邪魔はしない
ルナは紅茶を一口飲んで喉を潤すと、三人に語り始めた。
「知ってる?今、エルフの森の聖樹が日夜休むことなく光を放ってること?」
「光ですか?」
「レイドの裏組織に四大神獣の動向を探らせてる部署があるのよ、帝国にだってあるでしょ?四大神獣を監視させておくそういう組織が」
四大神獣が暴れ始め、大陸の脅威と認識されるようになってから、各大国は協力して四大神獣に関しての情報や動向を常に共有していた。つまり対策本部のようなものが各国に設置されていた。
しかし、その大国間で共有された情報が本当かどうかしっかりと裏を取るための組織がレイドなど大国にはあった。万が一、虚偽の情報で四大神獣をけしかけられれば甚大な損害を被るため、わざわざ秘密裏に国の暗部が動き真偽を確かめていた。
「まあ、確かにありますね。四大神獣の巣が他国にあろうがさすがに彼らの動きを知らないのは国にとっては命取りですから」
ここでは誰も驚くようなことはなかった。どこの国もやっているから、ルナたちのような裏組織では当たり前のことだった。知らないということの方が異常であった。どの国も情報戦を第一に動いていた。知らないというのは罪であり、時に免れることのできない死を招くのであった。
「その部署からの情報によれば、ハルさんがいなくなった直後とだいたい同時期に、エルフの森の特別危険区域の聖樹セフィロトの頂上から光が降り注ぐようになったって、夜見張っていたら、聖樹の頂上が淡く光ったり消えたりを繰り返してるって、ずっと沈黙してた聖樹にいる火鳥の巣に動きがあったの」
ルナが、その聖樹の異変とハルが黒龍を討伐した時期が重なっていることに気づいたのも最近だった。もっと早くそのことに気づいていれば、余計な場所を探さずに済んだのだが、過ぎてしまったことは仕方なく、こうして、ルナはギゼラを連れてハルがいると思われる最も可能性が高い聖樹セフィロトのあるエルフの森の玄関ともいえるスフィア王国の王都エアロを訪れていた。
しかし、それ以前にルナの中では、ハルが忘れされられたことの問題の方が大きく、探すよりもそっちの調査に力を入れていたという点も大きかった。
「そうか、じゃあ、ルナさんは、その火鳥の炎とハルさんが何か関係してると思っているんですね?」
「うん、そうそれにハルが聖樹にいることは分かってる。いろいろ調べさせたから、だけど、その…」
そこでルナが言い淀んだ。
「どうかしました?」
「えっと、聖樹が光る現象がここ一か月ずっと続いてたっていうのが気になって…」
ルナが一番不思議に思っていたのは、その聖樹の頂上で光輝く異変がずっと続いていることだった。もし、火鳥の討伐が済んでいるなら最後の四大神獣がいる場所に向かってしまうと思っていたのだが、その現象は未だに続いているとレイドを出た際に組織から告げられていた。
「そうですね、ハルさんからの何かの合図なのかもしれませんし、確かめてみないことには分からないことが多そうですね。あと他に何かハルさんに関する情報とかって出てないんですか?」
ルナはそこでサムを睨みつけた。
「サムさんもしかして私から情報を吸い上げてませんか?」
「え?アハハハ、そんなことないですよ、俺はそんな子悪党なことしません。ただ、ちょっと気になってたハルさんの話題になってたんで、ついつい首を深く突っ込んでしまっただけです」
サムがニコニコした笑顔で図々しく弁解する。
こちらだけ情報を大量に吐き出してしまったことにルナも反省した。貴重な情報はあらゆる局面での交渉材料にもなりえる。情報は広まりやすく流動的だ。情報の価値は変動が激しく数秒後には価値がゼロになっていてもおかしくはないのだから。
「お詫びに俺たちがここにいる理由も教えます。情報としては見劣りしますが、損はしないはずです」
「でもそれは任務でしょ?その内容って私たちに話してもいいの?」
「構いません、むしろこれはルナさんたちにも知っておいて欲しいことなので」
