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元剣聖ハル・シアード・レイの神獣討伐記  作者: 夜て
新世界と古き血脈編
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月から届く

 

「ギゼラ、なんであんなことしたの?」


 命を奪いそうになった。それは自分が長年磨いて来た技術だったから、不意に手が出そうになった。殺意を抑えることは得意なほうだった。感情的になることが少なかったから大抵のことに腹を立てることはなかった。人間が先走る時、それは怒りの感情に支配されている時が多い。ショックや悲しみを塗り替えてしまうほどの怒りなど特にそうだ。その点ルナは他の人より欠けているものが多かったため、どんな腹立たしいことが起きても何が最優先か冷静に考えることが出来た。例えそこに人の命が掛かっていようと冷酷無慈悲に命令を下せた。


 しかし、それでも例外というものはある。


 ルナにとって怒りが湧くこと、感情に没頭できることはたったひとつで、ハルに関することだけだった。

 一人の青年に溺れ狂うことが出来た。それは幸せなことだ。どれだけ環境が劣悪でも、ルナは彼と会ってから毎日が輝き生きる希望をもらっていた。そういった意味ではルナは普通の恋する乙女となんら変わりなかった。手が汚れていることを除けば…。

 ただ、それでさえ、ルナは望んでやっていた面もあった。自分の手が汚れれば汚れるほど、守りたい人たちの居場所は盤石なものとなったからだ。血潮にまみれれば、国に対して悪意を持った人間たちの血が流れれば、流れるほど、そう、ハルのいる環境が裏社会からの脅威に脅かされることはなかった。


 あの日、五年前、ハルがレイドに来てから覆されることのなかった自分の未来に光を見た。強烈で鮮明な光だった。その光はルナの底の底まで照らし温めてくれた。一瞬の出来事が閉ざされていくだけの未来をこじ開けた。死と血だけの人生に、ぬくもりと生きがいを見出してくれた。

 ルナにとってハルは崇拝の対象ですらあった。神に祈るのは自分が親友を殺してしまったその日にやめていたが、新しい存在をルナは認めていた。ただ、押し黙り何もしてくれない神より、自らの手を動かして救ってくれた彼に、ルナは自らの全てを捧ぐことに決めていた。


 当初、ハルがレイドに流星のごとく現れた時、あいにく、その時にはもうすでにルナには無駄に高い地位があったため、彼という存在が軽々と自分の手に入ると思っていた。

 位のある貴族がたかがひとりの騎士を手に入れることは容易だった。それもルナのような王族にまで影響を与えるような存在の彼女が手に入れられないものなどひとつもなかった。欲しい者はなんでも手に入れられる状況だったルナからすれば、レイドに来たばかりの青年ひとり手に入らなはずがなかった。


 しかし、実際はそうはいかなかった。


 甘い蜜であるハルの周りには、すぐに悪い羽虫たちが集まった。その速さときたらルナが準備をする暇もなく彼は一気にレイドの中で頭角を現していき、ついにはルナの手の届かない表の光の世界で脚光を浴びてしまった。

 そうなってしまった以上、裏社会の底に潜むルナが手を出せなくなるのは必至のことだった。


 しかもここに来る前から、彼の傍にはとびきり悪で厄介な羽虫が棲みついていた。


 ライキル・ストライク。


 ルナからすれば諸悪の根源にして、消したくても消せない、絶対に生かしておかなければならない煩わしい存在。

 彼女がいる限り、ハルは手に入らず、彼女が居なければ、ハルはハルとして成り立たなかった。

 最初は安易な気持ちで殺してしまおうとも思ったが、ハルの彼女に見せる笑顔だけまるで他の女性たち見せるものと違うことに気づきルナはその時初めて敗北を味わった。

 消そうと思えばいくらでも方法や時間はあったが、結局ルナが彼女に手を出すことはなかった。

 ライキル・ストライクという女性がハルにとってどれだけ大切な人か外から見てても十分すぎるほど分かってしまった。


 ただし、それでも、ハルを諦めきれなかったルナはここ数年間ずっと彼を見守ることに専念することになってしまったのは仕方のない事でもあった。

 手を出したくてもきっかけすら作ってはいけないところまで離れてしまった彼をルナは影から見守ることしかできなかった。


 そして、そこにはギゼラもいつもついて来てくれていた。彼女はルナにとって部下であり一番長い時間を過ごした人間でもあり、今ではルナの良き理解者となってくれていた。

 しかし、それもこれで終わりだとルナは考えてしまっていた。


 ルナは一番近くで見てくれていたはずのギゼラに今さっき裏切られたのだ。


「あの、ルナさん、これには深いわけがありまして……」


「あなたもハルのこと狙ってたんだ…ずっと、私の横で機会を窺ってたんだ!!」


 ルナはギゼラを聖樹の幹に追いやると、彼女の顔の横すれすれに自分の拳を叩きつけた。その勢いでその幹の壁には深いくぼみができ、ルナの拳からは血がにじみ出ていた。力任せに振るった拳が痛んでいた。


