古き血脈 忙殺
綺麗な断面が残る真っ二つにされ、片側が吹き飛んだ新築だった宿の一階の部屋から、ハルが出てくると、待っていましたと言わんばかりにルナがそっと隣に並んでいた。
歩調を合わせて二人は同じ目的地に向かって歩き出した。それは、スフィア王国の王女様が現在仮拠点としているのっぺりとした壁で覆われた砦だった。襲撃を耐え抜いた強度は、即席にしてはさすがであり、エルフの知恵の賜物であった。
「ずっと、部屋の前にいたのか?」
ハルが、隣を歩くルナに言った。
「はい、少しでも早くハルに会いたかったから…会えない時間がもったいなくて…」
上目遣いでルナがハルを見つめる。とてもあざとい姿をしていたが、世の男の大半が彼女のその愛らしさに落とされる勢いのある、可愛いさがそこにはあった。
全体的に鋭く美しい印象の見た目の彼女が、そんな愛らしい仕草をするのは、男の本能を刺激した。そんな純粋な可愛さからくる彼女の上目遣いには破壊力があった
だが、ハルはそんな彼女に、顔色ひとつ変えずに返した。
「そっか、そう言ってもらえると俺も、嬉しいよ」
いつもなら邪険に流すところであったが、ハルも薄っすらと笑顔を返してあげた。
「…………」
彼女が急に呆然とし、その場に立ち尽くしてしまった。
「どうした?」
「待ってください、私、今、めちゃくちゃ幸せです…」
ルナが恋する乙女のように顔に手を当て幸せに浸っていた。そんなふわふわした気持ちの彼女にハルは言った。
「そう、ならよかった」
それからハルは、ルナに砦に向かう途中、これからのことについて話し合った。
「これからルナにはたくさんやってもらうことがあるんだけどいいかな?」
「私で役に立てることがあれば何でもします。なんなら、ハルの夜のお供を…」
最後の方は甘えた声を発していたが、ハルは全くその彼女の声に反応せずに平坦な声で言った。
「ルナにはこれから、英雄になってもらう」
「え?」
「この街を救った英雄にね」
その言葉にルナは戸惑いを隠せなかった。一呼吸おいて彼女が言った。
「でも、この街を救ったのはハルですよね?」
その当然の返しにハルは答えを用意していたかのように答えた。
「俺がこの街を救ったという事実を目撃した人は少ない。なんなら目にも止まらない速さだったから、避難している人たちも何が起きていたか、誰が救ってくれたか、なんて分かるはずがない」
ハルはそれだけ言うと、暗い瞳をルナに向けて続けた。
「そこでスフィア王国から今回誰がこの街を救ってくれたか発表させる。それがルナってことにしてね。街の人は誰も本当に助けてくれた人なんて望んでいない。彼らは心の拠り所となる英雄を欲してる」
人々は自分が助かればそれで安心してしまい。その後にするのは目立っている者への大げさな感謝だけだった。
「だけど、それじゃあ、ハルの頑張りは何だったのかってことになりませんか?私は嫌です。そんなハルの称賛を横取りするようなまね…ハルがみんなに褒められて欲しいです…」
「そういう気持ちは嬉しいけど、今は俺のことは忘れて考えて欲しい。そもそも、俺はルナのような人たちに分かってもらえてればそれでいいんだよ…」
彼女の赤い瞳が大きく呼応した。そして、彼女は目を輝かせながら、神に祈るように手を前で組んで言った。
「あぁ、私、やっぱり、ハルに会えて良かったです。ずっと、あなたの背中を追っていて良かったです。私は幸せ者です。ありがとうございます。私と出会ってくれて、感謝しています…」
ルナが勝手にひとりで感動の渦に巻き込まれ盛り上がっているところを、ハルの暗く堕ちてしまった瞳が光を求めるように彼女を眺めていた。
「…………」
ルナのハルに対する深い信仰心。一点集中の慈愛。揺るぎない信頼。様々な彼女の好意を利用して、純粋な悪意で騙し利用しようとしていた。彼女からはハルという人間を、愛し感謝する言葉しか出てこず、献身を通り越して犠牲覚悟で彼の手となり足となろうとしていた。互いの利害は一致していた。ハルが偽物の愛を与え、ルナが彼に絶対的な忠誠を誓う。
しかし、ハルはそんな彼女の扱いにいつの間にか、心苦しさを抱くようになっていた。