サムが席を立って窓際に立った。彼はカーテンを閉めて薄暗くなったリビングの端にあった机の引き出しから一枚の紙を持って来て、みんなのテーブル上に置いた。
「いいんですか?そのなんていうか今回のは結構危険な内容ですよね?」
その紙の内容を知っているのかリオが不安そうな顔をする。
「大丈夫です。いつか彼らの脅威がレイドにも同じように降りかかるかもしれませんから、ルナさんたちにも事前に知っておいてもらっていた方がいいです。どうぞ、目を通してください」
サムが資料を見るように二人に促すように手を広げた。
二人が手に取った資料にはとある事件の内容が書かれていた。
「リード王国王女殺害事件…」
「リード王国ってたしか帝国の属国のうちのひとつですよね…え、あ…王女殺害…」
ルナが呟き、資料に顔を寄せていたギゼラの顔が引きつっていた。
「だいたい一ヶ月前のことです。そう、ちょうどハルさんが黒龍討伐に出向いたところを狙われました」
「ハルが黒龍討伐を始めた日の夜に事件があったって書いてあるわね」
「そうなんです、ルナさん何か気づくことありませんか?」
「うん、あるわ」
即答したルナが、思い当たることはあった。この黒龍討伐が始まった日の夜。この時、誰もが黒龍討伐で厳重にしていた警戒を解いていたことを思い出した。まるでなんで自分たちが警戒をしているのか分からないといった様子を見せ、その日、彼らは当たり前の日常に戻っていった。
最初はルナも神獣討伐が終ったのかと思い気にも留めなかったが、この日からずっとみんながハルを知らないと言いだし、ルナを混乱させていた。
「ああ、そうか、この時って、みんながおかしくなった時ね。みんながハルを知らないって言い始めた時と時期は合ってる。あの時、みんなまるで黒龍討伐がなくなったみたいな感じだったから、そこを狙われたってわけね?」
「私もそう考えています。あの時はビックリしました。みんなが黒龍討伐を無かったみたいに言い出すんですから…」
サムが言う通り、ルナも一度組織のつてを使って黒龍討伐に関する資料を見せてもらった時には延期するとだけが記されていたことには驚いた。それだけじゃない、あらゆることがハルがいなかった通りにつじつま合わせが行われていた。彼の生きた証が残っているのはルナのように彼を覚えている人の記憶の中だけだった。
『ハル、報われないな…』
これではあまりにも彼は報われない。黒龍を討伐したのだって彼のおかげ以外ありえないのだから。
『だから、私が頑張るんだ。私がハルの傍にいてやるんだ。私だけがハルの理解者になって、たくさん褒めてあげればいい、私で我慢してもらうんだ』
ハルが感じているのであろう心の痛みを勝手に感じていると。
そこに声がかかる。
「ルナさん、ボーっとして、どうかしましたか?」
「あ、いえ、なんでもないわ、それより、この犯人の動機は何?どうして王女は殺されたの?」
その質問にサムの表情が翳りを見せた。
「ここからが本題なのですが、そこに書かれている通り、彼女は胸を一突きされ心臓をえぐり出されていました。これだけでお二人なら少し推察すれば分かると思います」
しばらく、二人が考えを巡らせていると、ギゼラが単純な思考のすえすぐに答えを導き出した。
「イビルハート。この手口ってイビルハートのやり方じゃないですか?」
「その通りです。この件にはイビルハートが関わっています」
イビルハート四大犯罪組織と呼ばれており、裏社会でもかかわりをあまり持ちたくない組織であった。ルナたちの組織が常日頃、裏社会で相手にしているイルシーなどの雑魚の集まりとはわけが違う。
オートヘル、バースト、フルブラット、イビルハート、この四つの組織が裏社会を構成していると言っても良かった。
その四つの組織の規模は、巨大で根が深く一国並みの軍事力や経済力や支配力があった。
