第一キャンプ場
木々のすき間を通って樹海にオレンジ色の光が落ち始める。夕日が赤々と緑の樹海を染めていく。夜が迫っていた。
キャンプ地に向かう途中、四人は一言も話さずに黙々と歩いていた。レキが先頭でその隣にはビナがおり、二人は歩いている際、一度も後ろを振り向かなかった。というよりかは振り向けなかった。背後から声が聞こえてくる。
「ライキル、そんなくっついたら歩きずらいよ」
「いいでしょ、これくらい、それに私たちの仲じゃない?それとも、嫌だった……」
「嫌じゃないけど、歩きずらいってだけだよ」
「我慢してください。私こうしてないと寂しくて死んじゃいます」
「それは困るけど…」
「じゃあ、しばらくこのままでいさせてね、ね?」
完全に二人だけの世界で、入る隙も無かった。さきほどのとんでもない魔法の影響なのかライキルがすっかり変わってしまったようにビナには見えていた。しかし、さきほど、こっそりレキに聞いたが、別にさっきの瞬間移動の大魔法には後遺症などは無いと言う。
しかし、ここに飛んで来てから明確にライキルが人目を気にしなくなったのはどうしてだろうか?まるで別人だった。それに、ライキルから何か強い恐怖のようなものを感じた。
『このままじゃ、ダメだ。直接確かめないと…』
後ろを振り向こうとした時だった。
「ビナちゃん、ちょっといいかな?」
まるで後ろを振り向くのを止められたかのようにレキが話しかけて来た。
「はい、な、なんですか?」
「キャンプ場に着いたらいろいろ話し合わなくちゃいけないことがあるから付き合ってね?」
「はい、あ、だけど、その私たちって聖樹に行くんですよね?」
「そうだよ、でも、その聖樹に行けるかどうかは君たちが神威を習得できるかどうかにかかってるからさ」
「かむい?」
聞きなれない言葉にビナは首をかしげる。
「そう、神威、大丈夫。あとでちゃんと説明するから先を急ごう、日が暮れる前にキャンプ場にたどり着こう」
「はい、分かりました…」
タイミングを失ったビナは後ろを振り向くことなく、レキと一緒にキャンプ場を目指した。キャンプ場に着くまでビナが後ろの二人の世界に立ち入ることはなかった。
それは少し寂しいことだったが、この場ではそれが正しいことなんだと自分に言い聞かせて前を向き続けた。
二人がどこか遠く離れて行ってしまうそんな気がしたけれど、それが二人の幸せならと目をつむった。
日が落ちる前にキャンプ場の前に着いた。樹海の中、生い茂る草たちを退け、四つのテントが張ってあった。その中央には焚火の炎が燃えており、種族もバラバラの三人が談笑していた。
ひとりは背の高いエルフで、白い髪に黒い皮の服を羽織って長い足を焚火の火に向けていた。さらに黒のタイツに、黑のロングブーツを履いており、かなり奇抜な格好をしていたが、高い身長の彼女には様になっていた。
そして、もう一人は竜人族の茶髪の男性で、とても見た目からも優しそうな人だった。身体には刺激の少ない色である薄い茶色の鱗を持っており、身体とは色違いの白い鱗の尻尾が左右に静かに揺れていた。服装もゆったりとした服で、夕暮れに染まりそうなオレンジ色の服を着ており、全体的に穏やかそうな印象があった。
「みんなに紹介するよ、こちらが、フェルナーズさんで、こちらがジェットさん」
レキに名前を呼ばれると、エルフのフェルナーズが軽く手を挙げ、竜人のジェットがゆっくりとお辞儀をしていた。
「そして、こっちがエウスくんね、よし、それじゃあ、この第一キャンプ場の愉快な仲間たちの紹介も終わったことだし、みんなの寝床を作っちゃおうか、真っ暗になったら作業が大変になっちゃうからね」
三人を紹介し終わったレキが、ビナたちをキャンプ場の奥の空いている広場に誘導する。
完全に日が暮れる前に持って来たテントを設置して寝床の準備に取り掛かる。キャンプでは真っ先にすることであった。炎の確保は魔法を使え容易であるため後回しにしてもよかった。ここら一帯にはマナが満ち溢れているため、魔法も難なく使用することが出来たからだ。
レキについて行きさっそく荷物の中にあった小さな一人用のテントを張る。完全に寝るためだけのそのテントの組み立ては簡単だった。手慣れていたビナが自分のテントを建てるのに数十分もかからなかった。
それはライキルとガルナも同じだったが、どうやら彼女たちは二人用のテントをひとつ使うようなので、協力してテントを組み立てていた。その間も二人は楽しそうにまるで本当にただ楽しむためだけにこのキャンプ場に来ているようだった。
「あれ、そう言えば何か忘れているような…」
テントが完成してひとり満足したビナが、その中で寝転がっていると、レキらしき人物の影がテントの表面に映し出された。そして、彼が外からビナに声を掛けた。
