本物の純血
暗闇が広がる繫華街にぽつりと照らされた街灯の元、倒れた屈強なエルフの男の隣に、金髪碧眼で黒いピアスをしたこれまたエルフが立っていた。
彼は命の恩人だ。そんな彼がゆっくりとこちらを怯えさせないように近づいて来た。
「やあ、お嬢さんたち怪我をしてるようだね、見せてみ」
彼が地面に這いつくばっているビナの頭に軽く触れると白魔法を発動し、彼女の傷を癒した。
「君たちもこっちに来て、来て」
手招きをする彼にライキルとガルナも大人しく従う。今、この場の主導権は彼にあった。
ライキルとガルナの頭に彼が両手を置くと、白い輝きが二人の身体を包み込んだ。
助けてもらっといてあれなのだが、エルフに襲われた後で、同じエルフを信用するのは難しい。だが、それ以前に、彼の強さがライキルには怖くてたまらなかった。もし彼がこの場で襲ってきたら誰も勝ち目がないのが一目瞭然だったからだ。
それに今の戦いで足手まといだったライキルは確実に犠牲になるのは間違いなかった。
しかし、彼にそんな気はそもそもなかった。というより、こんなことを考えてしまうライキルはかなり失礼の極みであった。
白魔法をかけ終わるとそのエルフは体勢を起こした。そう、彼はエルフであり、薄暗くてよくみえず意識もしてなかったが彼はかなり身長が高かった。
二メートル五十ほどの超高身長で、ライキルとガルナは彼の顔を見上げて、彼は二人を見下ろしていた。
「君たち運が悪かったね。ここらへんでこんな喧嘩があったのは何年も聞かなかったよ」
王都エアロの街の治安はそこまで悪くないと聞いていたが、夜のよく知らない繁華街に長居するのはライキルたちも軽率だったと言えた。
「あなたは一体…」
「ああ、俺はエルヴァイスだ。ヴァイスでいいよ」
見た目からとても若く見えたが、エルフの外見から年齢を推測することはほぼ不可能だった。みんな大体成人した辺りで老いが止まってしまったように維持されるため、歳はまったくあてにならなかった。そもそも、エルフに年齢を聞く意味はなかった。百歳から上は全て同じと言っても過言ではなかった。
「私はライキルって言います。あ、えっと、助けていただきありがとうございました!」
「うん、俺も君たちを助けられて良かった」
「お礼を…」
ライキルがなけなしのお金が入った袋を取り出す。
「お礼?ああ、そんなのいらないよ」
「ですが…危ないところを助けてもらった上に、白魔法で治療までしてもらって……」
白魔法は本来高額なのだ。それは白魔導協会が白魔法を独占しているからなのだが…。
「いいって、それに俺みたいなやつは君たちのような人を助ける義務があるから、見返りは求めてないから、何も気にしなくていい。助かったことを素直に喜びな」
「あ、ありがとうございます。そのお礼と行っても今、お金とかも無くて…」
「じゃあ、なおさらよかったね」
エルヴァイスがニッコリと微笑む。街灯に照らされ浮かび上がるその笑顔がどこか不気味に感じた。敵意や悪意などそういったものはまったく含まれていないはずなのに、どこか背筋がぞくぞくと恐怖でなぞられている感じがした。
彼の雰囲気がそこらの騎士たちなどとは別格であった。
下手をすれば彼は大国でも屈指の実力者である剣聖たちに匹敵する強さなのではないかと疑ってしまうほどには、異質さを纏っていた。
「でも、ひとつだけ忠告、ここスフィア王国はエルフがたくさんいる。エルフっていうのはみんな長生きだから、中には何百歳って歳を重ねている者もいる。その中には過去の大戦時代を生き抜いた優秀な戦士もいる可能性だってある。彼が多分そうだったようにね?」
エルヴァイスが指さす、男は気持ちよさそうに寝息を立てて、呑気に地面に寝転がっていた。
「だけど、安心して、今日みたいなことは本当にここら辺ではまれだから。ああいう思想の持ち主はエルフの森の故郷に籠ってるはずなんだけど、彼はどうやらわざわざ迷惑な思想を広めようと頑張っちゃった類の人だと思うんだ。だから、今日のところは綺麗さっぱり忘れて観光を楽しんで」
エルヴァイスが、ひとつあくびをすると、倒れているエルフの方に戻ってそのガタイのいい重量級の男を軽々と片手で持ち上げた。
「あ、そうだ。君たち送って行こうか?それとももう大丈夫?俺、今からこいつを運ばなきゃいけないんだけど…」
彼は親切だったが酷くライキルたちを送るのが面倒くさそうな顔をしていた。なんだか、そこはとても素直で、逆にライキルの中では彼への警戒心が薄れた瞬間だった。
「ここまでで大丈夫です。彼女は精鋭騎士なのでちょっとやそっとの暴漢なら問題ないので」
「確かに、彼女はいいもの持ってるみたいだね」
エルヴァイスがガルナを品定めするように見ると彼女は緊張のあまり背筋を伸ばしていた。
「それじゃあ、お嬢さんたち寄り道せず真っすぐ帰りな」
