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あり得たかもしれない過去と未来

 古城アイビーの中庭と運動場を繋ぐ階段の上で、ライキルはひとりのエルフに出会っていた。

 エルフにしては低い170センチメートルの身長で、中性的な見た目の男性。金髪長髪を編み込んで一つにまとめており、翡翠色の瞳が美しい顔立ちの彼の魅力を底上げしていた。そして、左耳に特徴的な三つのピアスをしていた。黄色、赤、青と三色のピアスだった。


「初めまして、僕の名前はレキ、君がライキル・ストライクだよね?」


「はい、そうですけど…」


 ライキルがレキと名乗ったエルフに振り向く。


「そして、君がガルナ・ブルヘルだね?」


 ガルナがライキルを庇うように前に出た。彼女の彼に対する怪訝な表情があからさまに表に出ていた。

 確かにどこかそのエルフには胡散臭い感じがした。それはあまりにも完成度の高い彼の美しさから来るものなのだろうか?あまりにも不自然な完璧さは逆に不快に感じた。


「なんで私の名前を知ってる?」


 ガルナの目がさっきとは違った意味で鋭さを増し、握った拳がミシミシと音をたてる。


「それはこっちのビナちゃんから聞いたんだ」


「彼、ライキルに用があるみたいでここに尋ねて来たもうひとりのお客様だったそうです」


 怪しいエルフの弁明をするようにビナが、ガルナとレキの間に割って入った。それで鋭い疑いの目つきをやめたガルナが、そうか、と言うと、ライキルの隣に戻った。


「私に用ですか?」


「そう、少しお話できないかな?」


 それにしても突然訪問してきたそれもエルフが自分になんの用があるのかと怪しいことに変わりはなかったが、別に話しを聞かない理由もなかったので、ライキルは彼の話を受け入れることにした。


「それでしたら、さっきの応接室に戻りましょうか」


「いや、ここでいいよ、僕はここがいいな、そうだ、そこの階段にでも座らないかい?」


「え、でも、お客様を…」


「いいから、いいから、僕はお客様扱いしなくていいから、気軽に接してくれ、僕もそうするから、そっちの方が君たちも肩に力を入れなくて済むだろ?」


 レキに勧められるがままにライキル、ガルナ、ビナの三人は中庭と運動場を繋ぐ階段に段差違いで腰を下ろした。

 今日の運動場には誰もいなかった。いつもはこの古城アイビーを拠点としているデイラスを団長としたエリザ騎士団の騎士たちが訓練をしているのだが、この時間に彼らはいなかった。

 運動場は古城アイビーの手前から第一、第二、第三と三つあり、運動場と運動場の間には土手がありその土手の上には人々が通る道があった。このような区切りが運動場を三つに区切っているため、第一、第二、第三運動場と名前が付いていた。


 第一運動場の横には、第一ホールと屋内運動場のような大きな施設があった。今使っている者は少ないが、そのホールでは古城アイビーなどで何かイベントがあった際に、しばしば、会場として使用されていた。

 同じように第二運動場にも第二ホールというものが隣接されていた。それでも第二ホールも現在の用途は第一ホールと変わらず、屋内運動場として使用する者はいなかった。そこは完全にパーティー会場やイベントとして使用されるという認識が強い場所だった。

 そのため、現在、第三運動場の近くにある道場が、騎士たちが使っている屋内運動場としての機能を果たしていた。

 そんな三つに分かれている大きな運動場を、階段に座っていたレキがいつまでも眺めては一向に話を切り出そうとしなかったので、しびれを切らしたライキルが尋ねた。


「あの、レキさん、私に用があるっていったい何の用なんですか?」


「ああ、ごめん、感傷に浸るなんて僕らしいな、アハハハ…なんて何でもない、そうだね、さっそく本題に入ろうか、時間は有限だったね」


 ぼんやりと運動場を眺めていたレキが魅力的にライキルに微笑みかける。彼の見た目は男女誰もが万人が好むような魅力を持っていたが、ライキルにはちっとも一切響かなかった。


「ここに僕が居てライキル、君に会っている理由はひとつだけなんだ。君を待っている人がいるってことを伝えに来たんだ」


「待ってる人…」


 その言葉を待っていたかのように、強い風がライキルたちの間を駆け抜けていった。ライキルもあまりにも待ち焦がれてはいけないのに、その言葉を強く望んでしまっていた自分の表情を慌てて俯いて隣に居たガルナから隠した。

