古き血脈 試される結界
王都エアロには四重の結界が重ねて張ってあった。一つは物理的な衝撃の遮断。二つ目は魔法や天性魔法などその他、特別な力によって生成されたものや現象の遮断。三つ目は、侵入者の遮断。そして、最後は特別なもので、世界から空間を隔離するというものであった。しかし、この最後の結界に関しては、信憑性は疑わしいものがあった。これはキリヤが信仰してやまないミルケーが張ったものだったが、実際に結界内が別世界と隔離されている実感はなかった。キリヤたちは許可が出ていたから当然だが、結界内から外に自由に出入できたし、世界と隔離されているという実感がわかなかった。しかし、キリヤが信仰してやまない神ミルケーによれば、最後の結界はこれから自分たちが世界を変えるためにはなくてはならないものだと、真面目に言っていた。
最後の結界に関しては、キリヤ、ピクシア、ブロッサーの三人がその結界の核となり、三人の全員が死なない限り、結界が効力を発揮するという命がけの結界であった。もちろん、三人ともミルケーのために自ら結界の核になると志願していたため、強制ではなかった。
そして、その結界の核となる代わりに、手に入れたのが神性ミルケーによる祝福。つまり彼女の眷属になることで、キリヤたちも大きな力を手に入れていた。
【天使化】とでも呼べばよいのだろうか?
神となったミルケーを主とし、そのしもべとなり身を捧げることで、莫大な力を分け与えてもらったのだ。そのため、彼らが上位者の神に逆らうことは決してできず、生涯彼女に仕えなければなかったが、三人はそれだけの恩が彼女にはあったので何も問題はなかった。
キリヤは確信していた。女神ミルケーがこの世界を変えてくれると、この腐りきった醜い世界を変えてくれると、心の底から信じていた。だれも敵わない巨大な力で、世界を変えてくれると、そのために、キリヤも全力だった。彼なりに、彼女のためになるように行動していた。
しかし、唯一間違っているとすれば、それは喧嘩を売る相手を完全に間違えてしまったことだった。
「これは、本当にそうなのか…?」
キリヤは、各地にばらまいていた自分の複製体の一つを通して、王都エアロに張ってあった結界の外を見ていた。
そこはスフィア王国の王城クライノート城の裏庭当たる場所に位置していた。そこには王族が住まう宮殿もある場所だった。そもそも、王都エアロはエルフの森を背負うように東から西に向かって広がっている街であり、国の象徴でもある王城は、その最も東に位置しており、それはつまり、エルフの森と王都エアロの街の境目にその城は起立していた。
そんな王城クライノートの裏庭はエルフの森の中に少しはみ出しており、そこには王家の人間に美しい景観を楽しんでもらえるように代々王宮の庭師たちが、手入れを努めてきた秘境のような場所だった。
そこで現状一番重要事項が結界の位置であった。キリヤたちが命がけで張った結界は、街の中心から広がるように張られており、王都エアロの街をすっぽりと覆い囲っていた。
そのため、残念なことに、その結界は、クライノート城の美しい裏庭の半分ほどまでしか囲っておらず、こんなことになるなら街の方に結界を割くより、城を中心に結界を張っておいた方が、美しい景観を失わずに済んだと思うと、悔やみ切れなかった。
あと、数歩先に行けば結界の外に出られる位置で、キリヤは立ち止まった。
キリヤの目の前には、破壊の限りを尽くす衝撃が広がっていた。それはもはや、人間が起こせる現象を超えていた。自然災害ですら、ここまで壊滅的な破壊という現象を生み出せるか疑問に思わせるほど、四重に重なった結界の外は地獄と化していた。
キリヤは眼前に広がる光景にやがて言葉でなくなった。自分が呼び覚ました怪物の程度が想像をはるかに超えており、自分自身でもどうすればいいか分からなくなっていた。