それだけ言うとエルヴァイスは倒れたエルフを引きずって夜の繁華街に消えていった。
静まり返った夜の繫華街の道路の真ん中にライキルたちが取り残される。とりあえず、ライキルがビナを背負った。少しでもみんなの役に立とうとしていた。
「ガルナ、大丈夫?」
ガルナがエルヴァイスが消えた方向の夜の街の暗闇をずっと黙って見つめていた。
「あいつ、普通じゃない…」
「ガルナがそう言うならきっと、凄い人なんだろうね」
「ライキルはああいう人間には絶対近づいちゃダメだ。危険すぎる…」
真剣な表情で彼女は言った。彼女なりに何か感じ取ったものがあったのだろう。それはライキルでも感じ取れたのだから、そうなのだろう。
「一応、助けてもらった身の私たちだけど。ガルナの言いたいことは分かる気がする…」
エルヴァイスというエルフとは、住む世界が違う気がした。
彼の仕草や立ち振る舞いからにじみ出る不気味さ。善人を装ってはいたがそれでは隠しきれない、何か引っかかるおぞましい気を纏っていた。
できれば二度と会いたくないタイプの人間だった。
危機から救ってもらっておいてその言い方はあり得ないものなのだが、彼の傍に居るだけで息が詰まりそうだった。こうして、彼が立ち去ってくれたことでようやく息を吸えたかのような解放感すらあった。
「帰ろうか…」
肉体的にも精神的にも疲れ切った三人は帰路につく。
その後、ライキルたちは、無事にホテル【カーム】に到着した。ライキルはビナを部屋のベットに寝かせてやると自分の部屋に戻って、くたくたになった身体を自分のベットに放り投げた。
白魔法の副次効果のせいで眠気に襲われていたガルナは、ライキルよりも先に眠りについてしまった。
隣で眠るガルナの寝顔を眺める。頑張って戦ってくれた彼女たちに心の中で感謝をした。だけどそれと同時にライキルは自分の無力さを再確認してしまう。
怯えるだけで何もできなかった自分がいた。もう騎士ではなくなってしまっていた。
「このままじゃ私、みんなといられないな…」
泣きそうになった弱い自分の頬を思いっきり叩いて、ライキルも眠りについた。
しかし、結局、眠っている時、涙は頬を伝って零れてしまった。
何もできないどころか足手まといにまで成り下がってしまった自分を軽蔑していた。ただ、そんな思いも夢を見ている時にはすっかり忘れてしまっていた。
やがて夜がさらに更け、白んだ遠くの空から世界に光が溢れ、ライキルたちの部屋にも朝が訪れていた。
*** *** ***
エルヴァイスが、大柄のエルフを引きずってみんなを待たせていた先ほどの酒場の前にやって来ると全員が驚いた表情をしていた。
とくに黒髪と茶髪のエルフの二人は、信じられない光景を見ている様に度肝を抜かしていた。もう一人の金髪のエルフは特に驚いた様子もなくただじっと静観していた。
「ヴァイスさん、その人さっきの人じゃないですか…どうしたんですか?」
「え…それって死んでるのか?」
二人がエルヴァイスの元に近寄って来て恐る恐る尋ねる。
「待たせて悪いね、こいつは、俺たちの新しい飲み仲間だ仲良くしてやってくれ」
「ええ!この人俺たちに突っかかって来た人ですよ、仲良くできるかどうか…」
「こいつは純血主義者だ。俺たちと仲良くできるとは思えないぜ、旦那」
黒髪と茶髪のエルフはエルヴァイスの奇行に戸惑っていた。
「大丈夫、こいつは改心させたから今度はまともに会話もできるだろう。それに純血主義者であるこいつを俺たちが受け入れないっていうなら、お前たちもさっきのこいつと対して変わらないことになるんだが?」
「あ、それもそうですね。ヴァイスさんの心意気はやっぱり痺れます」
「旦那のそういうところ確かに尊敬だな」
「というわけで、サクム、レッドウィンちょっとこいつをよろしく頼む」
そう言うとエルヴァイスは二人に向かって雑に大柄のエルフを投げ渡した。二人は受け止めきれず男の下敷きになり、うめいていた。
「ベッケ、ちょっと話がある、来てくれ」
ベッケと呼ばれた金髪の男は静かに頷いた。
黒髪と茶髪の二人が大柄の男の下から這いずり出ようとしているところの少し離れた街灯のもとにエルヴァイスとベッケは移動していた。
「ヴァイス、どうしました?」
「いや、実はあいつフルブラットの名前を挙げてたんだが、お前何か知らないか?」
「それは新生フルブラットのことでしょうね」
「え、何それ…」
「あなたが人生の余暇を謳歌している間、私は独自に世界情勢を観察していました。そこでここ数百年の間に新たにフルブラットの名を名乗る組織が誕生し、裏社会で幅を利かせてるとの噂を聞いています」
「マジかよ、知らなかった」
「【純血の凶王】と呼ばれていたあなたはここ数百年ですっかり凡人になってしまいましたからね。知らないのは当然です」
ベッケが淡々と述べる。
「恥ずかしい昔のあだなを口にするんじゃねぇよ」
