感情崩壊と間違った道
目覚めた時に見る景色に大好きな人がいる日々にライキルは安堵していた。けれど朝の空気が温まる前の冷気で目覚めたライキルの隣には、いつもいるはずの人たちは誰もいなかった。
寝ぼけ眼の中、手で隣に誰かいないか探してみるがやはり傍には誰もいなかった。
ゆっくりと毛布をどけておぼつかない足取りでテントの外に出る。頭がズキズキと痛みどろりと身体も重たい。まるで見ない贅肉を取りつけられたようで、身体の自重に筋肉が追い付いていなかった。
フラフラとよろめきながらテントから出ようとした時ライキルはテントと外を区切る境界線に躓いて、転び外に飛び出した。
惨めな姿が日にさらされる。
「あぁ…」
深いため息が零れる。テントの外は第三キャンプ場だったからだ。壁を越えたから聖樹の頂上で目覚めるはずだった。それぐらい、自分は愛に狂っていると、運命は自分に味方してくれていると思っていたのに、どうしてこうも上手くいかないか、いいや違う、こんなにも逢いたいと望んでいるのにどうして彼が傍にいないのか、心の中は絶望しては怒り狂っていたが、意識が朦朧とし始めそれどころではなくなる。
『あの人を救えるのは私だけなのに、どうして私はまだこんな場所に居るんだ…』
口の中に土の味がするとすぐに吐き出した。
靴も履かずに誰もいない消えかけの焚火の前に行くと、丸太を加工して作った木の椅子に座り込んでうな垂れた。
虚ろな目で消えかかる炎を見つめる。
「アアアア…」
言葉を吐いた。まともな言葉ではなかった。
頭の中の整理が追い付いていない。ドロドロと溶け始めた脳みそがシャッフルされているような感覚が常に続いていた。気分がよくないなどという柔い言葉で表現するには最悪過ぎた。
「ググググッ、ギィギィギィ…」
歯を食いしばって今この最悪を必死に耐えていた。できることなら頭の中を切り開いてこの頭痛を起こしている根源をごっそり取り除きたかった。
「ムグッ…」
ふと涙が出て来た。誰もいないキャンプ場にひとり消え入る焚火の前で酷く頭のかち割れそうな頭の激痛に耐える。これほど惨めなことは無い。キャンプはもっと楽しいもののはずだ。思い出の中のキャンプはこんなに孤独で寂しいものではないし、いつだってあの人が隣にいてくれた。だけど、そんな思いでだって今のライキルにはただ、ただ、辛いだけだった。
「ふえええええええええん」
泣いて、泣いて、泣き叫んで胸の中に詰まっている煤のような黒い感情を流したかった。けれど凝り固まった複雑な感情がライキルを絡めとっては離さず、涙などという人間の自己自浄作用程度で洗い流せるものではなかった。
だから、涙は夕立のようにすぐに止んで、ライキルの眼光は酷く鋭いものへと変わった。
そこには憎しみがあった。
ただ、それは決してライキルの求めるあの人への憎しみではなかった。むしろ逆であり、この憎しみが向いている方向は、ライキルの自己実現を妨げる全てのこの世の全ての事象、人物たちに向かっていた。
『許さない…私を止める人間は許さない…早く、会わないといけないのに…こんなところで……』
金髪の頭をかきむしり、力強く息を吸っては吐いてを繰り返し、やがてライキルはピタリと静止し、再びその場でうな垂れた。
『なんで、私の邪魔をするの?誰が私の邪魔をしてるの?いつだってそう、私とあの人の仲を邪魔をしてる…あれ、本当にそう?私とあの人の間を引き裂いているのは誰?あれ?』
深く考えてみたが答えはひとつだった。
「私だ、私が自分で自分の邪魔をしてるんだ…でもなんで?もちろん、ハルのためだぁ…アハ、アハハハハハハ!!!」
今度はライキルの中に愉快さが顔を出した。可笑しくてたまらなかった。惨めな自分がたまらなくおかしかった。
「アハハハハ、ほんとおかしい、私は私が不幸になるために頑張ってたんだ!そっか、私ってこんなにバカだったんだぁ、アハハハハハハハハハハ!」
とびきりの笑顔で笑う。顔中に幸せが広がり、気分も高揚し楽しくなっていた。
だけど。
「そんなんで幸せになるわけねえだろぉがよ!!!」
ライキルはくすぶっていた焚火を素足で蹴り飛ばし何度も踏みつけた。火の粉が舞い散り足にはどんどんと火傷の跡がつく。足裏がじんじんと痛むが怒りが収まらないライキルには関係のないことだった。
息荒くどうして自分がこんなにも憤っているのかも分からないまま、とにかく、ライキルは今ひたすら次から次へと表へ出て来る感情を外に発露させていた。
「ハル…ごめんなさい…こんな私で、いつもあなたの評価に足りない私でごめんなさい…釣り合わなくてごめんなさい、何もしてあげられなくてごめんなさい…許してください…」
ライキルはそう言うとそのまましゃがみ込んで後ろに倒れた。空には雲が緩やかに流れてライキルは子供のように夢中になってその流れる雲を見つめた。
「私が、あなたを幸せにしてあげられなくてごめんなさい…許してください……」
