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幕間 遠い夢 どこにもいないあなた

 深い森の奥にポツンと佇む小さな木造の家。庭には花壇がありそこには数年前と何も変わらない白い花が咲き乱れていた。

 家の扉を開けると、そこにはキッチン、リビング、寝室が全て一体となってぎゅっとまとめられたような部屋があった。

 ただし、一人分の生活スペースに二人分の歯ブラシが一緒のカップから顔をだしていたし、小さなテーブルと向かい合うように並べられた手作りの不格好な椅子が二つ、キッチンの棚には赤と青のカップがひとつずつ、ひときわ幅を取っている開きっぱなしのクローゼットからもほこりをかぶった男性用の服と、よれよれになった女性用の服が数着かかっていた。靴だってそうだった男性ものと女性ものの予備が一足ずつ靴棚にしまってあった。

 部屋のどこを見渡してもそこには二人で暮らしていた形跡のようなものがうかがえた。


「ただいま…」


 そう声に出してみたが部屋の中には誰もおらず当然返事が返って来ることはなかった。


「アザリア?いないのか?」


 部屋を見渡せばわかることだったが、不安をかき消すように声を挙げた。


「アザリア……」


 静まり返る部屋にハルの不安げな声が虚しくこだまするだけで結果は何も変わらなかった。


 ハルは荷物を下ろすと疲れ切った身体をベットに投げた。二人で一つのベットを独占する。解放感と寂しさを享受し、天井を見上げる。そのまま目をつぶる。暗闇が訪れると次第に意識も遠のいていく。


 まだ手に感触が残っていた。大勢の人を殺した感触がべっとりと拭っても決して取れない人を殺した後の感覚がありありと、こびりついていた。


 右も左も分からなくなるほどの激化した血みどろの戦場が眼前に広がる。


 いたるところで魔法と矢が飛び交い、人間の集団がぶつかり合っては憎しみを込めて剣を突き立てる。

 国のために戦う民兵たちはわけもわからぬまま、戦場の死神に命を刈り取られていった。

 正規軍に関しても自分たちの命を犠牲にしてまで全力で相手に向かって剣を突き立て、そして突き立てられ死んでいった。すべては名誉のためなどくだらない理由ではなく、そこには、ただ勢いと憎しみしか存在していなかった。

 どちらの国もひたすらに相手の数を減らそうと無造作に強力な魔法を戦火に投じ、豪雨のような様な矢を降らせた。そんなのもう戦争ではなくただの災害でしかなかった。そのため、前線にいた部隊が崩壊すると、同時に後方にいた指揮官たちとの連携が崩れたことで更なる地獄が始まってしまったのは、今回の戦場が激化した理由のひとつでもあった。

 指揮系統が麻痺した戦場は最悪で、状況を見かねた前線の兵士たちが後退したくても後ろから詰めて来た味方の兵士たちに押され、下がることが出来ず覚悟を決めて突撃しかできない前線の兵士たちは哀れとしか言いようがなかった。

 ハルが参戦した戦場はまさに敵味方入り乱れる混戦状態で、指揮も一切通じないほど泥沼と化した戦場だった。


 ハルがそんな地獄で生き残ったことを軽々と奇跡と呼んで欲しくはなかった。

 ハルは少数精鋭の傭兵部隊で、正規軍とは指令系統が違った。そのため、信頼できる仲間たちと戦場の状況を見極めて後退と攻勢を繰り返し、人々の手で生み出されてしまった勢いという名の死神が暴れ回る戦場で生き残ることが出来た。

 これは傭兵たちの特権と言えた。正規軍のようにただ数で押すのではなく、戦場をよく分析し策を用いてその場、その場、にあった最善の行動を取る。それだけで死亡率も他の部隊よりもぐっと減らすことが出来た。


 その中でもハルは傭兵の中でも常に前線を張っており、仲間からも『戦闘狂』や『頭のいかれたでしゃばり野郎』など散々褒めたたえられていた。

 ハルの居る傭兵団は互いの絆が強かった。戦場が終ればお互いにバラバラになってしまうが、一度戦争が怒ればみんなが集って互いに自分の背中を安心して任せることが出来るほど団結力と絆があった。

 みんなから慕われていたハルにとっても傭兵団はハルのもうひとつの居場所であった。


 そう、居場所だった…。


 今回の戦争で仲間たちを一人残らず失わなければ、そこはハルに取っての大切な居場所だった。


『俺はあの時どうすればみんなを救えたんだ……』


 たった数週間ほど前の出来事だ。


 参加していた戦争も最終局面を迎えた時のことだった。


 敵国の正規軍を押さえ込み追い詰めた時のことだった。あと一歩のところで崩壊しそうだった敵国の軍が最後の攻勢に出たことで悲劇は起きてしまった。その一転攻勢で一時的に戦況は敵国に有利に傾き、ハルたちの傭兵団が任されていた戦場は苦戦を強いられることになり、劣勢に立たされたハルの傭兵団は一時撤退を試みることになった。ただ、最後の悪あがきを見せた敵国の軍はほっといても、ハルたちの雇い主である味方の国の正規軍に潰されるのが時間の問題ではあった。

