表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元剣聖ハル・シアード・レイの神獣討伐記  作者: 夜て
新世界と古き血脈編
451/781

古の血脈 強襲

 その後のハルはいつも通りみんなのいる日常に戻った。

 夜になり、宿の傍にある外の適当な空き地で夕食を取っていた。ハルたちのほかに、サムとベッケとレイチェル、そしてベッケが連れてきた数十名の部下たちがその外での夕食に参加しており、大所帯になっていた。


 その中で、まるで何事もなかったかのようにいつものハルとして振舞った。その日の夜、ライキルにはその時初めて恋に落ちたような感覚で甘い会話をした。好きだよというと私の方がといい喧嘩になりそうで、傍から見たらそんな二人は馬鹿に見えたかもしれないが、お互いの中で世界が完結していたので何も問題はなかった。

 ガルナのことはたっぷり甘やかしてあげて、甘えられた。子供のように無邪気な彼女それでも恋を知っている彼女は、思う存分ハルに甘えて彼の恋人という立場を確かなものにしていた。

 ルナはエルフたちの会食に呼ばれ、彼女は拒絶しようとしていたが、ハルが行けと命令すると、もの欲しげな目でギゼラに引きずられ、連れていかれた。そのため、夜の間二人は留守だった。


 エウスとは相変わらず、馬鹿な話をしては子供の頃に戻った気分にさせられた。その時だけ、本当の自分に戻れたような気がするいい時間を過ごせた。


 そして、ハルはビナにも、まるで昼間の出来事なんてなかったかのように普通に接した。


「ビナ」


「ハル団長…」


 ちょうどライキルとエウスがいつものくだらない喧嘩を始めたタイミングで、ハルはビナに声をかけた。彼らの喧嘩に、一緒に夕食を取っていたサム、レイチェル、ベッケと彼の部下たちがその喧嘩に熱中していた。


「ビナはさ、やっぱり、恋人のフルミーナの方が好きなの?」


 ハルが騒ぎの中心の喧嘩を見届けながら言った。それは子供っぽい質問ではあったが、ビナには答えに詰まる質問だった。


「私は…」


 ハルは彼女が答えるのを待った。喧嘩の盛り上がりは最高に達し、やはり手加減しているのかエウスがボコボコにされていた。その馬鹿騒ぎが終わる前にビナは答えを出した。


「ハル団長の方が好きです」


 まっすぐな瞳でビナはハルにそう言った。そこに一切の迷いはなかった。まるで規律を守る軍人のように彼女はハルだけを見つめてそう言ったのだった。


「うん、合格……」


 ハルはそういうとビナの傍から離れていった。しかし、ハルの表情はどこまでも沈んでおり、それはまるで雨をため込んだ雨雲のように暗く不安定さため込んだような顔つきをしていた。

 けれど、それもハルの傍にエウスに勝利したライキルが近づくと嵐の後のように一点の曇りもないほど、明るい笑顔を見せていた。


 夕食が終わり、ルナたちも会食から帰って来たタイミングで、ハルはルナの部屋により、明日の会議のことについて話しをした後、しっかり宣言通り、今晩彼女には一切手を付けず、自分の部屋に帰宅し一日を終えた。ただ、部屋を出るとき、ルナの悲しみに染まった声を聞いたが、気のせいだとハルは自分に言い聞かせ、愛する二人が待つ自室に戻った。


 ****


 次の日。朝食はみんなでとった。

 森を切り開いて作られた小規模な現在のスフィア王国が拠点としている建設中の拠点は、間に合わせの建造物の資源として伐採された木の残骸が多く残り、辺りは切り株が所々に出現していた。