「ビナちゃん、これからのことを話し合いたいんだけど、みんなのいる焚火のところに集まってくれるかな?」
「あ、わかりました。すぐに行きます」
そうだ忘れていたのはそのことだったと、ビナは急いでテントを出て、焚火の前に集合した。
焚火の前にはさっきと変わらず、フェルナーズとジェットもいた。そして、すでにライキルとガルナも集まっており二人は身を寄せ合っていた。最後に合流したビナがみんな座っている丸太の椅子に座るとレキが立ち上がった。
「それじゃあ、新しい仲間も加わったということで歓迎会を開こう。ここにお酒があるのでみんなに回して」
レキが背後に用意していた木箱を開けて左回りにお酒を回していく。レキから、フェルナーズへ、フェルナーズからエウスへ、エウスからビナへ、ビナからガルナへ、ガルナからライキルへライキルからジェットへとお酒が全員に回ったところで、レキが酒のボトルを開けた。
「カンパーイ!!」
レキの一声で全員が「カンパーイ!!!」と返事を返して互いに自分のボトルの底を軽く隣の人とぶつけ合った。
そして、全員が自分の手に持っていた酒を飲んで一息つこうとした時だった。
「いや、ちょっと待てやぁあああ!!!」
「急に大声出さないでください…」
「いやいや、ビナさん、ここにエウスさんがいるんですけど?あれ、おかしいな、みんなには見えていないのかな?なんか、すんなりここにやって来て、テント張って、乾杯してるけど、あれ、俺ちゃんとここにいるよね?なんでみんなビックリしないの?俺たち友達だよね??」
エウスが三人の顔を交互に見渡すが誰も何も驚いた表情をせずに、静かに美味しい酒を味わい始めていた。
「ちょっと、三人とも無視ですか!?っていうか、お前ら本当に凄いな、マジで驚かないんだな」
ビナはエウスが困惑する中、それを酒の肴にしながら思った。何というかこんな情けない男でも少しだけ強張っていた雰囲気が和らいだ気がしたからだ。
エウスが、ガルナにべったりしているライキルにちょっかいを掛けていると、ライキルに胸倉を掴まれその後ボコボコにされていた。
顔中、ビンタで腫れあがったエウスが戻って来るとビナは思わず吹き出してしまった。
「なんだよあいつなんかいつにもまして本気で叩いてきやがった。エウスさんの美形が台無しだ」
「大丈夫です。エウスは元から美形でもなんでもないんで」
「ビナ、お前、本気で言ってるなら、男見る目なさすぎだぞ…」
「いいですよ、別に、そんな目持ってなくても私は困りませんから」
「あっそうですか、まったく本当にお前たちは腹が立つ奴だよ。手に負えないぜ」
こんなバカしていることがなんだか酷く懐かしい気がした。
「エウスさんは、皆さんと仲がいいんですね。お知り合いだったんですか?」
「そうなんですよ、ジェットさん、腐れ縁なんですけど、こいつらとは長い付き合いなんですよ、あ、このちっこいのはそんなでもないけど、こいつすっごい生意気なやつなんです。ジェットさんもこいつと関わるときは気を付けてください。噛みつかれますから」
そう言ったエウスがビナの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。目にもとまらぬ速さで腹に拳をねじ込む。
「ぐはッ!?」
エウスはそのまま白目を向いて後ろにひっくり返りダウンしてしまった。
「お嬢ちゃん、強いんだね?」
首を傾けてすでに赤くなっているフェルナーズがビナを見つめていた。
「え、まあ、一応これでも騎士ですし…」
「へえ、凄いね。ちなみに今何歳か聞いてもいい?」
「十八ですけど…」
「嘘!?てっきりもっと上かと思ってた…あれ、あなたドワーフじゃないの?」
「よく言われますけど、両親はどっちも人族で私も普通の人族で身長はただ低いだけです」
「そうかなんか悪いこと聞いちゃったね、あ、気を悪くしないでくれ、そうだ、お詫びに私の大好きなアクセサリーを上げよう、はいこれ」
そう言うと彼女はビナの手に小さな鉄の歯車を置いた。
「これ、機械の部品ですよね…」
ビナがそういうとフェルナーズの目が見開いた。
「え!?もしかして、あなたも機械マニアだったりする?」
「あ、いえ、以前読んだ本にこんな見た目のものが載ってた気がしたんで…」
小さな力を集めて、大きな力を生み出す。ビナが機械という言葉からイメージできるのは、その程度だった。
『機械の本か、一回見てみたけどよくわからなかったんだよな…』
本のことなら何でも知っている自分の恋人も機械の本は少ないから希少と言っていたことを思い出す。希少な本の内容はどのようなものなのか好奇心から見てみたが、何が何だかさっぱり分からないことをビナは覚えていた。