エルヴァイスはなんとも言えない複雑な表情で不貞腐れる。
「恥ずかしいですか…我が王も地に落ちたものです」
「天を翔けるだけが人生じゃねぇんだわ」
エルヴァイス・ブラターリア、旧フルブラットの創始者。スフィア王国を【王都エアロ】と【エルフの故郷】に二分した原因を生み出した張本人。大昔にエルフの国に分断と混乱と悲劇を創出し続けた諸悪の根源が彼だった。
悪は必ず滅びると言ったのは誰か?それは力の無い悪が亡びるだけであって、どの立場に立っていようが強者であり続けている以上衰退することはない。
しかし、そんな悪人のエルヴァイスも現在は、その強者である力を誰かに向けることはなかった。
今ではただの一般人であるサクムとレッドウィンという混血のエルフたちと暇があれば飲みに行き、退屈すれば釣りやキャンプに出掛けるなど、エルヴァイスは残った人生を謳歌しており、純血の凶王などと呼ばれる面影はどこにも見当たらなかった。
覇者だった頃を知っているベッケからしたら今のエルヴァイスが見劣りしてしまうのも当然のことだった。
「エルヴァイスさん、ベッケさん、次の店いかないんですか?今日は飲み明かすっていってましたよね?」
「次の店は可愛い姉ちゃんたちのいる店なんてどうです?俺いいところ知ってるんですよ」
倒れていたエルフをサクムとレッドウィンの二人が肩を貸してなんとかこちらにやって来た。
「血を流すだけが人生じゃないってことお前ももう知ってるだろ?あいつらを見てれば分かる」
エルヴァイスが二人が頑張っているのを見て小さく笑っていた。
「そうですね。ですが、周りをよく見ておかないと今日みたいに余計なトラブルに巻き込まれるということは覚えておくべきです」
「そん時は、そん時だ」
二人が体勢を崩して屈強な男と一緒に倒れる。エルヴァイスがそこで大きく笑う。
「いつか来る不幸な出来事より、俺は今をどう楽しむかを考えたい。もし、過去の因縁が襲いかかって来るなら、俺はその因縁ごとねじ殺してやる」
「そうですか、まあ、あなたなら可能かもしれませんね、ですが、ヴァイス、世界は広いです。過信はしないように、この世にはいくらでも化け物は存在します」
「知ってるよ。だから、こうして凡人として生きて大きなリスクを避けるようにしてるだろ?」
「ですね…」
ベッケが少しため息をついて頷いた。全盛期のカリスマ性を知っているからこそ、こうしてくすぶるエルヴァイスを見てもやもやしているのだろう。彼の顔はつまらなそうで退屈していた。
「そんな顔するなよ」
「すみません。ですが、変わってしまったなと」
「今更だろ、そんなのそれに…」
エルヴァイスは少し昔のことを思い出しながら続けた。
「人は絶え間なく変わっていく、善人が善人、悪人が悪人でい続けられるわけじゃない。ふとしたきっかけや、新しい人との出会いで人間っていうものはいくらでも変わっちまう。俺が彼女に出会って変わったように、これからも何があるかは分からない。ほら、そう考えるとお前の望む未来も楽しくなってきただろ?」
「私の未来はあなたを支えるためだけにあります」
「ベッケ、お前はもっと自分を見つめ直してみるべきだな。そうすれば趣味も増える」
「考えておきます」
「ああ、頼むよ」
エルヴァイスはベッケの肩を軽く叩いた。
「ヴァイスさん、ベッケさん、手を貸してください…」
するとそこに大柄エルフとレッドウィンの下敷きになっているサクムが苦しそうに手を伸ばして助けを求めていた。
エルヴァイスが楽しそうに笑いながら彼に救いの手を差し伸べる。
「アハハハハ、ほんとお前たちは力がないな」
エルヴァイスがサクムの手を取ると、一気に引っ張り、下敷きから救出してあげた。
「助かりました。相変わらず化け物じみた怪力ですね」
「それが命の恩人に対する言葉かい?」
「アハハハ、冗談、冗談ですよ!それより、早く飲みに行きましょう!私、まだまだ飲み足りないです!」
「はいはい、ほら、レッドウィン立てよ、次の店行くぞ、可愛い女の子に会いに行くんだろ?」
大柄の男の上に倒れていたレッドウィンがすぐに立ち上がった。
「行きましょう、旦那ついて来てください!!」
少し酔っているのかレッドウィンの足はふらついていた。が、そのままズカズカと夜街を先行した。
呆れた顔でサクムが彼の後を追う。
エルヴァイスも眠っている大柄の男を引きずって歩き出す。
「ベッケも行くぞ」
「承知しました。どこまでもお供します」
ベッケも素直にエルヴァイスに従って付いて来た。
四人は静かな夜の街を行く。向かう先は血で血を洗う戦場などではない、心温まる賑やかな夜の酒場だった。
時代は移り変わる。変わってしまったことに嘆くことはない。今を生きることにただひたすら夢中になれば、道は開ける。
だから、今はゆっくりと四人で歩くのだ。