古き血脈 君が中心
冬は夜の訪れが早く。ハルが宿の前に着くことにはすっかり辺りは暗くなっていた。夜空には弱い光を放つ星々が散りばめられ、冷たい澄んだ空気のエルフの森を照らしていた。
宿の前の広場にはいくつも小さな明かりがぽつぽつと灯っており、そこにはテーブルを囲って食事をしているみんながいた。ガルナ、ビナ、レイチェル、ベッケ、サム、ギゼラ、そして、ハルが来たことに気づいたエウスが手を振った。
「おお、ハル、お戻りかい?」
木を切って、削り、繋げ、加工しただけの一日で作成可能な単純作りのテーブルに、木を切って中身をくり抜いただけのこれまた非常に簡素な椅子に彼らは腰を下ろしていた。
「うん、夕食って俺の分もあったりする?」
「もちろん、ただ、パンとスープだけしかないぞ?」
「それで構わないよ」
ハルはガルナもいたので、彼女の隣に座って食事の世話でもしてあげようと思ったが、その前に、ライキルがいないことに気づいた。
「あれ、ライキルは?」
「あいつなら、多分、まだ、部屋だと思うぞ?稽古に誘ってもなんか今日はいいって、ほっといてくれって言ってたから、そのままだ」
「わかった。少し様子を見てくる。エウスたちはそのまま食事を続けてて」
「はいよ」
ハルは急ぎ足で、ライキルのいる部屋まで向かった。
綺麗に半壊した宿をまだ使っていた。外で寝泊まりするくらいならまだ使える屋根のある場所で休みたかった。
半壊した宿は、部屋が立ち並んでいた通路を中心に西側にあった部屋だけを吹き飛んで、東側にあった部屋は二階までしっかりと残っていた。
しかし、二階の部屋はすでに、その部屋まで行く床がないため、実質歩いてはたどり着けなくなっていた。よじ登るか、飛行魔法、はしごを掛ければいけないことは無いが、そんな苦労をするなら、一階の空部屋を使った方が有意義だった。
そんな一階の自分の部屋の扉を開け中に入った。二階と広さは変わらず、そこはハルとライキルとガルナの三人の部屋ということになっていた。
夜真っ暗の中、部屋の明かりもつけず、ライキルが部屋の隅でうずくまっていた。
「ライキル」
「ハル…?」
俯いたまま彼女は返事をした。
「ただいま、遅くなってごめん」
「ううん、いいよ、おかえりなさい…」
ゆっくりと彼女がいる部屋の隅まで行き、隣に腰を下ろしたハルは、しばらく何も語らずただ、そっと彼女の隣にいた。
外ではみんなの楽しい声が聞こえてくる。それとは反対に二人だけの部屋には静寂が息づいていた。
ハルはただ待った。彼女が話したくなるタイミングを、それを彼女も分かっていた。だから、その時が来るまでいつまでも待つつもりだった。
ライキルの傍にいると落ち着くことができた。体の力が勝手に抜けていき、表情も柔らかになり、余計なことを考えることさえなかった。
進み続ける時は、ゆっくりと二人だけの貴重な時間を溶かしていく。
「ハルに謝らなくちゃいけないことがあったんです…」
塞ぎこんだままのライキルが静寂を破った。
「俺に?」
「はい、ハルを殺そうとしたことです。許してもらえるなんて思ってませんが…」
「え、それなら、もう別にいいよってことになってなかったっけ?俺がライキルに殺されるなら本望だよ、とか、そんな感じのこと言ってなかったけ?」
ハルからしたら、ライキルに殺されたのであればそれはそれで最高の結末だと思っていた。愛する人の手に殺されるなら、それは下手をすれば寿命で老衰するより、ハルからすれば幸せなのかもしれないという、常軌を逸した思考にたどり着いてしまっていたが、彼女には罪の意識が残っていたのだろう。そういうとことが、もうハルと彼女とでは違った。
「私、その時のこと思い出すだけで気分が悪くなるし、ハルに合わせる顔も本当はなかったりで、その本当にごめんなさい…だから、私を嫌いにならないでください。私を見捨てないでください…お願いします。あなたのことが大好きなんです……」
ライキルは酷く怯えていた。俯いたまま傍にいたハルの腕を掴んで離さなかった。
「大丈夫だよ、俺がライキルのことを見捨てるはずがないよ…どっちかっていうと、それは俺のセリフだったりするんだけど…」
もうライキルに隠していることが山ほどあった。ライキルと共にいつまでも平穏に暮らせる【理想郷計画】のこと。それに連なって、ビナのことも無理やり引き込んでしまったこと。そして、何よりハルが人を殺すことに何の感情も見出さなくなってしまったこと。
