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神獣討伐 不死と再臨

 辺り一面に真っ赤な雨が降り注ぐ。骨と肉がねじ切られ弾ける音が背後から聞こえてくる。

 隣ではビナが息を呑み、ガルナが目を伏せ、レキが険しい表情をしていた。エウスですら言葉に詰まり目の前の真っ赤な彼女に注意深く目を光らせるしかなかった。

 エウス達の前には真っ赤に染まったライキルがいた。


「そっか、レキさんが連れて来たんだね」


「ライキル、ここでハルを殺しても何も意味が無い。君は彼を唯一救える人間なんだ」


「そう、だから私はハルを救うのよ」


「違う、そんな方法じゃなくていいんだ。ただ、彼の傍で寄り添ってあげるだけでいいんだ。特別なことなんていらない。なぜならハルにとって君はもうとっくに特別だからだ。この世界における君はアザリアなんだ」


 アザリアという言葉を聞いて、ライキルの表情が歪んだ。だがすぐに彼女の表情には冷静さを取り戻し、寂しく控えめな笑顔を浮かべた。


「ありがとう、レキさん、そこまで言ってくれるとなんだか照れます…」


 彼女に何も伝わっていないことが分かったレキが「君は…!」と言葉を続けようとした時、エウスが一歩前に出て割って入った。


「なあ、ライキル、どうしたんだ。その赤ドレスどこから拾って来たんだ?」


「エウス……えっと、これはあそこにいる朱鳥がくれたもので、私は彼に力を貸してもらってるの」


 ライキルが重たい口調と共に指をさす。その方向はエウス達の背後で、時折強力な光を放ち明滅しては肉塊になり続けている四大神獣朱鳥のことだった。そこには待ち焦がれたハルもいたがレキから聞かされていた通り、意識の無い殺戮人形となり再生する朱鳥を粉砕し続けていた。

 ただ、そんな事実を無視してエウスはライキルの外見についての会話を続けた。


「そうか、似合ってんな。ただ、その全身に刻まれてる印もそうなのか?あと髪も赤が混じってるようだが、それも朱鳥様のおかげなのか?」


 エウスが彼女の変わり果てた外見をひとつひとつ確認していく。その中でもライキルの全身には赤く発光する刻印が刻まれており、それが彼女を外見的に人間離れさせている要因として大きな割合を占めていた。


「うん」


 エウスの言葉にライキルが気まずそうに小さく頷く。自分が変わってしまったことを遠回しに指摘されていることに後ろめたい気持ちを抱えていることは目に見えていた。

 さらにそれがエウス達に知られたことでなおさら彼女は萎縮していた。


「なあ、ライキル、お前がハルを殺そうとしているって本当か?」


 ライキルが俯き答えずらそうに顔をそむけた。その仕草だけでエウスのした質問に答えが返って来たのと同義であった。だからエウスは彼女を刺激しないようにあくまで冷静に続けた。


「教えてくれないか?なんでそうしようと思っているのかって理由を、俺には今のお前の行動が全然理解できないんだ」


 感情を読めども、読めども、今のライキルの感情はあまりにも複雑でエウスの天性魔法でも彼女の心の動きを読み解くことができなかった。


『くそ、本当に何がどうなってんだよ…』


 愛し合っていたはずの二人になぜそこまでの亀裂が入ってしまったのかエウスには見当もつかなかった。なんなら未来永劫二人の相思相愛が続くとすら思っていた。

 エウスがここに来た目的だって、忘れていた存在であるハルを思い出すためだった。古城アイビーでギンゼスとフーリから告げられた話からハルと自分の関係、ハルとライキルの関係を知った。