 ハルたちは宿の近くの切り株を椅子にして外で配給されたパンなどの軽い食事をしていた。

 昨夜の盛り上がりとは打って変わって静かな朝で身内の集まりは昨夜と比べると寂しさが空気に滲んでいる気がした。


 ハル、ライキル、ガルナ、エウス、ビナの五人だけの食事をしていた。


「今日、ちょっとお昼から用事があって、ルナと砦に行ってくるよ」


「それって私たちも行っちゃダメなんですか?」


「うーん、本当はルナだけが呼ばれてるんだけど、俺も何とか入れてもらった感じだから、難しいかもしれない…」


「そうですか…」


 ライキルがしょんぼりとした顔をすると、ハルの心が痛んだ。みんなを連れていくわけにはいかなかった。ビナならいいかもしれないが彼女がいいのにライキルがダメとなると、それはライキルとの不和が広がりそうで嫌だった。だから、今回は誰も連れていかずに、ハルはスフィア王国と交渉を進める気でいた。


「いい子にしてて、すぐ戻って来ると思うし」


「わかりました。すっごい!いい子にしてるので、早く戻ってきてください!」


「わかった、任せて、ライキルのためにすぐに戻って来る」


 ライキルとイチャイチャしていると、ガルナが切り株に座っていたハルの背中に飛びついてきた。


「なあ、ハル、そうやっていつもライキルばっかりずるいぞ…私にも構え…」


「ああ、ごめん、でも、ガルナ、食事中だよ。ほら戻って」


「じゃあ、はい、私のパンあげる。あーんしろ!」


 そういうと食べかけのパンをハルの口元に近付けた。


「はいはい、ありがとう」


 ハルは何の抵抗もなしに彼女の食べかけのパンを口に含んで代わりに自分のまだ手を付けていないパンを彼女の口に放り込んでやった。そうすると、彼女は嬉しそうにハルの隣に座りなおして、自分の分の残りのパンをかみちぎっていた。


 その後、昼になるまで、みんなと戦闘訓練をした後、砦の会議室にルナと一緒に向かった。


 砦の中は相変わらず超高身長のエルフたちのために造られたため、天井が高く扉も大きかった。さらに、砦は防衛機能を重視しており、窓が少なく室内の通気性が悪いように見えたが、中の廊下にはどこからともなく一定の風が吹き快適だった。魔法なのか建物構造によるものなのか分からなかったが、とにかく砦の中は外ののっぺりとした、あじっけのない造りに反比例して快適だった。


「昨晩のことは覚えてるよね?」


「脱いだ私を置いて帰ったことですか?」


 いじけたようなそぶりでルナがハルの袖をつかむ。


「違う、今日の会議での話の方向と着地点のこと」


 ぴしゃりと間違いを訂正し真剣な顔をすると、彼女もハルに合わせてまじめな顔になった。本当に彼女はハルの思うように動いてくれて、扱いやすかった。愛の奴隷はよく小回りが利いた。


「スフィア王国に恩を売って、レイドに支配下に置くでいいんですよね?」


「理想はそうだけど、レイドにじゃなくて、ルナ・ホーテン・イグニカ個人に支配権が集中するように交渉するんだ」


「でも、そんなことできるんですか?」


 国に対して個人が交渉できることなどめったにない。しかし、ハルはそのやり方を十分すぎるほど知っていた。


「できるよ」


「教えてもらってもいいですか、私、交渉事はあまり得意ではないので…」


「そんなことないさ、ルナが得意なことだよ」


「得意なことですか…あ……」


 周囲に天性魔法を放ち索敵し砦の廊下、自分たちの近くに誰もいないことを確認するとハルはルナの耳元でそっと囁いた。


「女王を殺せばいい…」


 耳元で囁かれた彼女はハルの口から出てきた言葉にゾクゾクと体を震わせていた。ハルは続ける。


「正確には、今から行く会議室の人間全員をこの場で殺すって脅せばいいだけ、ルナにはそれができるでしょ?」


「はい、それなら得意中の得意です。なんだったら、実際にみんな殺しますか?」


 ルナがとびきりの笑顔で、冷え切った思考で話すハルに提案する。


「それはダメ、組織の頭の利用価値は高いんだ。一から組織を再編成するより、その頭を支配した方が体も手に入るから楽なんだ。そういった意味で殺すのは本当に最終手段。まあ、でも交渉が決裂しそうになったら近くにいる適当な人間をひとりか二人殺して決意表明すればいい。権力者は机上でしかものを語らない。実際に目の前で現実を見せればいい。ってな感じなんだけどわかった?」