「じゃあ、私のこと許してくれるんですか?」
「それは一番ライキルが分かってたんじゃないのかな?だって俺はライキルがしたことならなんだって許せるよ」
「ハルは、私のこと嫌いになったわけじゃなかったんですね?」
「どうして、俺はライキルのこと嫌いにはなれないよ…」
「ああ、良かった…てっきり見捨てられたのかって思っちゃって、私の早とちりだったのかもしれません」
そこで互いの間に何か見落としているものがあると思った。ライキルがどうして今日、部屋に閉じこもっていたのかその理由を探る必要があった。
「どうして、俺がライキルを見捨てたと思ったの?」
「それはだって、ハルがその…ルナさんと、一緒にお出かけするところ見ちゃって…」
ハルはなんだそんなことかと思った。しかし、そこで、ライキルが少なからずルナに対して嫉妬といった感情を持ち合わせていることを認識した。それはなんとも無駄な心配であったが、確かにライキルからすれば、不安になるのも無理はなかった。いくらライキル自身がルナを受け入れたからといって、彼女にそういった負の感情面が消えてなくなったわけではなかった。
ハルはそこら辺をはっきりさせることにした。
「今日、ルナと一緒に歩いてたのは、砦でスフィアの女王と大事な用事があったからなんだ。二人で歩いてた理由はそれだけ、でも、よく聞いて欲しんだけど、彼女を俺に受け入れさせたのはライキルでもあるんだよ?」
「それは分かってます…だけど、その不安になっちゃったんです。私、ハルを殺そうとしたから、私は嫌われてもういらないのかと思って…」
涙声のライキルがハルの懐に潜り込み、胸に抱きついて、離さないようにしっかりとしがみついて来た。ハルはそんな胸の前で泣く彼女の頭をそっと優しく撫でてあげた。
「よし、分かったじゃあ、ルナには俺からやっぱり別れようって言っておくから、それでいいね?」
「それはダメです…」
弱々しい声だったが、ライキルはそこだけは頑なに譲らなかった。
「どうして?」
「ルナさんがハルの傍にいれば、ハルの負担が減ります。彼女、強いですから。ハルだって心強いですよね?それに、私、別に彼女のことが嫌いなわけじゃないんです。怖い人だけど、ハルへの愛は確かなもの、そこは私と一緒なんだって分かってますから…」
「じゃあ、俺がルナだけを愛するって言ったら?」
「それはイーヤーでーす!ふええん!ハルの意地悪!!」
冗談を飛ばすとハルの胸に顔を深くうずめて駄々をこねていた。ハルからも思わず笑みがこぼれた。
「分かったよ、ライキルの気持ちは、よく分かった……」
その後、ハルはしばらく、機嫌を取り戻したライキルに甘えられていた。彼女は幼子のようにハルにべったりと抱きつき、面倒くさい質問をハルに投げかけ続けていた。
「私のことどれくらい好き?」
「ねえ、好きって言って?え、なんで大好きって言ってくれないの?」
「愛してます。だけどハルは、私以上に愛してくれなきゃ嫌です…」
それはもう普通の人ならうんざりするほど、甘ったるい世界が二人の間に広がっていたが、ハルが彼女のことを一度もおざなりに扱うことはなかった。むしろ、ハルもノリノリで彼女の質問や言葉に酔っていた。
けれど、そんな甘い二人の世界も、ライキルのお腹の音が鳴るとともに魔法が解けてしまった。
彼女は恥ずかしそうにしているところ、ハルが「実は外でみんなが夕食を取っていたんだけど?行かない?」というと、ライキル急いで外に出る準備を始めていた。
ハルとライキルが部屋の外に出る。少し離れた場所で、まだみんながテーブルを囲って集まっていた。
ライキルがみんなの元へ走っていく。
「急ぎましょう!もう、お腹ペコペコです!」
ハルは走っていくライキルの後姿を見つめる。夜の闇にも負けない金髪を揺らし、元気いっぱいに駆けていく彼女。そんな純粋無垢さがハルには目が眩むほど眩しかった。
『好きだよ。君が、君だけが……』
気が付けば、ハルは彼女を眺めたまま、その場に立ち尽くしていた。
「ハル、はやく、みんな待ってます!」
「ごめん、今行くよ」
彼女が振り向き呼びかけると、ハルもゆっくりとみんなのいる場所に足を進めた。
『嘘になるのかな……』
ライキルの元に向かう途中、ハルは心の中でそう呟いた。