古き血脈 取り返しのつかないこと
ライキルの前に、見知らぬ翼の生えたエルフがおり、その青年の背後で禍々しく輝く光球に目が眩んでいた。そして、あまりにも突然のことで思考も体も動けなくなってしまったライキルはただのその目の前で行われるであろう、現実に対処できずにいた。これからよくないことが起ころうとしているのは確かなのだが、それを止めるすべが自分の選択肢の中にはないと、抗う前から諦めてしまうほどに、目の前の現実は理不尽なほど残酷だった。
「やめ…」
ライキルの口から怯え切った小さい声が漏れる。
しかし、それほどまでに世界が残酷ならば、その世界に対して理不尽な存在になることを誓った真の化け物はどう思い、どう行動するのだろうか?きっと、世界が不条理に捕らわれ悲しみの連鎖につながれても、彼だけは必死に抗うどころか、飲み込んでしまうのではないだろうか?
助けを求めれば現れる都合のいい主人公のように、彼はそこら中に流れている運命を力ずくで捻じ曲げ運命そのものを支配する。
それは彼の奥底に渦巻く理不尽な世界の結末を拒絶する魂の叫びであった。そのハルの原動力ともなっている奥底の記憶が、絶対的な力をもって、ライキル・ストライクを窮地から救い出す。
ライキルが禍々しく輝く光球の眩しさに目を閉じる。
大きな破壊音が耳を打った。
ライキルは手を前にして、しばらく目を閉じたまま震えていたが、やがて何も起こらないと悟ると、ゆっくりと目を開けた。
「あれ…」
だが、結果としてはそこにはライキルが望む結末が待っていた。
「ただいま、遅くなってごめん」
そこにはライキルの愛するハルがなんてこともないように立っていた。
「ハル…いま、ここに変なエルフの人がいて」
「ああ…そう?俺は見なかったけど…そうだね、とりあえず、ライキルはガルナとここにいて俺はみんなの様子を見てくるから」
「何が起こってるんですか…」
混乱していたライキルだったが、ハルにそっと両手で頬を包まれると優しいキスをされた。
「ここにいて、お留守番延長できるかな?」
「はい、それはもちろん、いつまでも待てますけど……うん……」
ハルに触れられるだけで体が熱くなるのに、やはり彼と口づけを交わすと毎回、頭がそのことだけでいっぱいになってしまう。まるで危険な薬物のように酷い依存性があった。それなのに最近はよく彼の方から重めのスキンシップを取ってくれるため、そのたびにライキルの頭は興奮しっぱなしで、病みつきになっていた。
「いい子」
そういうとハルはすぐに、部屋の扉を閉めて行ってしまった。
ライキルはまた彼のいない部屋にスヤスヤと眠るガルナと一緒に取り残されてしまった。
ふと外の様子が気になったライキルは部屋の扉を開けてみた。すると、目の前にあったはずの長い廊下がすべて吹き飛び危うく落ちそうになった。
「なにこれ、どうなってるの…」
ライキルたちがいた二階建ての宿は、建物全体の半分が、きれいさっぱり跡形もなく消し飛んでいた。
ライキルは扉を閉めて、すぐにガルナのもとに戻って彼女の傍から離れないように、彼の言いつけを守って、帰りを待つことにした。
「ハル、大丈夫だよね…」
***
思った以上に街は、全員同じ顔をした金髪で背中に二つの翼を生やしたエルフの襲撃で、悲惨さを極めていた。
ハルは街の方での爆発を聞きながらも優先したのは、エウスとビナの元だった。逃げ惑う二人をもてあそぶかのように空から光線で狙い打ちしていた、翼のエルフ複数人をハルは、彼らに接近を感知される前に、天性魔法の光で生み出した力場で挟んでぐちゃぐちゃにすりつぶし灰にした。
「大丈夫か?」
「ハル!どうなってる、なんかあっちこっちで大変なことになってるぞ!」
「俺にもよくわからないけど、とにかくエウスとビナを宿まで送るからそこで待機しててくれ、固まってくれていた方が守りやすいんだ。それにもう破壊されてる建物は攻撃の対象から外されやすいから砦よりも比較的安全なはず…」
