樹海探索 中編
整備されていない道を歩くのは大変だった。絡まる蔓、視界を塞ぐ木の枝、盛り上がった木の根、歩けば歩くほど深まる森にルナとギゼラは苦戦を強いられていた。
樹海ツアーから抜けてそう時間は経っていないが、道を外れた途端に樹海が牙を剥くようになり、ツアー用の道がどれだけ整備されていたか身を持って二人は思い知らされていた。
「邪魔だ…切っても、切っても、終わりが見えませんよ、ルナさん!」
ギゼラが持っている精巧な作りの剣が、完全に木の枝を切るだけの便利道具に成り下がっていた。
「もう歩くのは無理そうね、ここらへんで飛ぼうか?」
「賛成です、だけど、正直、私の飛行魔法じゃ、今日中に聖樹には着けませんよ…?ルナさん一人なら大丈夫だと思いますけど…」
寂しそうな顔でギゼラが見つめて来る。
「ギゼはリングひとつだもんね」
「ふ、普通は、飛行魔法が使えるだけで優秀の部類に入るんですからね?」
「そうね、飛べるってだけで単純に戦闘の幅が広がるからね」
特殊魔法にあたる【飛行魔法】の光状のリングはその数によって機動力と飛行速度が変わった。リングの数が多ければ多いほど空の上で複雑な動きができるし、早く飛ぶための出力も上がった。
ひとつのリングだと高いところに上るための上昇は得意だが、水平移動が苦手であった。できないことは無いのだがスピードは遅く制御が難しかった。それなら全速力で走った方がましだった。
「でも、ギゼ、それだったら、私が引っ張っていってあげるから」
「あ、確かにそれなら一緒に行けますね、へへッ、すみません、そのなんか」
「別にいいわ、許可を出したのは私だし、ギゼがいたからこの旅も退屈しなかった」
「ほんとですか!?恐縮です!」
「じゃあ、行こうか」
大きなリュックを背負ったルナの足元に、三つのリングが重なって展開される。彼女がゆっくりと浮き上がり、ギゼラに手を伸ばす。彼女がルナを手を掴み、リングを展開した時だった。
「お嬢ちゃんたち」
その声で二人の思考と身体が固まった。親しくもないくせに親し気に話しかけて来る男の声。二人が同時に思ったのはしつこいだった。しかし、男にそんな二人の暗い表情が全く通じないほどご機嫌でニコニコしていた。
「どこに行くんだい?」
「え、あんたつけて来たの?」
ギゼラが呆れながら言う。ルナも飛ぶのをやめて彼に向き直る。
「ああ、君たちがツアーから抜けるのが見えたからよ」
ドトルと名乗った男で、二メートルほどの身長に大きく堅牢な筋肉が身体を纏っていた。いかつい顔つきとは反対に自身に満ちた彼の穏やかな笑顔。多分それは相手により一層恐怖を与えてしまうことは想像に容易かったが、彼はそれが分かっていないのだろう。傍から見れば今の状況は森の中で熊に出会ったのも同然だ。
もちろん、それが一般の女の子たちの話しならなのだが…。
「それだったらあんたは早くツアーに戻った方がいい、帰れなくなるから」
「俺のことは別にいい、あのツアーには何回も通ってるし、ここら辺も何度も歩き回ってる迷子にはならないさ、それより、お嬢ちゃんたちはどこに行くんだい?」
「それこそあんたには関係ないでしょ?いいからさっさと私たちの前から消えやがれくださいよ」
「ハハッ、おいおい、そんなに邪険に扱わないでくれよ、俺は可愛らしいお嬢ちゃんたちが二人で危ない森に行こうとしてるから引き止めに来たんだよ」
ドトルが必死に二人を止めようとしていた。
しかし、そんなの余計なお世話でしかなかった。ルナにとって危険なことは少ない。せいぜい専門外の四大神獣ぐらいであったが、それもこれから向かう聖樹にいる四大神獣の火鳥は今までで一匹しか確認されていない。
特別危険区域だってルナからすればただの森なのだ。霧の森や、龍の山脈のような大多数の個体の神獣がいるわけでもないエルフの森は脅威でもなんでもなかった。
「あぁん?私たちの心配をするより、あんた自身の心配をしたらどうですか?私たちに逆らうと死にますよ?なんせこっちには彼女がいるんですからね?」
ギゼラがルナの手を握って自分に引き寄せていた。
チンピラ風のギゼラが、ルナという虎の威を借りて堂々と彼と対峙していた。ルナが二人の体格や客観的事実、戦闘経験から推測し判断した結果。どう見ても実力的にはギゼラが彼より劣っていた。
『こういういきってるギゼって、可愛いんだよな…』
ルナもルナでくだらないことを考えていた。
