訪問者たち 中編
ライキル、ガルナ、ビナの三人がそれぞれ、モデス・リッチーに自己紹介をした。
自己紹介が終ると、モデス・リッチーが紅茶にひとつ口をつけて、三人の顔を注意深く観察した後、彼は口を開いた。
「先ほどデイラス様にはお話ししましたが、現在、皆さまには莫大な財産の譲渡がなされました。今回ここに私が訪れた用件がその報告ということになります」
「待ってどういうこと、お金が入って来るってこと?」
「はい、ライキル様、その通りでございます。ちなみに、今回あまりにも莫大な資金が動くことになっておりますので、引き出しの際には限度額が設定されています。そこら辺の話しもこの後詳しくご説明させていただきますのでまずは皆さまが受け取る金額の方を提示させていただきます」
モデス・リッチーが足元にあった黒いカバンから何枚かの書類を取り出して、テーブルに三人分を用意した。
受け取った資料には大国の国家予算に匹敵する数字の羅列が並んでいた。その資料いっぱいに記されている金額の羅列の横には人の名前が書いてあり自分の名前が載っていることに気づいた。ガルナとビナの名前も、金額が記された横に名前を連ねていた。それだけじゃない、よく見ればそこにはライキルの知っている人や施設の名前が一挙に並んでいた。
エウス、キャミル、ダリアス、シルバ道場、エリー商会、リーナ、ニュア、サンドラ、酒場スターライト、グラアン、レイゼン、カイ、アーリ、テオン、フルミーナ、図書館トロン、白魔導協会、冒険者ギルド、……。
しかし、読んでいる途中で慌ててモデス・リッチーがライキルの書類を取り上げた。
「申し訳ございません。ライキル様がご覧になったのは私たち銀行マンの大事な顧客情報でした。本来見せるはずだったものはこちらになります」
そこにはライキル・ストライクという名前と、先ほどの顧客情報で見た金額と同じ額の金額が書類には記されており、追加でライキルが受け取るものとして大量の宝石の数と名前が記されており、そこにはメイメイの文字もあった。さらにまだまだ土地や権利書などが大量に羅列されていた。
受け取ることになった莫大な資産にライキルは開いた口がふさがらなかった。一体どれくらい人生を繰り返したらここに書かれているお金を稼ぎ出せるか?全く持って想像もつかない額と資産が提示されていた。下手をすれば小国なら簡単に買える金額だということに手が震えた。
「あのこれって…」
「すでに手続きのほとんどが終わっており、そこに書かれたものは全て皆様方に所有権が移っている状態です」
「ここに書かれているものが全て私のものなんですか?」
「はい、この後の受領書にサインをしていただければ、晴れて全ての手続きが完了し、そこに記された財産は皆様のものになります」
「何か私たちを騙そうとしているとか…」
呆然としていたライキルが呟いた。
するとモデス・リッチーが、服の内側から小さな箱を取り出して、花の形をかたどった純金のバッチをテーブルの上に出した。
「この花のバッチは我々、金花の銀行員の証です。このバッチに誓って私はお客様に対して嘘をつくことはありません。我々はお客様の財産の管理者として信頼というものは、お金と同等の価値があると考えております。そのため、嘘や賄賂や謀るようなことは一切いたしません」
モデス・リッチーの真剣な表情からも、彼が嘘やでたらめを口にしていないことは伝わった。
そして、彼は真面目な表情から、ニコニコと穏やかな顔に表情を戻すと続けた。
「ライキル様が、疑いたくなる気持ちも分かります。金額が金額ですからね、混乱しない方が変です。ただ、正直、この件に我々銀行員も戸惑っていまして…」
「どういうことですか?」
「皆さんも気になりませんか?この財産の元の所有者を…」
見落としていたことを指摘される。確かにこんな国家規模の財産を持っている者が見ず知らずの人たちに配るなんておかしなことだった。
「誰なんですか?私たちにこんな大きな財産をくれたのは…?」
「それが我々一端の銀行員も知らされていないんです」
「………」
言葉を失うと同時に、なんだか嫌な予感がライキルの背筋をなぞった。
「そんなことあり得るんですか?だってこんなに大きなお金が動いてるんですよ?」
「この譲渡の件、我々の金花の総裁からの直接の命令でして」
「金花の総裁が私たちにこの財産を譲渡したってことですか?」
「あ、いえ、この財産は総裁からではなく、当然、金花のお客様の所有物だったのですが、今回そのお客様の要望の条件が達成されたと総裁から伝言がありまして、こうして私が皆様に財産の譲渡があったことを、お知らせに回っている次第でございます」
「じゃあ、リッチーさんは、元の依頼者の名前も分かってないのですか?」
「申し訳ございません。私は総裁から直接指示を受けた身でして、私もそれではお客様が不安になってしまうと思い、思い切って総裁に依頼者のことを聞いたのですが、極秘とのことで…」
誠実さを売りにしている彼がみんなに申し訳なさそうな顔をしていた。
「何かの間違いってことではないんですよね?」