 しかし、その時だけ勢いに乗った彼らは強かった。撤退する際に傭兵団も多くの被害が想定された。そのため、傭兵団の中からこの撤退中に殿を務めるように団長から指示が出た。その際に殿を務めたのがハルだった。

 傭兵団が逃げるなか、ハルはたったひとりで追手の正規軍たちの波を足止めした。

 ハルはその時死ぬ気だった。

 アザリアとの約束を破ることを気に掛ける暇もなく、仲間たちを生かすために傭兵団の殿を務めた。その時、誰もが反対しなかった。いや、その役目ができるのはハルしかいないと誰もが思ってのことだった。だから、みんなが撤退するなか、ハルが残るとみんなは何も言わずにハルの肩に一度手をおいてから撤退した。


 そうして、ハルは敵国の正規軍とひとり剣を交えた。


 そこからは悲惨だった。


 傭兵でありながら騎士道精神を忘れずに常に綺麗な戦い方を美学として持っていたハルがただ相手を殺すためだけに振るった剣は、波のように押し寄せる敵国の正規軍を簡単に止めてしまった。


 ハルがとった手段はとにかく早く相手を戦闘不能あるいは殺すことだけに執着した。


 剣を持っていた手を切り落とし、相手の視界を潰し、片っ端から脚を切り落とした。ひとりに対して時間を掛けず流れるように敵の戦力を削ぐ部位を破壊しながら、押し寄せる人の波の中を駆け抜けていった。それはまさに刃のついた風のようであり、正規軍に紛れ込んだ死神が吹く死の風だった。


 そうして、大海に落ちたインクだったはずのハルであったが次第に甚大な被害が出るとハルの存在を無視できなくなった。敵国の正規軍たちはこぞってハルを仕留めようと追撃をやめてハルを囲って攻撃し始めた。

 視界にはその時、どこを見ても四方八方すべてが敵であった。しかし、ハルからすればすでに役目を終えていたため、あとは満足して死ぬだけだった。なんなら、ひとりでも道ずれにしようと剣を構えようとしたが、最後は傭兵ではなく本当はなりたかった騎士らしく、これ以上無駄な犠牲を出さずに土に還ろうと剣を下ろした。

 そこでようやくアザリアと約束していたことを思い出す。


 小さく、『あっ』と声を漏らす。


 その瞬間、四方八方から飛んで来た剣に刺されたハルは大量の血を流して地面に膝をついた。


 彼女のことを思い出したから必死に抵抗しようと突き刺さる剣がそれ以上奥に食い込まないよう掴んでみたが、全ては手遅れだった。


『アザリア……』


 だが、悲劇が起こったのはそこからだった。


 遠くの空に突如巨大な火球が現れた。


『なんだ、あれ…?』


 それはハルの傭兵団たちが撤退した方角であり、味方の拠点がある場所のちょうど真上に位置していた。


 ガラガラン、と金属同士がぶつかる音がした。


 ハルの周りにいた騎士たちが剣を手放し始めていた。そして、遠くに浮かぶその巨大な火球を見つめて絶望しきった表情を浮かべる者ばかりで埋め尽くされていた。中にはその場から逃げ出そうと必死に走る者もいた。

 ハルには何が起こっているか分からなかったがその火球を見つめつづけた。その炎はなんだか希望の光に見えて少し期待してしまったが、それは希望の光などという生易しいものではなかった。


 やがてその火球は一度大きく不気味に膨張したあと見えなくなった。


 そして、遠くで巨大な火柱がひとつ立った。だが、その火柱が視界に入った途端、その場に居た敵国の騎士たちはハル含めみんな何もかもその場から吹き飛んだ。そして、例外なく吹き飛んだ生命はみんな焼き尽くされていた。


 ハルもそこからの記憶は無い。気づいたら敵国のベットの上で数か月が経ち戦争は綺麗さっぱり終わっていた。


 そして、傭兵団のことを調べると一人残らず灰になったことがわかった。戦場にはみんなの剣や鎧やそれらしき遺品と認識票が焦土化され更地となった戦場跡地から全員の分が見つかった。

 それだけじゃない、勝利寸前までいっていた戦争は敵国の勝利として大々的に各地の掲示板に張り出されていた。


 何が起きているかさっぱり分からないハルはとにかく自分の居場所に帰ることにした。


 アザリアが待っているあの小さな森の中の家に。


 仲間たちのことは忘れて、とにかく空っぽになった自分の身体をあの場所に帰してあげたかった。


 仲間たちのことは忘れて…。


 前へと歩き始めた。


 けれどその帰路の途中、ハルの目からはずっと涙が止まらなかった。


 ひとつ居場所を失った。


 だけどさよならは言わなかった。あらかじめそういう決まりで集まった仲間たちだったから。



 *** *** ***



 街から帰って来たアザリアが自宅前に到着したのは日も傾いて来た夕暮れ時のことだった。


「最近、なんだか、私の商品扱ってくれるひと少なくなったよな…」


 自分で作成した石鹼やシャンプーなどの生活用品を街に納品してきたアザリアだったが取り扱ってくれる店が減ったことで気を落す。


「お金どうしようかな、ハルが置いていってくれたお金に手を付けるわけにはいかないし…いや、でもそれで飢え死にしたらハルにぶちぎれられそう…あ、そうだ、また、雑草生活に戻ればいいんだ!」


