愛の言葉
告白された時、相手は何を考えているのだろうかと、考えたことはないだろうか?なぜ自分を選んでくれたのか?そんなことを考えてくれたことはないだろうか?
特に、よく知りもしない相手が自分に言い寄って来てくれたことはないだろうか?
例えなかったとしても、それは誰もが考えておかなければならないことではないだろうか?自分を選んでくれた人が何を考えて愛を告白してくれたのか?
ハルは今そんな愛が生み出す難題に問いただされる境地に放りだされていた。
ほとんどの場合、親密な間柄の二人が互いの関係がどれくらい進んでいるのかの確認する作業というものが、基本的な告白のあり方だと思っていた。友人から始まり、やがて恋に発展し、愛が芽生え結ばれる。もちろん、そんな恋愛の流れなどただの一例でしかないことは、人間の多様性を見れば明白であろう。だからこそ、人間の中には一目惚れという相手も知らないまま見ただけで強烈な愛を芽生えさせる人もいる。
そのように人が誰かに恋する要素は幅広く奥深い、それは、その人の外見的要素や、内面的要素である人柄、さらにはその人が所属している場所や周りの友人関係、地位や名誉、財産など、その人が持っている何かしらの要素が相手の五感を刺激し、心を揺さぶり、人は人を好きになるのだと思う。
だが、とてもじゃないが相手を好きになった理由など、自らで推測したところで意味が無いことは分かっていた。
相手の思いなど解析困難は当然で、中には自分でも好きになった理由が分かっていない人もいれば、理由なしに相手を好きになってしまう人までいるありさまだ。しかし、どれも人間の在り方として間違ってはいないし、愛の形に正しいも間違いもない。
それでもハルは、この状況で彼女、ルナ・ホーテン・イグニカがなぜ自分に対して愛を告白しているのか知りたかった。
「愛してるんです…あなたのことを…」
神を崇めるような信仰めいた声で彼女はハルの前に跪く。下から見上げる彼女の瞳は判決を待つ無実の咎人のように潤んでいた。
ハルとルナの周りに奇跡を見る信徒のようにみんなが集まって来た。
首から流れる血を抑えながら、状況の把握に努めようとしたが、彼女が愛を囁くたびに、ハルの頭は考えることを放棄してしまった。右手にはライキルの手があり握っていたが、彼女の愛の告白を聞くたびに、ハルの手は動揺し震えていた。後ろめたかった。そして、視線を遠くにやるとガルナがいた。ハルは何故か目覚めてから彼女には距離を取られていた。そのようなこともあり、この状況はハルに取って好ましいなんてものじゃなかった。
「私のこの愛は永遠に不滅です」
「………」
「どうかお答えてください。私のこの愛をあなたが受け取ってくださるかどうかを…」
跪いた状態のルナが両手をハルに向かって伸ばした。彼女の真っ直ぐな紅い瞳がハルを見据えた。
「私はあなたに一生尽くします。そして、誓います。あなたに枯れることのない愛を注ぎ、あなたの手の届かない悪からあなたの愛する人たちを守り抜くと、だから、私もあなたのその愛する人のひとりに入れてもらいたいのです…」
「…………」
「私を愛して悪いようにはしません。なんなら私が妻になることは非公式でも構いません。私はただあなたの傍に居たいんです…」
「…………」
彼女の必死の求婚に、戸惑うことしかできなかった。彼女はそもそもハルと言う人間を恨んでいたはずであり、何をどうしたらその恨みが消えたのかハルには見当もつかなかった。
そもそもだ。ハルはなぜルナのようなレイドの重要人物がここにいるのかすら、いまだに分かっていなかった。
みんなからの話を聞く限りだと、今の世界はどうやら本気で変わってしまったようで、それはハルが自分の力を抑えようとした時に生じてしまった副次的なものだったが、それはハルという存在をこの世から丸ごと消し去ってしまった。彼を思い出す方法は神威と言う特別な力の習得であった。つまりごく一部の人間しかハルの記憶を持っていないということになる。
そんな様変わりした世界で、まず、ひとりでもハルという人物を覚えている者がいるとするならば、彼を野放しにはしない。特に国に従事する者なら特にだ。
ハルは国にとって重要人物で、戦略兵器としての有用性が十分すぎるほどあった。ハルがひとり居れば、まず軍事力でどの国が束になっても勝つことはできない。そもそも、四大神獣をひとりで狩り続けている男に、人類が勝てるはずがない。戦争にすらならない。右手を振るわれただけで国土は更地になるだろう。
ただ、ハルは無差別に人を襲う化け物ではない。みんなと同じ人間であり、そういった意味では脅威はなく、民意や国の意向に素直に従う忠誠心はしっかり兼ね備えていた。見方によればハルは破壊兵器ではあるが、それ以前に彼はレイドの騎士であることに変わりはなかった。
