楽しい樹海ツアー
エルフの森から聖樹に向かうための方法は三つあった。
一つ目はスフィア王国でエルフの森の管理人となることだった。そこで上級管理人となり、女王陛下から許可をもらったのちに聖樹の根元までの接近が許された。
ただ、これはことを急いている者たちには論外な選択肢であった。
二つ目は、スフィア王国の女王陛下に直接聖樹に近づく許可を得ることだった。しかし、スフィア王国はそもそも聖樹を特別危険区域に指定しているため、誰だろうと立ち入ることを禁じているため、これも不可能に近かった。女王陛下の首を縦に振らすには、女王よりも地位の高い人物連れて来る必要があった。
しかし、そんな人物など身近にいないに等しいため、この方法も選択肢から外れていく。
最後の方法としては、正規の方法から外れた、忍び込むというものだった。エルフの森は広大で侵入経路はいくらでもある。いくら管理人がいるからといって、整備された道を使わなければ、彼らの警戒の目をかいくぐるのは容易であった。
ライキルたちはエルフの森探索ツアーというものに参加をするようにと、レキという謎の多いエルフから指示を受けていた。
「それではツアー参加者の皆さんはこちらに並んでください、そろそろ、出発します」
エルフの森のツアーガイドを務めるエルフが周りに居た観光客たちに声を掛けていた。ツアーに参加しているほとんどの人が他の国から来た人族などエルフ以外の人たちで三十人前後いた。高身長のエルフは、ツアーガイドの人やツアーの護衛をしてくれる二人ぐらいだった。
ツアーに護衛が付くといっても、安全な区域を歩きながらエルフの森の自然を堪能するという優しいツアーであるため、危険な生物などが出るというよりは、観光客同士でのトラブルや緊急時の人手要員としてツアー同行している形だった。
そのため、ほとんどの観光客が比較的ラフな格好で参加している中、ライキル、ガルナ、ビナの三人の装備は完全にサバイバルをするとき用の服装で、大きなリュックを背負っているのは異様な光景だった。
三人の服装は完全にそのツアーの中で浮いていた。
「なんだか恥ずかしいですね、私たちだけ悪目立ちしている気がします」
ビナが周囲から集まる目線を気にしていた。
「うん、なんだかちょっと騙された気分…」
『いや、ずっと騙されているのかもしれない…』
ライキルが思うにハルのことを持ち出されたのも彼に何かしらの意図があってのものだったが、その真意はいまだつかめず、ただ、こちらの好奇心を引き合いにだされ、ずるずると引きずり出されてしまっていたのが今の現状だった。
『でも、ガルナのこともあるし、私はもう引き下がるわけにはいかない…』
レキという男はライキルたちの知らない過去を語っていた。そこで出て来た話にはライキルたちの傍にはいつも彼がおり、というより彼の周りにライキルたちが集まっており、愛や友情を共に育み成長し、彼とは婚約まで交わしていたなんて説明をされた。一度も会ったことも話したことも無い男とだ。ハルを知る者たちとの会話には常に矛盾が生じていた。信じる、信じないにかかわらず、その矛盾を解消しないわけにはいかなかった。
それにハルという人物を知る者たちは常に彼のことを賞賛し優先していた。そのことにライキルはうんざりすらしていた。ただ、自分が知らないことに腹が立っているのか?その気持ちに関しては未だに答えが出ていなかった。
彼の話題が出るたびに気持ちがざわつくのは、もしかしたら自分も知らず知らずのうちに彼を忘れてしまっただけで、本当は自分たちは彼と幸せだった未来を彼と築いたのでは?と錯覚してしまうことがあった。
まるで幸せが詰まった自伝本のページが、何かのきっかけで大事な部分だけ破り捨てられ、さらに元通りに継ぎ接ぎされたかのような欠落があるような気がした。
彼を知る者はみんなが言うのだ。あなたが彼を忘れるなんて…と。知ったことかと反論したかったが、最近ライキルの身の回りで起こることすべてが彼と繋がっており、無視できない状況にすらなっていた。ここで全てを忘れて自分の人生を送ってもいつまでも彼の影が追いかけて来るような気がした。
『私はあなたを確かめなくちゃいけない…だけど……』
ぼんやりと掲示板に張り出されていた本当かどうかも分からない誰かが書いた似顔絵を思い出す。