芽生えてしまった。道具として使い捨てるつもりが、彼女の方が一枚も二枚も上手だった。気が付けば、ハルは彼女の笑う顔がもっと見たくなっていた。
もしかしたら、命を救ってもらったことが原因だったのかもしれない。ハルにとって本当にピンチの時に現れた彼女が、ヒーローのように見えていた。
初めて自分の命が圧倒的な存在に救われる場面に遭遇してしまったハルは、彼女に親しみのような感情を抱いてしまっていた。
ハルはもう少し彼女が無邪気にはしゃぐ姿を見ていたかったが、話しを戻すことにした。時間は限られていた。そして、何より、彼女にそんな感情を抱いてしまっても、なおハルには覆ることない、愛する人がいた。
それは…。
ハルは歩きながら、晴れ渡った青空を見上げた。冬空の空はどこまでも澄み渡り、その青い色は深さを増していた。けれど、暗闇に染まった瞳がその青さを知ることはなかった。
「盛り上がってくれるのは嬉しいけど、話の続きをするよ…」
ハルはそれから、彼女に今後どのような動きを自分とルナの二人で動いていくのか簡単に説明した。
まずは今回の襲撃者たちを撃退したことで、ハルたちはスフィア王国に恩を売って、恐怖で脅すだけではないことを証明することになった。さらにそこでハルではなく、ルナを立てることによって、ある計画を通しやすくするまでが、重要な狙い目だった。
その狙いとは、後のスフィア王国の王都復興に、レイド王国を参入させることだった。
スフィア王国は現時点で他国の協力を渋り、自分たちで解決できると豪語していた。だが、さすがに今回の奇襲で国民すら守れていないところからするに、彼らはさらに弱い立場に立たされていることは確定してしまった。
そこに立場の違いを見せつけたルナのレイド王国参入の余地は十分にあった。
もともと、スフィア王国の国としての動きは前から優秀であり、他国とは一定の距離を置き、深煎りすることは無い印象が強かった。スフィア王国が他の国に恩を売ることはあっても、施しを受けることは少なかった。それは隙に付け入られない外交戦略だったのだろうが、それはいままさに決壊を喫していた。
自国の中枢が崩れ、ボロボロなところで、国民も守れないというボロが出たのだ。剣聖も当然ながら女王を守ることに必死だったようで、精鋭騎士たちが外に出たのも、ハルが周りのあの羽虫を取っ払ってからだったそうで、内部に侵入したあの羽のエルフに対処することで精一杯だった。
現在、ハルたちはスフィア王国に恩を売る準備が整っていた。
そこを逃さまいと、今回、スフィア王国に対して優位に立っているルナにはここでさらに勢いをつけてもらい、スフィア王国が、彼女に頭が上がらないように仕向けておきたかった。
スフィア王国という大国に貸しを作っておいて損ということはない。保守的な外交に風穴を開けて、風通しを良くし、ルナの顔を利かせられれば、それは国を手に入れたのと同義であった。
とにかくそういった力が欲しかった。自分とは別のベクトルで動く独立した力が、それは多ければ多いほど良かった。強力な組織を、ルナなど信頼できる人を通して支配したかった。
全ては自らが掲げた理想郷のため、理不尽な世界を自分の理想の形に歪めるために、力を欲した。
「この復興前にもレイドの支援部隊を入れたいんだ。まあ、あっちの要求も呑んであげつつだから、まだ公にはできないけど、豊富な物資とそれを運ぶ部隊が必要なんだけど当てとかってあるかな?」
相当難しい要求をしたつもりではあった。大量の物資を運ぶのでさえ苦労するのに、おまけに公なレイド王国の機関を使えないとなると、それはほぼ不可能だと思っていたが、初動の速さは何よりも交渉では大切だった。
「私の部隊も支援部隊はいますが、そんなに多いわけではないので…そうですね、ここはザイード卿を使いましょうか」
彼女のその発言で、ハルの眉間にしわが寄った。
「ザイード卿ってレイドの三大貴族の、あのシャーリー家の?」
ハルはとんだ大物の名前が出てきたことで、動揺を隠せなかった。三大貴族にルナとの繋がりがあったことなど、今の今まで知りもしなかった。