キリヤが複製体を通して見ている視界の先、結界の外は真っ白く染まり何も見えなかった。ただし、その結界の外では、空気が何度もめくれ上がり、衝撃波が広がり、斬撃が絶え間なく浴びせられ、轟音が鳴りやむことを知らず、この世の破壊の全てが詰め込まれたような暴力が、その結界を襲っていた。
破壊という現象がいかに残酷なものか、その結界の外で起こっている事象がすべて物語ってくれていた。
『これはあいつの仕業なのか?』
キリヤは、複製体を通してでも恐怖を感じていた。今まで余裕をかましていたが、それも得体の知れない殺気の存在がすぐそばまで来ていることを知ると、このミルケーから与えられた完璧に近い体でも震えが止まらなかった。
その破壊現象でなぜ結界が壊れないのか?それは一つ目の物理現象の遮断があった。結界はすべてミルケーが中心となって張ってくれたため、そこらの攻撃ではびくともしないのは当然であった。彼女は神様なのだ。この世のルールといってもいい。だから、いまこの目の前で起きている破壊現象にも耐えきるほどの強度がこの結界にはあった。自然災害を優に超える莫大な破壊を目の前にしても、結界はその効力を失わずに耐えていた。
キリヤは内心ではほっとしてた。いつこの結界が圧倒的な暴力に屈してしまわないか、びくびくし始めていたからだ。いくら化け物だからといって人の子が神に勝てるはずがない。キリヤは少しだけ、心に余裕が出始めた。
しかし、それも目の前の破壊が終わるとほんの少しの間だけだった。
真っ白い破壊の連鎖が突然止まると、キリヤの目の前にはくすんだ青髪の人間が立っていた。
片手には長い刀と呼ばれる剣を持ち、ただ、一心に結界を挟んだキリヤだけを彼の深い青い瞳が凝視していた。
「!?」
キリヤは思わず声も出ずにその場から飛び退いた。それが複製体で自分の命ではないのにも関わらず、すっかり腰が抜けていた。
「お前だけは、お前だけは……」
ぶつぶつと、瞳孔を開いたまま、虚ろにつぶやく彼は殺意だけで結界を軋ませ始めた。メキメキと彼の中心にそこは死のエリアが広がっていく。ただ、それは辛うじて第二の結界の効力が働いてくれたのだろう。それにしても、そこに存在しているだけで、生命を殺してしまうほどの力を放つのはもはやそれは人間のなせる技ではなかった。それは神の領域に足を踏み入れていてもおかしくはない所業だった。
「化け物が、お前、本当に何なんだ。何者なんだよ!」
結界の向こうにいるハルは、何も答えずに刀を手放し、拳を握っていた。
キリヤは彼が何をするのか見ていることしかできなかった。
ハルが、左の手のひらで、そっと結界の表面に触れた。するとそこで結界の第三の効力侵入者の遮断が発動し、彼の手が結界の外から内側に侵入してくることはなかった。
当然、ハルの目的はそんなことを確認するためではなかった。そもそも、結界の効力など何も知らない彼が、することはただひとつのみだった。
「諦めろ、お前じゃこの結界は突発できん、潔く帰るんだ。そして、お前はライキルたちだけを守ってればいいんだ。俺たちのことなんか忘れて、なあ?お前ほどの力があれば、一生金とかには困らないし、平穏な暮らしが脅かされる心配もないだろ?」
襲撃した張本人が説得力のかけらもないことを口にしていた。しかし、それはキリヤも困惑していたからであった。目の前の恐怖そのものと、さらに、これ以上彼に、このキリヤたちの本拠地で何かをされるのが怖かったのだ。
だが、しかし、それもすでにハルは後ろに引ききった右手の拳を結界めがけ、振り下ろしていた。
その時だった。四重の結界の一枚目。物理的な衝撃を遮断する効力を持っていた結界の層にひびが入った。それもたった一発で、街中全体を覆ていたその結界の層に余すところ無くひびが一瞬で広がっていた。
そして、続けてハルが拳を切り替えてもう一度結界を殴ると、東側から中心に西にその衝撃が波紋のように広がっていき、まるで硝子が割れるように、一枚目の結界が吹き飛んでいった。
「次…」
ハルはもう次の拳をすでに構えていた。