進むあなたと置き去りの私
不思議な夢を見た。
燃え盛る炎に飲まれた街。崩壊したその街並みには見覚えがあった。城壁に囲まれた小さな街はレイド王国のパース街だった。夢のせいなのか、はたまた自分の想像が作り出した景色なのか、夢の中で立っているそこはところどころ外観が知っている街とは違ったが、パースの街にある古城アイビーの城壁内の街だった。
街中にいたビナはその燃え盛る城壁内の街から逃げようと門を目指して走った。
あと少しで門までたどり着く時だった。
炎の渦がそこかしこであがり、息さえしずらい街の中に入門する女性がいた。すらっと高い背に金色の長い髪をなびかせている。
顔は見えない。
けれどどこか禍々しい雰囲気を放つ彼女にビナは息を呑んだ。
その女性は、肺が焼けるような炎の街で苦しむビナには見向きもしないで、まっすぐ、城の方に歩いていく。
彼女が通り過ぎた後ろから何人か軍隊のような部隊が駆けつけその中の救護班にビナは助けられたところで目が覚めた。
目が覚めるといつのまにかライキルからもらった金色のピアスが手の中に握られていた。
「………」
狭いテントの中で、不思議な魅力を持ったピアスを眺めていると、誰かにテントの外から呼びかけられた。
「ビナ、まだ寝てますか?」
その声にビナは一瞬緊張した。それはライキルの声だったからだ。
「あ、はい!起きました」
テントの外からライキルの優しい声が聞こえてくる。
「みんなで朝食食べないですか?」
「もちろん、食べます。たくさん食べます!!」
寝起きで全く頭が回っていないのと、昨日からライキルたちとは少し距離があったことで焦ってしまい。変な声と意味不明な返事をしてしまった。
「フフッ、ゆっくりでいいですから来てくださいね?」
「はい!」
それだけ言うとライキルの影が、ビナのテントから遠ざかって行った。
「なんだろう…今の……」
寝袋から飛び起き着替えて、寝癖を跳ねさせ、外の世界に飛び出した。
金のピアスはお守り代わりに服のポケットにしまっておいた。
***
どこまでが夢だったのか分からない。
ビナが自分の分の朝食の保存食を持って、キャンプ中央の焚火の前に行く。そこには、レキ、フェルナーズ、ジェット、ライキル、ガルナがおり、先に朝食を取っていた。
ビナはライキルの元に向かおうとしたが、そこで再び昨日感じた近寄りがたい雰囲気を感じ取ってしまった。
ライキルがガルナに朝からたっぷりと人目も気にせず甘えている光景は、ビナには少し寂しかった。
「おはよう、ビナちゃん」
「おはようございます、フェルナーズさん」
「ねえ、二人っていつもああなの?」
ベタベタしている二人をフェルナーズは目を細めて見ていた。
「え?ああ、まあ、仲いいんであの二人は…」
それだけ言うと、ビナは自然とフェルナーズの横に腰を下ろした。
朝食をみんなで取っている間、ビナはフェルナーズと昨日の話しを聞かされることになった。
「つまりね、二百年前まではこの世界に満ちていたエーテルって力が機械の動力の主体で、機械はエーテルマシーンなんても呼ばれてたの。それが突如起こったエーテル消失の原因となったブルースター事件のせいでその機械を生み出していた都市そのものが消滅しちまったんだから機械に魅了された私からしたら今は暗黒時代なの。それに聞いて、設計図とかの持ち出しが禁止だったから全部消えたってわけ。今この世に残ってる機械は凄く貴重なのだから古い機械は保護していかなきゃいけないのよ、分かる?そういう貴重な機械を守る保護団体もいくつかこの大陸にあるの」
「新しく機械は作らないんですか?」
朝食の干し肉を噛みながらビナが質問する。
「うーん、それもいまいろんなところが試してるんだけど、そもそも動力となるエーテルが世界から消えちゃったし、その代わりとなるマナを代替えにやろうとしてるんだけど、上手くいった事例はまだなくてね、困ったものよ、同じ魔法を生み出す力の素なのに、機械にだけは応用できない。でも、きっとそれを解決する何かがあるはずなんだけど、情報不足でね、現代人の私たちには手に余ってるわけ」
適度にあいづちや質問を重ねながら機械という未知の領域の知識を朝の寝ぼけた脳に詰め込んでいく。けれど、それよりも、ビナの意識のほとんどは真向かいにいた二人にしかいっていなかった。
ビナの向かい側ではライキルとガルナが相変わらず二人だけの世界を保っていた。その間に入ろうものなら睨まれる勢いで、ビナが介在する余地がなかった。
『朝のライキルは本当にライキルだったのかな…』
朝の彼女の優しく丁寧な言葉がまだビナの耳には残っていた。
「ビナちゃん?どうした?」