そして、それらの組織の成り立ちもそれぞれ違うため、四つの組織には特色があった。
オートヘルは、暗殺や殺しを得意としてなり上がった組織であった。彼らは、現在、普通の一般人にもその名が曲がった形で伝わってしまうほどには脅威の対象であった。
バーストは裏社会の大きな市場を支配しており、商品の管理や入手などが主な生業だった。特に強奪を得意としている彼らの手にかかれば国の銀行などは彼らの貯金とたいして変わらなかった。
フルブラットは、エルフの過激純血主義者たちの集まりで、純血のエルフ以外の人間を認めないという組織の集まりだった。しかし、近年あまり裏社会でもその名前を聞かないため、離散したのではないかと噂されていた。
そして、最後のイビルハートは、邪悪で外道な儀式を行う組織であった。イビルハートの信者たちは、その儀式を行うために、人や動物の心臓や内臓など生贄を用意して執り行っていた。その儀式は、彼らの自己満足な部分が大きいため、四大犯罪組織の中ではかなり厄介な部類でもあった。ターゲットも無差別的ではあるが、各国の主要人物を狙ったりと各国の弱体化を図る狙いがあるとかないとかあげられているが、いまだに彼らの目的の正体は謎のままだった。
「俺たちは属国でもあるリード王国がやられたことでこうして動いているわけです。要するに報復ってやつです。帝国に手を出したらどうなるかってことをここらで教えてやれってことです」
「帝国ってそんなに下の国にも良心的なんですね…」
「ハハッ、別にそうでもないですよ、ただ、リード王国は属国の中でも友好的だっただけです。それに重い腰を上げてイビルハートって大きな組織を潰すのにもいい機会だったんでしょうね」
今の帝国は歴史的観点から見てもだいぶ友好的であり、他国との繋がりを大事にしていることは確かだった。それは、解放祭でルナがアスラの皇帝をお目にかかった時からそう感じていた。
昔の帝国に関しての報告書を見たことがあるルナからしてみればだいぶ、今の帝国はまるくなったと言えた。
『やっぱり、トップの影響力が大きいと頭が変わるだけで違うんだな…』
そこでルナが紙を読み終わると、テーブルに置いた。
「ところで今、どれくらいイビルハートに関しての情報は掴んでるの?」
「組織のことに関しては、正直なところ何もつかめていない状況です。ただ、私たちの仲間で人探しが得意な者がいまして、現在、そのリード王国を襲った襲撃犯がこの街に来ていることは確かなようで、こうして俺とリオが観光がてらに見回りをしていることになってます」
「人探しって、どうやって見つけたの?」
ルナはそこが非常に気になった。
そして、その質問にサムは少し苦笑いをする。
「具体的なことまでは教えることはできませんが、帝国には優秀な天性持ちがいまして、おっと言えるのはここまでです。ほんとに帝国はその方を重宝しているので」
「そんな、さっき私ハルさんのこと教えてあげたじゃないですか?」
少し甘えた声を出し情報を引き出そうとする。
「すみません、正直、その人は俺なんかよりもよっぽど地位が高いので言ったら俺の首が飛びます」
「へえ、じゃあ、三大貴族か皇族ってところかしら?それとも別枠で帝国に大切に管理されてる要人ってところかしら?」
「ほんとあんまり詮索しないでください、ていうか、人探しならレイドにだっていますよね?」
そこでルナも視線を逸らした。聞きたくないことを聞かれたからだ。ただ、ルナの場合は別に言ったからといって首が飛ぶわけではない。
単純に思い出したくない身内の顔が浮かんだからだ。
「………」
「あ、黙るのはずるいんじゃないですか?」
サムが詰め寄ると。
「よし、ギゼ、そろそろ、ここを出ようか、紅茶美味しかったわ、ありがとう」
ルナがギゼラの手を掴んで急いで席を立った。
***
「ええ、ちょっと、ルナさんもう行っちゃうんですか?」
引きずられるギゼラが残った焼き菓子を急いでポケットにできるだけ突っ込んでいく。