 ハルがそこまで言い切ると、ルナは興奮気味に食い入るように見つめて言った。


「あぁ、ハルからそういう考えが出るなんて、正直最高です。私、あなたのことがもっともっと大好きになりました。あの崇拝もしますが、やっぱり結婚もしてもらえませんか?なんか、私、そっちの方がいいような気がしてきました」


 彼女のハルを見る完全に酔心しきった目は、神を見た信者のそれそのものだった。だが、そんな彼女の好奇な目をハルは内心疎んでいた。なぜなら、彼女に好かれれば好かれるほど、それは良くないほうに自分が足を踏み入れていることを自覚させられるからだった。

 もちろん、そんな覚悟愛する人たちを守るためならいくらでもこの身を汚すのだが、それでもこの深い沼に沈むような感覚の嫌悪感は、まだハルの中でぬぐい切れずに残っていた。


「ルナさ、だんだん君の唯一の神様である俺に対して舐めた態度取ってきてない?」


 ハルがいらだった感情を前面に出し、鋭く睨みつけた。

 だが、ルナはお返しに世界一幸せといった様子で笑って見せた。


「だって、ハル、とっても優しくて何しても許してくれるんですもん…」


「何が?」


「ほら、こうやって舐めた態度とっても殴ったりしませんよね?私が子供の頃よく父親に殴られてましたから、まあ、結局この手で殺したんですけど」


 暗く重そうな過去をいまの幸せで吹き飛ばし無邪気に笑っていた。

 ハルの顔が少し苦しそうに歪んだ。


「ルナの家庭環境なんて知らない…俺はルナが黙って素直に従ってくれればそれだけで愛を与える。そういう崇高な関係でしょ?こうやって舐めた態度を許してるのだって対価の内だよ。もし、裏切ったら…」


「私がハルを裏切ることなんて生涯ありませんよ?」


 そこでルナが恥ずかしそうな顔で、ハルの口に指を当てて話を遮っていた。そこでハルはこの女をぶん殴って地獄の底に叩きつけてやろうかと思ったが、まだ不払いの愛の対価があったため、思いとどまった。まあ、つまり用済みにするにはまだまだ彼女は早すぎるという残酷な理由だった。そう、彼女との接し方はそれくらいでよかった。


「行くよ、もうすぐだ。あの部屋にみんな集まってる」


 ハルとルナは窓のない廊下を進み、ひとつの部屋の前まで来ると、勝手に内側から扉が開いた。

 その会議室は窓も何もない広々とした空間だった。縦長のテーブルが四角くなるように並べられ、その四角の辺の部分には生き残った名のある貴族たちや、軍人関係者、が座っていた。そして、部屋の奥の席には、ジェニメアと剣聖のアルバーノがいた。

 当然、ハルとルナ以外はエルフでその威圧感は尋常なものではなかった。だが、二人が怖気づくことはなく、常に堂々していた。

 それが癪にさわったのか、ひとりのエルフがひねった言いがかりをつけてきた。


「我が女王ジェニメア様、このような小娘に我々の剣である剣聖アルバーノ殿が手も足も出ずに負けたのですか?」


「言葉を慎みなさい。客人の前で恥だと思わないのですか?」


「それを言うならお言葉ですが女王、すでにこのような危機的状況に陥っている時点で我々スフィア王国は恥なのではないですかな?」


 そこでジェニメアが老いているエルフ、といってもハルたちから見て顔は三十やそこらの男性にしか見えないが、その若々しさの反面、言葉には重みがあった。


「貴様これ以上無駄口をたたくとその首ごと斬り落とすぞ」


 女王に代わって黙っていられなくなった剣聖アルバーノが声をあげた。


「構いませんぞ?私の知恵がなくなればエルフの復興はさぞ遅れることでしょうから」


「その無駄口が永遠に閉じれば、この無駄な時間も終わりを告げる」


 しかし、そこでジェニメアが静かにいった。


「双方、静まりなさい。これ以上この場を乱すものは何人たりともこの私が許しません」


 女王の本気の目にその老公も息をひそめた。これ以上は面白味もないという引き際をわきまえてもいるようで、ニヤニヤと笑っていた。一方、剣聖アルバーノは納得がいかないようで、表情をしかめて老公を睨みつけていた。