そうハルが説得する気もなくすでにエウスとビナを抱えようとしていた。
「待て、待て、破壊されたって、ライキルとガルナはどうなったんだよ」
「二人は安全だよ、俺が守った」
「それならよかった…ただ、ハル悪かった。あいつらの傍にいられなくて、俺はビナに稽古を付き合ってもらってて…それで……」
エウスが申し訳なさそうに謝るがそれは彼が謝る内容なんかじゃ全然なかった。それに彼は必死に戦闘訓練をしていたのか、ところどころ打撲の跡があり、ビナと本気の戦闘をしていたことが一目でわかった。
「違うよ、エウス、俺が傍にいないのが悪いんだ。それよりも、俺は二人が無事で本当に良かったよ…」
エウスに目をやった後、自然にハルはビナにやさしく微笑んだ。それは彼らが無事であったことからきた本当の安堵だった。そこには少しも思惑や策略の無い純粋な感情だった。
「助けてくれて、ありがとうございます。それに本来なら私がみんなを…」
「いいよ、これくらい当たり前のことだから」
「私…」
ビナが何かを言おうとしていたが、時間はなかった。
「ビナ、エウス、捕まって」
ハルがビナに手を差し出す。彼女はその手を取ると、ハルは彼女を抱き寄せた。反対側にはエウスも捕まっており、ハルは二人を担ぐとそのまま地面を蹴って一瞬でその場から移動した。
***
宿に着くと建物の半分が消し飛んでいることに、二人は驚愕していた。
「おいおい、どうなってるんだよ。これ!」
「ちょっと、焦っちゃって半分飛ばしちゃったんだ。大丈夫、誰も犠牲にはしてないよ」
「俺の部屋の扉があんな上に…」
エウスがどうやって自分の部屋の二階に上ろうか考えているの見ているときだった。
ビナがひとりになったハルに声をかけてきた。
「あの、ハル団長」
「ビナ、どうした?」
「その、私、やっぱり、ハル団長についていきます。これからも一生…」
恥ずかしそうに彼女は勢いに乗せて言っていた。そしてそこには大きな決断をした力強い意志も感じた。
ハルはそこでようやく彼女に対してだけ正気に戻り、気づいてしまう。自分が間違っていたことを。
「あ、そっか…ごめん、その無理やりそんなこと言わせて…俺はビナに酷いことをした…」
ハルは二人を助けられたことで、すっかりビナとの間にあったことを忘れていた。自分の馬鹿馬鹿しさにうんざりした。
「いえ、その無理やりじゃないです。私にとってハル団長はどこか諦めきれない人でした。それにあの口づけは、大切に受け取っておきますよ、あれは忘れらない思いでですから…」
彼女はそこで顔を真っ赤にしながらも何とか言い切ったといった感じでいっぱい、いっぱいの様子だった。
「ビナにそう言ってもらえるとこっちも救われるんだけど、どう考えても俺もやりすぎたって思ってる。今後あんなことないようにはします。だから、許してもらえませんか…だけど、その一緒にいたいのは本当で、ごめんどういったらいいか…」
しおらしくハルはビナに謝罪した。一方的な愛情は、相手の心を傷つける暴力になりかねない。それでもハルがビナに傍にいてもらいたいと思う気持ちも本物で、誰にも渡したくないのも本当だった。しかし、それは彼女を傷つけ汚してまで手に入れるものではなかった。
「え、別に全然してもらっても構いません。むしろ、これから私はハル団長の命令の元、あなたを愛さなくちゃならないんですから、その、私にもあなたの愛を分けてくれますか?ライキルやガルナのように、私、頑張ってそれに応えるので…」
「……あ、うん………」
ハルは、どこかで期待していた。ビナはハル・シアード・レイという呪縛から逃れられるんじゃないかと、彼女だけは純粋さを失わずにいてくれるのではないかと。けれどそれは無理だった。
