君去りし時 前編
気が付けば灰色の曇り空の下、誰もいない無人の街に私はいた。季節は冬に入る一歩手前の秋ごろなのだろうか?憶測でしか語れないのは私がこの街に来たのがたった今だからだ。私は整備された石畳の道の上にいた。馬車が走るための道路が真ん中を通っており、その左右に歩行者が歩く道が舗装されていた。私はその道の真ん中に立って気が付けばのっぺりとした鉛色の空を見上げていた。
「ここどこだろう。なんだか、不気味なところだな」
道路の左右には人の気配の無い背の高い民家が立っており、その光景が先の広場までずっと続いていた。
その広場には大きな像があり、目的の無かった私はひとまずその広場に足を運んでみた。
広場にも石畳が辺り一面に隙間なく敷き詰められており、円状を成していた。その円の中心には大きな石像が立っていた。人型の石像であり精巧なつくりではあったが、首から上が存在しておらず、それが誰を現したものなのか分からなかった。しかし、その石像はなんだか首が無いことでより一層価値のあるものとしてこの広場に君臨している気がしていた。
「顔が無いってことは嫌われたのかな?」
私は無人の街をぶらぶらと当てもなく進んで行く。行けども、行けども人の気配はなく街は静まり返っていた。
そこで試しにひとつ民家の扉を開けてみたりもした。しかし、その扉の向こうは家具ひとつない、人の生活した後がまるでないまるで外側だけ飾られた張りぼての家だった。それからいくつかの家の扉を開けたがどの家も同じで空っぽだった。
この街自体が空虚そのものであり、どこか街が本来持っている機能とは別の目的のためだけにこの街が創られたような気がして、私はしばらく歩きながらこの街のその他の機能について考えることにした。
考えることは好きだった。考えたことを行動に移し結果を得ることは私の得意分野だった。こう見えても研究者である私は、様々な不思議な出来事に対しても冷静に対処できる落ち着いた頭と好奇心旺盛な熱い心を持ち合わせていた。これは研究者の心構えとしては優秀であり、私は研究者に向いていると言えた。危険を顧みない私はたまに彼に怒られたりもしたけど、そんな性格のおかげである程度肝は据わっていた。
そのため、こんな無人の街に突然放り込まれても対して驚きもしなかった。
そもそも、私は…いや、この話は置いておこう。
背の高い建物が連なる無人の街はまるで迷路のようで、私は同じ場所を行ったり来たりしていた。
「迷ったな、まあ、目的地なんて決めてないから迷うとかはないんだけど、それにしてもだ。ここはどこなんだ?」
突然こんなところに放り込まれて今、それどころではないことが、彼の居る世界で起きているのに私はこんなところで寂しい街を歩いている場合ではなかった。
「でも、私ができることはしたし、どうなったかはううん、彼に会えるか会えないかできまるのかな?待てよ、そもそも例えダメだったとしても私が彼に会える保証はあるのか…」
私は立ち止まってあの世界で起こっていた出来事について思考を巡らせた。あの世界とは今いる世界とは多分別の場所だからあの世界としているが、私自身もあまりあの世界と深いつながりはなかった。いろいろ複雑でややこしいのだが、それには私があの世界ではすでに…だから、この話は置いて行こう。
とにかく私はこの街から出ることを一つの目標とすることにした。状況が何も把握できない時はいつだって自分で何かしらの目標を立てて来た。特に考える対象が漠然としていたり、その範囲が広いならばなおさら、視野を絞って取り組んだ方が効率的だった。
思考にだって体力を使う。なるべく無駄を削ぎ落すために頭の中はシンプルにしておくことが大切だった。
だから、私はどこまでも真っ直ぐ歩くことにした。真っ直ぐ進めばこの街がどれほど広いか分かる。例え街の端っこが現れなかったとしても、それはそれで一つの答えが出ることになるから何も問題はなかった。
