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元剣聖ハル・シアード・レイの神獣討伐記  作者: 夜て
新世界と古き血脈編
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思考停止

 聖樹の頂上には穏やかな時間が流れていた。眩しい朝の陽光が樹冠の隙間から差し込み、聖樹頂上の鳥かごの地面にまだらな影を映していた。鳥かごを形成するねじれ木の隙間から上空を駆けていた爽やかな風が通り抜け、小さな三つのテントの生地を揺らした。

 朱鳥の血肉が飛び散っていた凄惨な光景が広がっていた時より、だいぶましになっていたが、まだ辺りに飛び散った血肉は鳥かごのそこかしこに点在していた。


 それでも聖樹に留まっているみんなは朝食の準備を進めるために、テントと中央の焚火を行ったり来たり忙しなく動いていた。

 そんな中、ハルたちは、ルナとギゼラに少しの間席を外すことを告げられるとそれを了承した。


 ハルは二人が聖樹の頂上であるこの鳥かごから下の階層に下りていくのを見た後、みんなの分の朝食づくりに戻った。

 調理器具も少なく、人数もそれなりに多いため朝食は大きな鍋に野菜と肉をふんだんに放り込み調味料で味付けをした簡単なスープをつくることになった。食材はすでにレキが用意してくれていたため、備蓄している分でなんとでもなった。

 料理の担当はライキルが中心になり、他のみんなが彼女をサポートするように動いていた。


 ライキルが鍋をかき回している隣で、ハルは野菜を切っていた。少し離れた場所ではエウスとビナとガルナが一口サイズに肉を切り、レキがその切り終わった肉をライキルのもとまで運んでいた。料理の連携が取れるのはハル、エウス、ライキルの三人が子供の頃から作り続けて来たからであり、三人ともその習慣が身体に染みついていた。そのため、具体的な料理名を上げなくてもスープといえば、その場に用意された食材を見れば自分たちが何をすればいいのかすんなりと動くことができ、今に至っていた。


「ライキル、さっきの話しなんだけどさ…」


 ハルがナイフで野菜を刻む中、調味料を溶かすために鍋を混ぜているライキルに話しかけた。彼女はビクッと身体を震わせゆっくりとこちらに振り向いた。


「さっきって、あのギゼラさんのことですか?」


「そう、そのことなんだけど……」


 ハルはそこで言葉に詰まった。この手の話しでライキルには苦労を掛けている。それもこうして久々に会えたのに空気は最悪という状況が張る自身をすでにうんざりさせていた。


「………」


 ハルが言葉選びに迷っているとライキルが視線を鍋に戻してしまい、会話は不自然に途切れてしまった。仕方なく、ハルは目の前の野菜を切ることにした。もっとライキルとは別のいつも通り、笑いの絶えないような話がしたかったが、どうにもそういう雰囲気ではなくなってしまった。


「ハルが眠っている間、私、ルナさんから色々話を聞いたんです」


 ハルが肩を落としながら野菜を切ることに集中していると、急にライキルが呟くように言った。


「ルナさんがレイドの人間で、裏で何をやっていたかも、彼女がレイドにおいてどれくらい重要な人物なのかも、そして、何より、私たちは彼女にずっと守られてきたことを…」


 ライキルは黄金のスープの鍋の底を見つめながら続けた。


「さっき、ギゼラさんがハルにあんなことを口走ってましたが、ハルが本当に向き合わなきゃいけないのはルナさんのほうだってこと忘れないであげてください…」


 ハルはライキルが何を言っているのか全く分からなかった。ルナと向き合う、それよりもギゼラという女性の方が今のハルにとっては考えなければならないことだと思っていたが、ライキルの口ぶりからだと、ルナのことの方が重要だということを仄めかしていた。


「ルナさんはずっとハルのことを諦めない健気で強い人ですよ」


 そう言うと、ライキルは切り刻まれた山のように積み重なった肉を、味のついたスープの中に放り込んだ。


「私なんかより、よっぽど、ハルのことを思ってる人です」


 落ち着きを取り戻したライキルはどこか冷たく感じた。さっきまでの子供のように飛びついて来た人物とはまるで別人ように冷静だった。ハルもそこで少し自分の落ち着きを取り戻そうと努めた。久しぶりのライキルに緊張し動揺している場合ではない。彼女のいい方から何か、不穏な感情を抱えていることは確かだった。


「ライキル以上に、俺のことを思ってくれてる人はいないんじゃない?」


「私、以上にハルのことを思っていない人間はいませんよ」


 ハルの野菜を切るナイフの手が止まった。

 その言葉はハルに固唾を吞ませるほど強烈な一言だった。普通にショックですらあった。

 ただ、それと同時にやはり、彼女にも何かあったことがうかがえた。ハルが目覚めてまたこうして出会えた衝撃がライキルを興奮させていたのだろう。ただ、その興奮も止むと、彼女の今の思考がより鮮明に見えて来た。

 ハルからしたら再会できた嬉しい!これからも仲良くしよう!といった単純思考で元の関係に戻れれば良いと考えていたが、ライキルのこういった負の面が現れたのを見てしまうと、どうしても放っておけなかった。だから、そういう時ハルは、慎重にライキルから何があったかゆっくりと聞くことにしていた。


