降樹
テントの前にある焚火を囲うように、他のみんながそれぞれ椅子を持ち寄って座って円をつくっていた。テーブルはどけられ隅に片づけられ、人と人を遮るものが無く、話しやすい雰囲気の空間が作られていた。
そのため、ハルとガルナが合流する前から、他のみんなはそれぞれ会話を楽しんでいるようだった。
レキとビナが楽しそうにおしゃべりをしているところにエウスがちょっかいをかけ、ライキルとルナの間に挟まってギゼラがニヤニヤしながら二人の話しを交互に聞いていた。
みんなは朝食を取り終わっているようで、奇跡的に神威にさらされても無事だったスープの残りがあったため、ハルはそれを傍にあった未使用のお椀によそってガルナに渡した。
彼女は礼を言ってお椀受け取りみんなの元に歩いて行った。
ハルはスープの傍でひとり立ち尽くした。自分の分はよそわずに澄ました顔でけれどもまだ濡れた唇に人差し指を引掛け余韻に浸っていた。
「ハル、こっちに来てください!」
ライキルに呼ばれるとハルはみんなの元に向かった。
ハルが適当にレキとガルナの隣に腰を下ろそうとしたら、満面の笑みで近づいて来たギゼラがハルに自分の座っていた席に座るように促して来た。
「ハルさんはあそこの席じゃなきゃダメです。私がその席に座ります」
「ああ、そう…」
「そうです。ほら、早く行ってください」
座る席などどこでも良かったがハルはギゼラに言われた通り彼女が座っていた席に腰を下ろした。
ギゼラという女性が反対側の席でニヤリと悪い笑顔を浮かべていた。結局、あの後、彼女からハルはきっぱりと別れを告げられていた。
数時間前にこんなことがあった。
*
ハルは何食わぬ顔で起きて来たギゼラに声を掛けた。あのことなんだけど少し話しいいかな?と言いづらそうに、そして、彼女は良いですよと言うと、ハルは彼女に結婚のことを尋ねた。
『私がハルさんと結婚?ああ、あれはやっぱり無しでお願いします』
あまりにも簡単に振られたことに少し腹を立てた。もちろん、表情にも声にも出さなかったが、悔しかったハルは弄ばれた気持ちを返してやることにした。
『え?私のことも嫌いじゃなかった?むしろ好きだったって?マジっすか…いや、でも、普通にそれは、え?反則っていうか…ほんとに?』
ギゼラの恥じらう顔を見れたところでハルはそこで満足し笑って冗談だと告げた。
『冗談?はぁ?待ってください。今、私のことからかったんですか?なになに?からかわれたから、やり返した?うわ、マジで一発ぶん殴っていいですか?え?いいんですか?嫌ですよ、仕返しされたら私、死にますもん』
ハルがそこでまた笑いながら、彼女に一緒になりたくなったらいつでも言って、と冗談を言うと、ギゼラは本気で拳を振るってきたのでハルは一発も当たってやらずに彼女の元から逃げ出していた。
面白い友人ができた。
*
ハルが席に着くとみんなの視線が集まった。みんなの中にいろいろ自分に対しての思案があるのだろうが、全部無視して、ハルは言った。
「それでいろいろあったけど、話しを戻してこれからどうしますか?」
その場にいた誰もが返事を返さなかった。
さっきまであんなにワイワイ盛り上がっていたのにハルが声をあげると急に黙り込んでしまった。しかし、これは何もみんながハルのことが嫌いでやっているわけではなかった。
単純に誰も何もいい案が浮かばないというよりかは、この場で決定権を持っているのはハルたったひとりだったからみんなハルを見つめるばかりで何も意見しなかった。
それでも、ハルが困っているとエウスが後押しするように声を挙げてくれた。
「お前が決めていいんだぜ?俺たちはお前について行くからよ」
「そうは言っても、みんなの意見も聞いておきたいと思って…」
ハルが辺りを見渡すと、誰もが同意を示すような姿勢で臨んでくれていた。
「ハル団長にならみんな付いて行くと思います!」
団長と言う言葉になぜか酷く懐かしさを感じた。久しく聞いていなかった言葉だった。
「ルナさん、レイドのほうで何か俺のことで話題に上がってなかったですか?」
レイドの事情がどうなっているかはレイドを裏で取り仕切っている彼女に聞くのが一番だったのだが。
「上がってなかったです」
やや緊張した声でルナが言った。