 そして、それからエリー商会の力を存分に使ってハルという人物の居場所を探している時にレキという男に出会った。

 それから聖樹に訪れ神威を習得し、ハルの記憶を取り戻したエウスは、ずっと彼を救うために聖樹の頂上を目指していた。

 そこにライキルたちも来た時は、以外と言うよりかは記憶取り戻した時点で、彼女たちがいつか来るとは思っていたので内心は想像通りだった。

 だが、しかし、それなのにこの現状に至っていることにエウスは困惑するしかなかった。


 今だって彼女がどんな言葉で返してくるか怖くて仕方がなかった。


「アザリア…」


「アザリア?」


 エウスが聞き返すように言葉を繰り返した。


「ハルをアザリアの元に帰さなきゃいけないの…」


 その言葉の意味がエウスにはよく理解できなかった。アザリアという言葉にも聞き覚えがなかった。だが、どこかでいつの日かその名前を聞いたことがある気がした。ずっと昔そう、まだ道場にいた子供の頃その名前をハルが口にしていたような…。

 曖昧な記憶の詮索にエウスが固まっていると彼女が言った。


「みんなにも分かって欲しいの、これはハルの幸せを想ってのことなの…」


 結局、記憶を辿り切れなかったエウスが切り替えて口を開く。


「あいつがそう言ったのか?そのアザリアって奴に会うために自分を殺してくれって?」


「ハルは彼女を一番に望んでる。ハルは自分で命を絶とうとしてまで彼女に逢いたがってた。ハルが自殺しようとしてたの、エウスも知ってるでしょ…」


 霧の森での光景がエウスの脳裏に焼き付く。親友を失う恐怖で動けなかったあの時のことを今でも後悔している自分がいた。しかし、それよりも今その話が出て来ることに何の意味があるのか分からなかった。


「知ってるよ、霧の森でハルは自分の首を自分で落とそうとしてた。それがどうかしたのか?」


「アザリアはもうこの世にいないの…」


 その言葉が余計に頭の中を混乱させたが、その事実が本当なら話の筋は通ってしまうことに気づいたエウスは、それでも尋ねずにはいられなかった。


「どういうことだ?」


「アザリアはもう死んでるの…」


「つまりハルは死人に会いに行くために自分を殺そうとしていたのか、お前たちを置いて?」


 最後の言葉にライキルが猛反発した。


「それは違う!ハルは私たちを選んでくれた。アザリアって大切な人がいるのにも関わらず私たちを選んでくれたんだよ!」


「だったら、なんでお前はハルを殺そうとしてるんだよ。ハルに選ばれたんだろ?だったらここでお前がハルを殺す意味なんてどこにもないだろ…今あいつに愛されてるのはお前なんだろ」


「ハルはずっと苦しんでたんだよ!アザリアに会えなくて!」


 エウスは段々と話の通じないライキルに苛立ちが募っていた。彼女はここまで話しの通じない相手ではない。どちらかというと物事を読み取り、広い視野で見れる方だとは思っていたが、ハルのことになるとそうもいかないのが彼女の困ったところではあった。だが、それでも今の彼女が正常ではないことは明白だった。


