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元剣聖ハル・シアード・レイの神獣討伐記  作者: 夜て
新世界と古き血脈編
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空白を埋める無知

 真っ白な世界でひとり私は、黒い影に追われていた。何もない広大な真っ白い世界。そんな空っぽな世界で私は走っていた。

 何もない空間の大気をビリビリと揺らしながら迫る黒い影。

 私は振り向くことが出来ず、ただ、その迫る黒い影から逃げ続けていた。駆ける足を緩めると背中がチリチリと熱を帯び、止まることを許さなかった。追い付かれれば身体が燃え尽きるそんな気がした。

 だけどやがて、体力の限界が来ると、ついにその黒い影に追いつかれそうになった。息を切らし立ち止まろうとした時、ふと、いつの間にかそこにいた青年とすれ違った。


 私はその青年にびっくりして、通り過ぎた彼を見た。そこで、ようやく私は、自分を追っていたものが何だったのか視認することが出来た。


 そこにはこの世の恐怖を詰め込んだような真っ黒な龍の姿があった。巨大な龍は人がどうにかできる域を超えており、それはまさに神と名付けるのがふさわしいほど畏怖するほどの存在が私の後にはいたのだ。

 見ただけで気が触れそうなほど怖い龍が私を逃がしはしないと、ぎょろりとこちらを覗き見る赤い双眸と、立派な牙の生えた大きな口からは今にもこちらを焼き払おうと、その大口に灼熱を溜めこんでいた。真っ白い世界に浮かぶ大きな雲にその龍は身の半分を隠していたから、まだ全貌が見えなかった。

 黒い脅威が白い空を蹂躙していた。


 私は腰を抜かしその場に倒れてしまった。逃げようとしても脚に力が入らず、立ち上がれもしなかった。


 もうダメだと思った。


 だけど、私の目の前にはさっきの青年が立っていた。くすんだ青い髪が風に揺れている。


 その時、彼が右手を払うように動かすと、いとも簡単にその真っ黒な龍は私と青年の前から消え去った。


 私は青年に助けてくれたお礼をしようとしたが、いつの間に彼の姿はどこかに消えていた。


 これが夢だということに気づいた時には私は目を覚ましていた。



 *** *** ***



 薄暗いテントに男女が二人っきり、ハルの膝の上で獣人の彼女は眠っていた。スヤスヤと彼女が立てる寝息にハルはひとつ笑みをこぼした。

 彼女の頭を優しく撫でる。ゴワゴワした髪に指が絡まらないように慎重に指を滑らせる。

 二人だけの時間を余すことなく享受する。

 彼女の寝顔を眺めているだけで、顔が自然とにやけた。そのたびに、誰も見ていないのに顔を手で隠しては、そんなだらしない表情を抑制していた。


 ハルは彼女の目が覚めるまでずっと傍で見守っていた。


 そんな彼女も目覚めの時がやって来ると、ハルには少しの緊張と幸せが同時に降りかかった。

 彼女とようやく話ができることは嬉しかったが、気になることを確認しておきたかったという二つがあった。


「おはよう、ガルナ」


「んん?」


 まだ覚醒しきっていないのかトローンとした目で、体勢を変えたり身悶えしていた。しばらく、ガルナはハルの膝の上でゴロゴロしては、二度寝に入ろうと睡魔と戦っているようだった。


「そろそろ、起きない?みんなはもう起きてるよ」


「まだ、眠いから…ほっといてよぉ…」


 そこでガルナがうんざりしたように返事をした。彼女はまだ自分が誰に返事をしているかも分かっていない様子で、夢と現実の狭間を行き交い、自分の状況も曖昧といった感じだった。