 だが、女王ジェニメアが訪問者のルナたちに興味が向くと、彼は彼女に耳打ちをしていた。


「あなたがルナ・ホーテン・イグニカさんね?」


「お会いできて光栄です」


「あなたがレイド王国所属というのは本当ですか?」


「はい、レイド王国に所属しているということは本当です」


「そうですか、まあ、ルナさん、席についてください」


 ルナが席に腰を下ろすとすぐにハルの方に振り返った。ハルの設定は彼女の従者であるということになっているので、当たり前のように椅子には座らず彼女の後ろで待機していた。


「それではさっそく本題に入りましょう。ルナ・ホーテン・イグニカさん、あなたは私たちの王都奪還計画に参加していただけるのですね?」


「はい、そのつもりです」


「それでは、まず細かい作戦を決めることよりも、報酬の話からさせてください。そっちの方がよろしいでしょ?」


「構いません」


 ルナは強気の姿勢を崩すことなく女王相手に有利に話を進めていた。


 ハルは後ろで聞いていて話が早くて助かるなと内心で思っていた。結局のところ今回の問題もハル一人を投入すれば済む話であり、作戦を練る必要などはないのだが、物事には順序があり、ハルは今後の利益を最大化させるためにこうした、まどろっこしい政治的問題に取り組んでいた。

 より自分の将来の楽園に平穏が訪れるように、支配圏を拡大しようという試みを実践していた。


「それでホーテンさんは何が望みなのかしら?」


「その前にひとつだけ確認してもよろしいですか?」


「何でしょう?」


「あなたたちの立場についての話です」


 ハルは後ろで聞いており、そのルナの発言に『お?早速切り込んだな』と感心していた。


「立場ですか…」


 ジェニメアがいち早くルナの思考を先読みしたのか表情を曇らせた。


「そうです。本来ならばこの時点であなたたちは私に服従を誓わなければならないのではないか。という話です」


 周りの貴族や軍事関係のエルフたちが一気にどよめいた。この小娘は一体何をぬかしているのだと誰もが彼女を敵とみなし鋭い目つきやヤジを飛ばしていた。


「小娘何を言っているか、分かっているのか?」


「立場だと?たかが人族が、こっちが何年生きていると思ってる?出直してこい」


「女王様こんなやつ抜きで我々だけで話合いましょう。そっちの方が建設的です」


 飛び交う無責任な言葉たちをジェニメアが黙らせる。


「みんな静かに、ルナさん、あなたの考えを聞きましょう」


 場内は一気に静まり返り、敵意を持ったエルフたちの視線がルナに集まった。そこでルナはここが一番の見せ場だと理解し、言葉を紡いだ。ハルに言われた通りの筋書きに沿うように。


「王都奪還の暁には、スフィア王国は今後、このルナ・ホーテン・イグニカの支配下入ることを約束して欲しいのです」


「おぬし、本気でそのような馬鹿げた意見が通ると思っているのか?」


 貴族のひとりが声を上げた。


「本気ですし、馬鹿げてもいません。よく考えてください、皆さんがいまどんな立場に置かれているのか?」


「衛兵このものをつまみ出せ、話にならん」


 貴族が傍にいた二人の衛兵の精鋭騎士を使って、ルナを会議室から追い出そうとした。その二人のエルフが武器を携帯してルナに近づいた。


「おい、貴様、立て、ここから出て行ってもらう」


 ルナはその二人には見向きもせずに、正面奥にいるジェニメアに語り掛けた。


「やめさせないんですか?後悔しますよ?」


「そこの二人…」


「おい、いいから、早く立つんだ」


 だが、女王の言葉が続く前に衛兵たちがルナの体に触れ、その場から退場させようとした。


 ハルはその光景を止めることもなくただ見守っていた。そして、これから起こるであろうことにも干渉せずにいた。彼女に触れた人間がどのようになるかは何となく予想がついていた。