「さっきからお前ハルの気持ちを代弁してるように言ってるが、ハルがそんなこと思ってるって本気で思ってんのか?」


「………」


 ライキルが怯み言葉に詰まる。


「本当は怖いだけなんじゃないのか?自分がいつかハルに捨てられるかもしれないってそれが怖くて終わらせようとしてるんじゃないのか?」


「違う、ハルは私を捨てたりなんかしない。そうじゃなくて私はハルを幸せにしてあげたいだけなの!」


「だったらもういいじゃねえか!ハルはお前といるとき幸せなんだからそれでいいだろ!さっきから何をそんなに怯えてるんだよ。ここにはお前の味方しかいないんだぞ!」


「みんなハルのこと何にも分かってない…ハルにとってアザリアがどれほど大切な人か…」


「お前だってハルに愛されてるだろ。何でそれが分からないんだよ…」


「私は…」


「それにお前ガルナのことも考えてやったのか?」


 エウスが視線を隣にいたガルナとライキル両方を交互に向けながら言った。

 ライキルがガルナを見つめた。二人の視線は一時的に混ざり合ったがライキルが顔をそむけたことで通じ合いそうになった繋がりは絶ち切られた。


「なんでみんなここに来たのよ、私の邪魔しないでよ…」


 ライキルの握る刀が小刻みに震えていた。次第に彼女の表情に静かな怒りが帯び始める。


「お前を止めに来たからに決まってんだろ!」


「余計なお世話なのよ」


 ライキルの身体から凄まじい炎が発せられる。ガルナとビナが前に出てその熱を水魔法の壁で周囲を覆い溢れ広がる熱を防いだ。

 突然の業火が視界を埋め尽くするエウスは肩を落とした。

 ここまで来ると話し合いでは済まず、後はもう力だけがものを言う争いになってしまうことが決まってしまったようなものだった。


「おい、ライキル、お前なんでそこまで…」


 エウスの目の前で、ライキルの身体が発火し続ける。

 その発せられる炎は次第に勢いを増していきやがて彼女はひとつの大火となった。大火の中で彼女は思い悩んでいた。すっかり人間ではなくなってしまった彼女であったが、まだ彼女の中には迷いがあり、人間味が残ってくれていた。


「すまない。ライキルがこうなったのは私のせいでもあるんだ…」


 とても落ち着いた口調で話すガルナにエウスは違和感を覚えたがそれどころではなかった。状況は刻一刻と悪くなるばかりでエウスはライキルを止める手段を考えなければならなかった。


「いや、いい、謝ったり反省したりするのは後だ。まだ俺たちはライキルを止めれるところにいる。これでハルなんか殺されてみたりしてみろ。今度は多分、あいつ本当に狂っちまう」


 エウスが見つめる先には炎の中に居るライキルがいた。


「エウスの言う通りだ。ここはひとまずライキルを止めることに全力を注いで欲しい。神威の方は僕が何とかするから、とにかく彼女の意識を変えてくれ」


 レキがエウスの肩に手を掛けて言った。彼に期待されてしまった以上それに応えなくてはならない気がした。ただ、エウスはもとからライキルを死ぬ気で止めるつもりだった。


「ビナ、悪かったなこんなことに巻き込んで…」


 エウスが腰から剣を引き抜きながら小さな赤い髪の女の子にひとつ詫びを入れた。


「あなた達に好き好んで首を突っ込んだのは私自身の判断なので何も気にしないでください。それより、ライキルを止める策はあるんですか?」


 ビナが水の壁を張り続けながらエウスに言った。


「策ならある。とっておきの策がな…」


「何ですかそれは早く教えてください!思っている以上に炎の火力が強くて水魔法の出力が追い付かないんです!」


「まあ、見てな…」


 エウスが緊張しゴクリと唾をのみ込むと、水の壁に向かって駆け出した。そして、そのまま彼は水の壁に突撃しその壁を突破した。


「エウス!!!」


 ビナとガルナが同時に叫んだ。


 水の壁の外は灼熱の地獄であり一度その外にでれば全身が焼けこげるのは目に見えていた。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 エウスが水の壁を突破すると待っていたのは身体を焼き尽くす炎だけだった。体中が炎に包まれ激痛が走り皮膚が燃え出血し出すが、そんな痛み無視してエウスはライキルの元に駆け出した。


『おい、ライキルさん、マジで頼むぜ、カッコつけさせてくれよな…』


 エウスは心の中でそうすがるように呟いた。すると、エウスを焼き殺すはずだった炎が一瞬で周囲から消えた。


 そこにはライキルが慌てた様子で炎を操り消している姿があった。いくら怒りに身を任せて居ようと、彼女がライキル・ストライクである以上、家族や友人たちは殺せないことくらい分かっていた。これは信頼を逆手に取った一番効果的な奇襲だった。


『ありがとよ、信じてたぜ、お前が俺を殺せないってこと…』


 エウスはそのまま勢いをつけてライキルめがけて持っていた剣を投げつけた。その投擲された剣を反射的に避けてできた隙にエウスは彼女の腰にタックルを仕掛けて転ばせると、エウスは彼女に馬乗りになり四肢を押さえつけ身動きを封じた。


 その後、有無を言わさずすぐに駆けつけて来たビナとガルナが倒れているライキルの両腕を掴んで覆いかぶさってエウスに加勢した。


「なあ、ライキル俺たちのこともハルみたいに殺すのか?」


 ライキルを激しく睨みつけて言った。エウスは心の底から怒っていた。彼女が何をしようとしているのかまるで分かっていないため説教のひとつやふたつしてやらなければならなかった。


