舞い降りた天使
聖樹セフィロトの内部にある過去のエルフたちが残した遺物であるねじれ木の【螺旋階段】。通称【半神の階段】とも呼ばれていた。これは天に上っていく人間が神の領域に足を踏み入れることからその名が来ていた。他の呼ばれ方だと【狭間の階段】などと呼ばれていた。それはねじれ木に造られた螺旋状の階段は、外界からの光と聖樹の中心から広がる闇の入り混じるちょうど中間の場所にあったからであったからなのだろう。
そんな螺旋階段の途中、天を目指す者たちが上る途中に突如現れたのは神威で満たされた異質な空間だった。それは壁となり二人の前に立ちはだかっていた。ただ、その神威は生半可なものなどではなかった。四大神獣朱鳥の神威。本来ならば数か月程度の慣らしで克服できるものではなかった。入ることはおろか近寄ることさえ苦痛に感じるほどの神威で、そこは一種の分水嶺となっていた。
だが、しかし、そんなぶ厚い神威の壁にライキルは飛び込んでいった。
ガルナは指一本ですらその空間に入れることもできなかったのに。
「ライキル!!」
ライキルが階段を駆け上がっていくのを彼女には止められなかった。みるみるライキルの姿が遠く離れて手の届かないところへ離れていく。
「外に戻ってろ、ガルナ!!」
その瞬間、ビキレハがガルナの横を思いっきり駆け抜け、神威が満ちた螺旋階段を駆け上がって行った。
ガルナはその場でどうすることもできずにただ立ち止まっていることしかできなかった。
「私は…」
しゃがみ込んだガルナは震える自分の身体を抱きしめていた。無理やり超えようとして超えられるものではないその神威の壁は、ガルナをジッと見下ろしていた。
***
「待て、止まれ!ライキル!」
ビキレハが叫ぶ先には全速力で螺旋階段を駆け上るライキルの姿があった。
『クソ、なんであんなに早く走れるんだ!!』
ビキレハもこの強力な四大神獣朱鳥が放っているとされている強力な神威が満ちた空間に居られる時間には限りがあった。それに、この空間の中ではビキレハの身体能力は本来の半分以下にまで減退していた。それはこの強力な神威から自分の身を守るため己の神威を捻出するのに自分のリソースの半分を割いていたからであった。神威に集中すればするほど、身体能力、思考能力、魔法能力が著しく減衰していき体力の消耗が激しかった。
そもそも、四大神獣ほどの強力な神威の結界に無理やり入るだけで相当な神威を消費するのに、その中で活動するとなるとその神威を維持し続けなければならないため、相当な力の配分が必要だった。
自分にも四大神獣に匹敵するほどの強力な神威を持ち合わせていればよかったのだが、ビキレハには神獣の暴れ狂う暴力的な神威から数十分身を守るので精一杯だった。なんの備えも無しに強力な神威にさらされてしまえば廃人になるか狂ってしまうか、はたまた死んでしまうか。待っている結末はどれも悲惨なものばかりなことだけは決まっていた。
『このままじゃ追い付けない…』
ライキルの背中は半分の力しか出せないビキレハからどんどん離れていく。
「おい、ライキル待て、お前このままだと死ぬぞ!!」
ビキレハの声はライキルに届くことは無かった。
「クソ、やるしかないか……」
ビキレハが周囲のマナを体内に取り込みそれを全身に巡らせ始めた。魔法を使う者にとって初歩的な魔力循環を起こし魔法の発動を開始する。
しかし、その魔力循環ですら体力を使うため、この神威と併用している自分の身体がどこまでもつか分からなかった。
「持ってくれよ…」
走力にブーストを掛けるため高速移動系の特殊魔法を自分に掛けようとした時だった。
ビキレハの視界が酷く歪み始めた。大量の吐き気と眩暈が同時に襲って来て、階段の段差を踏み外しそうになった。
『なんだ…これ……マズイ…』
一旦その場に立ち止まったビキレハはすぐに魔法を掛けるのをやめ、膝をついて呼吸を整えた。
この聖樹の中流に満ちている強力な神威の中で魔法を使ったことがなかった彼女だったが、想像以上に身体の負荷が大きかった。魔法を発動しようとすると神威が切れかかり一気に身体に異変が生じ始めた。
「まずい、このままだと、追い付けない…」
上を見上げると数螺旋先の階段を駆け上がっているライキルの姿があった。
「どうすればいい…」
選択肢は三つあった。一つは魔法を使って一気に彼女との距離をつめる。これは追いついたところでその場でビキレハが力尽きてしまう可能性がありイチかバチかの賭けだった。二つ目はこのまま魔法なしで階段を上がるか、しかし、距離を離されたうえに彼女はビキレハよりも早く階段を駆け上がっていく、そして、三つ目の選択は諦めるだった。
辛い息を吐きながらビキレハは一歩ずつ階段を上り始めた。
自分の身を危険にさらしてまでライキルを追う必要は本来なかった。そもそも、ビキレハたちがここにいる理由は、組織の命令を遂行するためであり、この神威も必要だから習得しているのであって、ライキルたちのことを気にかけてやる道理はなかった。
しかし、ビキレハには個人的に彼女を追いかけなければならない理由があった。
『舎弟の面倒は姉貴分の私が見る役目だろうが…それを忘れちゃいけねえ……』
ビキレハが一歩一歩足を前に出して全力で階段を上る。上れば上るほど必要な神威の総量は増えていく。そうなると身体にかかる負担も大きくなっていく。
「負けるかぁああ!!!」
全身全霊で走った。駆け出した舎弟を連れ戻すために、ライキルはまだこの領域に踏み込んでいていい神威を身に纏えていない。だから、どうして、彼女が走り続けているのか疑問が尽きなかったが、それでも、今も彼女には深刻なダメージが蓄積され続けているはずで、それでは身体が持たないのも当然なのだ。
『今、助けてやるから待ってろよ…』
どれくらい走ったのだろうか?