そこに描き出された彼に嫌に魅了されてしまう。
抗わなくてはいけない。ライキルには心に決めた人がいるのだから。
受け入れてはいけない。心を許してしまえば戻れなくなる気がするから。
「あんな男、絶対に認めない…」
ライキルが静かに誰にも聞こえない声で呟き、隣を歩いていた女性を見つめる。
大きな赤い大剣を背負って、右方にはリュックをかけていた。彼女がこちらの視線に気づくと微笑みかけてくれた。ライキルと彼女の間にはもう深い絆が生まれていた。
これを、この幸せを、壊させるわけにはいかないのだ。
「私の声が聞こえるところまで、集まってください!」
ツアーガイドが周りに居た参加者たちに呼びかける声が聞こえた。
ライキルが辺りを見渡し、観光客のひとり、ひとりの顔を注意深く見つめていく。
レキにこのツアーに参加するようにと事前に伝えられており、合流することを約束していたのだが、彼の姿はなかった。
ツアーガイドが、全員に出発前する前の事前の注意事項などを説明し始めた。
「それではみなさん、今から出発しますが、ここ最近このツアーから何人か勝手に途中離脱する人が出ています。このツアーで中途中離脱する際は必ず我々係の者に申告してください。ちなみに、我々は万が一に危険があったとき皆さんを率先して守りますが、事前の書類でサインをしてもらったように、このツアーに参加するのは自己責任ですので予めご了承ください。自然相手にしている以上何があるか分かりませんから」
注意事項を厳しく説明するが、その後は彼は参加者をなだめるようにニッコリと爽やかな笑顔で続けた。
「ただ、安心してください。このツアーで死者がでたことはおろか、負傷者すらでたことはありません。これから回るエルフの森の中の道は我々が整備管理し、毎日安全を確認したうえでこのツアーを実施しているので、皆さんは心行くまでこのエルフの大自然を堪能していってください」
それだけ言うと、旗を取り出したツアーガイドが出発しますと言うと三十人前後の団体が、エルフの森の中へと歩き出した。ライキルたちも団体の後方について行き森の中へと足を踏み入れた。
ツアーの流れは午前中にエルフの森の中の観光名所を周り、途中お昼休憩をはさみ、日が暮れる前に街に戻るという流れだった。何回か休憩がありゆっくり進むのが基本で、ライキルたちのようなサバイバル装備を用意する必要も無く、歩きやすい靴と体力さえあれば私服で事足りる程度のツアーだった。
そのため、ライキルたちは無駄に恥ずかしい思いをしていたのだ。
しかし、ライキルたちの最終目的はエルフの森の聖樹に向かうことであるため、そう言った点では何も間違ってはいなかったが、後ろの護衛のエルフにやたら視線を感じるため、あまり居心地良くもなかった。
整備されたエルフの森の中を歩いて行く。
とてもじゃないが整備された道じゃなければ、森の中の移動は困難だった。少し道を外れれば迷子になってしまい一生森を出られないほど、森は広大で入り組んでいた。
どこを見渡しても苔に覆われた岩や木々が朝の光を反射してエメラルド色に輝いていた。
レキの指示通りこのツアーに参加したが、流れていく美しい景色を眺めていると本来の目的を忘れてしまいそうで、ライキルは本当にこれで良かったのかと疑心が生まれた。
「ねえ、ライキル、ここら辺って魔獣が出るかな?」
わくわくしているガルナが目を輝かせてそう尋ねて来た。彼女はこれまでの人生で多くの魔獣を狩って来た。魔獣が出て来るかもしれないこの状況に興奮しているようだった。
しかし、ガイドが言っていたように、このツアーが開始されるのは森の安全の確認が取れた時であり、その願いが叶うことは難しいというよりライキルも今の状況で魔獣などに遭遇したくはなかった。
「うーん、出ないと思うよ。街に近いここら辺には管理人がいるはずだから」
「えー、つまんないの…」
「私は魔獣なんて出て欲しくないんですけど…」
「私は久しぶりに狩りがしたい気分なんだけどなぁ」
「………」
そう彼女に言わせてしまうのはやっぱり自分が城に彼女を閉じ込めていたからなのだろうかと勝手に推し量ってしまう自分がいた。彼女の自由の足かせになっている自分がいたと言われているような気がした。
「そうだよね、ガルナ、ずっとお城にいたもんね」