「そうですか、なら…」
「あれ、でも、ハルって今大陸中から捜索願が出されてましたよね?」
ライキルが記憶を探りながら呟いた。
「え?そうなんですか…」
意外そうにルナが反応する。
「はい、レイドで何枚もハルの捜索願が張り出されているのを見ました。大国が必死でハルを探していたみたいですよ。詳しいことは私も分かりませんが」
ライキルも断片的にしか世間の状況を捉えていない様子だったが、森の中に居たのはみんなそうなのだから仕方のないことだった。
「すみません、ハルさん。私すぐにレイドを飛び出して来たので何も分からないんです」
役に立てなかったことで深く落ち込むルナにハルは「全然、気にしないで」と言うが、反対側に座ってたギゼラからヤジが飛んで来る。
「ルナさん、全部ほっぽり出してここに来ましたからね。今のレイドは大変だと思いますよ。裏の管理は徹底的にルナさんがしてましたからね。あーあ、今頃どうなってるのかな?」
「別に私が居なくても下の子たちが優秀だから何も問題ないはず。だ、大丈夫よ、大丈夫…」
うっすらと冷や汗が出ているところからもルナが本当に何もかも放り出してここに来てくれていたことを物語っていた。
そんな彼女の様子を見て、ハルの中でひとつ決まったことがあった。やらなければならない大きなことはまだひとつ残っていたが、それよりも、自分を受け入れてくれた国の平穏を維持することの方が先決だった。
「じゃあ、俺からひとつ提案があるんですけどいいですか?」
ハルが手を挙げるとみんなの視線が集まった。答えを聞くまでもなくみんながハルが話すのを黙って聞く準備をしていた。
「今から、レイドに帰ろうと思うんだけどいいかな?」
全員が当たり前のようにハルの意見に賛同してくれた。
それから、みんなの行動は早かった。全員が後片付けの準備を始めるとあっという間に聖樹を旅立つ準備は整っていた。
レイドまで帰る手段としてレキの瞬間移動が採用された。彼は笑顔で了承してくれた。
聖樹を発つとなった頃にはお昼近くになっていた。旅立つ前に軽食を取りつつ、旅立ちの時は近づいていた。
ライキルが最後に朱鳥に別れを告げたいと言ったので、ハルも付き添うことにした。
朱鳥は鳥かごの中心に鎮座しており、霊気のようなものを放っていた。
二人で近づこうとした時、ライキルが言った。
「あ、ハルは近づかないで欲しいって」
「そう朱鳥さんが言ってるの?」
「うん、私にだけ話しかけてるみたい」
「分かった。じゃあ、行ってきな、ここで見守ってるから」
「ごめんなさい」
「これに関しては、俺が悪いから」
ハルは遠のくライキルを見守った。安全の面では何も問題はなかった。朱鳥が何をしようがハルの天性魔法がすでに朱鳥の周りには漂っており、常に監視していた。
しかし、そんな厳重な警戒などいらないほど、離れた場所でライキルがぴょんぴょん跳ねて朱鳥と心を通わせているところを見ると、張っていた気も緩んでいった。
「心配しなくてもいいよ」
気が付けばハルの隣にはレキが居た。
「彼は、君と同じで人を愛しているから」
「ライキルが奪われるのは嫌なんですがね」
「嫉妬深いと嫌われるよ?」
得意げにそんなことをレキが言ったので、ハルはライキルがボディランゲージなどで朱鳥と楽しそうに会話しているのを見つめたまま返した。
「嫉妬深い方が愛されることもあります」
そう言うと、レキが何とも言えない顔をして俯いた後、空っぽな笑い声を小さく吐いた。
「確かに、そうかも。言葉が足りないと愛は伝わらないからね…」
遠い目をしている彼の横顔をハルは盗み見た。昔の記憶を思い出しているのだろうか?彼と言う人間がいまだにハルは分からなかったが、彼にも誰かを愛していたこともあったかと思うと急に親しみが湧いた。
「レキさんは、どうするんですか?俺たちをレイドに送ってくれた後、国に戻るんですか?」
「………」
そこで何故か彼はすぐに返事を返さずに、ひとつ深呼吸をしていた。
「レキさん?」
「僕は、いろいろと忙しい身でね。まだまだあちこち飛び回らなきゃいけないんだ」
ハルはそこで疑問を口にした。
「あのレキさんって結局、何者なんですか?」
