捕らわれの身
時は少し遡り王都襲撃から数日後。
無人となったスフィア王国王都エアロにある王城クライノート、謁見の間に彼は倒れていた。
だだっ広い広間の真ん中で目が覚める。あたりはやけに眩しかった。室内には不自然に光が溢れ、あたりにある至る場所が輝いていた。
目覚めてから記憶があまりはっきりしない。そのため、この光あふれる不思議な室内も相まって、天国か何かだと勘違いしてしまうほどには、頭の中がまだ混乱の中にいた。
「ここはどこだ。俺はどうなった…」
自分自身のことが分かることから記憶喪失などではないことが、エルヴァイスという自分の名前を憶えている事から判断できた。自分が誰であるかわかっているだけで、どんな状況でも立ち上がることができた。
ぼやける視界の中、体を起こそうとしたが、四肢が動かないことを自認すると、再び芋虫のようにその場に倒れた。
倒れていると前方で光が強まったことを感じた。
神々しいという言葉を使えばいいのだろうが、エルヴァイスはその光の先にいる人物を目撃したとたんに、途端に自分のいる場所が天国などではなく、途切れる前の記憶も呼び戻ってきた。
エルヴァイスはため息をつき、ゆっくりと玉座の前の階段を下りてくる顔見知りの顔をうんざりした顔で見つめた。そこには一切の感情も持ち合わせず、ただ、退屈だけを持ち合わせて彼女を迎えた。
「お前は、ミルケーでいいんだな?」
闇を纏ったかのような長い黒髪に、夜空に広がる宇宙のような終わりのない深い真っ黒な瞳。エルヴァイスが知っている彼女は自分たちと同じ、金髪碧眼の可憐な女性だったはずだが、彼女はどうやらこの数百年の間に様変わりしてしまったようだった。
「お久しぶりです。エルヴァイス様、いいえ、凶王エルヴァイス」
天使のような笑顔がただ顔に貼り付けた表情に過ぎないことは分かっていた。彼女からエルヴァイスが感じるものは常に胡散臭さだけだった。
「お前、ずいぶん派手にやらかしたじゃねえか」
エルヴァイスが立ち上がろうと自分の手足に目を向けると、手足に光の手錠が取り付けられており、両手両足を奴隷のように繋がれ身動きを封じられていた。
「まだまだ、あなたがしたことに比べたら子供のお遊び程度ですよ」
「そうか?国家転覆なんて相当なもんだと思うが?」
エルヴァイスはそこで天性魔法を発動させ、その光の手錠を破壊しようとしたが、エルヴァイスの体から魔法が発せられることはなかった。面倒臭い手錠だと思いながらもどう外すか考えを巡らせていると、ミルケーが先に答えを教えてくれた。
「それ、あなたの力じゃ外れませんよ?その手錠は私の許可がないと絶対に外れない仕組みになってるんです。そういうものなんで諦めてください。無駄な抵抗は体力を消耗するだけです。それより久しぶりに会ったんです。お話ししましょうよ、お互い積もる話もありますよね?」
「別に俺はお前と話すことなんてないが、まあ、いいぜ。なんでこんなことしたかくらいは聞いてやる。ティータイムとしよう」
無様に捕まって寝っ転がっているエルヴァイスだったが、冗談を言う元気があった。そして、自身が置かれている危機的な状況に対しても、緊張感を全くと言っていいほど持ち合わせいなかった。本当にそこにはただの知り合い同士の話し合いがあった。
「ダメですよ、ヴァイスにはこれからこの世が終わるまで、私の傍で見届けてもらうんですから?それがあなたのこれからの人生の役目なんですから」
エルヴァイスはミルケーが勝手なことを言っていることに対して、さして何の感情も持ち合わせなかった。
「お前、なんでそんな恰好してるんだ?ここ数百年で趣味でも変ったのか?」
エルヴァイスは彼女の姿が気になって仕方がなかった。数百年の時が過ぎれば人が変わるのは当たり前であるが、エルフたちの時の流れは他の種族とは長寿という点では、異なった時間間隔があった。そのため、他の種族に比べて数百年前の出来事でも、まるで数年前のことのように思い出せた。エルフが、ある程度記憶力に対して他の種族たちよりも優れたものを持っていることは確かだった。
「ヴァイス、あなたにはたくさん話すことがありますが、そうですね。この姿は私が神様になったからとで言っておきましょうか?」
「なんだその理解しがたい話は、もっと分かりやすく話せ。金髪碧眼だったお前が、金髪を染めて、目の色まで変わってる理由が」