国家予算並みの大金の所有権の移動を間違える人間などまずいないが、念のため聞いておいた。
「それだけは間違いございません、そこに書かれている財産は全て皆様のものになります」
そこで彼との話しに夢中になっていたライキルがみんなの様子をそこで初めて見た。ビナは資料から目を離さず何度も受け取ることになった金額を確認していた。デイラスもすでに受け取っていた資料を見て満足そうに微笑んでいた。
ただ、ガルナだけは興味なさそうにあくびをしており、ライキルと目が合うと、無邪気に微笑んでいた。
「ああ、それで皆様方には、この紙に譲渡されたことを了承した。サインをいただきたくて、これを持って譲渡完了となるので、お手数ですがサインをしていただけますか?」
モデス・リッチーが紙とペンとインクを取り出すと、テーブルの上に並べた。
するとさっそくデイラスが紙とペンにサインをした。ビナも同様にサインする場所を何度も確認して受領書にサインをしていた。ガルナも二人と同じように自分の名前を書いてサインをした。
最後に残ったライキルの番になった時だった。
「この紙にサインすればその財産を得られることになるんですよね?」
「はい、そうです。こちらの受領書にサインして頂ければ、正式に譲渡される財の所有物がライキル・ストライク様に移ることになります」
「サインしなかったらこの財産はどうなるんですか?」
「あ、えっと、サインしない?そうなると、それはえっと総裁に聞いてみなければ…」
ライキルは改めて自分が受け取った資料に書かれている額面を見た。これ程の巨万の富があれば一生遊んで暮らせるどころか、小国が買えてしまうほどなのだ。
それにお金さえあればガルナとも一生安定した生活が送れることは間違いなかった。お金があれば何もかも誰かに自分の分までゆだねて生きていくことが出来た。
それに今のライキルは白虎討伐の報酬を切り崩して生活しており、お金は目減りしていく一方だった。
そう考えた時、この溢れんばかりのお金をもらう以外に幸せになる手はなかった。
ライキルがペンに手を伸ばそうとした時だった。さっき見た顧客情報のことを思い出した。妙な違和感を感じたのはそこだった。
みんなライキルが知っている共通の知人だったことを思い出す。じわじわと嫌な汗がひとつ頬を伝った。
「受け取りません…」
「え?」
「その財産全部私は受け取りません。だから、書類にもサインはしません」
その場に居たガルナ以外の人間が驚きの表情で固まり、応接室は静まり返った。
「ライキルくん、その、え?こんな大金もう手にする機会なんてないぞ…って、うええ!?」
近寄って来たデイラスが心配そうにライキルに提示されていた額面を見て腰を抜かしていた。
「受け取らないんですか?」
ビナも金額に目がくらんでいたが、こんな大金を受け取らないライキルの方が正気の沙汰ではなかった。
「リッチーさん、この財産は総裁と話して元の依頼者に返しておいてください、私はこれで失礼させてもらいます」
「………」
あまりの衝撃の言葉に、モデス・リッチーも唖然としていた。
この場に居ずらくなったライキルは彼にお辞儀をすると、部屋を出ていった。
その時、すかさず、ガルナも部屋を飛び出してライキルの後を追いかけていった。
デイラス、ビナ、モデス・リッチーの三人は取り残されていた。
そして、応接室に取り残された三人の前に、ひとりのエルフが現れた。
「ずいぶんと景気のいい話をしているみたいですが、お話は終わりましたかな?ってあれ、ライキルさんはどこに行きましたか?」
人族とたいして変わらない身長のエルフ。金色の長髪を編み込んで一本にまとめた男性とも女性とも取れる中性的で、左耳に三色の三つのピアスをし、彼の翡翠色の瞳には男女誰をも吸い込んでしまいそうなほど美しかった。
「ああ、えっと、レキ様でしたっけ、申し訳ございません。それが今、出て行ってしまって…」
「そうですか、なら私自ら探しに行っても?」
「構いませんが…」
デイラスがお客様にそんな事させまいと、使用人をひとり充てようとした時だった。
「だったら、私が案内します」
固まっていたビナが手を上げた。
「おお、ビナくん、すまないね、じゃあ頼んでもいいかな?」
「はい、任せてください、ライキルのいそうな場所は熟知しているので、ついて来てください」
「君…」
ビナがレキの前に立った時だった。彼がしゃがみ込んでビナの宝石のように綺麗な赤い瞳を覗き込んだ。
「…え、あ、あの、どうかしましたか?」
困惑するビナに構わずレキは彼女の瞳を見つめ続けた。ビナもそこで彼の瞳を見るととても綺麗な翡翠色をしていることに気づいた。
「綺麗…」
そう呟くと、ビナの前からレキが離れてしまった。
「すまないね、ビナちゃんだっけ?君のような赤い瞳の子が、僕の知り合いに居てね。ついその子と君を重ねてしまったんだ。悪かったね、案内頼んでいいかい?」
「あ、はい、こちらです!」
彼の言動がビナにはよくわからなかったが、とりあえず、ライキルたちが駆けていった方向に彼を連れ出した。