数分か数十分か数時間か、それとも数秒で夢だったのか?
光りと闇が交互に顔を表す聖樹のねじれ木の螺旋階段。その途中でビキレハは横になって倒れていた。
『やばい…もう限界だ……』
魔法を使わないでライキルを追いかけたが結局、途中で神威が保てなくなり耐え難い恐怖に徐々に苛まれながらも進んだ結果。まるで体中に杭を打たれたかのように動けなくなってしまっていた。
もう先に進むことも戻ることもできなくなったビキレハはその場で体力が尽きるのを待つのみだった。
『へへ、追わなきゃ良かったかな…でも、私にとっては……』
ビキレハがどうしようもないこの状況に、悔しそうに笑った時だった。
どこからともなく布が風に揺れて翻り続ける音を聞いた。
その音はどんどん近づいて来てビキレハの近くで止まった。
倒れているビキレハを螺旋階段の外から見つめるひとりの人間がそこにはいた。
その人間は空中に浮遊しており、その場に留まり続けていた。
四つの光りのリングが背後にありその人はまるで天使のようだった。
だが、その風貌は赤いローブを身に纏っており神聖さの欠片もなかった。ただそこでビキレハの目に飛び込んで来たのは意外な光景が広がっていた。
彼の腕には気を失っているライキルの姿があった。
声を出すほどの元気もなかったビキレハは、その赤いローブの男をただまじまじと見つめることしかできなかった。
ただ、彼がローブのフードを外すと彼女は安心して目を閉じることが出来た。
自分たちは助かったのだと、そう確信することが出来た。
外はねしている黒髪に、見慣れた猫っぽい目つきに赤い瞳がビキレハは気に入っていた。
『良かった。後でたっぷり礼でもしなきゃな…何がいいかな……』
「あ…………」
感謝の言葉を告げる前に安心しきったビキレハの神威はほど彼気絶してしまった。
飛行魔法で浮遊していた青年はライキルを片手で担ぎ直すと、ビキレハの傍に降り彼女のことも片手で担ぎ上げて、聖樹の入り組んだねじれ木の隙間を降りていった。
*** *** ***
数十分前。
ベリルソンはいつものように日課となっていた聖樹の探索を進めている時のことだった。
螺旋階段をひとりの金髪の美少女が全速力で駆けのぼる姿があった。
「誰だ…ビキレハじゃない、ギゼラさんでもない……ん!?待て、待て!!」
驚いたことにその勢いよく駆け上がる彼女は神威を一切纏わずに、聖樹の頂上を目指していた。
「ちょっと、何してるんですか!!」
探索を中断しベリルソンは慌てて彼女の元に飛んで身を寄せた。
神威なしでこの領域に上がって来るのはあまりにも無謀というよりかは自殺願望者だった。
「止まってください。あなた、かむぃ……」
ただ、そこでベリルソンは目を疑った。
彼女は目を瞑ってひたすら階段を駆け上がっていたのだ。
『なんだ、この子は何をしてるんだ…ていうか、なんでこんなところで…いや、そんなことよりも』
「止まってください、ここは危険な場所なんです。あなたみたいに神威を纏ってない人にここは猛毒なんです。聞いてますか?俺はあなたの身の安全のために言ってるんですよ?このままだと、その本当に死んじゃいますよ?神威は生き物を殺せるんですからね?いいですか、だからいますぐ……」
そこでベリルソンは彼女の違和感に気づいた。いくら呼び掛けても聞く耳を持たないというよりかは聞こえていないといった感じで、そうこの時の彼女にはベリルソンを認識する能力が欠如していた。
『意識がないのか…』
まるで勝手に動く人形のように彼女は機械的に階段を上り前に進むという動作を繰り返していた。その行動に対してその身が朽ちようとも関係なく狂気的に命がけで彼女は取り組んでいた。そこには強い執着のようなものがあった。
それを止めるのはいささか阻まれる行いだったが、ベリルソンは意を決して彼女を止めにかかった。
「お嬢さん、ここは危ないから下に降りよう。俺が送るから…」
そうして彼女の肩に触れた時だった。
ベリルソンの背後に嫌な感覚が駆け抜けた。それは形容しがたい感覚だった。全身に汗がびっしょりと流れだし、振り向くが当然そこには誰もいなかったし、何もなかった。
「なんだったんだ今の…」
背筋が凍るような感覚。それは何かの警告だったのか分からないがとにかくベリルソンに根源的な恐怖を与えていた。
しかし、混乱している間もなく金髪の彼女が倒れているのを見るとベリルソンは急いで彼女を抱きかかえると、聖樹の下層を目指した。
その途中、同僚のビキレハも拾ってベリルソンは聖樹の外の第三キャンプ場を最終目的地とした。
降下する際、ふと聖樹の頂上を見上げると、いつにも増して神威が不気味に渦巻いては吹き荒れていた。
『上で何かあったのかな?』
「ルナさん、大丈夫かな…」
大切な彼女の身を案じながらベリルソンは入り組んだ聖樹の中を降下していった。