後ろでひとまとめにした長い金髪が風に揺らされたレキが、ゆっくりとハルに振り向いた。
「それは僕がしたい質問なんだけれど?」
「え、俺ですか?あぁ、そうですね。元剣聖で、あ、待ってください。それもなくなったから今はただのハル・シアードですかね?きっとレイドの特名の記録帳にも俺の名前ってもう載ってませんよね?ほら、みんなの話しが本当ならですが?」
少し砕けた感じで会話を続けようとしたが、彼のエメラルド色の瞳は深い光を放ちながらハルをじっと見つめて微動だにしていなかった。
青い瞳とエメラルド色の瞳が交差する。ハルには彼の本意がくみ取れなかった。ちょうどその時、向こうからライキルが走って来ると、レキはハルの元を去った。
去り際に彼は言った。
「そういう話じゃないんだけどね…」
「え?」
ハルの背中に何かがぶつかる。そこにはライキルがいた。彼女はとても満足しているようだった。
「挨拶終わらせて来ました!」
「ああ、それは良かった。彼なんて言ってた?」
「またいつでも来てくださいって言ってました。ライキルなら歓迎するって、でもハルは連れて来ないでって言ってました。随分嫌われましたね!」
満面の笑みでライキルが言う。
「そっか、じゃあ、嫌がらせに俺も必ずついて行こう」
「フフッ、安心してください。私とハルがもう離れることは無いのでさきにその条件は断っておきました」
「なら、良かった」
「それより、レキさんと何話してたんですか?」
「別に、ただの世間話だよ」
「ええ、気になります、教えてくださいよ!」
ハルはそこで言葉を返すように言った。
「ライキルこそ、朱鳥さんと何話してたの?」
「あ、ハル、聞いてください!彼の名前【アスカ】って言うそうですよ!」
「へえ、良い名前だね」
「明日を照らす炎って意味を込めてみんなになずけられた名前って言ってました。とっても素敵ですよね!」
「そうだったんだ…」
ハルはそこでようやく少し朱鳥に対して罪悪感抱いた。ハルからすれば四大神獣はもう殲滅対象でしかなく、朱鳥のことをここで生かして帰るという選択に少し戸惑いさえあった。また何かあって人類の脅威になったとき、その責任はここで殺し切らなかった自分にあった。未来の脅威を打ち止めにする意味でもここで朱鳥を抹消することが最善策ではあった。
しかし、ライキルが朱鳥を気に入っていることや、そして、なによりちゃんと誰かに名づけられた名前があることでハルも朱鳥に対して少なからずあった抵抗が薄らいでいた。
『まあ、ここはライキルに免じて生かしてもいいか』
『感謝する』
不意に頭の中に響いた声でハルは、遠くで翼を折って小さくまとまっている真っ赤な巨鳥に目をやった。
しかし、その鳥はハルと一切目も合わせず、静まり返っていた。
ハルは小さな笑みをつくると、アスカに背を向けて歩き出した。
***
聖樹を出発することになったハルたち一同は、それぞれ荷物を持ってレキの前に集まった。
「それじゃあ、今から飛ぶけど注意点を言っておくよ、瞬間移動はとても高等な魔法だ。僕のものはその中でも超安全だけれど、飛び終わった後気分が悪くなる時があるから、近くの人に吐かないように以上です」
「え、それだけなんですか?」
瞬間移動を経験したことのないハルが疑問を口にする。
「なんか移動の魔法で特に瞬間的ともなると、酷い代償があるって聞いてたんですけど」
「僕のは超特別な瞬間移動魔法でね、ハルくんが思っているような、失敗したら身体がバラバラでしたなんて、無謀な移動魔法じゃないから安心して」
「でも、ちょっと、不安なんです。もしよければ俺がみんなを運びますけど…」
ハルがそう言うと、ライキルが肩を叩いて言った。
「ハル、もう、飛び終わってます…」
「え?」
ハルの周りの景色が、日の当たる聖樹の鳥かごから、冬支度をし終えたこげ茶色の枝だけを針のように広げた木々しかなかった。
聖樹の頂上はなぜか温暖で穏やかな気候であったが、ここは冷たい空気で満ちた身を切る寒さが周囲を支配していた。
「あれ、レキさんが居ません?」
いち早く異変に気付いたビナが辺りを見回しながら言った。
一緒に飛んだメンバーの中から、レキの姿だけ忽然と消えていた。
ハルたちはどこか分からない冬の森の中に取り残されていた。