ボケっとしていたビナに熱く語っていたフェルナーズが自分の方に意識を仕向けるよう呼びかける。
「ああ、いえ、何でもないです。話の続き聞かせてくれますか?」
「もちろん!今日は一日中語ろう!」
だが、そんな目を輝かせている彼女のその発言に水を差す者がいた。
「残念だけどそれは無理だね」
フェルナーズとビナの後にはレキがいた。
「何だよ、私たちの邪魔するのかよ?」
「ビナちゃんもここに来た本来の目的は別にある。そうだろ?それを邪魔してもらっちゃ困る」
「んだよ、神威なんて実体のないものより機械のほうがよっぽど役に立つのに」
ビナからしても神威の実態を掴めていない今では彼女の意見に傾いていた。機械について少し興味が湧いてきている途中でもあった。
「そんな機械の力でも、聖樹の頂上に行く手段は無いだろ?」
「まあ、確かにそれはそう、てか、神威自体意味不明過ぎるんだよ」
悪態をつくがレキがけろっとした表情で返す。
「それは機械も同じなんじゃないかい?機械を知らない人からしたら、鉄の集合体でしかないよ、エーテルマシーンなんて」
「はいはい、そうですね」
フェルナーズはレキをものすごく毛嫌いしているようだった。
エルフは温厚と聞くがやはりそんなのまやかしで、個人に種族的特徴が必ずしも当てはまるとは限らないのは当然のことではあった。
しかし、そう考えるとビナのよく知っているエルフは、そのイメージを崩さないでよく守っているなと感心した。完璧なエルフとでもいえばいいのか?まさに恋人が理想のエルフ像をそのままの姿のような気がした。もちろん、そんなのことに何の意味もないのだが。
人は人の数だけ色があればいいそれだけなのだ。
そして、ビナはレキとフェルナーズが言い争っている間、少し視線をずらして向かいに居る二人に再び視線を戻した。
ビナには見向きもしない二人はいつまでも世界から彼女たち以外の全てを断絶していた。
口に運ぶ干し肉の味がより一層不味く感じた。
***
それから、朝食を取り終えたビナたちは、さっそく神威の修行に挑むことになった。
レキの元に集う、ビナ、ライキル、ガルナ、ジェット。
エウスに関してはついさっき起きて来たばかりで、眠そうに瞼をこすりながら干し肉を齧っており、彼は今日はいいやと怠惰な姿勢を見せていたので置いて来た。
フェルナーズは神威の修行など私には意味が無いと元から参加していないようで、いつもキャンプで本を読んでいるとジェットが言っていた。もともと、彼女は武闘派ではないともそこで教えられた。
『あれ?そもそも、フェルナーズさんやジェットさんってどうしてここにいるんだろう?』
そんな疑問が浮かんだ。なんの集まりで彼らがここに集まったのか気になっていた。
『聖樹の調査とか?』
しかし、そのビナの疑問もレキの声でかき消されてしまった。
「それじゃあ、さっそく君たちには神威を習得してもらいます。まずは、そうだね、歩こうか」
するとツアーガイドのように、レキが先頭に立って歩き出した。
「これから神威について説明するから聞き逃さないように、ジェットくんは聞き流してよし、何度も聞いていると思うからね」
まるで先生のようにレキが森を進みながら口も動かし、みんなに語り掛ける。
「神威をもっと分かりやすく表すとすればそれは存在力という言葉がしっくりくるかな」
「存在力ですか?」
「そう、たとえ話をひとつすると、例えば今ここに君たちの思い描くような神様がいたとしたらどうなると思う?」
「そりゃあ、ビックリしますよ、ビックリしすぎて多分固まっちゃいます」
特に偉い存在には人一倍弱かったビナがそうなることは目に見えていた。神様なんていたらきっと頭が上がらないだろう。そう、神様とはそれぐらいすごくて偉いのだ。何が凄いかは上手くは言えないけれど、きっと、それぐらい凄いのだ。
「うんうん、それそれ、その身体が固まっちゃうのはどうしてだと思う?」
「それはビックリしちゃうからですかね?何も考えられなくなっちゃんじゃないですか?頭が真っ白になって…畏怖とでもいえばいんですか?多分そんな感じだと思います」
何度かそういう経験があった。とくに王様やお姫様に会った時などはしょっちゅうそんな感じだった。それなら神様だったらビナはもしかしたら生命活動を停止してしまうのではないかとさえ考えてしまった。本当に神様が居ればの話しだが。
「そう、存在力が強いとそれだけ周りに及ぼす影響力が強いんだ。存在力はそもそもこの世に存在するための力でもある。つまり存在力がぶつかり合って押し負けると、相手の存在力に支配されてしまうんだ。そうなると、どうなるか?身体が動かなくなったり頭が真っ白になったりする。例に出した神様の存在力が、その人の存在力を上回っているから、きっとビナちゃんはビックリするって答えたんだろうね。だけど、それは全部存在力が関係することなんだ」