「すごい…ビナちゃんだっけ?本なんて読んでるんだ。すごく教養があるのね、気に入った。もっと話しましょう。あなたが見聞きした機械の話しを聞きたいんだけど」
「そんな、私、機械のこと全然わかりませんよ」
「そうなの?」
あからさまにがっかりしたフェルナーズに、ビナがひとつ提案する。
「うーん、だったら、逆に私にいろいろ教えてくれませんか?私も機械には少し興味があったので」
「いいよ、いろいろ、教えてあげる。嬉しいな機械の魅力を分かってくれる人がいて」
エルフの彼女とは仲良くやっていけそうな気がした。
それからみんなの酒がだいぶ空っぽに近づいたときにはもう日もすっかり暮れて夜が訪れていた。身に染みる冷たい夜風に焚火の炎がとても恋しくなる。酒瓶一本で酔いが回っていたのはフェルナーズぐらいで、他のみんなは軽い酔いで気分を良くしていた。
ビナがフェルナーズを介抱してあげている間に、レキがみんなに呼びかけた。
「みんなそろそろいいかな?僕から大切な話があるんだ」
各自交流を深め合っているとレキがみんなの注目を集めた。
「明日からみんなには聖樹に向かうために必要な修行をしてもらいます。この修行というのは【神威】の習得です」
そこでビナが挙手をした。レキに、はいどうぞ、と先生のように当てられると質問した。
「あの、その神威っていうのはどういうものなんですか?」
「そう、まさにビナちゃんたちにはそこから説明しなくちゃいけないね。だけど、とっても簡単に今の状況も踏まえて説明すると、聖樹に近づくためにはその神威を習得しないといけないってことだけは言っておくよ」
「その神威ってものは簡単に習得可能なんですか?」
続けてビナが質問をする。レキが何故かとても嬉しそうに微笑んだ後、優しく答えてくれた。
「神威の習得には個人差があるから何とも言えないかな、すでに素質を持った者はこの先にあるキャンプに進んでいるし、ゆっくり技を磨きたい人がここには残っているって感じかな、ジェットくんも本来なら次の第二キャンプ場に行っててもおかしくないんだけど?」
「私はゆっくり進ませてもらいますよ。焦ってもいいことないですしね」
レキがもったいないといった顔をジェットに向けた後、みんなに向き直った。
「まあ、こんな感じでこの第一キャンプ場は、神威の基礎を習得する場所になります。それと安心して欲しいのは、神威は誰でも習得できるものだから、それだけは覚えておいて、成長が早いか遅いかの違いだけだから、神威はみんなの中に元からある力だから、習得できないってことは絶対にないからさ、そこんところは心配しないでね!」
レキがひとつウィンクをして、話しを終えた。
その後、みんなで夕食を取り、談笑や交流を深める宴は続いた。
ビナもエルフと相性がいいのか、フェルナーズと仲良くなりその晩は楽しい夜を過ごした。
けれどビナはその間も、ライキルとガルナが完全に独立した世界に二人で浸っていたのを見ると、寂しい気持ちになった。その際、エウスが何度か二人に絡みに行きライキルにボコボコにされているのを見たが、それでも、ビナは二人に声を掛けることが出来なかった。エウスみたいに無粋に二人に話しかけるのが正解だったのかよくわからなかったが、そうこうしているうちに、宴も終わりを告げてしまった。
それから、その日はみんな、自分たちのテントに戻り一日を終えた。
ビナは酔いつぶれたフェルナーズを彼女のテントに押し込むと自分のテントに戻った。
隣のライキルとガルナのテントからは、少し話し声が聞こえて来たが、立ち止まらずに自分のテントに戻り眠りについた。
「結局、カムイってなんなんだろう?それが無いと聖樹に行けないってどういう意味なんだろう?」
神威というまだ想像すらできない力の習得が明日から始まると思うとビナは少し不安な気持ちになった。それは今までに感じたことのない種類の不安だった。自分の知っていた世界がゆっくりと何かに浸食され変貌していくような、間違った選択を選んだ後の世界に居るような、とにかく、自分だけが置いて行かれているような気がしていた。正確にはこの時の自分は焦っていたのかもしれない。だが、それが何に対する焦りなのかもわからなかった。
そのため、手の施しようもなかった。
「大丈夫、明日のことは明日考えればいい、今日はもう遅いしただゆっくり寝ればいいだけ、それだけでいいよ、ビナ」
そう自分に言い聞かせてビナは目を閉じた。けれど上手く寝付けず時間だけが過ぎて行った。それでも、遠く離れた場所にいる大好きな彼女のことを思うと安心でき、そして、ビナは夢の中に意識を落していくのだった。
静かな夜のエルフの森で、第一キャンプ場の焚火の炎が消え、完全な暗闇が訪れる。ただ、聖樹の頂上だけが忙しなく明滅を繰り返し輝いていた。