不意の謁見
森の真っ只中、徐々に形成されていく街の景色にハルたちは目を奪われながらも、その中ですでに完成されている砦の前にたどり着いた。扉の前にいた門番のエルフの二人が、見慣れない人達を連れたサムにいぶかしい視線を向けており、ハルは自分たちが歓迎されていないことを知った。
だが、それもそのはずで、ハル・シアード・レイという人物は本当に、もう、どこにも存在していないのだから。
「フェルトル様、後ろの方々はどちら様なのでしょうか?」
「彼らはとても頼もしい助っ人です。この問題に終止符を打ってくれる人たちなんです」
「ですが、これ以上、身元を知れない人たちを通すわけにはいきません」
「これ以上って、彼らの身元は私が保証できますから、安心してください」
「ここでお待ちください。上の方々に掛け合ってみます」
「そうですか…」
うんざりした顔でサムは、ハルたちに振り向いて、肩をすくめた。
「彼らも追い詰められているようで、慎重になっているんでしょうね…ですが、保守的になって好機を逃すようじゃ、長生きしている意味もないですね」
サムがハルにだけ愚痴をこぼすように言うと、残っていた門番のひとりがサムをにらみつけていた。しかし、その彼もサムという人物の地位を蔑ろにできないがために、文句ひとつこぼさずに門番の務めを果たしていた。
サム・フェルトル・アサイン。名前、家名と続いてその後ろに来る特名。この大陸中で広がり浸透しているもので、特名があるだけでその人が国家にとっての重要人物であることを示唆していることを安易に知ることができる目安のようなものだった。そのため、特名があるのとないのでは、いくら爵位などの位が同じでも見る目は違った。それほど、特名とは国の中でも限りある者たちにしか与えられない特別な称号だった。
特名は国によって与えられ、その後ろ盾は国が保証していた。そのため、国の影響力によって与えられている特名に少なからず優劣はあった。それはもちろん、大国の特名のほうが周辺の小国や都市国家よりも強い印象を与えていた。本来の特名の在り方としては優劣はなく、国家間でもとくに大国のほうが偉い、強制力があるなど特名にそんな効力はなかったのだが、人間という生き物である以上、その相手方の背景を考慮して立ち振るわなければならないのは必須の考え方だった。特名とは、相手を見定めるひとつの指標に過ぎないが、権力に押しつぶされないための重要な要素であることに間違いはなかった。
「サム様、お越しの皆様、許可が下りましたので中にお入りください」
20分ほどばかり待たされたハルたちは、あきれ返って悪態をついているサムの後ろに続いた。彼は、どうしてこんなに時間が掛ったんだ?と案内していた騎士たちに食って掛かっていたが、どうにもこうにも、上のほうで意見が割れて揉めていたとのことだった。
建物の中は、本当に出来上がったばかりの石づくりの要塞であった。エルフを基準に作られているため、天井は高く、扉も二メートルを超え、通路の幅も広かった。
そして、防衛的観点からも窓が少なく、これでは日中でも建物内に入ってくる光の量も少ないと感じさせるほどで、これは防衛に対する意識の高さの表れだったのかもしれない。本当に短期間で脅威から身を守るためだけに、壁を築いて、屋根を乗せたような造りの施設を寄せ集めたような砦だった。
建築には魔法を使ったのだろう。土魔法は通称建築魔法など言われることもあるが、エルフからすればそこらへんの魔法もカバーしているのかと思うと、ドワーフたちの立つ瀬がなかった。
しかし、ハルたちが歩く石の廊下は、少しでこぼこしており粗があり、建物内の構造や部屋の配置にもあまり工夫が無く、やたらと建物内の造りに無駄が多かった。そう考えるとドワーフたちの建築に対する、高度な魔法や知識などが、エルフに勝っているんだなと実感するのだが、まあ、いまは人手不足というのが最大の決め手のような気がしたのは、その通りだったのかもしれない。
案内役のエルフの騎士たちが、砦の中央にある部屋の前で止まった。2メートルを超える大きな扉の前には別のエルフの騎士二人組がその部屋の扉を守っていた。扉が開かれハルたちは中に通された。