「お前の炎で燃やすのか!?」


 ライキルは目を見開いてエウスを直視していた。


「だったら燃やせばいい!俺を燃やしてハルも殺してやればいい。だが、絶対に俺を殺してからハルを殺せ、それくらいの覚悟がお前にはあるんだろ!?」


 血の雨が降る中、エウスの心からの叫びが響き渡った。だが、その叫びはライキルに届くどころの話ではなかった。

 ひとつだけこの場でエウスが間違ってしまったことがあるとすれば、それはたったひとつだけだった。しかし、そのたったひとつはあまりにも理不尽に現実の結果を導き出してしまうところにあった。そう、それはハル・シアード・レイがこの世界に対してそうであったように…。


「エウス、それにガルナにビナ…」


 ライキルが三人の名前を呼ぶと彼女は軽々と上体を起こした。その力の強さにエウスは後ろの地面に転がり倒れ、ガルナとビナはライキルの腕にすがりつくような体勢になってしまった。

 ライキルが左右のガルナとビナを交互に見た。


「ごめんなさい。もう私は止められないの、ガルナはそこらへんよく分かってるよね…」


 ライキルが傍にいたガルナの顎をさすり、そのまま流れで彼女の頬を優しく撫でる。ライキルに触れると直接神威を流されガルナが恐怖に包まれていたが、それと同時にライキルの手のぬくもりも感じ取ってしまい抵抗できないガルナは完全に戦意を奪われ無力化させられていた。


「ビナ、またあなたの顔が見れて嬉しい。もう、会えないかと思ってたから…」


 ライキルがビナの頭を撫でる。流れ込んでくる神威にビナもその場に固まってしまった。


 二人を手玉にとったライキルが目の前で無様に倒れていたエウスに言った。


「本当にハルを助ける覚悟があったなら私を殺してでも止めるべきだった」


 ライキルは二人をいとも簡単に気絶させると二人を抱きかかえ、その場に寝かせた。

 エウスはその圧倒的な力量差に息を呑んだ。最初からエウス達では止めることなど不可能だった。たった三人で神獣を相手にしているようなものだった。


「覚悟が無いのはエウスたちの方だったんじゃないの?」


 彼女の言うとおりだった。エウスにライキルを殺してでも止める勇気など最初から持ち合わせていなかった。


 エウスが丸腰で立ち上がると拳を構えた。


「まだやる気なの?」


「言ってなかったか?俺を殺さないとハルは殺させないって…」


「拳じゃ無理よ…」


「お前が決めることじゃない」


 エウスがライキルに向かって殴りかかった。エウスの拳が振り下ろされる前にライキルの目にも留まらない強烈な返しの拳が胸部を中心に五、六発入ると、彼は地面に倒れ込んだ。


 あっという間に三人を倒したライキルがハルの元に行こうとした時だった。


「どこに行くんだよ、まだ、終ってねえぞ?」


 ライキルが振り向くとそこにはエウスが立っていた。彼は拳を構えライキルに殴りかかった。


 ライキルがため息をつく。


「あなたじゃ、私を止められない…」


 向かってくるエウスの顔面をライキルは容赦なく殴りつけて地面に叩きつけた。


「もう起き上がって来なくていいよ、それ以上は無駄だから」


 ライキルが先を急ごうとした時だった。


「おい…ライキル…」


 再び立ち上がったエウスの顔は大きくはれ上がり口回りも血だらけだった。


「………」


 ライキルは立ち上がったエウスの元に戻り、弱った彼の頭に触れて直接神威を流しこみ意識を奪うことにした。


「エウスももういいのゆっくり休んで…」


 エウスの身体に直接朱鳥の神威が流し込まれる。しかし、エウスが倒れることはなかった。


「なんで倒れないの…」


「ライキル、お前本当に神威のことを理解して使ってるのか?」


「何、どういうこと?」


「神威は恐怖をまき散らす道具なんかじゃねえんだよ…」


 エウスの周囲一帯がミシミシと嫌な音をたてて軋み始める。そして、彼の周りに強力な神威が出現した。それは四大神獣朱鳥の神威にすら対抗できるほどの勢いを持った神威だった。