『私のせいで…』
「それにライキルに私も凄いってところを見てもらいたいし」
「え?」
それは戦闘狂の彼女からしたら以外な理由だった。
「昨日、私カッコ悪いところ見せただろ?」
昨日、飲みの帰りに襲われた暴走したエルフのことだった。途中でエルヴァイスという不気味なエルフに助けられたが彼が居なければ、もしかしたら、大けがをして、今日こうしてツアーに参加できていなかった可能性すらあった。
「私がライキルをちゃんと守れる騎士だってところ見せておきたいんだ」
「そんなことしなくても、ガルナは私にとってもう十分立派な騎士だよ」
「私はもっと完璧にライキルやみんなを守りたいんだ。昨日の筋肉お化けもそいつを倒した不気味エルフだって、私がボコボコにしたかった」
ガルナが悔しそうに拳を握る。
けれど本音を言えば、そんな危険を冒して欲しくはなかった。
「ガルナが傷つくのは私、嫌だな…」
「もう、十分傷だらけだから大丈夫だ、ガハハッ!」
安心させるような、包み込むような笑顔で笑う彼女がやっぱり愛おしかった。けれどそれと同時に自分の傷一つない身体に、守られることしかできない自分がいると思ってしまった。
『私はいつだって誰かの後で守られてた…』
深い自己嫌悪のようなどろりとした感情がライキルを飲み込んだ。
その時だった。
ライキルは幼い頃の記憶を思い出していた。
『あれ、そういえば、私、小さい頃にもそんなことがあったような…』
幼い頃の記憶の中に、そういった記憶があるとなんとなく覚えていた。しかし、それがどんな状況だったか記憶のところどころに深い霧がかかったかのように曇ってはっきりと思い出すことができなかった。思い出の棚の一番奥の引き出しにあり上手く取り出すことが出来ないもどかしさがあった。
「二人とも見てください!めちゃ大きな面白い木がありますよ!」
ビナのその呼びかけにライキルが顔を上げると、そこには高さ百メートルを軽く超えている大木があった。しかし、その大木は、三本の独立した木がらせん状に絡み合いながら空にまっすぐに伸びており、一本と形容していいのか考えさせられる構造をしていた。
「こちらはエルフの森の名物【ねじれ木】というものです」
ツアーガイドのエルフが説明慣れしたようにスラスラとその木の説明をしてくれた。
「ねじれ木の特徴として、ねじれ木同士が近場で育つと、お互いが協力して成長速度を合わせ絡み合いながら一本の木になろうと育っていきます。そのため、ねじれ木はちょっとやそっとの嵐では倒れません。このように支え合う姿が象徴的なことから、ねじれ木は我々スフィア王国の間でも友情や家族愛などを象徴する国樹として愛されています」
ひねくれているライキルはそこで思った。
『支え合うっていうより、この木から連想するっていうと、ドロドロした男女の恋愛関係に見えるんだけど…あれ、私の心って結構汚れてるのか…』
隣を見ると純粋無垢な二人がその木の頂上指さしてはしゃいでいた。
「この木はエルフの森にたくさん生えていますが、中でもとびきり大きいねじれ木はこのエルフの森の中心にある聖樹セフィロトになります。残念ですが聖樹は特別危険区域に指定されているため、見ることも近づくこともできません。ただ、このツアーの終わりにはエルフの森の中でも二番目に大きいねじれ木が見れるので楽しみにしていてくださいね!」
ツアーガイドが説明をし終わると、団体はさらに森の奥深くへと足を進めた。
それからツアーは何事もなく順調にエルフの森を進んで行き、観光客たちは森の知識を深め楽しんでいた。
鬱蒼と茂る怪しげな樹海をイメージしがちだったが、ツアーで進む場所はどこもかしこも綺麗に人の手が行き届いており、流石は観光名所として人々に提供しているだけはあった。たかが森の散歩程度にしか思っていなかったが、ツアーガイドのエルフの丁寧な説明や、観光客を飽きさせない完璧なルート取りなど、完全に娯楽として成立していた。
近年では森などには魔獣がよく出没していたため、こういった自然の道を安全に歩けるということは一般の騎士ではない人たちにとっては珍しい光景だったのかもしれない。人気の観光名所というのにも頷けた。
ライキルも途中までは完全に我を忘れてこのツアーの魅力に囚われ、ガルナとビナと一緒に楽しんでしまっていた。