そこにはホールのような広い空間が広がっていた。無機質で飾り気のないのっぺりとした内装の奥には、その場しのぎで作られたような大雑把な造りの大きな横長のテーブルがあり、エルフたちがその後ろに腰かけていたが、彼らは忙しそうに資料を読み漁り、ハルが訪れたのにも関わらず見向きもしないで、ハルたちよりも前に来ていたのであろう、文官のエルフたち数名と打ち合わせのようなものをしていた。
さらに、その中央のテーブルの左右にも同じテーブルがずらりと立ち並んでおり、位の高そうな貴族のエルフたちが座っていたが、彼らは真ん中にいるエルフたちよりも暇そうにしていた。
サムを先頭にハルたちが奥へ進むと、ようやく気づいてくれたのか、文官たちに下がるように指示を出すここのボスがいた。
サムが最初に、右手を開いて自分の胸に当て、左足を軽く後ろに引き、空いた左手は手のひらを相手に向けたまま、視線を落とし軽く頭を下げる。これらを同時に行い、相手に対して敬意を表し、彼は跪いた。
ハルたちも彼に倣ってその場に跪いて、ここを仕切っているボスに敬意を払った。
ハルは背中にルナを背負っていたが、構わずそのまま跪いた。無礼なんじゃないかと思ったが、サムがさして何も言わなかったことから、成り行きでここまで連れてきてしまった。預けるところも時間もないと自分に言い聞かせていた。仕方ないのだと…。
「表を上げて楽にしてください、サムさん、後ろの皆さんも」
柔らかい女性の声が響いた。
サムがすぐに立ち上がって、身なりを整えるのを見て、ハルたちも恐る恐る顔を上げて、立ち上がった。
まあ、なんともそこにいたのは、スフィア王国の現女王の【ジェニメア・エメラル・スフィア】の姿があった。
エルフ特有の艶のある長い金髪の束を後ろに川のように流しており、ハルたちからしたらはるかに高い背にはやはり、それだけで威圧感があった。そして、力強くけれどどこか奥底まで見通させない灰色の瞳は、彼女の完璧な美貌に複雑さを添えていた。だが、その目の下はすこし黒ずんでおり、あまり眠れていないことが容易に想像できた。それでも毅然とした態度で女王たる風格を我々に見せつけてくれるその姿には尊敬に値した。
「それでサムさんそちらの方たちをご紹介してもらってもよろしいかしら?」
「はい、こちらの方々は我々に力を貸してくれる強力な助っ人の皆さんです」
「そうですか、彼らが…」
頼りなそうに見えるのは申し訳なかった。こちらは服装もどこぞの国の騎士服ではなく、寒さをしのぐための防寒着などで、外見だけでいえば山から下りてきた登山者でしかなかった。辛うじて騎士であると見分けがつく剣の所持も、砦の外ではく奪されてしまった。
そして、やはり、もう、ハル・シアード・レイという最強の肩書もこの変わってしまった世界では通用しなかった。
「陛下は、彼をご存知ではないのでしょうか?」
そこでサムが少し振り返り半身になって、ハルを彼女によく見えるように強調させた。
「えっと、ごめんなさい。どこかでお会いしましたか?記憶力は良いほうで一度会えばそうそう忘れることはないのですが…」
ジェニメアがハルの顔をはっきりと視認しても、彼女がハルという人物に気づくことはなかった。大国の王でハルを知らないということはまずありえないのにこれが現実だった。
そこに背後に立っていた男がジェニメアのそばにより、耳打ちしたがハルは確かに自分の名前が呼ばれるのを聞いた。
「ジェニメア様、あの青髪の彼、行方不明で捜索願いが出されていたハルという男ではないですか?似顔絵とかなり顔つきが似ていますが?」
「本当?ちょっと聞いてみるわね?」
ジェニメアに助言していたのは、なんとまあ、ハルにとっても見覚えのある男だった。
他人とは距離を置く険しい表情に冷たい視線をばらまくきっとした金色の瞳。当然のように金色の女性のような長髪をなびかせていたが、男らしさは一切失われることはなかった。それはエルフ特有の高い背丈に筋肉をたくさんつけていたからかもしれない。クールで落ち着き払った外見からはそれはもう知性的に見えたが、それを筋肉が邪魔しているといったら間違っていた。彼は暴力と知性を混ぜ合わせしっかり冷まして固めたようなエルフだった。一番優秀で厄介なタイプとも言い換えることができた。
それにしても、彼の所持している体格に合わない腰のレイピアがとっても小さく見えるのは変わっていなかった。
