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君去りし時 中編

 彼女は大きなお城の扉の前にうずくまって座っていた。私をそこで待っていたのか、それともこの長い坂道を下るのが億劫なのかどちらかは分からなかったが彼女はそこにいた。

 大きなつばの広い黒い帽子をかぶり顔は隠れていたが、手を見ればそれだけで彼女が老女であることが分かった。

 そして、今まであった過去と未来の姿の自分から、彼女が私が出会う最後のひとりの様な気がした。


「ここまでの道のりは長かったかい?途中でたくさんの自分に会っただろ?」


 枯れた声からも彼女の年齢の高さがうかがえた。依然として彼女の顔は大きな帽子で見えなかった。


「ええ、あなたは…?その未来の私でいいのかしら?」


「私はお前さん自身であることに違いはないが、お前さんがこの私になれなかったことは事実だろ?そう考えると私はお前さんが生み出した空想の産物とも言えるんじゃないかね?」


 もっともな回答であった。途中であった私よりも少し未来の姿の私はあまりにも魅力的だった。そう考えれば未来の私の姿には自分の願望が入っていたとしても何らおかしくはなかった。

 だが、それにしてもだ。彼女の言うその事実は私の身には堪えるものがあった。


「そうね、それであなたもこの城の中にいる彼に会って来たの?」


 坂道ですれ違って来たどの私も、この立派でどこか寂しい面影を残す城の中にいる彼の話をした。そう考えると年老いた私も彼に会いに行ってもなんら不思議なことはなかった。


「そうだね、会って来たよ…」


 老女の声の調子はそこで急に落ち込んでしまった。その落ち込みようからも私はひとつの考えが浮かんでしまった。それは彼女は彼に拒絶されてしまったのではないだろうか?老いていくということはそれだけ容姿も若かりし頃とは変わってしまう。つまり外見的要素だけでいえばどうしても魅力は落ちてしまう。しかし、それは人間ならば仕方のないことだ。ただ、それを補うのが共に過ごして来た時間や育んで来た愛、積み重ねて来た互いの人生の歴史なのだろう。

 けれど未来の老いた私と彼との間にその時間は無い。彼と私の最後は今のこの私で終わってしまっているのだから、彼が老いた彼女を受け入れることが無いのは当たり前なのではないだろうか?


「もしかして、拒絶されて城から追い出された?醜い私を見て…」


 そこで老婆はひとつため息をついた。しかし、それは私に対してだった。


「まったく若い頃の私はどうしようもなく浅慮だね。こんな小娘のどこを気に入ったんだか…彼が可哀想だよ」


 顔は見えなかったが彼女が呆れた顔をしているのは確かだった。


「何よ、じゃあ、あなたは彼に愛されたの?」


「彼はこんな私でも変わらず愛してくれたんだよ。若い頃と同じように深い愛で包み込んでくれた」


 老女の声はとても嬉しそうに弾んで自分の頬や唇のあたりをさすっていた。


「そうなんだ、良かったね…」


 私はその答えにどう反応すればいいのかよく分からなかった。まだ私は彼女になったことがないのだから、いまいちその実感がつかめなかったが、それは喜ばしいことだという認識はあった。


「お前さんはもっと彼に感謝するべきだ。私は想像以上に彼に愛されていた。これは人生においてとても幸せなことだよ。ひとりの人間にここまで愛されるのは相当なものさ」


 黒い帽子、黒い服で身を固めている老女。お城の扉の壁にもたれかかている彼女のその姿はまるで影のようだった。


「ねえ、その彼ってさ…」


 聞かなくても彼が誰かなどとっくに分かっていた。

 ただ、彼の名前を聞こうとした時、老女である自分に遮られた。


「よく聞きな。これからお前さんもこの城に入って彼に会うだろう。そこでお前さんは私たちにはなかった唯一重要な決断を迫られる。それはとても選び難い選択だと思うが…」


 老女は立ち上がる。彼女の素顔は不自然な帽子のつばの影で全く見えなかった。唯一口元の辺りが少し見えるくらいで、皺がくっきりと浮かんでいた。


「最後はお前さんがしっかり決めるんだ。いいね?」


 老女は城を離れ遅い足取りで坂道をゆっくり下って行った。


 私はその後ろ姿が見えなくなるまでずっと見つめていた。


 


 私はお城の扉を開けて中に入った。城の中に入るとまず色とりどりの花が咲き乱れる長い中庭が広がっていた。その中庭の真ん中には噴水があり清涼な空気を演出していた。

 私はその花壇と噴水を通り抜け本館の方に足を運んだ。

 本館の大きな扉を開け中に入ると、そこには豪華で静謐な空間が広がっていた。白を基調としたシンプルで無機質を突き詰めたような造りの広いエントランスホールだった。

 私はそのさらに奥に進み、頑丈な扉の前に立った。その扉を押し開けようとした時だった。


「その扉を開けるのか?」


 私の耳をおぞましい声がなぞった。一度聴いたら一生忘れられない心に直接刻まれるような恐ろしい声。

 その声の持ち主は私の背後にいた。振り向きたかったがなぜだか身体がそれを許さなかった。声も出せない私は、そのおぞましい声の持ち主の言葉をそのまま聞き続けるしかなかった。


「それもいいだろう、だがな、ここで帰るという選択肢もあることを忘れるな?その先に待っている結末はお前にとって悲惨な結果でしかないぞ?」


 私はそれでもこの奥にいる彼に会いたかったため扉を押す手に力を込めた。けれどその扉はとても頑丈で私ひとりで開けるのはとてもじゃないが無理だった。

 背後から足音が近づいて来た。そのおぞましい声の持ち主が近づいて来ていた。そして、その彼が私の背後から扉に手を置いた。私の身体は緊張で固まってしまった。


「開けてやる。だが、後悔するなよ?そして、欲に流され選択を見誤るな」


 頑丈な扉が音を立てて開かれた。

 私はおぞましい声の持ち主から逃げるように扉をくぐり走り抜けた。

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