの好意を利用して、彼女を今のパートナーと引きはがし、自分の元へと手繰り寄せる、酷い仕打ちをしていた。
それももう徹底的に、彼女の気持ちを無視して、こうして、彼女のことを手に入れていたため、ハルは彼女との関係をライキルにも打ち明けられずにいた。
そのことも引きずって、ビナとどう接すればよいか分からなくなっていた。しかし、彼女にも二人に注いでいるような愛し方をすると約束してしまったので蔑ろにするわけにはいかない。というより、ビナほどどう接していけばいいか分からない女性はいなかった。
近くもなく遠くもない関係だった二人の距離はハルが無理やり縮めたのだが、それでもいざ、こうして、二人っきりになると、まだ恋人というよりかは、元の彼女との関係が色濃く残っており、払拭しきれずにいた。
天真爛漫、元気いっぱいの天使のような彼女が言った。
「ハル団長は寒くないですか?」
「大丈夫だよ、ありがとう、それよりさ少し歩かない?」
二人は真っ暗で何もない森を歩くことにした。幸いハルはお互いの顔が見えなくて安心していたが、すぐにビナがハルの手を大胆に握って来た。
「ハル団長、手握ってもいいですよね?これだけ暗いとはぐれてしまいそうで…」
「もちろん、いいよ」
握り方はどこで覚えたのかしっかりと指と指の隙間に手を滑り込ませた恋人繋ぎだった。
「手をつなぐとってもあったかいです…」
しばらく、二人は無言で歩いた。その間彼女は身を寄せてきたり、静かな時間でもこの二人だけの特別な時間を満喫していた。反対にハルはずっと、彼女とのこれからのことを考えていた。
考えることは多かった。ビナはこの状況を楽しんでくれているようだったが、恋人と別れさせる条件までたたきつけて、ここまで心酔してくれていた。前の恋人のことはもう忘れて割り切ることができたのか?これが今のビナの本心なのか、それとも演技なのか、ハルに分からなかった。
昔から自分のことを知って追っかけてくれていることは知っていた。むしろそういう過去があったからハルはそこを突いて彼女を無理やり落としにいった。狙って落とせたのは良かった。だけど、それは思った以上にハルに深い傷口を広げた。
ライキルに何といえばいいか?ただでさえ、増えていく女性の影に彼女もそろそろうんざりし始めたことだろう。いや、そもそも、ガルナを引き合いに出した時点から、ライキルは自分に失望しているのかもしれない。
だけど、それでもハルは、ライキルが好きだった。どれだけ離れて嫌われても、彼女のためになることならば、彼女が幸せに暮らせる世界があるなら、それならば、ハルは何でもする覚悟が決まっていた。
しかし、だからといって、ビナを不幸にしていいわけじゃない。きっとそれはライキルも望まない。
そうつまりハルはビナに関してだけは自ら、しっかりと保たれていた天秤の均衡を破壊したということだった。
『俺は、一体どれだけ、ライキルに迷惑を掛ければ……』
すべてはそこに収束してしまうくらいには、結局ハルは彼女のことで頭がいっぱいだった。
「ハル団長?どうかしました?大丈夫ですか?」
気が付けばハルは立ち止まってビナの手を引っ張っていた。
「あ、ごめん、何でもないよ…」
「さっきから謝ってばっかりですね」
「ごめん」
「あ、ほら、もー」
ビナが暗闇の中ほっぺを膨らませてご立腹なことが分かった。
「少し、休みましょう。ちょっと待っていてください」
ビナが近くに無数に落ちていた木の枝をかきあつめて来て、指先に魔法で炎を灯して、焚火を作った。ハルはその焚火の前に座らされた。そして、ビナがハルの膝の上に座りすっぽりと収まった。
「前からこれをしてもらいたかったんです。こうして、ハル団長に包まれるの」
ビナがハルの腕を自分を包み込むように持ってこさせた。
「だから、ガルナとかよくやってもらっててずっと羨ましかったんです。私もハル団長に抱きしめてもらいたいなって、思ってたんです…」
ハルはビナの小さな体を望み通り抱きしめてあげた。
「ありがとうございます。あぁ、こんな幸せなことないです。生きてて良かったです…」
「これくらいなら、いつでもしてあげるよ」
「本当ですか!?やったーハル団長のお膝の権利はいただきました!」
ハルは不安や孤独を埋めるかのように、目の前で無邪気に微笑む彼女のことを抱きしめた。
『ああ、小さくて抱きしめやすい…それにすぐに壊れてしまいそうだ……』
近い未来訪れる出来事に落ち込むハルを気にせずに、ビナは無邪気に今の状況を楽しんでいた。彼女も抱えているものがあるはずなのに…。