 止まっていた何かが動きだす。そんな気がして不意に醜い本心がざわついてしまっては自分に対してどうしようもない嫌悪感を抱くが、抗えない。

 彼の心揺さぶる魅力的な話に惹かれてしまっていた。


「そう、だけどこの話は今酷くねじ曲がっていて、そもそも、こんなことになるなんて僕も想定してなかったし、ほんと度を越してるんだよ…」


 呆れたようにため息をついたレキだったが、すぐに笑った。


「まあ、そこが彼の最高のところなんだけど」


 ライキルが息を呑む、もしかしなくてもその待ち人が誰なのか、分かってしまった。


「待ち人って、ハル・シアード・レイって人のことですか?今、話題になっている…」


 恐る恐るその名を口にしたときだった。

 レキが不敵に笑って言った。


「あれ、ライキルはハルくんのこと覚えてるんだ。忘れたと思ってたのに…」


「…………」


 言葉は出なかった。


 忘れた?一体どういうことか見当もつかなかった。会ったことも無いレキという男が自分の知らないことを知っている。

 自分とハルの関係。そして、目の前に居るレキという男。どちらも今までのライキルにはなかった繋がりだったのだが、こうして今、見えない何かで繋がれていたように、引っ張り合わされているような気がした。それは運命のようなもので抗ってはいけないものだとすら思ってしまうほど今、唐突にライキルの存在していない記憶の存在証明がされている気分だった。

 しかし、それでもガルナのことを考えると、ハルのことや目の前のこのレキというエルフを否定したかった。


「あの、ちょっといいですか?」


 いつまでも固まっていたライキルに助け舟を出すようにビナが声を挙げた。


「レキさんは、ライキルとはどういう関係なんですか?なんだか、その知り合いには見えなくて…」


「フフッ、そういう、ビナちゃんもライキルとはどういう関係なんだい?僕から見ると君たちが今の状況で知り合って方がつじつまが合わない気がするんだけど?」


「ど、どういうことですか?」


「要するに出会ったきっかけが二人にはちゃんとあったのかなって思ってね?」


「ライキルと私がですか?」


「そうだよ」


 彼女が不安そうな目でこちらを見つめて来る。そして、追撃するようにレキはガルナの方も向いた。


「ガルナ、君もだ」


「私がなんだ?」


「ライキルとどこでどうやって出会った?」


 冷たく力強い風だけが断続的に続く中、静寂がビナとガルナの二人に降りていた。

 そして、しばらくすると二人が口を開いた。


「私は白虎討伐の時、ライキルと出会いました。一緒の部隊に配属されたのでそこから知り合いました」


「私はずっと前の祭でだ。剣闘祭ってやつだ。楽しかったからよく覚えているぞ」


 二人の言っていることはライキルの記憶と照らし合わせても間違ってはなかった。


「そうか、そうなんだろうね、君たちの中には彼がいないからそうやって辻褄を合わせられてるんだ、凄いよまったく」


「どういうことですか?」


「いやね、本来ならば、君たちは出会うことすらできない繋がりなんだよ?それが分からないかな?」


「レキさん、あなた、何を言っているんですか?」


 何か彼の口から聞きたくないような言葉が出てくる気がしてライキルは耳を塞ぎたくなった。


「そもそも、ガルナは剣闘祭でライキルと出会ったって言ったけど、どうやって彼女と知り合ったのかその経緯を説明できるかい?」


「いや、普通に戦った後、握手をして友達に…」


「そっか、自分より弱い存在に興味を示したんだね?戦いが好きな君が」


 そうレキに詰め寄られるが、ガルナは酷く冷静に返した。


「そうだ、私はそこでライキルと仲良しが始まった」


 ガルナの突き刺すような視線にまるで興味がないかのようにそうかと言ったレキが次はビナを見た。


「ビナちゃん、君は精鋭騎士、それもライラ騎士団に所属していたそうじゃないか、それも隊長クラスで並外れた戦闘の才能を持っていたようだね。だけど、そんな君が、精鋭騎士でもないライキルと同じ部隊に配属されるかな?ライラはレイドでも特別な部隊精鋭中の精鋭と言ってもいい、そんな舞台に精鋭騎士でもないライキルくんが配属されるかな?」