そして、団体が、森の中の少し開けた場所に到着すると、先頭に立っていたツアーガイドのエルフが全員に呼びかけた。
「それではここで昼休憩を取ります。自由に行動してもいいですが、この広場からあんまり離れないでください。出発する時は声を掛けますので私の声が聞こえる範囲にはいてください。それでは休憩時間です。ごゆっくりと」
広場には椅子やテーブルのような切り株がいくつもあり、観光客たちはその自然の椅子やテーブルを使って、昼食を取り始めていた。
ライキルたちも広場の端にあった切り株に座り、バックから持って来た携帯食料である欲し肉を取り出して齧っていた。
「こういう任務以外で森に入るのも悪くないですね!」
「うん、いい気分転換にはなった気がする。外に出るのもたまにはいいって思えたし…」
薄っすらとかいた汗をぬぐう。軽い運動でもライキルにとっては久しぶりの運動だったため、ふたりよりも少し疲れていた。
「私もライキルとこうしてお散歩できて楽しいぞ!」
ガルナが欲し肉を齧りながら笑いかけてくれた。
「それは良かった」
ライキルも彼女に笑顔を返そうとした時。
「君たちなんだか本来の目的を忘れてないかい?ここには遊びに来たわけじゃ、ないんじゃないかい?」
突然背後から耳に飛び込んで来た声に三人は慌てて後ろを振り向いた。
しかし、そこには誰もいなかった。
だが、代わりに前を向くと、そこには美しい金色の長髪をねじってまとめ、エメラルド色の瞳を輝かせるエルフにしては低身長のエルフが立っていた。
「うわ、ビックリした!!」
「ビックリさせたんだ。あまりにも君たちがこのツアーを楽しんでいるように見えたからこっちも心配になったよ、あれ、もしかしてこのままツアーを楽しんで帰っちゃうんじゃないかってね?」
レキがからかうようにそう言うと、ライキルとビナの隣に無理やり割り込んで腰を下ろした。
「いいかい?君たちはハルくんを助けるためにここに来たんだ。それを忘れてもらっちゃ困る」
「別に忘れてませんでしたよ?」
楽しそうな笑顔を消して素に戻ったライキルが平然と嘘をつく。
「嘘つけぇい!早くこの森で二番目に大きなねじれ木を見たいって三人で話してただろぉ!?」
レキがこちらを覗き込むように素早く指摘した。
「残念だけど君たちにはこのツアーをここで抜けてもらって僕について来てもらう」
ふざけた態度から急にレキの表情や声が真面目な雰囲気に変わった。
「だけど安心して、君たちには一番大きなねじれ木を見せてあげるからさ」
にやりと笑う彼に、ライキルは顔色一つ変えなかった。
「そうですか、じゃあ、早く案内よろしくお願いします」
「あれ、なんだか以外に淡泊だね、もしかして、怒ってる?このツアーを最後まで楽しみたかった?」
「違います。ただ、早くこの現状に決着をつけたいだけなんです」
「決着とは?」
「ハルのことです。彼との間にある私たちの問題を片づけたいそれだけです」
レキが嬉しそうに笑う。なんだか、殴り飛ばしたい笑顔だったが、手を出すのはやめておいた。
「そうか、わかった。でも、ここでちゃんと昼食を取ってから、移動はそれからだ」
そういうとレキの手にはいつの間にか赤い果物が握られており彼はそれを齧っていた。
そして、彼は隣にいたビナに適当な話題を振って会話を始めていた。
干し肉を齧りながらライキルは最低の気分に浸っていた。
『ハルがいる限り、きっと私たちの人生は邪魔され続けるんだ…』
「ライキル、どうかしたのか?顔色が悪いぞ?」
ガルナが覗き込んでくると、少しドキッと緊張した。彼女との顔が近く胸の鼓動が加速していた。しかし、ライキルはそれが悟られないように平然とした表情で覆い隠す。そうでもしないとろくに頭が働かず会話すらまともにできないからだ。
「なんでもない、それより、早く食べてそのハルって人に会いにいこう」
「ああ、そうだな…」
ただ、ガルナがそこで少し嫌そうな顔をした。
そのことが何よりもライキルの心をえぐった。
『なんだか、本当にガルナはハルに興味があるんだな…でもなんでなんだろう…まって、それは私も同じか…』
いつだって思考の片隅で彼のことを考えてしまうのはもはや呪いだった。
ライキルはその雑念を払うかのように、残りの干し肉を強く噛み砕いた。