「どうしてそう思ったのか理由を聞いてもいいかな?」


 優しく声を掛けるとライキルは少し渋った様子を見せたが、喉の奥から無理やり吐き出すように言った。


「私は、ハルを信じ切れなかった。ハルはもう戻ってこないって…それで私、ハルを楽にしてあげようと思って、苦しむ姿が見たくなくて、幸せになって欲しくて……」


 ライキルが話すたびに彼女の声の調子と音の量は落ち続けていった。それに相変わらず鍋の底からちっともこっちに目を向けてくれなかった。


 自分が眠っている間の大体のことはさっきまでみんなで焚火を囲っていた時に聞いていたが、その間ライキルがその話に全然入って来ないことになんだか納得がいった。

 ライキルは、ハルに、この世から解放して自由にしてあげよう、ということを実行しようとしてくれていたのだ。


「じゃあ、ライキルは俺を殺して楽にさせてあげようとしてたんだ」


 そういうと、ライキルが怯えたように固まって鍋をかき混ぜる手を止めた。グツグツと鍋が煮えたぎる音だけがお互いの耳になり続けた。


「よく考えたら私のような人間がハルの隣にいること自体が…」


 そう言いかけたところでハルは彼女の言葉を遮り息もつかずに言った。


「俺は別にライキルに殺されるなら幸せだよ」


「え…」


「はい、これ持って」


 ハルはライキルにナイフを持たせた。ナイフを握らされたライキルはおどおどして、ようやくそこでハルは彼女と視線があった。

 彼女の憂う瞳に微笑む青年が映る。

 そこからハルは優しく、ナイフを握るライキルの手を包み込むように両手で掴んだ。


「…ハル……?」


 ライキルは状況が飲み込めないまま、震える声で尋ねる。ハルは何も答えずにライキルが持っていたナイフがゆっくりとハルの首に引き寄せられると全力で抵抗した。


「ねえ、何してるの!?」


 拒絶しようとも一度握ったナイフはハルの首めがけて無理やり進んで行く。ライキルがいくら力を込めても、びくともせず、ハルの首にナイフの先が触れ、そこから止まることなくハルの首にナイフは食い込み続けた。


「やめて!!ハル!!!」


 怒鳴り声が、周りにいたみんなの注目を集め、そこでようやくナイフは止まった。彼女は荒い息を吐いており、全身からはこの短い間では異常なほどの汗がにじみ出ていた。

 ライキルがその場に崩れ落ちると同時にナイフを落とし、ねじれ木でできた地面の隙間から下に落ちていった。


 ライキルが顔を上げると、そこにはライキル以外何も映していないどこかぞっとするがそれでもライキルからすれば魅力的な瞳があった。

 ハルはライキルの両頬を優しく両手で支えるように触れると、彼女に顔を近づけて人を呪うように言った。


「ライキルは俺を殺してもいいし、いらなくなったら捨ててもいい、好きなだけ傷つけてもいいし、蔑んでもいい。俺はライキルが何をしても受け入れるってこと忘れないで」


 青空のように深い青い瞳にライキルが映り込む。ハルは最後に言った。


「俺とライキルは何があっても特別な関係だってこと忘れないで…」


 ハルはライキルの頭をひとつ撫でると首の血を気にすることなく、鍋の中のスープを近くに置いてあった食器のひとつをとって注ぐと味見した。


「うん、おいしい、あ、そう言えば、さっき言ってたギゼラさんのことなんだけどさ…」


 ハルが放心状態のライキルに語り掛けようとした時だった。


「あ、あの!ハルさん」


 ハルとライキルがその声のした方を向くと、綺麗な黒髪をなびかせた赤い瞳を光らせる少女が立っていた。


「ルナさん?」


 そこにいたのはルナ・ホーテン・イグニカだった。話し合いから戻って来たようだったが、ギゼラの姿はなかった。

 そして、彼女は酷く殺気立った様子ではあると同時に、緊張しているようにも見えていた。


「大丈夫ですか?なんだか体調が悪そうですが…」


 ハルが心配そうに彼女に声を掛けると、彼女はやけくそ気味に叫んだ。その声はこの場にいたみんなに聞こえるほど大きな声だった。


「い、今から私、あなたに告白します!!」


「へ?」


 頭の中が真っ白になったのと同時に彼女が告げる。


「好きです!!ずっと前からあなたのことが好きでした!!!」


 当然辺りには静寂が満ちた。その場にいる誰もが驚きを隠せずにいた。


「………」


 ハルはもう何がなんだか分からず、その場ですでに立ち上がって隣にいたライキルの手をそっと握っていた。それは自分を見失わないようにするためだったのかもしれない。とにかく、ハルの頭は次から次へと飛び込んでくる情報を対処しきれずにいた。


「だから、もしよければ私とも結婚してください!!」


 静寂を切り裂き、彼女の愛の告白だけが響く。


「お願いします!!!永遠にあなたの傍に居させてください!!!」


 ハルの頭は完全に思考停止していた。

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