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客観的観測

 ギゼラ・メローアは巨大な聖樹の根元にいた。ここに座ってくださいと言いたげなようなちょうどいい小さな根が地面から顔を出しており、そこに座っていつも通り本を読んでいた。本の中身は『大恋愛全集』恋を知らぬ者に大恋愛テクニックを授ける最高の指南書だ。ギゼラはそれを食い入るようにページをめくっては頭の中に内容を詰め込んでいた。


『女は秘境の宝石。隠されていることで価値が高まる。だから常に孤高でありなさい。孤高で気高く構えていれば、男どもはきっとその宝石を探しにくるのだから』


 ギゼラはそこで身近にいる孤高の女性を思い浮かべて見た。確かにその人は孤高で宝石のような美貌があった。だが、どちらかという熱心な狩人側でもあった。彼女は孤高であるにも関わらず狩人。なるほど、確かにこれだとギゼラの知るその彼女は長年追い求めた意中の彼を手に入れられたことに説明が付き納得させられた。


『くう、やっぱり、この本は素晴らしい解釈を私に与えてくれる最高の本だ。ああ、この本からもっと学んでいい恋人を見つけなくては…』


 希望に満ちた乙女の眼差しで天を見上げる。聖樹がまっすぐと天に向かって伸びており、その頂上には薄い雲がかかっていた。そして、しばらく、ギゼラはそのまま理想の人物像を思い浮かべて妄想にふけった。


「イケメンで金持ちで頼りがいがあって優しくて強くて真面目で思いやりがあって……」


 ただ、そこで、そんな見たことも聞いたこともない人間が存在しないことが虚しくなり、自分を取り戻すことが出来たギゼラは、小さなため息をついた後、今度は視線が百八十度変わって地上に落ちた。


「大恋愛全集、別に悪い本じゃないんだけど…」


 以前ビキレハにこの本を見せたところ彼女はその本を糞だめが書いたゴミと罵ってこんな本読んでる奴は一生男ができないとまで豪語していた。お、そんなこと言ってるとこの本の持ち主に殺されちゃうぞ!とも思ったが、もう一方でビキレハはもう一冊あった『本能愛』のことを絶賛していた。彼女にその本貸してと言われた時、条件として大恋愛全集を読み切ったらいいという条件を出したら、彼女は簡単に「じゃあいい」と一方的に断りを申し出てきた。それだけで、どれだけその本が彼女の興味関心にそぐわなかったのか理解できてしまった。ただし、大恋愛全集を愛好してしまったギゼラにとって彼女の行いは憤慨ものだった。


「むしろ私は大好きなのに、あいつめ…」


 少し不機嫌な顔で視線を上げた先には、ビキレハが弟子の二人を相手に稽古をつけていた。


 彼女たちはどうやら聖樹に上るための神威の訓練をしているようだったが、ギゼラからすればそれは無駄なことのように思えた。


 三人は今、どうやら心を調和させるために目を閉じて瞑想の訓練をしているようだった。しかし、この心を調和する作業が神威に必要かどうかと言われればギゼラからしたら無駄なものだと思った。そもそも神威は修行して身に付くものではないと考えていた。

 それはギゼラが頂上にたどり着けないことが起因していた。

 頂上付近には凡人では近づけない神威が吹き荒れていることをギゼラは一度その身で体験していた。その神威は三重にそれぞれ独立しており、その領域に入るにはその三つの絶大な神威に対して自分の力だけで向き合わなければならなかった。

 ギゼラはその時、聖樹の頂上にたどり着くことを諦めてしまった。一緒に居たかった人とこうして今もはぐれてしまっていた。


「無駄なことばかり、本を読んでいた方が有意義なんだよな……」


 ただ、本を読む気力にもならなくなったギゼラは、三人の無駄な努力を遠くから観察しつづけていた。


「ライキル・ストライク」


 ギゼラの視界には、美人な女性が映っていた。彼女はライキル・ストライク。少し前までだったら彼女のことを何とも思わなかっただろう。ただ、あのうさん臭いエルフに連れて来られた会話そうな人、その程度の認識だったのだろう。しかし、神威を身に付け、あの英雄に関しての記憶が戻った今、彼女がとんでもなく重要人物であることを理解していた。


『もし、彼女が聖樹の頂上に行ったら、ルナさんはどうするんだろう…』


 考えたくはなかったがギゼラの頭の中にはルナが取りそうな行動が手に取るように分かった。それは愛ゆえの行動であり、目に見えた結末は不幸を重ね塗りしたような地獄でしかないのだろう。それを止めようにもギゼラにはその方法が少しも思いつかなかった。だから、こうして彼女たちが毎日、毎日、この聖樹の根元まで来て修行しに来るのを、後ろからついて来ては眺める日々が続いていた。