「私、信じてたのにギゼのこと、仲直りしたから大丈夫だと思ったのに…」


 水中に漂う泡を掴むように、何もかも自分の手をすり抜けて、最後には何も残らない。それがルナの背負った運命ならきっとここでギゼラに裏切られることだって、決まっていたことで、これはもう一生付きまとう呪いだと思った。それだったら一生一人の方が良かった。


「ルナさん、私の話しを聞いてくれませんか?」


「ギゼラだけ幸せになるんだ。私を出し抜けてよかった?今も見下してるんでしょ…」


 悔しすぎて涙が出て来た。というか、もういろんな人にハルと言う私だけの彼が奪われ貪られることにルナは耐えることが出来なかった。やっと手の届くところまで彼が降りてきてくれたのに、この仕打ちはあんまりだった。

 腰の双剣に手が掛かっていた。悲しみの後にやって来る怒りがギゼラを殺そうとしていた。


「すみません、私も調子に乗ってるところはありました…」


 ギゼラのしょぼくれた声が聞こえて来たが、ルナの怒りと悲しみは治まりそうになかった。結局は、彼女に惜しいところを全て持って行かれたのだから、もう何もかもが遅かった。


「だけど、信じて欲しいのは、私は自分の欲のためじゃなくて、ルナさんのためを思ってあの場であんなことを言いました。私、もう、ルナさんに後悔して欲しくなかったんです。ずっと彼の背中を追うだけじゃ、幸せになれないってこと分かって欲しかったんです」


 ルナはそれを今のお前が言うかという気持ちだった。めちゃくちゃにした本人が何を言うかと思ったが、なんとか双剣の柄から手は離れた。


「私はずっとルナさんの背中を見てきました。ルナさんは凄い人です。好きな人に対してずっと一途で諦めの悪いところとか、まともな常識も持ち合わせてないのに人に好きになってもらおうと思ってるところとか、頭は回るのに好きな人の前だとろくに考えられなくなるところとか、本当に全部あなたはもったいないんですよ…私、ずっと見ていてイライラしてたんですよ?知らなかったですか?私は早くあなたに幸せになって欲しかったんです。誰よりも彼を守って来たあなたが報われないの何ておかしいんですよ!!」


 彼女の怒涛の物言いに、いつの間にか、ルナは少し後退りし距離を取っていた。そのぶん彼女は前に進んでルナの胸倉を掴んで言い放った。こんなことをルナにできるのはレイドの中でも彼女ぐらいだった。


「悔しかったら、さっさと私も好きです、結婚してくださいって告白して来いよ、なにうじうじしてんだよ!だからいつまでたってもルナ、お前には幸せがめぐって来ないんだよ!相手はこれっぽっちもルナのことなんて見てねえんだぞ!!悔しくないのか!?私は彼に意識されたぞ?なんてたって告白したからな?どうだ、お前にできないことを私はやってのけたぞ!!」


 ルナは感情がぐちゃぐちゃになり目が潤み始めていた。


「泣く前に今までの思い全部今ぶつけてこいよ」


「だって…私、本当はハルに関わっちゃいけない女なんだもん……」


「知るかよ、そんなのお前気に食わない奴ら全員殺して来たんだろ?何を今さら怖気づいてるんだよ、断られたら周りの奴ら全員人質にとって強制的に婚約させらるくらい強気でいけよ!!」


「私、人殺しなんだよ…」


「そんなこと言ったら、私も、もう二、三人殺してるわ!そんな女がさっき告白して結婚にこぎつけようとしてんだよ」


「だって、ギゼは私の命令で…」


 胸の奥が締め付けられながら、絞り取られたようなかすかす声をひねり出す。


「そんなこといったら、ハルだって、人の二、三人は殺してるだろ?」


 ギゼラが得意げにそんなことをいうが、そのことだけはルナは反対した。


「ハルはひとりも殺してない、それだけは間違ってる。ハルに人殺しの依頼は一度も出させなかった。私も王も」


「だけど、大量の獣たちを殺して来ただろ?」


「動物と人は違う」


「一緒だよ、命を奪ったことに変わりはない。狩る対象が違うだけで本質は一緒殺しだ」


 ギゼラの言葉は心地が良かった。人殺しを専門とするルナと獣退治を専門とするハル。見方によればどちらもただの分野の違う専門家で、たいしてやっていることは変わらないんじゃないか?と錯覚させられていた。