そこでハルを回収するためにレイドでも権力のあるホーテン家のルナが来たと言うのならそれはあり得る話しではあった。レイドからの帰還命令や何やらが出ているのであれば、彼女たちがここにいる理由にも納得がいくのだが、実際にそうなのか彼女たちの意向を聞いていないかったため、分からないままだった。
しかし、もしそうなら彼女たちがこの場の主導権を握っていてもいいものであるのに、先ほどから、彼女たちは愛を語るばかりでまるで、まるで目的が見えていなかった。
ただ、ひとつ可能性として挙げられるのが、求婚することでハルを国に縛りつけるという政略結婚なのかもという思考にも至ったがそれにしては、ギゼラの様な貴族でもなんでもない一般の兵士が求婚を迫ることの意味が分からなかったし、ルナに関しては何かをこちらに要求するどころか、ただひたすらに自分の愛を受け入れてもらいたいといった強い姿勢しか見て取れなかった。
『何か、彼女たちなりの戦略があるのか…』
疑ってしまうのも無理はなかった。もしかすれば、許可した後で、何かを要求してくるかもしれない。断れば、何かしら報復を仕掛けて来る可能性だってあった。
もちろん、ハルには迎え撃つ力があった。だが、ルナの様子を見るにあまりにも彼女は余裕がなく立場を示そうとする人間には見えなかった。
それでもここまで、熱心にいままで自分を嫌っていた人間が、求愛を示してくるのは不気味で仕方がなかった。何か裏があるとしか思えなかった。
「だったら、妻何て生意気なことも言いません…召使いでも、奴隷でも、とにかくあなたの傍に置いてくれませんか…」
先ほどからハルが黙っているからなのか、次第にルナの表情に不安の色が浮かび上がっていた。その焦り方は必死を通り越して、どこか異常であった。
ルナが痺れを切らしたのか、身を乗り出してハルの身体に触れるか触れないかまで近づいて顔を上げた。身長差があるため、ルナは自然とハルを見上げる形になった。
「お願いします。私、あなたのためならなんでもします…」
ルナが手を伸ばし、ハルの手を勝手に取ろうとした時、そこでハルは自然とルナのその魔の手から逃れようと身を引いた。
それは防衛本能だったのかもしれない。ハルは彼女から何かを感じ取っていた。無意識のうちに彼女を拒絶するような何かが、そのルナ自身から発せられているような気がした。言葉、表情、仕草、声、何もかもが自分を受け入れて欲しいと望んでいるルナだったが、彼女から溢れる雰囲気、そう、彼女の神威だけはハルに対して敵意を送っていた。
まるでこんな自分に騙されないでとハルを導くかのように、愛を囁きながら彼女はそれを断ってもらおうと全力で神威を振りまいていた。
彼女は一度身を引かれたことで酷く不安な顔をしたが、すぐに気を取り直しまたすぐにハルに言い寄った。
「お願い、どうか私を受け入れてはください…私にはあなたしかいないんです……」
もう一度ルナが手を伸ばしハルがその手に二度目の拒絶を示そうとした時だった。
二人の間に、ライキルが割り込んで、ハルとルナの手を無理やり握らせていた。
***
「え!?」
ハルとルナは一緒に間の抜けた声を挙げていた。ライキルがハルに向かって言った。
「ハルは、彼女のことを拒絶しちゃダメなんです…」
「待って、どういうこと…?」
「こんなに美人さんでハルのことを思ってる人は他にいないですよ」
それを言われたらハルはどう返していいか言葉に詰まった。彼女は実際に誰が見ても美人という類だった。だから、何を言い返してもきっとどこかで嘘をつくことになった。しかし、それでも反論する余地はあった。
「俺にはライキルとガルナがいる」
「そうね、ハルには私たちがいます。だったら、彼女のことも受け入れてあげてください」
「いや、でも、彼女は俺のことを…」
「もし、彼女を受け入れられないなら、私もハルと結婚できません…」
頭の中が真っ白になった。突端にハルはこの世界が現実なのか夢なのか区別がつかなくなるほど混乱した。
「なんでそうなるの?」
「彼女はハルが眠っている間、わたしがあなたを忘れている間も、彼女はハル、あなたを信じ続けて尽くしてたんです。私たちがいない間ずっとハルのことを支えていたのは彼女なんですよ…そんな彼女が報われないなら、私はハルと一緒に居る資格はない。ハルがルナを愛せないなら、私はハルの傍にはいられない…」
「ライキルが俺の傍にいる理由なんていらないこと、分かってるでしょ?」
「じゃあ、彼女もそうあるべきです。私よりずっとハルを影から見守ってくれてたんだから、ずっと、あなたのことが好きで、深く愛していて、私なんかよりずっと彼女はあなたの役に立ってた」
