行方不明
辺りを見渡してもそこには葉を落とした茶色く背の高い木々が広がるばかりであった。
冬の昼間の空には重々しい灰色の雲がどんよりと広がっており、どこか不安を募らせるような暗雲が立ち込めていた。いまにも重たい雪を降らせるのではないかという強迫めいた存在感を空で放っていた。
聖樹から気が付けばハルたちはこのどこかも分からない森の中にいた。冬であるにも関わらず夏のように緑に囲まれていた聖樹周辺とは違い、ハルたちが立っていた場所の周辺は冬支度を終えた木々たちでいっぱいだった。
聖樹の周りには濃厚なマナがあるからなのか?マナが濃いところでは度々常識が通用しない環境が現れることが多かった。
霧の森に霧が滞留することや、いまは無き龍の山脈に吹きつける風がそうであるように、マナが豊富な土地では、異常気象や地形異常があることはよく結びつけられることであった。
聖樹に関してもそうだった。聖樹の頂上は軽くそこらにある山々よりも高く、本来ならば空気は薄く人が滞在できるような場所ではないのだが、聖樹にいてそのようなことは一切なかった。そこから、分かるようにマナが豊富な場所は生物にとっての最適な住処といえた。マナが多い場所に現在の各大国が位置しているように、遥か昔からマナは生物にとっての味方だったのかもしれなかった。
しかし、そんなマナが薄いのか、ハル達がいる場所は季節にいまの見合った景色が広がっていた。冬に入りたてでいつ雪が降っていてもおかしくはなく、空気と風の冷たさがそれを肌を通して教えてくれていた。
「ここ、どこなんでしょうか…」
ライキルが辺りを見渡すがヒントになるようなものは一切なく困り果てていた。周りのみんなの顔を見渡しても同じ様子だった。
突然、瞬間移動なるもので飛ばされ景色が入れ替われば混乱するのも無理はなかった。
「とりあえず、レキさんを探すから、みんな待ってて」
目を閉じて自分の身体に注意を向け、自分の奥底に絶え間なく流れる力の源を呼び覚ます。手のひらを前に向けてその力の源を手の中に集めるように集中させた。そして、ただその集まった力を解き放つように意識すると、その力は光となって辺りに拡散して散らばった。
ただ、その光はハルにしか見えず、感じず、認識できない不思議な光だった。ハルはこの自分にしか見えない光を、自分の天性魔法だと解釈していた。そして、実際にそうなのだと納得していた。周りの天性魔法を使える人たちに話を聞けば、天性魔法はまるで自分の身体の一部のように扱える魔法みたいなものだと言っていた。実際にハルが操るこの不思議な光も自分の身体の一部のように機能してくれていた。
ハルを中心に100メートルほどのその光が広がると、その広がった光の範囲内にある空間情報を正確に頭の中に造形を浮かび上がらせ教えてくれた。もっと遠くにも光を飛ばすことが出来たが、この光は広げれば広げるほど正確性が欠け、鮮明さを失った。それでも遠くに光を飛ばせば何かあると漠然とした確証を得られることぐらいは出来た。
「周辺にレキさんはいない、これからちょっとみんなで手分けして探そう。そうだな、二手に分かれよう」
ハルは部隊を二つに分けた。自分とライキルとガルナを一部隊とし、残りのエウス、ビナ、ルナ、ギゼラを二部隊目とし、それぞれ、行方不明となったレキの捜索に当たった。
見知らぬ土地で迷子になってしまうのが一番まずいので、だいたい三十分後に元の場所に戻ってくるように制限時間をかけ、二部隊は行動を開始した。
ハルはライキルとガルナを連れて、およそ100メートルほど移動しては天性魔法をばらまき周囲の情報を探った。
ただ、そうなると、ライキルとガルナを連れて来た意味が無くまさに非効率だった。二人を選んだ理由は、完全に独断と偏見で自分のエゴでしかなかった。唯一言い逃れができるのなら、あっちにルナを置くことで戦力を五分五分にしたという点が大きかった。彼女はこの中でハルに次いで一番の強者だった。そんな彼女を二部隊目に置くことがハルからすれば慈悲であったが、何とも酷い選択ではあった。彼女もこっちに連れて来たかった。
そんな欲だらけのハルが、それでも熱心に探索を続けているとあっという間に時間は経ち、時計が無かったので正確な時間は分からなかったが、体感で三十分は過ぎたといった頃合いになった。レキの姿はやはりどこにも見当たらなかった。
「そろそろ戻ろうか」
「そうですね、あっちのみんなが見つけているといいんですけど」
「どうだろう、難しいかもしれない」
ハルは最初に天性魔法で辺りを捜索した時、レキがいなかったことから、すでにどこかに移動したか、もしくは自分たちだけ飛ばしたかの二択を考えていた。こうしてしばらく探しても辺りにいないことからもハルはレキが後者の選択を取った可能性があると推測していた。しかし、彼がその行動をとった理由がどうしても浮かんでこなかった。