 しかし、やはりそこには雲泥の差があるということをルナは認識させられる。


「それでもやっぱり、違うよ」


 ルナはそこで腰から一つの双剣を抜き、ギゼラの心臓を一突きした。


「え?」


 ギゼラの心臓から大量の血が溢れ出た。


「ほら、やっぱり、違う…」


 ギゼラは何が起きたか判断できない状況に陥っていた。自分の胸から溢れ出る大量の血を眺めてはルナの顔を交互に見ていた。


「人殺しだけは、別だよ。生きてる間に人間が犯せる最悪の罪。同じじゃない…」


 手に残る不快感は、そこら辺の悪党を刺し殺した時とはまるで比にならないほど、ギゼラを刺した時の感触は最悪だった。


「ル、ルナさん…」


 ギゼラの顔は鋭い痛みで歪み、震える口からは弱々しいけれど必死に抵抗するような声が漏れていた。


「だけど、ギゼラがやり直してもいいって言ってくれるなら、私も変わろうと思う」


 ルナはすぐに剣を引き抜くと白魔法をギゼラにかけた。致命傷にも思えた傷は一瞬で完治してまるで何もなかったかのように傷が塞がっていた。だが、ギゼラの身体の至るところには大量の汗が流れ、地面に滴り落ちていた。自分の身体を支えるので精一杯そうだった。悪いことをしたと思ったが、分かって欲しかった。いや、彼女も人を殺すということがどういうことかなどとっくの昔に理解していると思うが、それでも、それを当たり前と受け入れてはいけないということを分かって欲しかった。


「私はいつか罰せられる時が来るかもしれない。ふとした幸せの瞬間に終わりが…」


「それでもです…これはまたとないチャンスなんです。多分これを逃したらもう二度と彼に思いを告げられるタイミングなんてありません…それはルナさんの中で今後一生後悔する出来事になりますよ」


 ルナは腕を組んで、しばし思考を巡らせた。


「何かを理由に逃げ続けていたら、絶対に欲しいものは手に入りませんよ…」


 ギゼラのその言葉はルナの中にあった勇気を強く奮い立たせるものがあった。しかし、それでも、自分の手を見るとやはり血で汚れていた。


 しかし、ルナももう後がないことなど分かっていた。これ以上恵まれた機会など今後二度と現れないことなど想像は容易かった。


「私、ギゼラの言葉を信じて幸せになれるように努力してみようと思う」


「やっと、決心してくれましたか?」


 ギゼラが刺された胸を抑えながら安堵からくる苦笑いを浮かべた。


「今、ハルが世界中の人から忘れられてることだって何かの運命かもしれないし、私、前に進んでみる…」


 この世は理不尽にできている。それは、前に進み何かを掴もうとした者の前にしか、可能性は現れない。ただ、その可能性を信じて走り出してしまえば、理不尽な世界でもチャンスというこの世の摂理を平等に分け与えてくれる場所でもあった。例え、その先で自分の望むものが手に入らなくても、走り出したら周りの景色はその人を中心に変わり始める。ルナはその可能性にかけることにした。


「ハルの心を私に振り向かせて見せる…」


「ええ、ルナさん美人ですから、あんな若造すぐ落とせますよ」


「ギゼラ、もう一回刺しておこうか?」


「あ、結構です…」


 ギゼラの顔は心底うんざりした様子だったが、目が合うと彼女はにっこりと笑ってくれた。

 ルナはギゼラを幹に休ませ、もう一度傷口を確認したのち、立ち上がり上層の鳥かごに向けて歩き出した。ギゼラには自分が告白するところをあんまり聞いて欲しくはなかった。なんだか今後ずっといじられそうだったからだ。


 歩いているとギゼラに呼び止められた。


「待ってください、ルナさん」


「何かしら?」


「アドバイスです。愛の告白をするときは堂々となりふり構わずです。時間がない時はとにかく相手にこちらの好意を精一杯伝えなきゃダメです。恥ずかしがってもじもじしてたら気を引けませんから、告白する時だけでも自分に自信を持って完璧でいてください。ルナさんにならできます。なんなら、殺す気で言ってください」