そんな彼の名前は【アルバーノ・セレスティアルド・ウェザリング】スフィア王国の剣聖だった。
「あなたもしかして、ハルって名前であってるかしら?」
ジェニメアが、視線をハルに移す。
「はい、陛下、ハル・シアードと申します…」
さすがにレイの称号を出すのは憚られた。ここでいろいろ話しても混乱を招くのは必至だった。
「あなたは…えっと、その、何をしている方だったのかしら?ごめんなさい、えっと、ど忘れしてしまって」
「私は以前はレイド王国の騎士でしたが、いまは…」
「いまは?」
ハルはそこでしばしの間悩んだ。自分はいまなんと名乗ればよいのか、剣聖でも英雄でもない、どこに所属している騎士でもなければ、冒険者でもなかった。
ただ、人類の脅威を殲滅する掃除屋。そう、ただの殺し屋だった。しかし、王女の前で殺しが得意ですなど言えないため、ここは無難に逃げるように答えることにした。
「冒険者をしています」
すべてが終わったら、冒険者ギルドで生計を立てていこうとは考えていた。その日の日銭を稼いで、静かな場所で慎ましく暮らしていこうとは考えていた。もちろん、彼女たちの意向を聞いてからだが、それが一番理想的な気がした。どこか森の奥でひっそりと、庭の花壇に水をやるような生活がハルの思い描いていたものではあった。
「陛下、ここで無礼を承知で申し上げさせていただきますが、彼はこの中で一番腕の立つ人物です。私や、そこにいらっしゃるアルバーノ様よりも、ここにいるハル・シアード・レイ様の実力は遥かに上です。我々が束になっても敵わないほどです」
サムの挑発めいた発言にハルは内心オロオロしていた。ここでそんなこと言わなくても実力というものは示すもので、語るものではない。
「なので王都奪還作戦の会議を開く際には、彼らの参加も認めて欲しいのです。いえ、もはや彼なしでは王都奪還は望めません。これは好機です、逃す手はありません」
「王都奪還にはまずこの拠点を完全なものにしなくてはなりません。それには時間が掛ります。王都奪還はここにいる住民たちの安全を確保してからです」
「それでは、奴らがじき動き始めますよ、そうなれば被害はこのスフィアにとどまらず、拡大の一途をたどることになります。そうなれば真っ先に滅びるのはここスフィアなんです」
「サムさん、あなたが我が国を思ってくださるのは大変ありがたいことですが、ここは慎重に事を進めたほうがいいことに変わりはありません。帝国からの援軍の到着を待ちたいと思っています」
ジェニメアが冷静にサムの意見をあしらう。
サムは振り返り、期待の眼差しをハルに向けると彼女に向き直った。彼はあからさまに何かに駆り立てられていた。焦りがあったのだ。
「いえ、その必要はもう無くなりました。いますぐにでも、王都奪還あの首謀者の首を刎ねるために作戦を立てるべきです」
「援軍が来なければ、戦力が足りないのが現状です」
「ここにはハル・シアード・レイがいるんですよ!」
ここで名前を出されてもきっと、ジェニメア女王にも、アルバーノ剣聖にも、ましては他の貴族たちにも伝わらないのは当然だった。そして、ここでたとえハルが成し遂げた真実を伝えても鼻で笑われるのが落ちだった。
誰がひとりで白虎を討伐して霧の森を切り開いたと信じてくれようか?誰が荘厳に連なっていた黒龍が棲みつく山脈ごと、半刻の時も向かえず消し飛ばしたと信じてくれようか?
そのハル・シアード・レイは生きてはいるが死んだのだ。
すると後ろから先ほどとは別の文官たちが現れた。彼らはハルたちがいることでジェニメアと話ができずに困っている様子だった。
ジェニメアが、サムも気づくように視線を後ろにやった。
「サムさんこの話はあとでゆっくりしましょう。今日はもう遅くなってきましたので、彼らをゆっくり休ませてあげてください。どうやら、みなさんひどく疲れているみたいなので」
サムも周りを見渡して、文官たちが目に留まると、熱い気持ちを静めて、おとなしく引き下がった。
「承知しました。度重なる無礼お許しください」
そういうと、サムは彼女に背を向けて謁見の間であるホールを出て行った。
ハルたちも、彼の背中を追ってそそくさと、この威厳溢れる場違いを感じさせる空間を後にした。
ハルは部屋をでるまで、アルバーノに厳しい視線を送られていたが、背負っていたルナでガードするように、ホールを後にした。