エルヴァイスは彼女の生い立ちを考えれば彼女がそんな姿をしていることに違和感を覚えていた。そりゃあ、彼女の中で心変わりがあったのならそれはいいことだとも思ったのだが、この王都エアロを転覆させた人間がまずまともな思考を持ち合わせていないことは確かだった。
「信じてもらえないならいいけど。でも、まあ、確かにあなたから見たら私が純潔としての証を捨ててることが不思議に思うのは仕方ないでしょうね。だけど安心して、私の心は何も変わってない。あの頃と一緒よ。あなたたちと駆け抜けた日々が私の中にはまだしっかりと残ってる。いいえ、あなたたちといた頃が私にとっての全てだったのでしょうね」
ミルケーは寂しそうに笑う。だが、すぐに気持ちを切り替えたのか、しゃがんでエルヴァイスの顎を持ち上げて強制的に自分の顔に近付けさせると続けた。
「聞いてエルヴァイス。また私と一緒にフルブラットを復活させてみない?昔のように純潔のエルフだけしかいない世界で、昔のあなたが掲げた目標を今度は私と一緒に成し遂げるの」
そういうと、ミルケーは信頼の証にエルヴァイスの光の手錠の拘束を一気に四つ外した。自由になったエルヴァイスはそれでも、その場から動くことはなかった。
そして、さらに彼女はエルヴァイスを誘惑するように言う。
「私はそのために力をつけたし、なんだったら、ベッケやレイチェルも連れて来てもいい。また、みんなでフルブラットで過ごそうよ」
お互いその場で見つめ合ったまま固まっていた。エルフにとって時間はゆっくり進むもので、そのまましばらくの時間が流れた。
しかし、やがて、優しい憐みの目でミルケーを見たエルヴァイスが首を横に振った。
「それはできない。フルブラットはもうずっと前に終わってるんだ。それに純潔主義の考えに俺は賛同できない」
「どうして…あんなに純潔のエルフたちのために戦ってきたじゃない。そのために悪役の名前まで背負わされて、この表舞台から消された。あなたはみんなのために戦ったのにそれなのに、みんなはあなたを裏切った。特に混血どもはあなたをフルブラットから引きずり下ろした。まずは人間の中でも混血エルフから消さなきゃならない。混じってるやつらが一番の害悪だ。ちゃんと私たちで選別しなきゃダメなの。フルブラットはそのために存在してなくちゃいけない」
立ち上がったエルヴァイスはなお彼女の意見を否定する。
「ミルケー、お前の言ってることは間違ってる。みんながどうとかじゃない。俺が自分の意志で、フルブラットを終わらせたんだ。俺が自分の間違いに気づいたんだ。正しさはみんなのほうにあった。それを俺が力でねじ伏せてただけなんだ。それにフルブラットは弱い立場の人間を守るために作った組織だ。人間を選別するためじゃない」
「違う、エルヴァイス、あなたは何もかも間違ってる。エルヴァイスという私たちの王は、純潔のエルフのために戦う英雄だった。あなたはフルブラットの王にして、世界を束ねるものなの、私はそのために神になった。あなたをもう一度王にするために」
ミルケー自身はまるで闇を纏うエルフだったが、彼女の背後には目も眩むほど周囲の光がまるで集まってきているように光り輝き始めていた。
「なんで、お前はそんなに俺に執着できる…お前を最後に殺したのは俺なんだぞ…」
「殺した?私はこうして生きてるじゃない。私を生かしてくれたのはあなたなのよ…」
彼女とはまるで意見が合わず食い違い続けていた。それはもはや考え方が根本から異なっており、互いがこれまでの人生の中で見てきた同じ景色に対しての見解が、混ざり合うことはなかった。それは彼女の考えが純潔で透き通り過ぎており、すでに様々な経験からいろいろな色を手にしたエルヴァイスと意見が合うことはなかった。
「あの時、あなたが私を瀕死のまま残した意味は、私にフルブラットを続けさせるためだったんでしょ?もっと力をためて、フルブラットの名をまた世界に対して知らしめるためだたんでしょ?だから、私は時間が掛ったけど、こうして、力をつけて戻って来た。ほら、国の中枢だって一日で落とせちゃったでしょ?」
彼女が手を広げて満足そうに微笑む。その彼女の狂気に染まった瞳からエルヴァイスは一切目を逸らさなかった。そこには強い反抗の意志があった。
「ミルケー、もう、フルブラットは、俺たちの時代は終わったんだ…」
ミルケーの表情の雲行きが怪しくなる。
「なんでそんなこというのよ」