ただ、その余裕はルナからすればドトルという男は下の下であり、一秒あれば彼の首と胴体を切り離すことは容易だった。つまりいつでも彼が何をしてもどうあがいてもすでに決着は着いていた。
だから、彼が変な行動をとった時はすぐに殺そうと思っていた。ちょうど人気も無いので。
だが、彼にそんな乱暴をする様子を一切感じられなかった。
「人の親切は、素直に受け取った方がいいぞ、お嬢ちゃん」
「だったらそっちは、人の忠告はよく聞いた方がいいですよ?」
ギゼラが一方的に会話をしようとしないので、そこで時間が惜しいルナが少し割って入ってあげた。このままだと話は一生平行線で終わらなそうだったからだ。
「二人とも言い争いは辞めてくれる?」
二人がルナの方を向いた。
「ドトルさんでしたっけ、私たちは目的があってこのエルフの森に来たんです」
「まあ、あんたの格好を見ればなんとなく分かるな…」
ルナの装備は完全に一日のツアーに参加する者ではなく、森の中で何十日もサバイバルする用意なのはあからさまだった。森に溶け込むための緑を中心とした服装はツアーの時は逆に目立っていた。
「だが、今のこの森はちっとばかしおかしい、腕に自信があるようだがやめておけ」
「どういうこと?」
「生態系が狂ってる」
ドトルが森の奥深くを見つめながら顔をしかめていた。ルナも振り向くと確かにこれから進もうとしている森の奥には不気味な気配を感じた。誰もが進んで入りたくないような邪気が漂っていた。
「私たち聖樹に用があるの」
「聖樹にか!?」
ルナが不意を突いて放った言葉にドトルが度肝を抜かれた顔をしていた。
「それならますます俺はあんたたちを行かせたくはない。あそこは今、本当にヤバイんだ」
「へえ、その言い方だとあなた、最近、聖樹に行ったのね?様子はどうだった?相変わらず、誰も近寄れなかったでしょ?」
このエルフの森があるスフィア王国に来る前にルナの元にはひとつ重要な報告が上がっていた。その内容はあまりにも突飛な話で信じがたいものだったのだが、ルナはその感覚を知っていたため納得していた。
ルナが自身の組織に調べさせた結果、聖樹のおよそ五十キロメートル圏内に侵入することが出来ないとの報告が上がっていた。
聖樹から100キロメートルから正体不明の違和感や吐き気や体調不良を感じ、聖樹に進めば進むほど身体の異変が酷くなっていき、とてもじゃないが聖樹の五十キロメートル圏内に進むことが出来ないと、ルナも来るときに報告者たち本人から直接聞いていた。
その報告者たち曰く、それ以上先に進むと自分は死んでいたと皆口をそろえて言っていた。
「あんたなんでそのこと知ってるんだ?」
ドトルが不思議そうな顔でルナの見下ろしていた。
「この子も言っている通り、あなたには関係ないこと」
ルナがギゼラの顔を見ると彼女も不思議そうな顔をしていた。それはギゼラにも聖樹が人を寄せ付けない何かがあることについて、打ち明けていなかったからだ。
そもそも、本来ならばハルのことを忘れているギゼラは置いて来ようとしたのだが、彼氏に会いに行くと言ったら、無理やりにでもついて来ると言いだしきかなかったからこうして彼女は隣に居た。
「聖樹には待ち人がいるの…」
ルナはうっとりとくすんだ青髪の顔を鮮明に思い出しながら呟いた。
「聖樹で待ち人?あ、それってハルってやつのことか?」
「あ?」
ルナが目を見開いて大男の顔を見上げた。瞳孔が開き目が血走り出す。血管が浮き出し激しく脈打ちだす。
明らかに周りの空気が変わったことをドトルも肌で感じ取ったのか、慌てて言葉を繋ぎ始めた。
「お嬢ちゃん、ど、どうしたんだよ、そんな怖い顔して…」
さっきまで自身に溢れていた大男の顔から余裕が消えていく。
「誰から聞いた?」
「俺の友人から聞きました」
冷や汗をかきながらドトルが即答する。それもそのはずもはやルナとの会話は会話ではなく尋問に変わっていた。
「そうか、その友人今どこにいる?このエルフの森にいるのか?」
ますますルナの声が低くなり恐ろしい化け物へと変貌していく。お嬢ちゃんなど口が裂けても言えないほど、殺気を振りまいていた。
「い、います。その聖樹の森に仲間たちといます…」
正直に話し真実だけを語る、そして、ひとつしかない選択肢を迷わず決める。男にできることはこれしかなかった。
「案内しろ」
「ですが…」