ライキルはそのまま目を閉じて寝息を立て始めた。完全に回復しきらない体に無理が生じたのだろう。そのまま、深い眠りに落ちてしまった。
***
目を覚ます。人生の中で何度も繰り返して来たことだ。それでも目を開けた時に誰もいないと不安になるのは癖づいてしまったようで、ぼやけた視界の中、必死に辺りを探って誰かいないか探した。
「ライキル、目覚めたのか!?」
聞きなれた声がした。目を開けるとそこにはライキルの傍で膝を折って座っているガルナの姿があった。
「うん、おはよう、そっちは調子どう?」
ゆっくりとライキルは上体を起こした。
「それはこっちのセリフだ。大丈夫か?どこも痛くはないか?私がガルナってわかるか?」
「うん、わかるよ、ガルナ・ブルヘル。私の恋人」
にっこりと彼女に笑って見せた。
「良かった、なんともないんだな?そうだ、今、ビキレハも連れて来るから待ってろ」
立ち上がるガルナの腕をライキルが握って引き止めた。
「待って、もう少し二人だけがいい…」
「…分かった、それでもいいけど、ビキレハもライキルのこと心配してたんだからな?」
「うん、ありがとうって言っておく」
「ああ、それより、今日は本当に驚いたぞ。朝の稽古から帰って来てみればライキルが焚火の近くで倒れてたんだからな!?」
「ごめんね、驚かせちゃって」
「いいんだ、ライキルが眼を覚ましてくれてよかった。とっても嬉しいよ…」
彼女がこちらを安心しきった顔で見つめて来た。その優しさに触れた時ライキルのすり減った心に温かい感情が注がれたのだが、ライキルの心の底には大きな穴が開いていた。
「ガルナ、私さ、分かったことがあったの」
「なんだ?」
「私ってやっぱり、どうしようもない人間だったんだなって」
「どうしたんだよ、急に…」
戸惑った様子のガルナに対してライキルは少し苦笑して続けた。
「私は泥だった。ううん、ヘドロ糞だった。吐くほどのにおいのする掃き溜めだった…」
ガルナがそっとライキルに寄り添って抱きしめた。
「そんな自分を卑下するな、恋人の私まで悲しくなるだろ?」
「ガルナはそんなこと思わなくていいよ、だって、あなたは私とは違う立派な人間だから」
「立派?どこが私は生き物の乾いた血の集合体だ。野蛮で凶暴な手に負えない猟犬だ。掃き溜めの泥水だって啜ってる」
「ひねった答えを返すのね…」
ライキルがゆっくりと彼女の元を離れて彼女の目を見た。
「今の私は嫌いか?元のガルナがいいか?」
不安そうに尋ねる知的な彼女に、ライキルは少し意地悪に応える。
「大好きだよ、だけど賢いと私はバカだから説き伏せられてしまいそうで怖い…正しい道に誘導されそうで嫌…」
「誰だって正しい道を歩きたいんじゃないの?」
しょんぼりとした顔で知的な彼女はライキルを見つめた。
「そうね、でも間違った道も悪くない。人生にはいろんな道があるから、踏み外した道を歩き続けるのだってダメじゃない。それが自分の幸せに繋がることもあるでしょ?行く先がどうなっているのかなんて誰にも分からない。未来の自分が歩んでる道を今の自分が歩くことはできないからね」
「だけど、方向は決められるだろ?自分が行きたい方向に足を向けることはできる」
「向けたとしても、そこにたどり着けるかどうかはやっぱり、歩いてみないと分からないと思うんだ」
そこでガルナがライキルの目をしっかりと見据えて言った。
「ライキルは自分の道をどう思ってるわけ?」
「私がこれから進む道は多分誰から見ても間違ってると思う。だけどね、それでいいと思ってる例え、その先で死んでもしまってもそれが私の選んだ道だからね」
「そっか、ライキルはやっぱりそっちの道を進むんだね?」
「頭のいいガルナなら理解してくれると思ったんだけど」
「私はまだ立ち止まってるだけだ。進む道の選択肢を増やしてるだけだ…」
「いつまでも止まってると置いてくけどいい?」
「置いて行かれたら追いつく、私はいつも追っていたから大丈夫だ。それには慣れてる」
「今度の私は、きっと早いよ…」
「それでもだ」
「そっか、わかった。じゃあ、ガルナも頑張って自分の道を見つけてね?」
「ああ、そうさせてもらうよ」
ライキルがゆっくりとガルナに近づくと彼女を抱きしめた。抱きしめて彼女の頭を撫でるが逆に彼女に頭を撫でられ甘やかされ可愛がられた。
しばらくライキルがテントの中で彼女に可愛がられると、二人はテントの外に出た。
そとは夕暮れ時で日が傾きかけていた。
快晴の青空を侵食する黄昏時のオレンジ色の光。その光はやがて夜の黒い空を連れて来る。そして星々の姿を露にする。
ライキルとガルナが焚火の前に来ると、そこにはビキレハとギゼラ、そして、もうひとり赤いローブを纏った男が暖をとっていた。
「やあ、ライキルさん、お目覚めかな?」
赤いローブの彼はそう言うとにこりと笑っていた。