 空白を刺激するような問いかけにビナも抵抗する。


「別に精鋭騎士だろうと、普通の騎士だろうと、作戦が成功に導けるなら、どんな部隊編成でもありえます。精鋭騎士というのはあくまでもテストの結果のようなもので、実戦で肩書きなど意味が無いに等しいことです」


「君は本当にあの子みたいだ。常識に囚われず仲間想い、フフッ、面白い…」


「あの、笑ってないでどうしてそんなに私たちの仲を引き裂こうとするんですか?」


 事実を言われてライキルがどんどんへこんでいっているのに気づいてくれたからか、ビナが珍しく真剣に怒っていた。


「あぁ、すまなかったね。別に仲を引き裂こうとした分けじゃなかったんだ。ただ、ちょっとした確認だったんだ」


 レキのあっけらかんとした表情からも、本気で三人の仲を引き裂くことに必死になっている様子でもなかった。ただひたすらに検証を重ねているそんな姿勢をしていた。事実かどうか見極める単純作業。そんな感じだった。


「でも、なんだか、君たちの話しには小さな矛盾が隠れていて本当じゃない感じがしないかい?何かが足りないそんな気がしないかい?じゃあ、ライキルくん、ここで君にもうひとついいかい?」


「………」


 ライキルの顔が今度はどんな気に障ることを言われるのだろうと心配していたが、今度の質問はたいしたことではなかった。


「エウスくんとはどうやって知り合った?」


「え、それは…」


 その質問は簡単だった。それこそはっきりと言えた。もちろん、ガルナとビナのことだって胸を張って言えたのだが、エウスに関しては何の矛盾も感じない完璧なものだった。それは彼の小さな計算で後は運任せのような、後先を少し考えないタイプの男の大胆な行動が引き寄せた出会いだったからだ。


「彼が私の居た道場に殴り込みに来て、そこから彼、どこにも身寄りがなかったから道場で暮らすことになったんです。殴り込んできた理由はまあ、ご飯が目的だったみたいで」


 彼との出会いは普通なものではなかったが、話しの筋はあらかた通っていた。というよりも矛盾の生じようがなかった。教会を抜け出した孤児が食事にありつけないことはこの時代でもよくあることだったからだ。エウスもそのうちのひとりだった。ライキルだってそうなる可能性は十分にあった。早いか遅いかの違いだった。


「そうなんですね、でも、その道場の殴り込みって、エウスくんひとりだけだったのかな?」


「え?」


「もしかすると、もうひとりいたのでは?同じ目的で一緒に道場に殴り込みに来た少年が、彼の他にも居たんじゃないのかい?」


 ライキルの頭の中に衝撃が走ったが、必死に頭全体がその可能性を拒絶した。なんせ、エウスがシルバ道場にやって来たのはどう考えてもひとりだったからだ。

 しかし、ギンゼスとフーリの言っていたことが、一瞬でライキルの頭の中にもう一つの可能性を浮き彫りにした。

 もし、エウスと一緒に道場を訪れた子供がいたとしたら?その男の子がエウスと同じようにシルバ道場で引き取られて、一緒に生活していたとしたら?本当は自分が忘れているだけで自分の傍にはもうひとり大切な家族がいたとしたら?その人が本当は自分にとって計り知れないほど大切な人だとしたら?無限に埋まらない寂しさ、永遠に続く不安、枯れない焦燥、心だけが死んでしまったかのような虚無感。そんな負の連鎖を終わらせてくれる存在がいたとしたら?