「じゃあ、聖樹にはその強い存在力を持った存在が居るということでいいの?」
ライキルがレキに質問した。
「正解、じゃあ、ライキルに質問だ。聖樹には何が居ると思う?」
「ハルですか?」
「それもそうなんだけど、もっと別のものがいるでしょ?」
ライキルがそこで首を傾げた。しかし、そもそも、みんなの盲点にその存在はいた。レキがそれをライキル、ガルナ、ビナの三人に気づかせてくれる。
「朱鳥だよ、朱鳥」
「しゅちょう?って何ですか?」
「ああ、そうか、呼び方が違うのか、いろいろあるからな、えっと、不死鳥…じゃなくて、火鳥、そう火鳥だよ、まったく、ずいぶん可愛い名前になったものだ」
三人が首をかしげる中、ジェットがそこで横から補足してくれた。
「レキさんが言うには火鳥の正式名称は朱鳥らしいんだ」
「そう、ただ、最初に呼ばれた呼び方が朱鳥ってだけで、別に伝わればどうでもいいんだけどさ」
火鳥という言葉が出て来たところで、ライキルたちも朱鳥が四大神獣の一角である火鳥ということを理解した。ただ、そうすると気が付くことがひとつあった。
「四大神獣…神獣、神様……あ、だとすると、その朱鳥がその大きな存在力を持っているということですか?」
「正解、今、聖樹の広範囲にまき散らされている神威は間違いなく朱鳥のものだ。ただ、それ以外にも聖樹付近にはもっとやばい神威が…」
ゴホン!
そこで言葉に詰まったレキがひとつ咳ばらいをした。
「えっと、とにかく、ハルくんに会うには神威の習得は必須ってことで…」
「待ってください!?」
そこでビナが今になって慌て出した。何か聖樹に向かうことに抵抗がなかったが、よく考えてみればハルに会いに行くことは、同時に四大神獣とも対峙することとも同義だった。なぜか、今まで四大神獣が居ようが、ハルが居れば安全だと思い込んでいる自分に驚いていた。
「そう言えば、失念していたことなんですが、今、聖樹にはその四大神獣の朱鳥がいるんですよね…?」
「え、そうだけど、それがどうかしたのかい?」
「だって、四大神獣っていったら…人間じゃ到底勝てない最悪の脅威じゃないですか…危険なんじゃないですか?」
「それはね…」
レキがニコニコしながらその質問に答えようとした時だった。
「ハルが居るから大丈夫よ」
「え?」
「四大神獣はハルが居るから大丈夫。彼が居れば何も問題は無いわ、私たちはただハルに会いに行くことだけを考えてればいい。そうよね、レキさん?」
ライキルの問いかけにレキは深く頷いた。
「その通り、朱鳥は今、ハルくんがその活動を止めてくれているんだ」
「ハルって人はそんなに強い人なんですか?」
「強いなんてもんじゃないわ…」
ビナがライキルを横目で見ると、そこには怒りにも似たような感情を発露している彼女の姿があった。ビナはその彼女の表情に恐れ、少し後ろに下がってしまった。
彼女とハルの間に何があるのかビナには分からなかったが、彼女の前であまりハルの話題を振るのはやめておいた方がいいと思った。
軽い神威の説明が終り、しばらく、森の中を歩いている時だった。
「それじゃあ、みんな止まって、ここから先が朱鳥の神威が漂ってる場所だから」
全員が歩みを止め、先頭のレキが示す前方を見るが、そこには何も変わらない森が広がっていた。いくつか遠くにねじれ木が見えたりしたが、樹海などどこかしこも木があるだけで景色が変わることはなかった。
レキが適当な木の枝を拾って地面に置くと言った。
「さあ、三人はこの木の枝のところまで来て並んで」
言われた通りにガルナ、ライキル、ビナが木の枝の前まで来ると止まった。
「君たちの目の前には今、神威が満ちています。まずはゆっくり入って感じて見て、神威とはどういうものなのか」
そういわれると、ライキルがためらわずに一歩踏み出して枝の先に出た。ガルナも同じように踏み出し身体を枝の先に入れる。
ビナも遅れを取ったと慌ててその枝の前に身体を入れた時だった。
突然、恐怖心に包まれ身体が震え始めた。
『これって…あの時と同じ感覚だ………』
ビナは、五年前のレイド王国の神獣襲撃事件のことを思い出していた。自分が死にかけた時の記憶だ。
『あれ、でも、あの時……』
だが、その記憶は自分が思っている記憶と激しく乖離していた。
『なんで私、助かったんだっけ…』
何かが足りない。記憶の大事なピースが埋まっていない。
怯えて死を待つだけだった自分を救ったのはなんだったのか?