「わかった、じゃあ、もう少し二人でこうしていよっか」


 ハルは膝の上で駄々をこねるガルナを愛おしそうに見下ろす。


「…なんだよ、誰だ……えっ……?」


 だが、ガルナの目も段々と冴えていくと、自分の置かれている状況に理解が追いついていく。


 ガルナの意識が完全に現世に戻って来ると、彼女は思いっきり身体を起こしてハルの傍から離れ距離を取った。

 ハルは彼女のその行動に驚き、それと同時に少し傷ついたが、彼女をひとりにしてしまった時間を考えると、当たり前の反応だとも思った。


「ごめん、ガルナ、急に驚いたよね」


 伏し目がちにハルは、彼女を怖がらせることなくその場から一切動かなかった。

 彼女は大きく目を見開いてハルをただ見据えるばかりだった。


「ハル、なんでここにいるんですか…というか他のみんなは…」


「みんなにお願いして二人にしてもらったんだ」


「私とハルだけですか?」


「そう、ちょっと二人っきりで話したいこともあったからさ」


 一向に傍に来てくれない彼女にハルは少し気を落した後、尋ねた。


「嫌だった?」


 彼女はその問いに一切反応してくれなかった。固唾を吞んで距離を保ったまま静止していた。何かを言いたげに戸惑った様子でもあったが、何を言うでもなく彼女は黙ったままだった。


 ハルは仕方なくその場で話を進めることにした。くちを利いてもらえないわけではなさそうだったから、取りあえず言葉を交わして、心の距離のほうかゆっくりと縮めて行こうと思った。


「まあ、いいや、じゃあ、その場でいいから俺の話し聞いてくれないかな?」


 彼女はその時何度も深く頷いてくれた。けれどまだ目を大きく見開いて緊張している様子が伝わって来た。


「ガルナ、俺が眠ってる間に何かあった?」


 その質問に彼女の顔は一気に青ざめていた。さらには酷く動揺して視線があっちこっちに泳いでいた。

 なんとなくその質問が彼女を責めてしまっていると思ったハルはもっと自分の柔らかい真意を打ち明けるために言葉を重ねた。


「別にその何か探ろうってわけじゃないんだ。ガルナのその雰囲気が結構ガラッと変わってたから、俺も戸惑っちゃって…」


 目覚めてからハルは、ガルナに距離を取られているんじゃないかと繊細な心はすぐに察知していた。考えすぎかもしれないが、この短い時間の間にハルはそう捉えていた。

 いつもなら、暇さえあれば問答無用で抱きついてきたりと、縦横無尽なスキンシップを取ってくる彼女が、どこか他人行儀でつつましやかで何というか、人として一定以上の礼儀をわきまえていた。残念なことにハルが知っているガルナはそんな女性ではなかった。いつも自由で自分の欲に忠実な彼女の行動には見境が無い部分があった。もちろん、彼女もわきまえるところはわきまえていたが、それは命に関わる時や、ライキルが居る時くらいで、その間にハルの隣が空いていようものなら、構わず突撃してくるような女の子だった。

 それが今は、飛び掛かっても来ずにじっと静かにハルの話しに耳を傾けていた。

 そのギャップに違和感を覚えられずにはいられなかった。


「だから、何かガルナの中で変化があったのかなって思って、その例えば、えっと例えばなんだけど…」


 ハルも自分の口から言いたくないことではあったが、意を決して言うことにした。


「他に好きな人が出来ましたとか…」


 自分で言っておいてあれだが普通に泣きそうになった。

 もしそうなら、きっと記憶を書き換えてでも彼女を止める可能性すらあった。記憶を消せるのなら書き換えることだってできるはずなのだ。


 やり方は知らない。


 まあ、もちろん、できたとしてもそんなことで彼女からの愛を、無理やり獲得しようとはしないのだが、それでも彼女の口から真実を聞き出すまでは不安がハルの心を殺しにかかっていた。


 しかし、そんな不安もさることながら、彼女は首を思いっきり左右に振ってそれを否定してくれた。


「あ、えっと、その私も、ハルに言っておかなきゃいけないことがあるんだ。ハルを避けてたのもわざとっていうか、今の私は私じゃないといった感じでですね…」


 すぐに否定してくれただけでもハルは嬉しくて、だらしない笑みがこぼれてしまいそうだったが、ガルナがどこか不安を溜めこんだような顔で、言葉に詰まっているのを確認すると、すぐに真面目な顔で聞き役に徹した。