「それって、どっちの本に書いてあった?」


 ルナが微妙な顔で振り向いた。


「フフッ、じゃあ、もう私は知りませんから、行ってください」


「ありがとう、ギゼラ」


 ギゼラは駆けて行くルナを最後まで見送った。彼女が見えなくなるとギゼラは呟いた。


「幸運を…」



 ***


 その後ルナは走って聖樹の頂上に駆け戻った。

 思えばあれから五年間、思いを伝えられずにいた。


 レイドにいた頃の彼は完璧だった。そして、今はその完璧さを世界へ示すことで更なる完璧さに磨きがかかっていた。だが、それも黒龍討伐時点で止まってしまったといえるのだろう。

 ハル・シアード・レイ。レイドの元剣聖にして、四大神獣を狩る者、大陸の英雄、だからも愛される存在だった彼は、突如として世界から忘れ去られてしまった。

 彼を知る人間はごくわずかとなり、彼が気づき上げて来たものは全て崩れ去り跡形もなくなってしまった。彼を知る者のみだけが彼の真価を知っていた。


 ルナが彼を覚えられていたことは幸運だった。それだけで、これまで積み重ねて来た苦痛の日々が帳消しになるほど、今のルナは愉悦に浸れた。世界が知らなくても自分は彼の凄さを知っている。レイドで彼に群がっていた羽虫どもなど所詮、その程度の愛だったのだ。その中でやはり自分だけが彼を愛していたと考えるとこれほど喜びにあふれることはなかった。


 そして、そう思うと同時にやはり、あのルナの生涯を通して敵となりそうなライキルもまた特別な運命を持った女性だと思うと悔しくてたまらなかった。


 ただ、それももうどうでもいいことだった。自分の弱さを彼女のせいにするのがあまりにも簡単だったから、嫌いだったが、別に彼女が心の底から憎かったわけじゃない。彼女を憎むことは単純に嫉妬心であり、それはルナの負けを意味していた。


 ずっと勝てなかった女性にルナは今反旗を翻そうと決心していた。


 ルナはこれから彼に想いを伝える。それだけで、ルナにとってこれまで生きて来た集大成とも言えた。本当はそこから始まるのだが、ルナからすれば、もうそこが人生のゴールとも言えた。たかが告白かもしれないが、ルナからすればここが全ての分岐点だった。


 聖樹の中にある階段を上っていくと、自然と緊張に心が落ち着かなくなっていった。


 やがて、聖樹の頂上が近づいてくると、ありえない緊張と不安に包まれ、胸の鼓動が高まり、身体が燃えるように熱くなり、何もしていないのに嫌な汗をかき始めた。


『大丈夫、私は思いを伝えるだけでいいんだ。これは私の人生における最初で最後なんだ』


 もし結ばれなかったらと考えるのは辞めた。そこはもうさっきギゼラが言っていたように自信を持つことにした。


『もう、過去の私はいない。少しでも私は前に進めてたんだから、今日は大きな一歩ってだけでいつも通りの私だ。大丈夫、大丈夫だよ、ルナ』


 五年前のレイド襲撃事件から、王都で彼を追った日々、解放祭で彼と初めて衝突した日、この聖樹で彼と共に過ごした数か月間、少しずつではあるがルナも前に進んでいた。だから、最後は聖樹での愛の告白で終わりだった。いや、終わって欲しくないのだが、ここでルナの人生を決める大事なところであった。


『私は正義なんかじゃない。それでも、人間だから愛さずにはいられないんだ…大好きな人に想いを伝えられずにはいられない…』


 ルナが階段を上り切ると、そこには朝食の準備を進めているみんながいたが、ルナにはもうひとりの青年しか眼中になかった。


 ルナは彼に駆け寄り、告げる。


「あ、あの!ハルさん」


 彼が何か言葉を掛けてくれていたが緊張で上手く聞き取れず、自分の声だけしか聞こえなくなっていた。


「い、今から私、あなたに告白します!!」


 五年間ずっと内に秘めていた思いが彼に届く。


「好きです!!ずっと前からあなたのことが好きでした!!!」


 その時、ルナの中で止まっていた世界がようやく動き出した。


 目の前のたったひとりの男の子に想いを告げるだけで彼女の人生はそれだけで良かった。


「だからもしよければ私とも結婚してください!!」


 彼女は周りのことなど気にすることなく続けた。


「お願いします!!!永遠にあなたの傍に居させてください!!!」


 ルナは、ハルが好きただそれだけだった。


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