「こうして、炎の前で暖まっていると、なんだか、子供の頃のこと思い出してしまうんですよね…」
「子供の頃…」
「はい、昔、暖炉の前でこうして、お父さんやお母さんによく包み込んでもらってました」
「そっか、ビナは両親と仲が良かったもんね…」
「あ、ごめんなさい、えっと……」
「その話もっと聞きたい…」
ふさぎ込んでいたハルの心に少し希望の光が差した気がした。それはビナの純粋さがちゃんと残っている証拠のような気がしたからなのかもしれない。何にせよ、ハルはその彼女の温かい記憶を覗いてみたかった。血のつながった家族とはどういうものなのか?興味があった。
「冬が近くなると、家族みんなで暖炉の薪を割りに森にいくんです。そうやって自分たちで汗水流して割った薪で冬を越すのが、私のアルファ家の伝統というか、お父さんが勝手に決めた家族ルールなんですけど…。だけど、そうやって自分たちで集めた薪で灯した暖炉って、なんだか特別なんですよね」
「素敵な家族行事だね」ハルが焚火の炎を遠い目で見つめながらその幸せそうな景色を想像していた。
「はい、冬は暖炉の前に家族三人で集まって寒さを凌いでいました。私が本好きになったのもその時だったのかもしれません。私よく、お母さんにその暖炉の前で本を読んでもらってたんです」
「そうか、読書好きはお母さん譲りだったんだね?」
「そうです。お父さんの方は、暖炉の前に来るとすぐに温かいからって寝ちゃって、私はそんなお父さんを勝手に椅子代わりにして、本を読んでました」
「今の俺みたいな感じってことかな?」
「はい、でも、ハル団長とお父さんは全然別ですからね、私ハル団長の方が断然好きですからそこはあれですよ?」
ビナが慌てて弁解していたが、ハルにはちゃんと分かっていた。彼女がしっかりと自分の家族のことを愛していることが、透けて見えていた。それは彼女の話している時の表情を見ていれば分かった。
「ビナは家族のことが大好きなんだね…?」
「そういわれたらそうですけど、ハル団長も分かっている通り、こう見えても私は一人前の女性になりました。こうして、最高の男性を手に入れたんですから…」
ビナが胸に寄りかかって来た。身を預け目を閉じ心の底から安心しきっていた。
「最低な男の間違いじゃなくて?」
つい言ってしまった。あまり、表には出さないようにしていたが、口が滑ってしまった。
「ハル団長が?まさか、最低なのは私ですよ?恋人に断りも入れずに一方的に別れた気になってこうしてハル団長と逢瀬をしているんですから」
ビナはそのまま動かずハルの胸の鼓動を聞き続けていた。
「俺も、まだ、ビナのことはライキルに言ってない…」
「じゃあ、お互いに悪いことしてる最低な共犯者ですね。ああ、でも、ハル団長の方は違うんでしたよね。ライキルが幸せになるように居場所を作ってあげる。そこに光栄なことに、私もいて欲しいからこうして、ハル団長が無理矢理私のことを愛してくれている。そうですよね?」
彼女は優しい子だからハルが犯した罪も自分がかぶろうとしていた。かき乱したのはハル自身なのに、自分が犠牲になることで、ハルを悪者にさせないように立ち回ろうとしていた。
『そうか俺はそこまで彼女に甘えてたんだな…バカだな俺…何も話さずに命令もしないで、ただ好きです。っていえば良かった。心の底からカッコつけないで無様でも計画も失敗してもいいから、思っていることを伝えればよかった。そうすれば、ビナのこともむやみに傷つけることもなかったんだ』
ハルは改めてビナのことを壊れないようにそれでも強く抱きしめた。
「ビナ、聞いて欲しいことがある」
「なんですか?私、ハル団長の話なら何でも聞きますよ?」
彼女は胸から少し体を離してこっちの顔を見つめていた。そこには夜の深さにも負けない彼女の綺麗な赤い瞳があった。
「俺はこれから、きっと君が追いかけて来た理想の人にはもうなれないと思う」
「はい」
「きっと、ビナが目を背けたくなるようなこともたくさんする…」
ビナはそこで少し目を背けた。ハルがここで何をしてきたかはもう彼女は分かっていた。
「だから俺のことが嫌いになったら、その時は迷わず縁を切ってもらって構わない。そしたら、俺もビナを無理やり手に入れようなんてもうしない…」
「そんなことないとは無いと思いますけど…?」
真面目な顔で答える彼女にハルは続けた。
「俺はライキルのためなら、何でもするような男だ。だからビナのこともこうして、自分のもとに置こうとした」
「そうですね、それ嬉しかったんですよ」
「…ほんとうにそう思ってる?」
不安そうに尋ねるハルに、彼女は大人びた笑顔で答えた。