「それって、えっと、どういうこと?」


「分からない?私とこうしてちゃんと会話が成立してることおかしいと思わないんですか?」


 言葉遣いはとてもまともと言うよりかは、言葉の端々に以前にはなかった知性を感じた。ハルはとても成長したガルナに感心した。少しずつ一緒に本を読んだかいがあったのだと思ったのだが…。


 彼女の反応からそういうわけでもなさそうなのは伝わって来た。


「別におかしいとは思わないよ。ガルナとは前も普通に会話はできてたから」


「でも、あれでしょ、それって、ハルが私に思考の程度をすり合わせてくれていたから成り立っていたわけで、ハルが私との会話で満足に通じ合えたということは無かったですよね?」


 明らかに前のガルナより弁の立ちそうな勢いで話す彼女に、ハルは少し驚いた。しかし、それでも彼女が言っていることは間違っていた。


「そんなことないよ、俺はガルナと話すときに程度を落としたりなんかしてない。そもそも、ガルナはちょっと自由なだけで話しているととっても楽しいし、よく笑ってくれるから好きだ」


 本人を目の前にそんなことをいうと彼女はあからさまに赤面していたが、ひとつ咳ばらいをすると表情をがらりと切り替えていた。


「今、そういう話はちょっと置いといてください」


「え、だってそういう話でしょ?どんなに変わっても君はガルナなんでしょ?」


 ハルはゆっくりと、彼女を警戒させないように、少しずつ座ったまま距離を詰め始めた。


「いいですか?ここにいる私は、あなたの知っているガルナとは少し違うという話なんです」


「俺にとってガルナはガルナだから、どう変わろうと関係ないよ?」


 そう言いながらハルは、ガルナのとの距離を少しずつ縮める。


「あなたと関係を築き上げてきたのは、私ではなく。その言い方はあれですけど、知性が欠如しているほうの私があなたとの関係を持っていたんです。思慮分別がはっきりしていて、他人の気持ちを思いやることも出来る今の私は、彼女とは別人といってもいいでしょうね!」


 興奮気味に彼女は言う。

 しかし、ハルはとても冷静に返した。


「それで?ガルナはそのことを俺に言って、何を伝えたいの?」


「だから、えっと、私は…あ、ふえ?」


 気がつけばガルナの目の前にはハルが居た。彼女はとにかく自分の主張に忙しかったためか、ハルが近づいていたことに気づいていなかった。


「今のガルナは俺が知っているガルナとは違う。それは分かった」


「ち、近いです、は、離れて…」


 その言葉にむすっとしたハルは少し苛立ち気に返した。


「そっちが離れれば?」


 目をそらしながら「わかりました」と言って、すぐにガルナが慌ててその場から離れようとした時だった。


「あひぃ!!」


 ガルナは慣れない体勢で座っていたため脚が痺れ、そのまま、奇声をあげると前のめりに倒れた。地面に激突すると思った彼女は必死に傍のものに掴まろうとした。

 だが、目の前にはハル以外に掴まれるものは存在しなかった。


 ハルは彼女が倒れて来ると、力強く抱きしめた。


「な、何する、触らないで、私はあなたが知っているガルナじゃないんだ!」


 抱きしめられると彼女が必死に離れようと抵抗するが、力でハルに勝てるはずがなかった。


「別になんでもいいけど。俺はガルナを手放す気ないよ」


「…ッ………」


 彼女の抵抗がピタリと止んだ。


「嫌いでも愛して欲しい、それが無理なら一からやり直すから」


「それでも愛せなかったら…」


「簡単なことだよ、また一からやり直す」


「それでも一生今の私であなたを嫌い続けたら?」


 きつく抱きしめていたハルは、彼女を自分の身体から少し話すと、彼女の燃えるような赤い瞳を真っすぐ見つめた。


「俺はそれでもガルナが好きで、逃しはしない。それにきっと俺はなんどか君に会ってると思うんだけど違った?ガルナのふりして俺に会いに来てくれてなかった?」


「そ、そんなこと…」


「ガルナの物わかりがいいのは君が抑えてくれたからなんじゃないの?」


「私は…」


「それに思うんだけど、ガルナの中に二人いるって感じがしないのは気のせい?さっき、人の気持ちが分かるようになったって言ってたけど、それって遠慮ができるようになったてことだよね?だけどさ…」