 彼女はこう見えてもレイドの裏社会の女王という地位にいた。高貴といえば高貴だ。そんな彼女がたかが衛兵二人に触れられたらどうなるか?高い殺傷能力性を秘め、冷酷無慈悲な心を持っているのだ。軽率な行動はあまりにも危険だった。

 だが、その責任は彼女のせいではない。それは貴族や女王、衛兵もそうだが、現在のスフィア王国の状況、つまり彼女が言った通り現状の立場を考えれば、こんな無礼な真似はできないのは当然だった。彼女は特名まで名乗り地位も示している。それなのにも関わらずこの態度、国が窮地に立ち焦っているからと言って無礼が許されるわけではない。さらに剣聖を打ち負かしたとなれば、それはもう自ら刃に刺さりにいく愚行でしかなかった。


 しかし、ハルは内心、ことが順調に運んだことに安心していた。そして、これから起きる惨劇を止めずにいた。


 世の人間を愛してはいたが、ハルは愛する順番を選ぶようになってしまった。


 清らかな彼はもうどこにもいない。


「立場が分かってないようね…」


 ルナが人差し指を下に向けると、両脇にいた二人の衛兵が一瞬で地面に貼り付けにされた。その後だった。彼らは体全身の骨がボキボキと折れる苦痛に絶叫した。殺しはしなかった見せしめに留まらせた。


 会議室でが静まり返る。その事実に誰もが驚愕し、言葉を口にできなかった。


「お前ら、長寿だからって、いつまでも生きていられると思うな。いまこの瞬間にも、てめえらの全ての骨を折ることだってできるんだぞ?」


 ルナがそういうとみんなの前に人差し指を上に向けて前に突き出した。それが下に向けられた時、何が起こるのかは想像に難くなかった。

 全員が彼女のその指先ひとつに震撼していた。


 それから、スフィア王国の貴人たちは全員、ルナの言葉に一切口を挟まず怯えていた。女王のジェニメアさえも、冷静さを保つだけで精一杯だった。いつ彼女が指を上から下に下げるかだけに注意を向けているようだった。その場から誰も一歩も動けず、会議は続いた。


 会議中ハルは倒れた兵士たちが連れて行かれるのを見た。彼等から流れてくる血がハルの下まで、まるで呪い恨むように集まり流れてきた。


『いくらでも俺を恨んでいい、それは間違ってない…』


 ハルはルナが会議の流れを掌握し完全にスフィア王国を掌握していた。

 今日話し合った会議の主な内容は、これからはルナを中心に王都奪還作戦を優先事項とし、政策を進めていくことだった。そのため、彼らがルナに会うたびに彼女の指が下を向かないかに怯えることになるのは、何とも可哀想なことだと思った。

 彼らは見誤ったのだ。ルナという美しく脆そうな少女の外見に騙されたのだ。本当はタフで血に濡れた牙の鋭い獣だということを、理性や常識を食い破る化け物ということを見抜けなかったから食われたのだ。


 会議がひと段落すると、ルナは血だまりが広がった赤い床に立ち上がり全員に言った。


「もう私たちは帰ります。安心してください、別にあなたたちに危害を加えようなんて気はありません。むしろスフィア王国がこのような危機に陥った時は私が駆け付けます。ただ、忘れないでください、どっちが上かってことだけは、それを見誤ったとき、全身の骨の音が鳴る音を思い出してください」


 ルナがそう言って立ち上がり去ろうとしたとき、不意打ちのように振り返って全員に緊張を走らせた。


「そうだ、言い忘れていました。私はレイドに所属していますが、私の名前は表には出ていないのでそこのところも要注意でお願いしますね、それじゃあ、失礼します」


 ルナが会議室を去ると、ハルも彼女の後に続いた。ルナの存在感が完全にハル・シアード・レイという男の存在をその会議室から消し去っていた。


 ***


 会議室から砦の外に出ると、外の冬空には夕日が沈みかけており、辺りは真っ赤に染まっていた。もちろん、その赤は今日一日の終わりを美しく飾るもので、決して血など物騒なものを連想させる暴力的なものではなかった。