 そんな可能性があるとライキルは信じて見たくなった。信じて楽になりたかった。ハル・シアード・レイという自分の全てを救ってくれるような存在を認めたかった。

 けれど、それはガルナへの直接的な裏切りに繋がってしまうことだった。初めてこんなに純粋に人を愛せたのに、こうも簡単に自分の純粋さは濁ってしまうのかと思うと、笑うしかなかった。


「居ませんでしたよ。そんな馬鹿なことする少年。エウス以外には誰も…」


 歯切りが悪そうなライキル。


「そうかい?でも、そういう可能性の余地はあったでしょ?もしかしたら、今は彼のことを忘れているだけで、本当は自分の傍にはハルという大切な人がいたかもしれないって、思えるような場面が、いくつも君の穴だらけになった過去にあるんじゃないかい?その空白が埋まらなくて君は苦しんで、満足できていないから毎日少しずつ壊れていってしまっている。君の心中の支えが消えたなんだから当然さ、人は何かに夢中になっていないと虚しくて死んでしまう生き物だから、ライキル、君も今とっても危険な状態なこと気づいてるのかな?君の隣には今彼がいない、それが全てさ」


「そんなことで、私がおかしくなってるって言いたいんですか?」


 ライキルはレキと話している時に感じるべき違和感を無視して会話に夢中になっていた。


「自覚があるみたいで良かった。その通り、だけどそれはライキルのせいじゃない。君は被害者さ。こんな理不尽な出来事なんて、君は絶対に望まなかったはずだからね」


「私が被害者?」


「まあ、どちらかというと彼も被害者なんだけどね…そうだな……」


 そこでレキが遠くの景色を見ながら続けた。


「彼のしたことはあまりにも大きな偉業で尊敬されるべきことだったが、伴った結果はあまりにも救いがなく悲しいものだった。あれはただひたすらに純粋な人類愛から来た究極の善行と自己犠牲の思考で至った行動だったんだ。その結果は彼を忘れ去られた君たちにだって今も多大な恩恵を与え続けている。この大陸の人たちはみんな彼に感謝しなくちゃいけないはずなんだ。だってそうだろ?一体どうやったら、山をも越える凶悪な龍をこの大陸にいる人間たちだけで止めれたというんだ?無理だよ。どう策や工夫を凝らしても絶対的な理不尽の前で、この大陸は更地になっていたさ。まったく、人っていうのは末恐ろしいよ。人智を超えた存在ですら使い潰すんだ。愛なんて劇薬で洗脳して庇護欲でそそのかして戦士は命を懸け破滅すれば墓場に怒りをぶつけられ、勝てばくだらない英雄なんて称号を与えられ、さらに次の劇薬を注がれる。本人ですらそれをよしとしているんだから救われない」


 レキの語りにガルナとビナは付いていけていなかった。しかし、ライキルだけは違った。


「まあ、そんなの当たり前のことなんだけどね」


「そうです。レキさんの言ったことは当たり前のことです。誰かを守るために自分が傷つくことは、戦う人の定めです」


「今の君はその戦う人にすら見えないけど?」


 ライキルの身体は以前に比べれば瘦せてしまっていた。鍛えていたため、今は年相応の女の子と同じくらいまで筋肉が落ちていた。だが、それでも、その変化は大きなものだった。ずっとベットの中で横になっていたのが短期間で筋力を落としてしまった原因だったのかもしれない。


「ええ、そうです。だけど、私は今でも大切な人を守るためなら剣ぐらいは握れます」


「残念だけど弱者が握った剣には説得力がない。力って大事だよ?命に関わって来るものだからね。遥か昔、まだ人類が知性を獲得していない時代なんか力がものを言った。そうでしょ?力はあらゆるものに説得力を持たせる究極の言語だよ。だけど、ハルくんはそんな力を持っていても、自分を犠牲にする選択肢を今も選び続けている。誓った約束を果たそうとしている。それは愛のなせる業なのかもしれないね」


 彼の言葉を聞いているとますますライキルは自分の立ち位置や関係性が曖昧で不確定なものに変化していた。


「あの、こんなことあなたに聞くのもおかしいと思うんですけど、私とハルの関係ってどんなものだったんですか?」


 レキがそこで何の躊躇もせずに本当のことをぶちまけた。


「君、ライキル・ストライクはハル・シアード・レイの婚約者だよ。まだ正式に式は挙げてないから、いや、挙げていたとしても、なかったことにされていたのかもしれないけど…」