ライキルは、ハルとルナの手が離れないように力強く二人の手を握っていた。
「だから、役に立つとかどうとか関係…」
そこでライキルが言葉を遮り言った。
「聞いたんです。彼女が私たちのために人を殺し回っていたこと。私たちが平和に暮らせるように汚れ役を買っていたこと、ハルは彼女の話を聞いてあげるべきです」
「知ってるよ、彼女がホーテン家でレイドを裏から支えている人だってことは」
解放祭で彼女の正体は知っていた。だけど、ライキルは首を横に振った。まるでそんなこと聞いてはいないといった感じだった。
「違う、ルナはハルの前だとなんでも隠してた。自分の気持ちにも最後まで嘘ついてた。ルナ、あなたもその敵意をむき出しにするのいい加減辞めなよ」
ライキルに言われると、ルナがびくりと肩を震わせた。すると辺りに充満していたピリピリとひりついていた空気が止んだ。
「分かるよ、ハルみたいな清廉潔白な人間に汚れた自分で触れたくないの…でもさ、だったらそんなハルを自分の泥で染めあげるくらい本気でぶつかりなよ、わざわざ、嫌われるような態度や雰囲気出さないで、心の底からあんたの感情吐き出しなさいよ!!」
「私は…」
ルナが怯えた表情で戸惑いながらライキルを見つめた。
「この短い間であなたの全部を知ったわけじゃない。だけど、告白する時は相手にも自分を好きになってもらうように願いを込めていうの!じゃないとそれは相手にも愛にも失礼だよ!!」
ライキルの黄色い瞳が輝く。それに見せられたルナの紅い瞳が反応する。二人の視線が共鳴するかのように。
「言葉やしぐさで愛を伝えても、あなた自身はハルに嫌われるように仕向けて逃げようとしてない?そんなに、あなたハルのことが嫌いなの?」
「違うの…」
「私は彼に出会えて本当によかったと思ってる。小さい頃から彼の傍に居られてずっと良かったと思ってる。だから、私はいつだって彼に対して本気になれた。長い間ずっと一緒にいたから、でも、あなたもそうなんでしょ?長い間、彼を追いかけて来たんでしょ?だったら本気で当たって砕けなさいよ!悔いが残らないくらい本気で保証なんてどこにもないんだから、ずるいのよ、そんな綺麗で強くてハルの前に居られるのがぁ!!!」
嫉妬交じりのライキルの絶叫が響き終わった。周りにいた全員が、ライキルに注目している時だった。
ルナの神威が一気に溢れ、周囲一帯に広がった。その神威は凄まじい速度で、エウス、ビナ、ガルナ、レキ、そして、ライキル、ハルこの場にいた人たちを飲み込んで衝撃波のように広がった。全員の不意を突いたルナの神威はハル以外を残して一人残らず失神させた。
「ハル、解放祭の時はごめんなさい。私、本当はあなたのことがずっと好きだったの、本当よ」
ハルの目の前でひとりの女性の笑顔が可憐に花開く。
「自分の歩んで来た人生のことを考えたとき、あなたに想いを伝えることができなかった。あなたを私なんかが汚したくなかったから…」
ハルでさえ目が離せないほど強烈で鮮明な神威を纏いながら、彼女は心の底から楽しそうにそして、何よりも幸せそうに笑っていた。
「だけど、これが最後でいいから、あなたに聞いて欲しい。私はあなたを」
ルナはやっと言えた。自分の凄惨で血塗られた過去など今だけは全て忘れて、ひとりの男性に、ひとりの女性が、普通で当たり前の愛の言葉を。
「愛しています」
ルナはハルの手を自ら握ってそう言った。純粋な思いが彼に今ようやく届いた。
そして、目の前の彼はひとこと答えを示した。
「ありがとう」
ルナの目からは涙が溢れて止まらなかった。そのまま泣き続けて枯れてしまいそうだった。
***
みんなが目を覚ますまでの数時間の間、ハルとルナはお互いの空白だった五年間という長い時間を埋めるように語り合った。そのたった数時間で、ハルとルナの距離は簡単に縮まった。きっと、今日この日までずっと我慢してきたからなのだろうか?それは分からなかったが、こうして彼と当たり前のように話せているのなら、その孤独だった時間も決して無駄ではなかったはずなんだ。
「ルナ」
彼が自分の名前を呼んでくれるだけで、それだけで、ルナはただの女性に戻ることが出来た。
「ハル」
そして、彼に、彼の名前を呼びかけるだけで、人並の幸せがルナを満たした。
ルナ・ホーテンは、普通の女性のようだった。
ハルの前で、ルナという女性はただの女の子だった。
それがルナにとって全てだった。
隣で、あのハル・シアード・レイが私にだけ優しく微笑んでいた。
私とハルは、みんなが起きてくるまでの間、ずっとくだらない話をしては、笑っていた。