それから、一時間ほど真っ直ぐ歩いた。時計塔らしきものはひとつも見当たらなかったため、時間は正確ではなかったが、とにかく頑張って一時間は歩いてみた。その結果、私は街の変化を目にすることが出来た。
街の中には小高い丘の上に立つお城があった。そのお城の丘の下は城壁で囲まれており、その敷地内にはたくさんの木々で埋め尽くされており緑豊かな場所であった。
さっそく私はその城を目指して足を進めた。
城の丘の下まで着くと高い城壁が邪魔していた。私はその城壁に沿ってぐるりと一周することにした。そうして半周ほどすると城壁には大きな黒い門が設置されていた。
「鍵とか開いてるのかな?いやこの大きさだと閂かな…」
どちらにしろ押して見ないことには始まらない。非力な私はその黒い門を力いっぱい押したが、当然ビクともしなかった。
「ダメか…」
黒い門を見上げる。堅牢なその門は何人たりともを拒絶するような威圧感を放っていた。
「まあ、じゃあ、ここはいっか」
私は楽観的であった。大抵のことは笑って見過ごせるのだ。門が開かなくても別に私は何も問題はなかった。門が開かないならそこに入れないだけなのだから。
「お城は苦手だし、無理して入ることないな」
この街は無人だが私の知る街はいつも人々の活気に満ち溢れている場所だった。私は人の多い場所が苦手ではあった。特に偉い人が多く集まる城などは、遠慮したいところではあった。それでも足を運んだのは無人の街の退屈さに変化が生じたから寄っただけであった。
だから、入れないと分かれば無理をする必要など微塵もなかった。
「もう少し街中を歩き回ろうかな?まだ新しい発見もあるかもだし」
踵を返し、再び街中に繰り出そうとした時だった。
背後からゴトンと音がし、そして続けて歪んだような低い音が響いた。私が後ろを見るとまるでここがあなたの最終地点だよと言わんばかりに黒い扉は開き切っていた
***
黒い門を抜けるとお城までの長い坂道が続いていた。坂道の脇には緑の林が連なっており、薄暗かった。
私は特に何も考えずにその坂道を登り始めた。目的の無い平坦な道よりは目的のある坂道の方が足取りは軽かった。
「この調子でお城に誰もいないといいんだけど」
城が苦手な理由はそこにいる偉い人たちがいつも威張っているからであった。彼らのような人間は自分たちの立場を守るためならあらゆる不幸を振りまくから嫌いだった。
つまり私は城に住むような人が嫌いなだけでお城という建物自体は嫌いではなかった。場所というのはそこにいる人でまるっきり姿を変えてしまう。地獄だろうと大好きな人と落ちればそこは天国とさほど変わりはしない。
私は無人の城であることを願った。それか優しい主などがいてくれればなどと思った。
そんな淡い期待を持ち歩いている時だった。坂道の向こうから誰か人が歩いて来るのが見えた。私はその時点で城に人がいるのかと少しがっかりしたが、その坂の向こうから歩いてきた人を見て足を止めてしまった。
坂道から下って来た人は子供だった。私が坂道の途中で止まっているとその子供はどんどん近づいて来た。
その下って来た子供は、女の子だった。彼女は短いくねくねした白いくせっけの髪に、ほどよく均一に日に焼けたような褐色肌で、ピンク色の大きな瞳を持っていた。肩を出した白いワンピースを着ており、彼女は満面の笑みで坂を下っていた。
彼女はどう考えても幼い頃の私だった。
そんな彼女と目があった。
「あなた…」
面食らった私に対して幼い頃の私が無邪気に言った。
「さっきね、とってもカッコイイお兄さんとあったんだ。それでね、私、そのお兄さんにたくさん遊んでもらったの!」
「そう…」
私の驚きなどお構いなしに彼女は続ける。