「ハル、ハル、どうでした?私、頑張りましたよね?すごい理想的な話の持って行き方できたと思いませんか?これでスフィア王国は私の支配下であり、あなたの所有物になりました!どうですか?褒めてもらえませんか…?あ、あれハル?」


 ハルは、隣で興奮するルナを置いていくように足を進めていた。そして、新しく砦の防衛機能向上のため築かれていた建設途中の壁の上に行ける階段を上っていた。きっとこの砦は時間がたてば城として機能するほど、成長を続けていた。


 ルナが褒めて、褒めてと言いながら、後ろをついてくる。


 ハルが階段を登りきると、その壁の向こうには造りかけの街が広がり、夕焼けに染まりオレンジ色に輝いていた。


「綺麗ですね」


 隣でルナがそうつぶやいた。


 夕日に染まる街は彼女が言った通り、綺麗だった。街の人々が生きるために協力して作り上げた自分たちの居場所には、おのずと活気があふれ、みんな失ったものが多いのにも関わらず必死に生きていた。その生命の生への執着というものは、何よりもハルは美しいものだと思った。

 死んでいい人間なんていない。そう思うのと同時に自分たちの前には殺さなければならない人間が現れる。だから力をもって消しさり罪を手に入れる。その罪を背負うのはきっと、この隣にいる彼女じゃないはずだったのに、彼女の運命が、理不尽が、様々な不条理が重なって、いまの彼女はここにいる。本来ならば、夕日を見て無邪気に綺麗だ、なんて言ってはしゃげる女の子なのだ。彼女の罪は消えない。しかし、その罪をハルが受け持ってあげることはできる。


 ハルの名の下に彼女は救われる。神が罪を背負うとき、信徒は救われる。


「ライキルと見たかった…」


「待ってください、私じゃ不満なんですか?」


 ハルは本音をぶちまけたことを一切謝らずに、膨れるルナの頭に手を置いた。


「今日はありがとう。俺のために頑張ってくれて、俺もルナのことますます好きになった。なんていうか、切り捨てるのはもったいないなって思ったよ」


「なんかさっきからすごいこと言ってませんか?あ、でも、好きになってくれたなら私は正直なんでもいいです。ウフフッ!」


「そんな盲目でいいの、いつか不幸になるって思わないの?ルナは俺に利用されてるんだよ?」


 それは洗脳を解く本音の言葉だった。


「ハルってそういうところ優しいですよね。なんていうか、私に選択肢を与えてくれてるところとか。あ、でも、分かってるんですよね?私が絶対にハルのこと裏切らないからそういうこと言っても安心だってこと…あれ、ちょっと待ってください…これって、ひょっとして遠まわしに私に愛してるって言ってることで合ってます?」


 ハルがルナを一瞥する。そこには頭の中にハルという存在しか詰まってない、ある意味で頭空っぽな少女がそこにはいた。


「さあね、どうだろう」


 嘘をつくならば、合っていると口に出していただろう。しかし、ハルは言葉を濁していた。


「うええ、ご褒美をくださいよぉ…」


 ハルは騒がしいルナとその日の夕日が沈むまで一緒にいた。


 ***


 夕日が沈むと、街には明かりが灯り、それはまた幻想的な光景が広がった。


「そろそろ、時間だ。ライキルたちが待ってるから行かないと」


「そうですね、ハルにとってライキルは何よりも大切ですからね…」


「お!分かって来たね、そうそう、ルナは賢いね!」


「あの、こういうときだけすごい嬉しそうにしないでくださいよ。私傷つきますよ!!」


「ハハハ…」


 ハルは乾いた笑いを披露した。


 ハルとルナは壁を下りて砦の脇を迂回して、敷地内にある宿に戻ろうとした。


「あ、もしかして、あなたがハル・シアード・レイさんで合っていますか?」


 そこにひとりのエルフがいた。すらっとしたハルの高身長を軽く超すほどの長高身長で、エルフ特有の尖った耳を持ち、金色の瞳にはどこか人間離れしたものを感じさせた。何から何まで違和感しかなく、最終的に彼の背中に生えている翼で、彼が何かしらの神の使いなのではないかと目を疑ってしまうほど、その話しかけてきたエルフに神聖な印象を強制的に与えられていた。