「神威は、神様みたいな化け物どもと同じ土俵に立つための手段なんだろ?だったら驚くことなんて何一つねえだろ?」


 エウスがライキルの手を振り払う。そして、拍子抜けしているライキルに向かってエウスは拳を振った。

 しかし、ライキルに振りかざしたエウスの拳がぐちゃぐちゃに折れ曲がり、さらに酷い火傷をしていた。


「エウス、手が…」


 ライキルの防衛本能が自動的にエウスの拳を迎撃していた。


「こんな火傷なあ、ライキル、お前が今抱えてる感情に比べたらなあ、こんな痛み…」


 エウスが潰れ焦げた拳を握り力を込めた。激痛が右の拳から這い上がって来るがそんな痛みを無視してエウスは構える。


「痛くも痒くもなねえんだよ!」


 再びライキルに襲いかかる。

 その勢いにライキルが後ろにたじろく、それを見たエウスは全力で前に踏み出し、今度は全力で左手の拳を彼女に振るった。

 しかし、これまたライキルが持っている朱鳥の自動迎撃によって拳は炎の壁に阻まれ、さらにはその拳に燃え移った炎で彼の拳は一瞬で大火傷した。ダメ押しにそのライキルを守っていた炎の壁から噴射された炎で吹き飛ばされる。


 倒れたエウスは自分の両手を見ると酷いやけどと出血でもはや両手の感覚はまるでなかった。

 エウスはすぐに立ち上がって、駆け出した。


 エウスの覚悟はここからだった。


「ライキル、覚悟しろ、ここからが俺の本気だぞ!!」


 いつものエウスだったらここまではしなかっただろう。彼の戦闘スタイルは基本相手の裏をかき楽して敵を倒すことだった。相手の弱点を探し策を練り、その一点めがけて全力で力を行使する賢い戦い方をした。


 エウスが愚直に突進し、ライキルに向かって殴打の連打を浴びせた。その拳は全て炎の壁に阻まれた。


「がぁあああああああああああああああああああああああああ!!!」


 一発一発炎の壁を殴るたびに、感覚の無くなったはずの手から激痛が流れ込んでくる。


「やめて、エウス、もう来ないで…」


 エウスが一度炎の壁を殴るのをやめると息を整えた。攻めたはずのエウスがすでに虫の息で死の一歩手前だった。両手はすでに手の原形をとどめていなかった。


「ハァ、ハァ…あいつを殺すんだろ?だったら今なんかよりもっと辛いんだぞ…ハルが死んだ後の死体をお前は見下ろすことになる。それがどういうことだか分かってるのか?」


 エウスは両腕の激痛に耐えながら、最後の力を振り絞って言った。


「死んだらもう生き返られないんだぞ!!!」


 そこでエウスが大量の血を吐き出しながらも大きく振りかぶった拳がライキルに振るわれるも、もう、炎の壁が自動迎撃する必要もないくらい弱々しい威力の拳に成り果てていた。


 ライキルは前のめりに倒れるエウスを抱きかかえた。そのまま座り込み、大量出血で気を失った彼にかけられる言葉も持ち合わせていなかった。


「私は…」


「ねえ…」


 その時、背後から声が掛かった。

 ライキルが振り向くとそこにはギゼラとルナがいた。ギゼラに肩を貸してもらっているルナが言った。


「見せて、彼の傷…」


 ルナがライキルに寄りかかるように座るとエウスの腕に白魔法を掛け始めた。


「酷い火傷ね…」


「エウスはこんなに傷つく必要はなかった。全部私が悪いんだ…」


「そうね、あなたが全部悪いわ」


 ルナが白魔法を掛けていくとエウスの両腕がみるみる元の姿形に戻っていく。


「どうして助けてくれるの…」


「私は彼を助けてるだけであなたを助けてるわけじゃない」


「そっか…」


 エウスの手が戻った途端、彼は目を覚ましライキルの腕を掴んだ。


「ライキル、お前、その刀置いて行け、もう必要ねぇだろ…いや、最初からそんなもの必要なかったんだよ」


 ライキルの目には涙が溜まっていた。エウスはそんな馬鹿な家族に言った。


「お前がハルや、そのアザリアって奴のために頑張ろうとしたのはなんとなく分かったよ。だけどもし死んで二人が結ばれるんだったら、もう少し先延ばしにしてもらってもいいだろ?なんだったらハルには少し俺たちの傍で苦しんでもらおうぜ…」