「…あ………」


 思考が止まり言葉も何も出てこなかった。凍っていた心の奥底がほんの少し溶けていく。


「は…ちょっ、ありえません…何言ってるんですか?私がそんな…」


「ちなみに、そっちのガルナくん、君もハルくんの婚約者だ」


「え、私が誰の?」


 状況を飲み込めていないガルナが首をかしげる。


 その時、ライキルがレキに掴みかかった。


「嘘だ!!それは絶対にありえない!!!」


 今ライキルの心の支柱となっているガルナを奪われたくない全力の否定だった。それよりも、自分たちがハルという会ったことも話したことも無い男のものになるのが許せなかったが、ライキルは揺らいでいる自分にも怒っていたのかもしれない。実際にレキにその真実を伝えられた時、安心してしまっていたからだ。


「ライキル、暴力は良くないですよ」


 怒涛の展開に呆然としていたビナが我に返り、ライキルを止めにかかる。


「私とガルナが、そのハルの婚約者?認めません。そもそも、あなた一体誰なんですか?私たちの何を知ってるんですか?いきなり現れて馴れ馴れしく、知ったような口利かないでください!!」


 ライキルが彼との会話の途中、ずっと無視していたことを突き付けてやった。


 するとそこでレキが微笑んだ。それは故意に作られた笑顔ではなく、純粋な気持ちから生じた自然なものだった。そんな感じの人を安心させる笑顔だった。


「僕は君たちにチャンスを与えに来たんだ。理由はちゃんとある。それはさっきもいった愛さ。僕もこの大陸の人たちが大好きでね。彼らが繋いで来たこの大陸を少しでも長く続いて欲しいんだ。みんな頑張って来たからね。少しでも僕にできることがあるなら力になりたいんだ。君と同じ非力な僕がね」


 そこでレキがライキルの瞳に映り込む。弱っているライキルに掴みかかられても抵抗できないほど彼は非力だった。


「ライキル、よく考えてくれ、君だけでもハルに会いに行ってやるべきだ」


「………」


「このままだと彼は普通に死ぬよ?」


「…死ぬ?どうして私が会いに行かないだけで彼が死ぬの?意味が分からないし、それに私には何の関係もない。婚約者だってそんなの嘘に決まってる。証拠もないどころか私は彼に会ったことも話したことも無い。いい、だから、私は、私たちは、彼に関わる気はないの…」


 強がりだけが今のライキルにできるガルナへの唯一の誠意だった。

 街に出かけてハルの似顔絵が書かれた掲示板を見た時、ライキルは危うくその日の一日をその掲示板の前で終えそうになったことがあった。

 どこの記憶にも姿の無い懐かしい人がそこにはいた。


 ガルナの手を握る。このぬくもりが壊されてしまうようで怖かった。この世界の理不尽に自分で築き上げた世界が壊されるのが怖かった。


 だけど、その兆しはすぐに現れてしまう。


「ライキル…」


 ガルナが口に手を当て深く考え込むように地面の一点だけを見つめて、頑張って頭を使って何かを考えながら伝えようとしていた。


「何?」


「そのハルって人に会いに行ってみないか?」


 青ざめた表情が一瞬ライキルの顔に広がるが、すぐに冷静さを取り戻しつつ否定する口実を口にした。


「ダ、ダメ、だって、私たちこれからレイドに戻って所属する騎士団も決めなくちゃいけないし、お金もないし…あ……」


 騎士団に入るにはテストがあった。それに今のライキルが合格できる実力が伴っているとは到底思えなかった。それに今のガルナにはお金の余裕があった。あの書類にサインをしたからだ。