 この戸惑いと退屈に答えを示したかったが、ギゼラにできることは何一つとしてなかった。


『あ、終った』


 瞑想を終えた三人は何かを話し合っていた。会話の内容は聞こえなかったが、どうやら目を閉じた二人にビキレハが具体的な神威の纏い方を教えているようだった。


 ギゼラが自分の手の平に神威と呼ばれる力を抽出した。見えると表現することはできないが確かに手のひらに何かあると感じることはできた。これが存在力。万物が現実世界に存在していられる力の源だった。神威を習得すればその力を感じとることが出来るようになり、誰かの攻撃的な神威から身を守る鎧だって創れるようになった。

 そう、神威の性質は実に単純で、存在するかしないか、押し負けるか押し勝つか、それだけだった。

 用は自分自身の神威を相手よりも強いものにすれば、神威の争いでは勝てるのだ。

 それは戦闘時などの争いのときに大きく影響が出る。

 例えば、自分の神威が相手より勝っていて、相手が自分との神威の押し合いに負けたときは、思った以上の実力を出せなくなったり、動きが鈍くなったりした。それは意識に不純物が生じたことによる身体の動きの支障が原因といえた。いわゆる緊張に近い症状でもあった。さらにより大きく神威での押し合いに負けるとそこからは恐怖といった具体的な感情が生じてくるようになり、さらにますます神威での差が開くと、身体が固まり意識も飛び、最終的には存在が押しつぶされ、死に至るというが、流石に神威で人を殺すには人間にはまず不可能だとあのエルフは言っていた。


 ギゼラが退屈そうに神威を手のひらに集め、自分の身を絶え間なく流れている神威の流量を減らしていた。

 忘れてはならないが現在の聖樹周辺には絶え間なく強い神威が満ちており、神威を知らないものなら間違いなくこの空間に居るだけで、神威に押しつぶされ意識を刈り取られていることだろう。

 だから、ギゼラも彼女たちも自分の神威で常に身を守っていた。


 ちなみに彼女たちが今特訓しているのはギゼラのように常に神威を身体に纏わせ流すという基礎であり、これを習得するだけで、無駄な神威の生成を減少させることができ、無駄な体力の消費を大幅に抑えることが出来た。

 このような攻撃的な神威にさらされた場所では、自分の神威を身に纏わせないと、その刺激に反応した身体が自己を守るために勝手に神威を放出し続けるため、これではすぐに力尽きてしまうという限界があった。

 そこで神威を纏い滞留させることでより少ない神威で効率的に身を守ることが出来た。

 ただし、強力な神威相手だと、結局自分も大量の神威で質を上げなければならないため、いくら纏うことに成功しても総量を上げなければ意味がなかった。


 ギゼラはそのことがあるため半ばあきらめていた。到底聖樹の神威の重圧には敵わない。頂上では数秒だって自分の身を守ることができなかった。

 もし、神威にも才能というものがあるのならギゼラにはそれがなかったのだろう。存在する才能というものが…そんなものに才能があってはたまらないのだが……。


 ライキルの身体に不必要にべたべたと触りながら指導しているビキレハに獣人の拳が振り下ろされている。

 涙目になったビキレハがしょんぼりと落ち込んでいる。

 楽しそうな三人の輪にギゼラが混ざるつもりはなかった。そもそも、あの二人にはなるべく関わらない方が身のためだった。彼女たちは特別だ。それにどちらかというと彼女たちの安全を客観的に見守るという役目をギゼラはこの場で自分に課していた。万が一彼女たちに何かあれば、彼女たちを愛するあの英雄が黙っていないからだ。彼女たちがこうしてここにいるのも彼がここにいるからなのは明白だった。


『いいな、目的がちゃんとあって…私には……』


 今のギゼラに目的といえるものがなかった。いつだって自分勝手なルナに振り回されては自分の死力を尽くして来たつもりだ。それが今、ルナを失ってしまい。路頭に迷っている状態であった。彼女は人生のゴールを見つけてしまったことで、ギゼラには空白が生まれてしまった。自分の今までの人生を返せとは言えない。なぜなら、ギゼラは好きでルナの後を追っていたからだ。彼女は辞めるならいつでもどうぞとギゼラに言っていた。本来ルナに直属の部下は必要ないものだった。そもそも彼女は人間を人間と思っていない殺戮マシーン同然で、通わせる心も持っていなかったのだからそんな彼女に人が付いて来るはずがなかった。そんな彼女が変わったのは紛れもなくあの英雄のおかげなのだが…。


『こんなことなら、ルナさんには悪いけど一生影で見守ってもらってた方が面白かったのに…』


 ルナとの日々はあまり良いものではなかったが、この退屈な人生を破壊してくれる暴君ではあった。ギゼラの刺激的な毎日は彼女と共にあった。


「私も家庭でも築いて安定しようかな…」


 ギゼラが持っていた本が手元から零れ落ちた。

 午後の日差しの中、ギゼラは三人が神威の稽古に取り組む姿を頬杖をつきながらただ見守っていた。


 どうしようもないくらい退屈な状況にため息をつきながら。


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