「俺は【マロン】と出会ってから変わったんだ。あいつが俺に見せてくれた世界は、フルブラットの理想なんかより遥かに魅力的だった。だから、俺は自分が間違ってたって気づけたんだ。古から続く主義主張よりも大切なものがあるって…」
室内に漂っていた光たちが、ミルケーから発せられた闇が濃くなるのと同時に勢いを弱めた。
「マロンってあのドワーフのことか?小汚い娘のことか、エルヴァイスに相応しくもないのに、あなたの寵愛を受けてた、あのくそ女のことか!!?」
「俺の妻のことを悪く言わないでくれ…」
そこでエルヴァイスが寂しそうな顔をすると、怒りが頂点に達したミルケーは、エルヴァイスのことを思いっきり殴り、地面に叩きつけた。
「ふざけるなぁ!!あんな女私が人間として認めない。この神であるミルケーが許さない!!」
エルヴァイスは彼女のあまりの力の強さに驚き、急なダメージから足腰が一切機能を停止するほど、殴られたところの痛みの軽減に努めていた。
『おいおい、なんだよ、これ、不味いな…ミルケーの奴本気で力をつけてきたみたいだな…』
それでも、ふらふらと立ち上がると、大量の血を吐いた。体の中がめちゃくちゃにシャッフルされており、一気に顔面蒼白になったエルヴァイスは瀕死状態だった。だが、すぐにエルヴァイスの中で白魔法が発動する。光の拘束状態だったら、確実に死へ誘われていた一撃だった。
「ごめんなさい、今、治します。あなたを傷つけるつもりはなくて、不本意だったんです。だから、もう死んだ女のことなんて忘れてください」
ミルケーもエルヴァイスに白魔法を掛け、治癒を図る。
「………」
エルヴァイスは彼女が口にした事実だけで簡単に心が折れそうになった。その時、不意に、彼女の提案に乗ってもいいんじゃないかと頭をよぎってしまった。
『人生は生まれてから死ぬまでの暇つぶし』
それはエルヴァイスが彼女を失ってから思うようになったことだった。
『なあ、マロン。俺はどうすればいい…お前のいない世界でどうすれば……』
エルヴァイスの体が完全に回復しきると、ミルケーが顔を覗き込んできた。
「大丈夫ですか?少し落ち着きましょう。時間はたくさんあります。よく話し合ってもう一度私たちは理解し合うんです。お互いに妥協点を探してまたひとつになりましょうね?」
エルヴァイスの手がミルケーの胸の中心を貫く。大量の赤い液体がミルケーの体から滝のように流れ落ちた。
「あぁ、そう、あなたのその瞳、私が憧れた強い意志を持った唯一無二の瞳。なんて綺麗なの…」
「お前を、あの時、殺しそこなったのは俺の失態だ」
エルヴァイスはそのまま彼女の心臓を握りつぶした。すると、そこからさらに大量の血が流れた。
「ううん、あなたは何も間違ってない」
「悪いな、ミルケー」
「エルヴァイス、私たちはもっとよく話す必要がある。だから、いまはちょっと眠ってて…また起きたとき話そうか、これからのこと…」
そういうと、胸を貫かれ心臓を潰されたはずのミルケーが、今度はエルヴァイスの胸にやられたことを返すように、素手で吹き飛ばした。
「!?」
声も出なかった。意識が一瞬で吹き飛ぶ。エルヴァイスはもう何が起こったか分からなかった。
薄れゆく意識の中、最後に映るのは女神のようなミルケーだけだった。
『お前…本当に…ミルケーか………』
意識が途切れる。
***
ミルケーは眠りについたエルヴァイスを抱きかかえ、そのまま唇を重ねて白魔法を流し込んだ。エルヴァイスの吹き飛んだ胸がみるみる元の形に戻されていく。
「はあ、本当に戻ってきてくれたんだね、ヴァイス。あなたがいればフルブラットは永遠に不滅だよ、期待してるからね…」
するとタイミング見かねたかのように、謁見の間に、数人の男女が入って来た。
「ミルケー様、結界の準備が完了いたしました」
そこには三人のエルフがいた。
夏の樹木の新緑のような緑の衣装を身にまとい、エメラルド色の髪の男性エルフがひとり。彼は森の化身のように彼の周りには深い森の新鮮なオーラのようなものまで感じさせた。
そして、二人目は女性のエルフだった。多彩な装飾を身に着け、特に様々な種類のブローチを服の至る所に身に着けていた。薄い紫色の髪で彼女の周りには絶えずその髪の毛色と同じ薄紫色の煙が漂っていた。
最後は、金色に輝く二枚の翼を背に生やした金髪のエルフが二人の前に立っていた。彼の周りからは黄金の輝きが常に放たれており、存在に重厚感があり、その場の誰よりも目立とうと輝きを放っていた。
