神獣討伐 最初の灯火
真っ白な世界にライキルはひとり居た。目の前には巨大な炎が揺らいでいる。
ここにはライキルと全貌が見えないほど巨大な炎しかなく後はどこまでも明るく莫大な空間が広がっていた。今やその力はライキルの所有物となり自由にその炎から力を引き出すことができていた。無限にも思えるような膨大な力の集合たちがライキルの前で悠然と輝いていた。
「もっと力が欲しい…こんなんじゃ足りない……」
ライキルがすがるように手を炎に伸ばすと力が身体の中に流れ込んで来た。
「もっとちょうだい、こんなんじゃ、あの女には勝てない…」
だいぶ打ちひしがれていた。何よりも一度で終わると思っていたのにもう一度ハルに手を掛けなければならないことになってしまいライキルの気分は底の底に沈んでいた。
「もっと力を、あの女を殺す力を…」
その時だった。
ライキルが触れていた炎の中からからいきなり一本の手が伸びて来て、ライキルの手を炎の塊からどかして、力の供給を断ち切らせた。
唐突なことで驚いたがライキルの顔色はすぐに怒りを帯びていた。
「何、なんなの?あなた私の邪魔するつもりなんですか?いいんですか?このままだとあなたは一生ぐちゃぐちゃに潰されたままなんですよ?」
ライキルは朱鳥を脅すつもりで叫ぶ。ライキルの不利益は朱鳥の不利益に繋がることは分かっていた。だが、朱鳥からの返事はなかった。
しかし、返って来た声は朱鳥のテレパシーでもなく、それは人の声だった。
「お嬢さん、よくここに来れたね?」
ここには朱鳥と自分以外の存在はいないと決め込んでいたライキルにとっては意表を突かれたことだった。
「誰!?」
今度ばかりはライキルも不気味な手だけに話しかけられていることに怯え恐怖した。
その手は口も無いのにライキルに言った。
「いや、まあ、俺が誰かはあんまり意味が無いというか…この子を守る守護霊みたいな?そんな感じかな?」
炎から腕だけを出しているその声から男だということだけは分かった。
「守護霊?」
「ごめん、ちょっとカッコつけた。実際、俺はたいして何もできないんだ。なんて言えばいいのかな…でも、やっぱり、幽霊って感じが一番近いんだよな…」
男の手が指を擦りながら考えていると、答えを導き出したのか指を一度鳴らした。
「強いて言うなら俺は記憶ってところか?思い出の再現って感じ…ううんと、なんか違うな、再現されてるだけだったら、そもそも俺の意識が芽生えているのもおかしい。これじゃあまるで…」
そこで片手だけの男は言葉に詰まってしまった。
「あのよく分からないんですけど、あなたは一体何者なんですか?というか人なんですか?」
その手だけの男はライキルに手の表側を向けてその質問にストップをかけた。
「待った。それよりも、今は君のことについて話した方がいい、時間が無いのは分かるかな?」
「どういうこと?」
「君、このままだと普通に死ぬけどいいのかって聞いてるんだ?」
「あっ…」
ライキルの顔に焦りが広がる。ここに来る直前のことを思い返すと顔が真っ白になり急に嫌な汗をかき始めた。
「時間を使えるのは生きてる人の特権だよ」
「あの、あなたは何かこの力のこと知ってるんですか?もしよかったらここからもっと力を効率的に引き出す方法教えてくれませんか?」
ライキルがそう言うと、その手は少し元気な下げにしおれてしまった。
「まあそうなるよね、まあ仕方ないか、やっぱり、お嬢さんは何も分かってないようだからな!」
「どういうこと?」
ライキルが首をかしげる。
炎から突き出ている不気味な手はそんな彼女に告げる。
「この大きな炎はただの力なんかじゃない。本当はそこから理解していかなくちゃいけないんだけど、今は時間がないようだから答えを教えてあげるよ。本人もそれを望んでいるみたいだし」
腕はライキルの胸の中心を指さして言った。
「この炎も君と同じで生きてる。そのことを忘れちゃいけないってことさ」
「生きてる?」
「どうやら君は焦って周りが見えていないようだから言っておくけど、この炎の塊にだって命は宿ってるんだ」
片手が人差し指を炎の塊の方に向けた。メラメラと白い空間に浮かぶ球体の炎はその場で燃え続けている。
「人は偉大な存在を前にすると途端に視野が狭まり思考が鈍化して、考えるのを辞めたがる。そうなると真実って言うもんは霞んで見えなくなっちまう。俺が思うに人間が崇拝している神様だって案外身近にいたりして、俺たち人間と同じように笑ったり、怒ったり、泣いたり、楽しんだり、悩んで迷ったりしてるかもしれないだろ?そう言った想像力ってもんはどんな時でも持ち合わせてなくちゃいけねえもんなんだ」
そこで片手だった彼の手のもう片方が炎から出てきて、ライキルを指さすと彼は続けた。