 ハルはガルナの首の後ろに腕を回した。


「本当の君はどこにいるの?」


 ハルの中にガルナが自分のことを嫌いになったという事実を受け入れることは到底できなかった。分かっていた。もしガルナの中に人格が二重に重なっていて今話していたガルナが元の人格で、そんな彼女がハルのことが嫌いになったら離れないといけないことは、分かっていた。

 だが、ハルにも彼女と積み重ねて来たものがあったから、そう簡単にあきらめることはできなかった。というか、諦める気はさらさらなかった。

 例え、罪過に手を染めてもハルは彼女に傍に居てもらうつもりだった。二人の間に死が訪れるまで。

 それくらいハルの愛は重かった。幼いころからハルに付き添っているどこかの誰かさんと同じくらい、というよりかは、人への愛し方は彼女の影響を受けている点があったということを認めざるを得なかった。


 だから、ハルと言う人間は見た目の清廉さに比べて心に抱えているものはドロドロと汚れて醜かった。


 ハルは身動きの取れない彼女の唇を奪おうと顔を近づけた。


 だが、その時だった。


 それよりも早く、ガルナがハルの顔を掴んで引き寄せ、貪るように唇を重ねて来たのは。


『んん!?』


 完全にペースを掴もうと余裕をかましていたハルは不意打ちを食らって、後ろに倒れた。その上に容赦なくガルナが飛び乗ると、肉食獣のように彼女はキスを続けた。


 空白だった時間を取り戻すように、痺れを切らした彼女は欲望に忠実に熱烈なキスでハルを食い散らかした。


 しばらく時間が経ち、互いに呼吸が荒く肩で息をしているところでハルが自分の顔を腕で隠しながら照れた様子で呟いた。


「バカ」


「私を待たせた罪は重いぞ、ハル…」


 目を血走らせる彼女は言った。


「あなたを嫌いになったなんて一言も言ってない」


 興奮冷めやらぬ彼女が耳元で叱るように囁く。


「だけど、急に来るのはダメだ。心の準備が追い付かない…そういうのは辞めて欲しい」


「今も私が我慢していることだけは忘れるな?」


「その、戸惑うからやめて欲しいけど、覚えておく」


 ガルナが寝そべっていたハルの上体を抱き起す。二人は互いを抱きかかえるような体勢で、見つめ合った。


「ハル、ごめんな」


「何が?」


「残念なことにこれも私なんだ。無知で無邪気な時もこうして正常に言葉を交わせる私もどっちも私なんだ」


「残念なんかじゃない、ガルナはガルナのままでいいよ」

 

 ハルは彼女に微笑を浮かべた。


「何て言えばいいのか、私自身人格が二つあるわけじゃないんだ。無知な私も今の私も同じで境界があるわけじゃない。だから、考えていることも一緒で好きな人も変わらない。ただ私の状態が違うだけで…」


 賢い彼女でも言葉を慎重に選び誤解を与えないように説明しようとしてくれていた。だけど、ハルの前でそんな説明に意味はなかった。なぜなら彼はもうすでにさっきから言っていることだった。


「ガルナはガルナ。俺の愛おしい人だ」


 心から溢れた幸せに包まれた笑顔でガルナを見つめた。その笑顔に圧倒された彼女は口をぽかんと開けて愛らしい顔で固まっていた。

 そして、彼女は恥ずかしげもなく欲を口にした。


「なあ、ハル、もう少しここで、続きを…」


 ハルは彼女のその口に自分の口を軽く押し当て蓋をし黙らせた。数秒にもみたいな軽いキスを最後にハルは彼女の元から離れた。


「ほら、行くよ」


「うん…」


 ガルナはハルの差し出した手を取ると彼と一緒にテントの外に出た。

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