 あらゆる道が閉ざされ、ハルという人物に会いに行く選択肢だけが希望の糸のように垂れ下がっていた。


「なあ、お前、ライキルがそのハルってやつのところに行かないと死んじゃうんだろ?」


「そうだね、今のハルくんにはライキルっていう劇薬が必要なんだ。彼女じゃ無理だったからね…」


「ライキル、聞いた?ライキルが行かなきゃ人が死ぬってよ、助けにいかない?あ、そうだなあ、お前、ライキルはそこで何をすればいいんだ?」


 ガルナがレキに雑に尋ねる。


「それは言って見ないと分からない。もしかしたら、ライキルでもダメかもしれないからね」


「ふーん、そうなのか、じゃあ、私はどうだ?何かそいつの助けになれないのか?」


「どうかな、もしかしたら、君の力も必要かもしれない。正直、僕もこんなこと初めてだからね、全ては行って会ってみないことには分からないんだ」


 当たり前のことを言う彼に、ガルナもそうなのかと適当に納得していた。


 ライキルがガルナを手繰り寄せるように繋いでいた手を引いて自分の傍に寄せた。急に引っ張られたガルナがライキルの方によろめく。


「どうしたの?ライキル、人助けだってよ、私たち一応騎士だしそのハルってやつのこと助けてあげよう?」


「ちなみに彼はとっても強いよ?」


 レキがぼそっとガルナに余計なことを吹き込みやる気を出させていた。その情報は彼女にとって大好物だった。


「ほんとうか!?じゃあ、助けたら私そいつと戦ってみたいなぁ!!そいつどこに居るんだ?どれくらい強いんだ?」


「ねえ、ガルナ」


「ん、どうした?」


 興奮気味で楽しそうな彼女がライキルに振り向く。

 ライキルは思わずガルナの手を離してしまった。


「ごめん、なんでもないよ…続けて……」


 久しぶりに心の底から楽しそうな彼女の顔を見た気がした。

 それは自分を一番に見て欲しかったライキルにとってショックな出来事でもあり、ある種の諦めでもあった。

 だけど、それと同じくらい、すっきりもしていた。だから、透明で純粋な罪悪感に浸りながら、ライキルの中で決心はついていた。


「ライキル?」


「ちなみに、ハルくんはあの白虎を討伐し、黒龍も全滅させてる人類最強の男さ、ガルナくんじゃ、手も足も出ないかな」


「おお、そいつをぶっ飛ばせば私が最強ってことか!?」


「その通り、でも、今の彼は正気じゃないから、助けてあげてくれないかな?」


「いいぞ!助けた後そいつをぶっ飛ばしていいんだな!」


「彼は優しいからたくさん君の相手をしてくれると思うよ」


「マジか!?」


 ガルナが楽しそうにレキと話す中、この状況を静観していたビナがライキルに尋ねた。


「ガルナは、ああ言ってますけど、ライキルはどうするんですか?そのハルって人のこと助けにいくんですか?なんだか私は話しがよく見えてこないんですけど…」


 ライキルが虚ろな目で、どこも見ずにその問いに答えた。


「私はガルナについて行くよ。彼女無しじゃ、私、生きていけないから……」


「そうですか…じゃあ、私もライキルたちについて行きます。護衛は多い方がいいですから」


「ありがとう」


 光を失ったように死んだ目が、生き生きと喜びにあふれたガルナの瞳を見つめる。対照的な二人が風に吹かれ揺れていた。




 それから、ライキルたちは、レキから今後の予定を聞かされた。

 スフィア王国王都エアロまで来てそこでレキと再合流し、そこからエルフの森に入り、ハルを救出するのが当面の目標だと言われた。


 四人は中庭に戻り、古城アイビーの本館のエントランスを抜け、噴水のある広場に出ていた。

 一応、レキはお客様であったため、三人は見送りをすることにした。

 歩いている途中にすれ違った使用人にお客様が帰る馬車を用意してもらった。

 そして、噴水広場で少し待つと、レキが乗るための馬車が到着した。彼はその馬車に乗る前に、しぶきを上げる噴水の前で立ち止まった。


「いやあ、それにしても、本当にここに来れて良かった。あんまり変わってなくてびっくりしたし…あ、そうだ、あの庭園にまだ、あの銅像はあるのかい?」


 レキが古城アイビーの敷地内にある、噴水広場から坂を下った先にある、花園を指さした。

 三人は首を傾げていた。何のことかさっぱりわからない様子だった。


「知らないのかい?残念だ。ビナちゃんなんかは知ってると思ったんだけど?」


「何のことですか?」


「いや、何でもないさ」


 そういうと、レキは最後にビナを見て微笑み、馬車に乗り込んで古城アイビーを後にした。


 ***


「こんなこと真面目に言うと、僕ってがらじゃないのかもしれないけど」


 馬車に揺られるレキが独り呟く。


「君たちが残したものは僕が守るからさ…」


 銀色の空から光が差し込み、眺める街に降り注いでいた。


 遠い日々の思い出が残るこの街で、ひとりの少女のことを思いだしていた。


 決して戻らない日々を思い出していた。


「安心してよ」


 レキが乗った馬車は、古城アイビーからゆっくりと遠ざかっていった。

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