「私、ハルに幸せになって欲しくて…」


 ライキルがハルに対して狂気的な愛を持っていることは知っていた。彼のためなら何でもする彼女の前からハルが消えたことで、彼女が暴走することは当たり前だった。けれど、このハルの存在を忘れさせるというとんでもない現象が、エウスやライキルたちを惑わせていた。ライキルの大半を占めていたハルと言う存在が消えて彼女が壊れないはずがなかった。


「その幸せにはライキル、お前もいなくちゃいけなかったんだよ…もし仮にハルがアザリアのことを深く愛してお前たちのことが眼中に無かったとしたらだ。ほら、自分で言ってただろ。ハルは俺たちといることを選んだりしなかっただろう?」


 ライキルが涙をこぼしながら頷く。


「それに何となくあいつのことだから、分かることなんだけど、きっとハルの奴またひとりで全部解決しようとしてたんじゃないのか?アザリアって奴のことも俺たちのことも、同時に救おうとしてたんじゃないか?まあ、あいつ不器用な癖にたくさん抱え込むから、こうやって破綻するし、昔から変わってないんだよ…」


「私が支えきれなかった…」


「ハルが持ち込んでくる問題はいつだってあいつにしか解決できないことばかりだっただろ?」


 白魔法を掛けられたことでエウスには凄まじい睡魔と疲労感が襲って来ていた。


「だから、ライキル、お前が落ち込むことは無いんだ。ハルが居なくなったら、またこうして探し出して、傍に居てやればいい。あいつは勝手にいなくなったりするけど必ず俺たちの元に帰って来てくれた。今だってそうだろ?ハルはアザリアに会いに自殺なんてしてない。むしろ四大神獣の朱鳥を退治し続けて、あいつは愚直にみんなとした約束を守ってくれてる」


 ハルはエウス達の前で今も朱鳥を殺し続けていた。


「そのことなんだけど、私は朱鳥のことも助けてあげたいの…」


 エウスは一瞬ライキルが洗脳されているのではないかと疑ったが、天性魔法で読み取った感情から彼女が何かを企んでいるといった心の動きは一切なく。それは彼女の本心から出て来た言葉だった。


「彼は悪い人間たちに利用されただけで、それまではずっと私たち人間と共存してたの、本当よ…四大神獣なんて人類の脅威なんかじゃちっともなかったの…」


「…そうか、なら、ハルにやめるように言って来い。ハルがお前のお願いを聞かなかったことなんて一度もなかっただろ?」


 エウスの冗談めいた言い方のその言葉に、ライキルは少しの間呆然としていたがやがて小さく頷くと、ルナとギゼラにエウスのことを任せて立ち上がった。

 ライキルがハルの居る血に肉が飛び交う方に走っていく。

 その時、ライキルの手にあった振るわれることのなかったハルの刀を真似して作った炎の刀は燃え尽きてなくなっていた。


 ***


 青い髪のハルが血の雨を浴びて真っ赤に染まっていた。神獣を討伐するという揺るぎのない固い意志が彼の使命を全うさせていた。


 ライキルがハルの目の前にようやくたどり着く。まるで何千、何万年ぶりに再会したかのような感覚があった。そのためか、ライキルはいつものようにハルに思うがままに抱きつくことができなかった。