純白の服を身にまとい、彼はミルケーに対して崇拝の瞳で見つめていた。
「そっか、じゃあ、みんなにはそれぞれ位置についてもらおうかな、たまに様子を見に行くから頑張ってね」
「はい、ミルケー様のためにこの身を捧げます」
三人のエルフがそこで跪いて、ミルケーに忠誠を誓った。
「ありがとう」
ミルケーが満足そうに頷くと三人に続けて言った。
「でも、気は抜かないで、この近くにはあのヤバい英雄がいるから、見つけても絶対に戦闘はしないように、彼は私が対処します」
「かしこまりました」
「まあ、でもその前にこの街の結界内に彼は入ってこれないでしょうが、万が一があるので、みんなは彼を見たらすぐ逃げてください。あなたたちは結界を構成する重要な要素なのですから、自分が生き抜くことだけに集中してください。わかりましたね?」
「ハッ!!!」としっかりと三人は返事をしていた。
「それじゃあ、持ち場についてください。私が街に結界を張ります」
そういうと三人はミルケーに背を向けた。
しかし、そこでひとり金髪の男だけが振り返り、ミルケーと彼女の腕の中で眠るエルヴァイスに目をやった。
「どうしたのかしら?」
「彼はどうするのですか?」
「彼とはもう少し話し合って何とかこっちに引き入れるから任せておいて」
「そうですか…」
「さあ、もう、あなたも行って」
「はい…」
今度の彼の返事はあまり元気が無く哀愁が漂っていた。
三人はそこでミルケーとエルヴァイスの二人だけになる謁見の間を後にした。
***
謁見の間を後にした三人のエルフたちは足並みをそろえて、城の出口に向かっていた。
「キリヤ、元気なさそうだけどどうしたの?」
薄紫色のミディアムヘアーの落ち着いた雰囲気のエルフが、白い正装をびしっと決めていた金髪のエルフの【キリヤ】に声をかけた。
「別に何でもないさ」
「噓だ、じゃあ、去り際にミルケー様にあんなこと聞くわけないじゃん?」
「ピクシア、お前、分かってるならわざわざそんなこと聞くな」
「へへ、だって気になるじゃない。キリヤのミルケー様に対する思いは本気なんでしょ?」
「子供じゃないんだ。それに俺たちはもうミルケー様とは一心同体みたいなものだろ?」
「そうだね、私たちは運命共同体だね」
ピクシアと呼ばれた彼女が、キリヤにニヤニヤと湿度の高い笑顔を見せる。
「でも、こうして三人で同時に集まるのも当分なくなりそうだよね」
そう言ったのは【ブロッサー】という緑一色に染まった衣服をまとった青年だった。といっても彼もエルフであるため、相当の年齢は言っているのだが、この中では一番若いという印象があった。
「会えなくなるって言っても、会おうとすればいつでも会えると思うけど?ほら、同じ街の中にいるんだし、それにキリヤとはいつでも会えるでしょ?街中にいる人形を使えば」
「それはそうだけど、僕はちゃんとみんなとは顔を合わせたいとは思ってる…姿かたちが一緒でも、やっぱり、本物のキリヤとは違うからさ…」
「なるほどね、確かに…それに私とブロッサーも会えないものね」
ブロッサーの意見に、ピクシアも同意見のようで深く考え込んで何か良い案がないか考えていた。
「あ、だったら代理を立てればいいんじゃない?ほら、あのミルケー様がいい捨て駒として使ってたジャレットとかいう男。あいつ弱いけどそこそこ魔力循環は良さそうだから、私たちの代わりにはなると思うんだけど?」
「どうかな、彼は不完全だから、僕たちの代わりにはならないと思うな…一応僕たちと同じみたいだけど…」
二人が真剣にどう連絡を取り合うか悩んでいる様子を、キリヤは二人にばれないように微笑ましく黙って聞いていた。
そして、三人はエルフを基準に造られた背の高い廊下を進み、広いエントランスにたどり着いた。
三人がエントランスを歩いていると、あたりには人型の光の集合体のようなものがいくつも銅像のように立ち尽くしていた。
その光の人達はミルケーの力によって、姿形を変えられた人々だった。この力により、王都の奪還は想像以上に容易く、こうして三人が堂々と敵の城を出入りできるのも彼女のおかげだった。
三人は邪魔なその人型の集合体を避けたり、蹴り飛ばしたりして、出口の大きな門を開けた。
外にはさらにその人型の光の集合体があり、その現象は街中の隅々にまで広がっていた。
「それじゃあ、しばしの別れだ寂しくなるな」