何十メートルもある神獣に殺されそうになったところで記憶が終っている。その続きがどうしても思い出せない。気が付けば神獣の首はすでに落ちておりビナはその時救われていた。
『あれ、私、誰かを追いかけていたような…誰だっけ…』
思い出せ差なければいけないのに思い出せない苛立ちに苛まれる。何か自分がとても無自覚に酷いことをしている罪悪感と不快感に襲われた。恩を仇で返しているそんな気がした。
『なんで、私、こんなところにいるんだっけ……』
こんな危険な場所に居るより、恋人と一緒に静かな図書館で本を読んでいる方が幸せだった。けれど、ビナはこんな危険地帯で、得体のしれない男のために、神威を習得し用途していた。
『私、何がしたかったんだっけ…?』
何か重要なことを思い出そうとしていた。それに伴い身体の震えが止まらなくなる。
『『あのとき救ってくださって、本当にありがとうございました』』
記憶の中でビナが誰かにそう言っていた。
『『今の私がいるのはあなたのかげです!』』
そう、誰かに助けられたから自分はここにいる。こうして、生きている。
『『こちらこそ、礼を言うよ、生きていてくれてありがとう』』
言葉を送った人が、とても印象的な笑顔でそう返してくれたことを覚えている。
『そうだ、私の傍にはいつも…』
強い神威に耐えられなかったビナが、その場に白目を向いて倒れる。
意識が吹き飛ぶ寸前、最後に見たのは、ライキルの姿だった。
『ライキルに伝えなきゃ…ガルナにもエウスにも、みんなに、みんなに伝えなきゃ……』
***
倒れるビナを受け止めたのはライキルだった。
「ビナ、大丈夫!?ねえ、ビナ!レキさん!!」
慌てた様子のライキルがすぐさまビナの心臓の鼓動や息をしているか確かめる。
そこにレキも来て言った。
「大丈夫、気絶しただけだよ、何も問題は無い。神獣程度の神威で人は死なないから安心して」
ずっと心配そうにライキルは、倒れたビナを見守っていた。
「今日はここまでにしよう。ビナちゃんを担いでくれるかい?」
「はい…」
ライキルが背負おうとするが、すでに体力を使い果たしており、腕と足に力が入らなかった。
代わりにガルナがビナを背負うことになり、ビナがガルナの背でスヤスヤと眠る。
「ごめんなさい、ガルナにばっかりこういう事を任せて…」
「いいよ、私はこういうの得意だから」
「ありがとう…」
悔しそうにライキルは自分の体力の衰えを呪った。
それから第一キャンプ場に戻ると、ビナを彼女のテントに寝かせて、安静にさせた。
エウスがどうした?どうした?と近寄って来て、ビナが神威の修行で倒れたことを告げると、彼はそんなのしょっちゅうあるから気にすんなと経験者のように語っていた。
そんなエウスの言葉で安心していたところに、ライキルとガルナの元に、レキが来て言った。
「そうだライキルとガルナ、君たちはもう合格だから、次のキャンプ場に進んでね。明日の朝に二人は移動するから準備だけはしといてね」
レキはそれだけ言うと、少し用事があるから外すねと言ってどこかに行ってしまった。
ライキルとガルナは啞然とした表情で固まっていたが、傍にいた竜人のジェットが凄いよと褒めてくれていた。
しかし、あまりの呆気なさに二人は拍子抜けだった。
その日、ライキルたちは日が暮れるまで体力づくりと剣の稽古に明け暮れ時間を潰した。その間、ビナはずっと眠っていた。