「はい、そうですが…あなたは?」


 ハルは自分を知っている人が現れ少し心が躍っていた。だが、それも束の間だった。


「私の名前ですか?知らなくていいですよ、あなたは…」


 その金髪のエルフの背後から無数の光の玉が現れ、あっという間にハル目掛けて射出された。


「いまから死ぬんですから」


 光線がいくつもハルのいた場所に着弾し、巨大な爆風を起こした。


「ハル!!!」


 爆風で吹き飛ばされたルナが地面にひれ伏せながら、彼の名前を呼ぶ。


「ああ、少しやりすぎたかな?まあ、いいか、これで脅威は去った。俺も戻るとするか…」


「お前!!」


 いま目の前で起こったことを即座に理解したルナは憤怒と共に立ち上がり、人差し指をそのエルフに向かって突き出した。


「何をした!ハルをどこにやった?」


「アハハハ、小娘に何ができる、この俺と戦う気なのか?人間ごときが?」


「答えろよ」


「彼なら死んださ、木っ端みじん、血も肉も残らないほど跡形もなく消してやったよ」


 ルナはこれから始まろうとしていた彼との人生を目の前であっけなく崩されたことで、その怒りは頂点に達していた。


「死ね!!!死ねええええ!!!!」


 だが、ルナが全力の天性魔法を叩きこもうとしたときだった。


 そのエルフの首が、胴体からぽろりと転がって落ちた。


「え?」


 そのエルフも何が起こったかわからず、啞然としていた。その彼の転がった頭が地面にドサッと落ちると、そのエルフの体は燃え尽きた灰のようなものに分解されながら、ボロボロと崩れていった。

 そして、消えかかる彼はまるで体の構造上を無視するように言葉を吐いた。


「なんだ、もしかして、俺の方がやられたのか?待てよそれだったら、やばいな…いや、いいデータだ…」


 ぶつぶつと呟いている間にそのエルフは跡形もなくルナの前から消えてしまった。


 ため込んだ行き場のない怒りをルナはどこにも吐き出せず、その場に倒れこんだ。


「何なの、何がおこってるの…」


 すると街の方ですさまじい破壊音が響き、それが街のあちこちで鳴り響くと、ルナは立ち上がった。


「とにかく、みんなと合流しなきゃ…」


 そう思いルナが走りだすと、異変に気づいた。それは上空に飛ぶエルフを目撃していた。そのエルフはいま消滅したエルフと瓜二つの顔をしており、ルナは背中に三つのリングを展開するとそこから空に飛び立ち彼の後を追った。見失ったハルの居場所を突き止めるために。


 ***


 ライキルはガルナと共に部屋で休憩していた。ハルが会議に出向いている間、日が暮れるまで稽古をしてくたくたになって帰って来たばかりだった。


「ハル、まだかな…」


 ガルナがライキルの膝の上に頭をのっけて寝そべりながらつぶやいた。


「もうちょっと待って、戻ってこなかったら先に食事にしましょうか。多分、難しい話をしてるから時間が掛ってるんだと思います」


「わかった、待つ…ずっと待つ…」


 そういうとガルナは目を閉じてそのまま寝息を立てて疲れを回復させるため眠りに着いていた。


「もう、まったくガルナは自由で困ります…」


 そういうとライキルは彼女の頭を優しくなで愛おしそうに見つめていた。

 しばらく、ガルナと二人っきりの静かな時間を堪能していると、扉にノックの音がなった。


「あ、はい!いま開けますね!!」


 ライキルは、ガルナを起こさないように体をずらした後、扉に向かった。


「おかえりなさい、ハル」


 そこにはライキルとあまり背丈の変わらない金髪で背中に翼の生えたエルフが立っていた。


「こんにちは、お姉さん、そして、さようなら」


 そのエルフの背後で光球が不気味に輝いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