 何と言葉を掛けていいかも分からず、ライキルはしばらく黙り込んでしまった。


 だけど、勇気を出して彼の手を取ると言った。


「ハル、もう殺さなくていいよ」


 そのライキルの言葉一つで血の雨が止み、肉塊が辺りに散らばることも無くなった。


 するとハルとライキルの目の前に巨大な炎が灯った。だがその炎は熱を帯びておらず誰も傷つけない不思議な優しい炎だった。


 その炎がゆっくりと浮かび上がったかと思うと急に勢いをつけてねじれ木でできた聖樹の天井を突き破って無限に広がる大空へと舞い上がった。

 その炎の塊が上空で急激に膨れ上がりやがて限界まで行くと、凄まじい光量の光を放ち聖樹一帯をくまなく照らし出した。


 そして、その光の中から見事なまでに美しい朱色の鳥が姿を現した。


 再誕した朱鳥がどんな生き物とも似つかわしくない重厚で神々しい鳴き声を上げると、聖樹全体に響き渡った。

 朱鳥がその鮮やかな真紅の翼をはためかせると、ねじれ木でできた聖樹の頂上の周りを二、三周旋回した。その間ハルを除いた誰もがその朱鳥の優雅に飛ぶ美しさに目を奪われていた。やがて、聖樹の頂上に戻って来た朱鳥がライキルの前に降臨する。

 見上げてもその全貌が見えないほど大きい朱い鳥。ライキルは実際の朱鳥の神々しさを目の当たりにして言葉を失った。緊張が走り顔が強張った。

 しかし、朱鳥がライキルの中に眠る意志を通じて彼女に語り掛けた言葉は柔らかく温かいものだった。


『ありがとう、ライキル、よく私との約束を果たしてくれた感謝する』


「いえ、いいんです。約束でしたから…」


 ライキルは思い出したかのように朱鳥に言った。


「それとこのあなたの力は返します。あなたが言った通り、私には身に余る力でした」


『…その力があればそこに居る男を除いて多くのものを従わせられるんだぞ?』


 確かに朱鳥の力は魅力的なものだった。不死身の身体に、全てを焼き尽くす炎、自由自在に物体を生み出せる力。この力があればライキルが剣聖に上り詰めることだって容易だった。それどころかハルのように人間界で突出した存在になることは間違いなかった。

 いつも力に飢えていたライキルからすればそれは夢にまで見たものだった。

 しかし、ライキルはその力を持ち続ける意思はなかった。


「ハルの前ではいつもの私でいたいんです」


『わかった。ならば他に私にできることは何かないか?このままではお前さんに恩を受けたままだ』


「あなたはもう私に恩を返しています。こうしてハルに会わせてくれました」


『私は、お前さんを利用したまでだ』


「私もあなたを利用しました。だからきっともう私たちの間に恩とかそういうのは無いと思います」


『そうか、だが、私はお前さんが救ってくれたこの出来事をいつまでも覚えておくぞ』


「ええ、私もあなたのことは忘れません」


 そこでライキルが朱鳥のもとまで行くと彼のふわふわな身体に触れて、自分の中に灯っていた力強い炎を彼の中に移した。

 するとみるみるライキルに刻まれていた赤い印が消えていき、赤と金色でまだらだった髪の毛ももとの金髪に染まり、瞳の色も混じりっ気のない黄色に戻っていた。ただ、ライキルが受け取っていた恩恵はそれだけではなかった。ライキルが着ていたドレスがみるみる形を保てなくなり崩れていた。

 しかし、朱鳥がひとつ大きく翼をはためかせると強い風が聖樹全体に巻き起こり、裸を晒そうとしていたライキルの元に一枚の真っ黒いローブが飛んで来た。ありがとうとライキルが感謝を述べると、朱鳥は礼は無用と伝えて来た。


 そして、ライキルが朱鳥からハルに向き直った。彼は以前目を開けず静寂を保っていた。


「ハル、帰ろう…」


 ライキルが彼の手を引くが彼はその場から動こうとせず返事もしなかった。


「あの、ごめんなさい最後にひとついいですか?」


 ライキルが朱鳥にひとつ叶えて欲しい願いを言った。


「もう少しだけここにいてもいいですか?」


『構わない、歓迎するよ』


 朱鳥から送られてきた思念には喜びの感情が籠っていた。



 *** *** ***



 ライキルたちはそれから二日間その聖樹の頂上で過ごした。ライキルを含めたエウス、ガルナ、ビナ、ルナ、ギゼラ、レキの七人でハルの目覚めるのを待った。ライキルがハルに直接、早く起きて欲しいとお願いをした。そのライキルの言葉が響いたのか分からなかったがその時はやって来た。


 三日目の朝に、ハルがようやく目を覚ました。

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