 いつも通り誰も返事を返してくれない無人の家だったが、アザリアは元気に扉を開けて部屋の中に入った。


「ただいま、アザリアが帰宅したよ…」


 いつも通りの適当な調子でアザリアが扉を閉めようとした時だった。


 買い物して来た荷物が手から零れ落ちてしまった。


 アザリアの目の前にはベットでスヤスヤと眠る愛する人の姿があった。


「本当にハルなの?ねえ、起きてよ、ねえってば!」


 ハルの肩を掴んで思いっきり揺する。すると寝ぼけ眼で目を覚ました彼が勢いよくアザリアの手を掴んだ。彼が覚醒し、アザリアの顔には満面の笑みが広がったが、腕に痛みが走った。


「いたた、ハル、痛いよ、私、アザリアだよ?」


「…アザリア……」


 ベットの上で呆然とこちらを眺めるハルが目の前にいる人物が誰だか必死に確認していた。そして、ようやくこちらにのことを認識すると彼は慌てて力強く掴んでいた手を放した。


「あ、ごめん、アザ…」


「おかえりー!!!」


 ハルが何かを言う前にアザリアは彼の胸の中に飛び込んだ。寂しかった空白の時間を埋めるようにアザリアは彼にべったりと抱きつき身を寄せた。


「ありがとう、ちゃんと約束通り戻って来てくれたんだね!嬉しい、嬉しいぞ、本当に嬉しい!」


 喜び全開のアザリアがハルの様子を窺う暇はなかった。ただ、本当にアザリアも心の底から嬉しかったため、この気持ちを彼にぶつけないわけにはいかなかった。二人だった生活から球に一人だけの生活に戻ると精神的にも来るものがあった。


「やったね!ハル、これで私たちは晴れて夫婦じゃないか!」


「俺は…」


「どうした?嬉しくないのか?私は嬉しいぞ、こうしてハルとまた暮らしていけると思うとそれだけで今までの寂しさが吹き飛ぶよ」


「…アザ、アザリア……あっあああああ……」


 そこでようやく異変に気付いた。ハルの胸の中から顔を離すとそこにはぐしゃぐしゃに泣き崩れているハルの姿があった。


「………ハル、どうした…?」


 俯いた彼はただひたすらに涙を流していた。


「みんな死んだ…みんな死んで俺だけが生き残った……俺だけがみんなを残して死んじまったんだぁああああああ…」


 アザリアは言葉に詰まってしまった。その時なんて言葉を掛ければいいか、分からなかった。ただ退屈な日々をやり過ごしていた自分と、必死に命がけで戦い抜いて来た彼に自分が駆けてあげられる言葉がアザリアにはなかった。


「俺のせいだ…俺のせいで、みんな死んだ…死んだんだよ」


「そっか、そうだよね…ごめんね、私は何もできなかった。君にために何もしてあげられなかった」


「ごめんみんな、俺があの時………」


「ハル、お疲れ様…私の胸で良かったらいくらでも泣いていいからね」


 彼は子供のようにアザリアの胸の中で泣きじゃくった。アザリアはそんな彼の傍を離れずにずっと傍で彼をなだめてあげていた。


「落ち着いたらさ、また二人で草原にピクニックしに行こう、そんでまた星でも見よう。街にも行って美味しもの食べよう。たくさん思い出を作って幸せになろう、少しでも私たちの人生が良くなるように二人で頑張っていこう。私がハルを支えるからさ」


 暖かい確かな記憶。ずっと寄り添っていたい彼との思い出。


 そうこれは、遠い、



 遠い、



 遠い、



 遠い、



 とっても遠いあなたの過去のお話。


 そして。


 終わってしまった私たちの物語。



 だから、蘇らせてはいけない。



 あなたが今を生きる時代は、あなた達が作り上げなきゃいけない。



 でも…だから…そう…私はもう行かなくちゃいけない。



 あなたとお別れしなくちゃいけない。



 だって、そうじゃないとあなたはいつまでも私を忘れることが出来ない。



 目が覚めた時あなたの世界に私はいないでしょう。それはちょっと寂しいけれど人はいつか死んでいなくなる。



 永遠なんてものはない。



「起きて、ハル…」



 私はあなたに出会えて本当に良かった。



「みんながあなたを待ってるよ」



 ありがとう、ハル。


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