ドトルの前からルナの姿だけが消えると、一気に彼の身体のバランスが崩れ二メートルある巨体が膝をついた。
背後には赤と黒の双剣がドトルの首のぎりぎりで止まっていた。
「案内しろ」
「はい…」
***
ドトルを先頭に、ルナはギゼラと腕を組んで一緒にエルフの森の上のぎりぎりを飛んでいた。
脅されてハルを知っている仲間のところに、ルナを連れて行かなきゃいけなくなったドトルはへこんでいる様にも見えた。
まあ、羊の群れに狼を連れて行くようなものだから仕方がない。
「それにしてもあんなむさい男がリングが二つなんて私許せません」
「フフッ、そうね、ますますギゼの負けね」
「ますますって、どういう意味ですかぁ…」
ドトルという男はなんと飛行魔法が使えリングも二つとかなりのできる男だった。大男を運ぶという労力が減り大満足であった。
「ところでなんですけど、ハルさんを知っている人を見つけてどうするんですか?まさか、殺そうなんて物騒なこと考えてませんよね?」
「ギゼは私を何だと思ってるの?穏便に話しをするだけよ?それより、そろそろ、つくと思うわ、ほら、聖樹も見えて来たし」
エルフの森の木々の屋根のすれすれを低空飛行するルナたちの遥か先に、聖樹の木の幹の部分が、雲に隠れながらもぼんやりと見えていた。
「本当にあの頂上にハルさんって人がいるんですか?なんか、思ってたよりもスケールが大きくて想像ができなくなってきたんですけど…」
「必ずハルはいるわ、だって感じるもの。あの聖樹に近づくほど、ひりついた空気がね」
ルナが感じ取っていたのは、薄い殺気のような肌を刺すようなものだった。
「え、ハルさんってもしかして、怖い人なんですか?」
「そうね、この世で一番怖い人かも」
ルナの言ってることは間違ってはいない。四大神獣を軽々と屠れる人間が怖くないわけがない。
「ルナさん…そんな人のどこが良いんですか?」
「全部」
三人がたどり着いたのはエルフの森の聖樹セフィロトからちょうど百キロほど離れた場所だった。
そこにはテントが何個か張っており、小さなキャンプ場が出来上がっていた。
ドトルとルナとギゼラが、キャンプ場の真ん中に降り立つと、テントの中から数人の人間たちが出て来た。
「どいつがベリルソンだ?」
ルナが冷ややかにドトルに小声で尋ねる。彼は顔をこわばらせながらも素直に真っ先に向かって来た、長い黒髪でくせっけの青年を低い位置で指さす。
「ドトル、お前、何して…おいおい、ここに人を連れてきちゃだめだろ、何してんだ…」
くせっけの青年が、ドトルの前に来て状況を説明するように叱っていたが、彼は沈黙を保っていた。ルナからの命令でお前は何もしゃべるなと言われていたからだ。
「おい、ドトル何とか言えよ、この状況を説明しろ、まさかナンパしてきた子を連れてきましたとかだったら、殺すからな?」
うなだれて沈黙しているドトルを片手でどけたルナが一言いった。
「お前がベリルソンか?」ルナの赤い瞳がくせっけの青年の暗赤色の瞳を捉える。
「あんたたち、ここに来たからには………」
しかし、そこで怒りに身を任せ近寄って来た彼の表情が一瞬にして固まった。さっきまでの怒りはどこえやら、彼は怒鳴るどころか一言もしゃべらず目を見開いて口を開けたまま現実を受け入れられないかのように呆けていた。
ルナとその青年との間に静寂が訪れると、やがてその静寂は伝染し辺りに広がっていった。
そんないつまでも固まっている彼に戸惑ったルナが、ドトルに声を掛けた。
「こいつがベリルソンでいいんだな?」
ずっとルナを見つめている不気味な彼からの視線から目を逸らす。
「そうですが、手荒な真似はよしてください…あのそいつ俺の親友なんです。もしよかったら俺がなんでもするんでどうか命だけは……」
「あんたは黙ってて、私はこいつに用が…」
仲間想いのドトルが命乞いをしているのをよそ目に、ベリルソンが無防備で近づいて来てルナの手を握った。あまりにも敵意を感じなかったルナはその彼の優しく握られた手に反応ができなかった。
「ケイラなのか…?」
「触んな!!」
信じられない速さのルナの拳が、ベリルソンの顔面に直撃すると、数メートル弾みながら吹き飛んでいき、キャンプ場の外の木に激突すると、そのまま下にあった茂みに沈んでいった。
「ルナさん、穏便にいくって話はどうなりました?」
ルナの隣ではギゼラが呆れかえった表情でため息をついていた。