キリヤが金色の翼を広げる。
「別に数日の間だけでしょ。要はミルケー様の言う化け物を退治できれば結界も不要なんだから」
ピクシアの全身から紫色の煙が放出されると、彼女はそのガスが集まった雲に身を預けて空中に浮かび上がった。
「その化け物ってどれくらい強いんだろう…」
ブロッサーの足元から巨大な木の根が急激に成長すると彼の足場となった。
「ミルケー様によると、私たちが束になっても勝てないって」
三人の中ではすでにその化け物の情報は、前からミルケーから共有されていた。ミルケーも英雄と認めるそのたったひとりの人間の青年のことを、危険因子として教えられていた。
ただ、ピクシアがそういうと、キリヤが顔をしかめていた。
「その化け物の名前ってなんだったか覚えているか?」
「名前?ああ、確か、ハルだった気がする。ハル・シアード・レイ。ほら特名持ちだから多分剣聖かなんかで、手練れなんだと思うよ?」
「ミルケー様が今更剣聖に後れを取ると思ってるのか?」
自分の神を侮辱された気がしていらだつキリヤに、ピクシアは余裕の態度で返す。
「私は世界は広いと思ってる。だから、もしかしたらミルケー様より強い存在がいるかもしれないってことを忘れてないだけ、実際にミルケー様もその男には注意しろって言ってたし、この世界にはまだまだたくさんの秘密が隠されてるんだよ」
「神様になられたミルケー様を侮辱しているとしか思えん発言だな」
「神様にもきっと位があると私は思うんだ。ほら、バフォメとかいう陰湿な半神がいるでしょ?だから、神にも上下はある。それでもミルケー様はそれでも上位の方だと思ってるけどね」
キリヤは納得のいかない様子で、ピクシアの持論に耳を貸していたが馬鹿馬鹿しくなったため、翼をはためかせ空に舞い上がった。
「とにかく、俺は先手を打つことは何よりも大事なことだと思ってる…知ってたか、ここからそう遠くないところに、敗走してエルフたちが拠点を建てていることを?」
そのことを聞いたピクシアがキリヤに疑いの目を向けた。
「キリヤ、もしかして戦う気?ダメだよ、ミルケー様の言うことには従わないと、その化け物を見たらすぐに撤退そう言ってたでしょ?ましてや、こちらから挑発したらどうなるかわからないんだよ?」
「分かってるだが、ああ、クソッ、そうだな、まずは結界を張って守りを固めてからだな…」
「キリヤの頭に冷静さが残っていて私は嬉しいよ」
「馬鹿にするな、俺はミルケー様の安全を最優先しているだけだ。じゃあなお前たち」
キリヤは金色の翼をはためかせ、すさまじい風をあたりにまき散らすと、その場から一瞬で遥か上空に飛び上がり、持ち場の地区に飛んで行ってしまった。
「ピクシア、僕たちも行こう。そろそろ、ミルケー様が結界を張ると思うんだ」
「そうね、ブロッサー、あなたもハルって男を見たら逃げるのよ?」
「うん、大丈夫、僕も忠告は守るよ、それにキリヤもミルケー様の力になりたいだけで考えていることに悪気はないと思うんだ」
ブロッサーはキリヤとは対照的であまり自分を前に出さないタイプではあるが、芯が通った男ではあった。そのためキリヤのような自我の強い人間とでも長い間交友関係を続けることができていた。
「あなたは相変わらずキリヤに甘いのね」
「まあ、付き合いが長いからちょっとは、わかるんだ彼のこと」
ピクシアは少しだけブロッサーのことを妬みながらも、紫の雲に寝そべりながら、持ち場の地区に出発をした。
「ブロッサー死んじゃだめだからね」
「うん、ピクシアも気を付けて」
ピクシアが見えなくなるまで、ブロッサーが見送ると、彼も樹木の足場で自分の持ち場に一直線に向かった。
***
三人が持ち場の地区に着いた時、ミルケーが結界を張り、王都エアロの街を三点で結ぶ大きな強力な結界が誕生した。
その結界を張るときミルケーは誰も聞いたことのないような言葉を呟いていた。
「概念魔法………」
その結界はこの世のルールを捻じ曲げるほどの強力な結界となり、世界からエアロの街を隔離していた。
「ヴァイス、今はゆっくりお休み…」
ミルケーの腕の中で、かつての凶王は眠りについていた。
「一緒に世界を取り戻そうね…」
ミルケーは彼の頭をやさしくなでると最後に頬にキスをして、彼女も目を閉じていた。
スフィア王国、王都エアロで、エルヴァイスたちの最後の戦いが幕を開ける。血で血を洗う戦いに決着がつく。