ザイード・シャーリー・ブレイド。レイドの三大貴族のひとつのシャーリー家の主人であった。彼は五十歳と見た目の割には、黒髪で巨躯の彼は、そこらの騎士の腕なら簡単にへし折ってしまいそうなほど、分厚い筋肉に覆われていたことをハルは覚えていた。
元騎士でもあると同時に智者でもある彼は、国の軍隊のほかに彼独自の私兵を持っており、さらにはその私兵たちを警備などに貸し出すという商いまでしており、彼の兵はレイド国内の至るところで活躍していた。街で見かける飲食店内などの重要施設以外の一般施設にも警備している騎士たちがいたりするのはそういった彼の商いのおかげだった。そのおかげで、レイドの治安は他の街に比べてずっと良くなっていた。
だからこそ、彼が、ルナのような裏の人間と繋がっていたことが驚きだった。
「そうです。彼はホーテン家の下僕で、彼は私には絶対服従で逆らわない。ああ見えても、彼はすごく頭が回るから、私のこともよく知っています。逆らえばどうなるかも。彼なら自由に使えます、どうしますか?」
不敵に笑うルナの笑みと同時に、彼女のその瞳には褒められたいという欲で満たされていた。
だが、ハルは褒めることなく、淡々と彼女に命令した。
「じゃあ、彼にはすぐにここの復興支援の手配をさせて、そして、それはルナからの施しだってことを忘れないで。全てはルナに権力が集中するようにしておきたいんだ。いいね?」
「はい…わかりました…すぐにでも手紙を飛ばします…」
「—ありがとう」
少しいじけた様子のルナだったが、ハルからの感謝それだけで、笑顔が戻っていた。
そして、歩いていると、彼女はハルの片手にそっと手を伸ばしていた。
「手繋いじゃダメですか?」
寂しさと甘えが入り混じった声。だがそんなルナの勇気をハルが許可することはなかった。それには理由があった。
ハルは繋ごうとしてきた彼女の手を制止させた。
「俺とルナはあくまでも従者と主人の関係だから、恋人みたいに仲良さそうにしてたら、俺までルナと同じ立場の人間なのかって疑われるでだろ?俺はあくまでも下で、ルナを立てたいんだ」
「そこまでハルが下につく意味があるんですか…」
「あるでしょ、人の目に着かないことの利点は」
裏で暗躍していたルナにも心当たりがあるようで、抗いようもなく納得させられていた。しかし、それでもルナが愚痴を言う。
「恋人…いいじゃないですか…私とハルは一心同体の運命で結ばれてるんですから…あ、じゃあ、終わったらいいですか?」
「行くよ、今は時間が惜しい。ほら、ルナが前を歩いて、俺は君の従者なんだから前は歩けない」
ハルは後ろに下がり、彼女を前に行かせた。
待たせている人たちがいた。彼女にだけ時間を割いているわけにもいかない。それに、ルナとは今後切っても切れない関係になっていくため、一緒にいる時間は必然的に多くなってくる。そうなって来ると必然的に彼女だけに構っている暇はなかった。
今も部屋で待ってくれているライキルが、一緒に稽古をすると約束したガルナが、会う約束をしているビナが、ハルには待っていた。
「うええ、なんで答えてくれないんですか?私のこと好きなんですよね?」
わがままを喚き散らすルナが後ろを振り返りながら、抗議する。
「前向いて堂々としてて、威厳がまるでないよ」
「答えてくださいよぉ…」
ハルはうっすらと意地悪な笑みを浮かべるだけで、スフィア王国と交渉する際の流れをルナに言って聞かせていた。
『ルナには、損な役回りを担ってもらうよな…』
ハルから下される自分勝手な命令の一切を受ける彼女はこれから多忙を極めるだろう。
『その埋め合わせは必ずするから…それまでは……』
ルナの後姿を見つめるハルの目には暗い瞳が居座り、彼女から目が離せずにいた。
彼女が振り向きハルを見つめる。そして、そのまま後ろ歩きで彼女は器用に進む。
「どうしたんですか?私の後姿に見とれてたんですか?」
冗談交じりに笑顔で彼女が言った。
そんな生意気な彼女に自分の神威の一つでも飛ばして、精神を恐怖で殴りつけてやろうと思ったが、ハルは優しい声でひとこと言うだけだった。
「危ないから、前向きな」
二人は交渉の場である砦へと足を運んだ。