「ええ、私は思ってる以上にハル団長のことが大好きだったってことですね。だって、五年間もあなたのことを追っかけていたわけですから……」
「そっか、じゃあ、俺も最後に一つだけビナに言っておくことがある」
ライキルのためだけでは、ビナはきっと幸せになれない。自分の手で彼女のことを壊してしまった以上、責任は取らなければならない。もちろんそれは彼女だけじゃない。ガルナ、ルナのことも、全部自分が傍にいて欲しいから始めたことだということを認めなければならない。
「何でしょうか?」
「ビナのことが好きです、愛しています。だから、これからも俺の傍にいてください…お願いします」
夜の闇の仲、少女の顔にぱあっと花が咲いた。
「はい、喜んで!私もハルのこと愛しています!!」
彼女が歓喜の声を挙げながら、ハルに抱き着く。彼女のその小さな体から伝わる体温は、かつて彼女が家族と共に過ごした温かさだったのだろうか?そんなぬくもりを共有する権利本来ハルにはなかったはずなのに、こうして、彼女から分け与えてもらっていた。
『ごめんなさい。だけど、俺が君のことも必ず幸せにするから…だから……』
今だけはその温かさに甘えていたかった。
***
ハルとビナが、森の中を二人で砦のある復興拠点の街に戻っていた。
「そうだ、ビナ、俺のこと呼ぶときはさっきみたいにハルって名前で呼んでよ」
「いいんですか?」
「うん、だってもう俺とビナは団長と部下の関係じゃないでしょ?」
「分かりました。じゃあ、ハルで、フフッ、なんだかちょっと言い慣れないです」
「ハハッ、そうかもしれないね」
ビナは内心で彼を名前で呼べたことを喜んでいた。
『ああ、本当に私、あのハル・シアード・レイと恋人?多分、結婚までしちゃうんだよね…夢みたいだぁ……』
ビナが幸せに浸っているその時だった。
『そっか、君は彼を選んじゃうんだ?』
聞きなれない声に、ビナが後ろを振り向いた。
そこには金髪の少女がいた。宝石を押し込んだような赤い瞳を宿し、後ろで腕を組んで悲しそうな顔でこちらを見つめていた。
『誰?』
『彼を選んでもあなたは幸せにはなれない…』
金髪の少女は名乗らずにそう言った。
『あなたには関係…っていうか、本当に誰なんですか?それより、どこから?ここは危ない場所なんですよ?』
スフィア王国と襲撃者たちが内戦しているここら一体の周辺を安全というには程遠かった。そもそも、夜に子供ひとりで出歩いていることの方が問題だった。
しかし、そんなビナの心配も一切気にせず彼女は言った。
『彼は人じゃない。いずれ分かる。こうして私がここにいるのもきっと彼のおかげだから…』
『何を言っているんですか?』
『ああでも多分、これが運命ってやつなのかな…?だとしたら、あなたも彼女もこうなることは仕方のないことなのかな…』
『どういうことですか?』
『因果応報ってやつなのかな…だけど、私は彼女にこれ以上不幸になって欲しくないんだよ…ねえ、あなた、本当に彼女のこと忘れる気なの?』
『彼女を忘れるって…』
『ミーナのことよ…』
それだけ言うと、彼女は突然炎に包まれて消えてしまった。
「ビナ、どうしたの?」
ビナは呆然と立ち尽くしていると隣にいたハルが声を掛けた。
「ハル、いまここにいた金髪の少女のこと見ました?」
「え、少女って、こんな場所に誰かいたの?」
「いま私、その少女と話していたんですけど…」
「ビナはずっと俺と一緒に隣を歩いていたけど…」
ビナが振り向いて、彼女が燃え尽きた場所を見つめた。
「そこにいたんです」
「ほんと?じゃあまだ近くにいるかもしれない。ちょっと探してみる」
ハルがすかさず、手を伸ばし目を閉じて集中して天性魔法で周囲を探ってくれていた。そして、しばらくして目を開けたハル。
「ここの近くには誰もいないようなんだけど…」
「そうですか…」
「でも、ビナは見たんだよね?」
「はい、確かにそこにいました…」
ビナが指さす場所には、燃え尽きた痕跡も何も残っていなかった。
「いまそこにいて見失ったなら、俺の天性魔法に引っかかるはずなんだけど…」
ハルが頭を悩ませている間、ビナはじっと今いた金髪の少女のことを考えていた。
『勘違いだったんでしょうか…でも確かに、彼女はそこにいて私に…』
少女との会話を思い出している間、ビナはふとその少女が最後に言ったことを口に出した。
「ミーナ?」
『なんでそう呼んだんだろう。わからない、彼女はいったい…』
名前か?あるいは略称か?しかし、略称ならば、なおさらビナは戸惑うのであった。
炎となって消えた少女が誰なのか、ビナには見当もつかなかった。