「それでね、最後に私、そのお兄さんとおままごとをしたんだけど、その時に私彼に言ったの将来私をあなたのお嫁さんにしてくださいって、そしたら、そのお兄さんね、君がもっと大きくなってその約束を覚えていたらいいよっていってくれたの!」
「そのお兄さんって誰なの?」
「分からない、名前聞くの忘れたから…あ、私もう行くね!帰るの遅くなるとお母さんに怒られちゃうから」
小さな背の私が坂道をあっという間に下って行くと、すぐに彼女の姿は曲道を曲がって見えなくなってしまった。
私はそれから今会った幼い自分のことを考えながら坂道を再び上り始めた。
それから数十分ほど歩いた頃、再び坂の上から誰かが歩いてい来るのが見えた。
今度はさっきの幼い自分より少しばかり成長した姿をした私だった。くせっけだった髪は長く伸びてストレートになり、やはり少し大人びた印象を与えたがまだまだ子供っぽさが残っていた。相変わらず白いワンピースを着ており、我ながら似合っていたと思う。
そんな彼女が近づいてくると少しばかり緊張している自分がいた。そのおよそ十五歳くらいの自分とすれ違うと彼女は立ち止まり声を掛けて来た。
「人を好きになるってことがどういうことか分かった気がする。それにあれが将来の私の夫だとすると自分の未来を早々に悲観する必要がないって思ったよ」
彼女はどこか恥ずかしそうに言った。彼女たちは私に対して驚きもせずにただ、自分たちの持っている結果だけを告げて来ていた。
「その人ってもしかして…」
「私は会えなかったけど、あなたはもう会ってる人。言わなくても分かるでしょ?上のお城で待ってるよ」
そう言うと十五歳の私は、私を置いて坂を下って言ってしまった。
私は彼女の言葉を聞いて走り出した。息を弾ませ、身体を前へ、前へと疾走させた。彼女のヒントだけで城にいる人が誰だか明確に分かった。それは私はいつだって逢いたい人だった。
坂道を走っていると気が付いたことではあったが、外から見たよりもなんだかこの坂道は長い坂の様な気がした。走っている間に私の見えないところで先が付け足されている様に、登れば上るほどお城が遠のいて言っているような気がしていた。
しかし、やがて走っていると、再びゆっくりと歩いて来る人があった。
そこには私なんかよりも大人びた女性の姿をした私の姿があった。
その自分は三十歳くらいだろうか?今の二十歳くらいの私からすると彼女は大人の魅力を携えた女性に成長していた。胸も今より少し膨らみ、髪型も肩まで切りそろえられ手入れも欠かさず艶のある仕上がりになっており、香水で異性を惹きつける匂いまで獲得しているとなると男が放ってはおかないほど美人な私がそこにはいた。正直今の自分からでは想像はできないが、努力すればここまで変われるのかとなるとなんだかやる気が湧いて来た。
ただ、もう遅いのだが…。
そんな色気のある彼女は言った。
「まだまだ彼の傍に居たかった。今の私をたくさん見てもらいたかった。ずっと彼に愛されていたかった」
「そうだね…」
私は彼女を見た時、酷く悔しい気持ちが押し寄せ、やるせない気持ちになっていた。もしも本当に彼女が私の未来だったとしたら、彼はより一層私に夢中になってくれていたのかもしれない。そんな妄想が止まらなかった。
「でもこうして彼に会えてよかった。やっぱり、私彼のことが好き、いつまでたってもこの愛は変わらなかった」
「ああ、その通りだ。私はいつまでも彼のことを忘れないだろう…」
ありえたかもしれない未来の自分は坂を下って行った。
それから私は走るのをやめて歩くことにした。このまま目的についてしまうのが怖くなってしまったのかもしれない。それか、この先にいる未来の自分に会うたびに叶えられなかった現実を思い返してしまい辛かった。
けれどそんな心配をよそにその後お城に着くまで一度も自分に会うことはなかった。
ただ、立派な古いお城の大きな扉の前に最後に未来の姿をした自分が立っていた。
それは年老いた自分の姿だった。