「だから、君もこの大きな炎をただの力だとは思わずにちょっとは理解してやってくれないか?こいつ、本当はいい奴なんだよ」
ライキルはそこで燃えさかる大きな炎を見上げた。
「それは仲良くしろって言ってるの?」
「奪うより協力した方がいいって知ってた?一人よりも二人、二人よりも三人ってやつさ!目的を達成したい、だけどその目的に一人では手が届かない。なら、まずは誰かを頼ってみることも大事ってこと」
「あなたの考えは間違ってない。でも、今の私に味方はいない」
「じゃあ、まずは俺からなんてどうだい?君の力になってあげよう!」
彼の手が差し出された。
ライキルは彼の言っていることがバカげていると思ったけれど少しだけ信じて見る価値はあると思った。このまま力を供給してもルナには勝てない。ならば少しでもこの状況を変えるきっかけが欲しかった。
「わかった。騙されたと思ってあなたを信じてみることにする、それしか道もなさそうだし」
「良かったよ、少しはこの子に対して思い直してくれたようで…」
「ずいぶん朱鳥のことを慕っているんですね」
「そうさ、俺たちと共に過ごした大切な家族だからな…」
「そうだったんですね…」
その家族という言葉を聞いてライキルは少しだけ、自分の決断が揺らいでしまった。明るく楽しく、そして甘く幸せにあふれたあの人との時間を終わらせることに迷いが生じそうになっていた。けれどここまで来て立ち止まるわけにはいかなかった。
「じゃあ、よろしくお願いします」
ライキルが彼の手を握った。
するとライキルの頭の中に、彼と朱鳥が過ごした日々が勢いよく流れ込んで来た。どの記憶も幸せそうな心温まる情景ばかりで聖樹を中心に彼らは共存していたのだ。
四大神獣と呼ばれる人類の脅威にはありえないくらい人々深い交流があったことにライキルは驚かされた。
「す、すごい、なにこれ…」
「今見せたのでもほんのちょっとだけなんだ」
ライキルは途端にこの炎の塊がただの力の集合体ではないことを理解した。
「ありがとうございます。これで少しだけ私の進むべき道が見えた気がします」
ライキルは力をこの炎から奪い取ることに全力を注いでいたが今度の彼女は違った。穏やかな表情を浮かべて目の前の炎にちゃんと向き合った。
「ごめんなさい、私が間違ってました。あなたのことを誤解していました。だからどうかもう一度だけ私にあなたと分かり合えるチャンスをください…」
すると手だけの彼も言った。
「俺からも頼むよ」
しばらくの静寂の後のことだった。
ただの巨大な球体だと思っていた炎の塊がゆっくりと花開くように解けていった。
解けていく中、手の彼は言った。
「さあ、君はもう戻ったほうがいい」
「これだけでいいの?」
「大丈夫、もう炎の繭は開かれたから、君はもう彼とは友達、本当に力を貸してあげるってさ」
「そう、わかった。そのいろいろありがとう。そうだ私はライキルよ、えっと、あなたは…?」
「俺の名前は…」
腕だけの彼はライキルに名前を教えてくれた。ライキルは彼の名前を聞くと、どこかで聞いたことがあるような気がしたが、今すぐには思い出せなかった。
「ああ、それと、最後に俺からライキルに今君がしようとしていることで、忠告があるんだけど聞くかい?」
その彼の言葉にライキルは首を横に振った。
「いい、きっとあなたは正しいことを言うんだろうけど、私にはもうそういう言葉は必要ないから」
彼は親指を立てて、了解した、という意思表示をした。
「わかった。そういうことなら、俺は何も言わない。ここからはライキルのやりたいようにやればいい、頑張ってくれ」
ライキルは最後に笑顔を見せるとその場から消えていった。
そこで手だけだった彼がゆっくりと炎の中から姿を現す。
クリーム色の長い髪をなびかせ尖った耳でエルフの特徴を持っているが背は人族同じくらい低いハーフエルフがそこにはいた。
「ありがとな、あの子に力を貸してくれて…」
その男が振り返って開かれた炎の奥にいた朱鳥に語り掛けた。
――よい、私も彼女の力が必要だったまでのことだ――
ハーフエルフの彼の頭の中に直接朱鳥の伝えたい思いが流れ込んで来た。
「それよりも、どうして俺はここいるんだ?蘇ったってわけじゃないよな?」
――残念ながら違う。本来死者は現世に干渉などできぬが今は別ということだ――
「どういうこと?」
――奇跡が起きているということだ――
「奇跡か…」
そのハーフエルフはその言葉を聞いて微笑をこぼした。
――お帰り【ファースト】また会えて私は嬉しいぞ――
「ああ、ただいま。俺も嬉しいよ」
二人は失われていた時間を埋めるように語り合った。時間はあっという間に溶けていった。