もし罠にはめるなら、飛ばす位置はもっと危険な場所でも良かったはずであり、そのことからも、決して悪意があって自分たちだけをこの森の中に飛ばしたとは考えにくかった。
目的地はレイドであったがどうにもここがレイドであるとは考えにくかった。それは探索している途中でねじれた木が天性魔法を通じて頭の中で処理されていたからだ。
そのため、ここがまだエルフ森の中だという予測は立っていた。
「もしかして、魔法が失敗したのか…」
「それかあれですね、レキが私たちを罠にはめようとして」
「それだったら、もっと酷いところに飛ばすと思うんだけど、ほら、魔獣の巣とか?」
適当に頭の中に浮かんだ危険な場所を上げたが自分が居る限り魔獣の巣などちっとも脅威でもなんでもなかった。自分でも何を言っているんだと首をかしげるほどだ。
「ハルが居れば魔獣の巣なんて全然怖くないです」
「確かに、ていうか、その前にもし俺たちを危険な目に遭わせたいなら、同じ場所に飛ばさないと思うんだけど」
「それもそうですね」
二人で頭を抱えていると、ハルの視界には凛と佇むガルナの姿があった。ちょうど良かったので彼女の知恵も借りることにした。
「ガルナも何か分かる?俺たちがここに飛ばされた理由みたいなの」
「全然、分からん!木しかない」
「………」
「ハルはここがどこか知ってるのか?」
「ううん、知らない…」
少しだけ怖いと思ってしまった。まるでそれは失って再会したような、寂しくてでも嬉しくて、だけど、それは急で悲しい出来事だった。
ハルは、ガルナの傍に近づいて優しく彼女の頬を撫でた。
「ハル?おい、くすぐったいぞ!フフフッ」
「ガルナ」
「なんだ?」
「好きだよ、愛してる」
真っ直ぐただ彼女に気持ちが素直に伝わるように分かりやすく、愛の言葉を二つ唱えた。
突然のことでガルナも、傍に居たライキルもびっくりしているようだったが、ハルはいまそこにいるガルナに絶対に気付いたこの時点で伝えなくてはならなかった。
そして、ハルはガルナを強く抱きしめた。そこには確かにガルナがいた。たったひとりの彼女がいた。
「ハル、どうしたんだ…」
ガルナの戸惑いの声が聞こえたが、ハルは彼女に自分の愛が伝わるようにそのままでいた。
「なあ、ライキルも見てるよ?」
ハルがライキルに目をやると、彼女の顔にも唖然としている姿があった。その表情だけでハルはライキルの気持ちも自分と同じなのだと知った。分かっていないのはガルナだけだった。
しばらくして、ハルがガルナから離れると、ひとこと「戻ろう」と言って歩き出した。
瞬間移動で飛ばされた元の場所に戻る帰り道、終始三人は無言だった。ガルナはどこか満足そうに笑顔だった。反面ハルの顔にはこの空のように酷く重苦しい表情が張り付いていた。ライキルが心配そうにこちらの様子をうかがって来てくれたが、声を掛ける機会を失い続けているようだった。
「ライキルは知ってたの?」
ふいに彼女に尋ねると、小さくこくりと頷いた。
「いつからだった?」
「もう、一か月ぐらい前ですかね?詳しくは覚えてないですけど…」
「そっか…」
思っていたよりもガルナ、彼女は長い間、そこにいたようだった。
「…あっ……」
そこでハルはライキルから小さな悲鳴のような声が漏れたのを聞いた。
「どうした?」
「………」
ライキルがこちらに顔を向ける。
その彼女の表情はどこか緊張気味で何かを訴えかけるようなものだったが、すぐに顔を背けられてしまった。
「えっと、その、後で話します」
僅かながら、彼女の肩が震えても見えた。
「本当に?大丈夫、無理しなくていいよ」
「いえ、絶対に後でハルには話します。話さないといけないことなんで…」
「わかった、でも、その、ライキルのタイミングでいいから」
ライキルの声から強い意思を感じた。だがそれと同時にどこか怯えているようにも見えた。
ハルも不安になったが、それ以上詮索するのは止めて、彼女が言った通りあちらから何かを打ち明けるのを待つことにした。
空に向かって伸びた茶色い血管の様な木々が乱立する森の中を歩きながら、ハルは少しライキルが何を言うか考えてみたが結局何も浮かばず、いつの間にか元居た場所にハルたちは戻って来ていた。
まだ、ルナが率いるチームは戻って来ていなかった。
「そのさっきの話しなんですけど、二人っきりの時でいいですか?」
「もちろん、ライキルの自由にして、あ、それとごめんライキルにも」
ハルはライキルのことも強く抱きしめ、二つの愛を唱えた。
そうすると、ライキルも抱きしめ返してくれた。
けれどその抱きしめ返してくれた彼女の手はまだ震えていた。
ガルナが「いいな」と小さく呟いていた。