ハルは深く後悔した。きっと、ルナの言った通り、彼女は落とす必要などなかった。むしろ、最後の心のよりどころ公平に自分を見てくれる人として残しておくべきだったのだ。そんな存在をハルは自分の手で汚してしまった。自分の元から大切な人たちが離れていく恐怖に耐えきれず、縛り付けてしまった。その結果、招いたのが、純粋な女の子の不純化だった。
「ビナ」
「何ですか?」
「フルミーナさんのことは…」
自分でもなんでこんな矛盾した言葉を吐いたのか理解できなかったが、一種の罪滅ぼしだったのかもしれない。けれどもう、そのフルミーナにだって、ハルの存在は忘れ去られていることだろう。そう考えると、きっと、許してはくれないし、ただ、ハルも自分の薄汚さから許される気もなかった。それでも、ビナには迷惑をかけたことだけは自分を許せなかった。彼女の人生を狂わせたと言っても、その通りだったのかもしれない。変えなくていい運命を捻じ曲げた気がした。
「フルミーナにはちゃんと私から話をつけておきます。好きな人ができたから別れようって」
「それは…」
「ハル団長が心配することなんて何もありません」
「………」
「ふつつか者ですが、あなたのために精一杯頑張ります!よろしくお願いします!ハル団長」
そこでビナの幸せそうな飛び切りの笑顔を見れてしまうと、ハルは心の底から絶望してしまった。どうしてこんなことをしてしまったのかと…。
そして、ビナはハルの背後で、煙を上げている砦や街がある方を見た。大きな火の手が上がっており、彼女はそこでいまは自分に構ってもらっている場合ではないことを知った。
「ハル団長、後ろ、街が…」
「ああ、うん、任せて、それじゃあ、行ってくる」
その純粋な正しさを持ったビナにハルは最後に言った。
「ビナ、本当の自分の気持ちだけはどうか見失わないで欲しい…」
「どういうことですか…?」
「自分勝手でごめん。でも、そうだね、愛してるよ、ビナ…」
ハルはそれだけ言うと、彼女の前から一瞬で姿を消した。突風が吹き荒れビナの赤い髪を勢いよく揺らした。目にも止まらぬ速さは、彼の飛んで行った後ろ姿さえ見えなかった。
「おい、ハル、俺を上まで放り投げてくれないかって、ってあれ、もういないか…」
背後でエウスが叫んでいると、二階の部屋からライキルが扉を開けて下の様子を見るため顔をのぞかせた。
「エウス、ビナ!二人とも無事だったんですね!」
「おう、ライキル、お前さんも無事そうで何よりだ。とりあえず、なんかロープみたいなのないか?」
「ないです」
エウスとライキルが話している最中、ビナはひとりハルが向かったであろう、砦と街がある方向を見つめていた。もうすっかり夜であったが、遠くで上がる炎の光がこの宿にまで飛んできており、うっすらと明るかった。
「愛してる、ですか…フフッ、はい、私もずっとあなたのこと見てましたよ。ハル団長…えへへ」
『私も愛してますよ、ハル団長…いいえ、ハル……』
ビナはとっくにフルミーナのことを過去にして忘れていた。そうすることが、ハルに対しての誠実さだったから彼女はそうしていた。それが正しいことだと認識していた。そんな彼女を変えてしまったきっかけを作ったのは紛れもなく彼のせいだった。ビナには彼を選ぶことしか選択肢は当然前からなかった。ただ、それはいままで彼がこちらにその選択を振るか、振らないかだけの問題だった。
にやけたビナは軽快にステップを踏みながら、どうにか上に登ろうとしていたエウスを、ライキルたちのいる二階に放り投げていた。
その時、何となくお守りにして肌身離さず持ち歩いていた黄色い綺麗なピアスが、ビナの服の胸ポケットで光ったような気がしたが、ビナはそれに一切気付かなかった。
***
『辛いんだよね、愛を失うのって…』
誰かが、ビナたちを見守るように、そう言った気がした。
それは夜風が鳴らした気のせいだったのかもしれない。あたりには誰もいなかった。それでも、その誰にも届かない声は、消え入る最後に再び自分事のように呟いた。
『怖いんだよね…』