「おい、ギゼラそんな意地汚いことするな、菓子なら包んでやるから」
リオが席を立って、キッチンに向かった。
「ちょっと待ってください、ルナさん」
サムが強引に出て行こうとするルナを引き留めようとする。
「私たちそろそろ買い物に行かないと日が暮れちゃうんで」
「この件、手伝ってもらえませんか?ルナさんたちの力を貸して欲しいんです」
「手伝うって言ったって、私たちができることは何もないわ。それにここにはハルさんに会いに来たの…」
ルナの表情が少しずつ不機嫌にそして深い怒りをにじみ出し始めた。
そこでサムも息を飲み緊張をあらわにした。空気が凍り付きこの場を完全にルナが支配していた。
「邪魔をしないでね」
張りつめた空気に混じったわずかな殺気がサムの頬をかすめる。
だが、空気はそこでさらに一変することになった。
「あぁ、すみません、俺も取り乱しました!うん、そうですね、ルナさんはハルさんに会いにここまで来たんですもんね、会えるといいですねハルさんに」
「うん!」
ルナの顔がわくわくした笑顔で溢れた。ルナにとってハルは常に足りてない栄養だった。だから、こうしてハルという成分を与えられると、普通の恋する乙女に戻ってしまうのだ。
とてもじゃないが、レイドの裏を牛耳っている人間だと想像することはできないほどに、普通の女性に戻ってしまう魔法の言葉だった。
「ルナさん、良かったらこれ持って行ってください、たくさん、買ってきて余ってたんで」
高級なお菓子の入った箱をリオに渡された。
「ありがとう。あ、そうだリオ、任務のことだけど無理しちゃダメよ?」
「え!?あ、はい!!全力で頑張ります!!」
「フフッ」
リオは、ルナの笑顔でクラクラして支離滅裂なことを言っていた。
「こりゃ、早死にだな…」
そんな調子の彼に呆れたギゼラが隣でため息をつきながら呟いていた。
***
サムとリオが、帰って行くルナとギゼラを玄関で見送った。
二人が出て行くとサムはリビングに戻って、カーテンを開けて部屋に光を入れた。
「いやあ、ビックリしましたよ、まさかあの二人に会えるとは」
リオがテーブルの上の食器を片付けながら、窓から外を眺めるサムに言った。
「そうだね」
「あのそれで…」
何か言いづらそうなリオ。意を決したのか彼は真剣な面持ちでサムに尋ねた。
「ルナさん、ハルさんに会いに行くって言ってましたけど、実際に二人って本当はどういう関係なんですか?」
ハルとルナの関係。その言葉を聞いた時、サムも頭を悩ませた。何と言っても説明し難い関係だ。長い付き合いではあるが、接点は無いに等しいといったもので、二人の関係を簡単に説明しようとすればできるのだが、確実に誤解を招いてしまうだろう。
「そうだね、なんていうか、ううん、ルナさんが一方的な愛をハルさんにぶつけてたんだけど、それも届いてないみたいな、そんな感じかな…」
「え?そのハルって奴とんだクソ野郎ですね。あんな可愛らしくて魅力的な女性のルナさんの愛に応えてあげないなんて、最低最悪ゴミ野郎ですよ!なんか腹が立って来ました。そのハルって人が面は良いんですか?」
「え?あ、うん、まさにルナさんの隣に立ってもなんの違和感もないくらいにはいい顔だったよ」
「それを聞いて余計ムカつきました」
むしゃくしゃした気持ちのリオが食器を運んでキッチンに消えていく。
普通に説明に失敗したと思った。
「アハハ、でも多分リオじゃ、ルナさんの視界にすら入れないし入らない方がいい、あんな狂人を愛せるのはハルさんくらいだよ…きっと…」
サムは独り窓際で誰にも聞こえないように語った。
それから空に浮かんだ雲を眺めていると、ふとある繋がりを思い出した。繋がりというよりも過去の記憶から連想したことで、それはサムにとってなんとなく重要なことのような気がした。
それは自身の閃きか、はたまた天啓が降りたかそれにしても今の現状をサムはデジャブのように感じ取っていた。
『もしかして、今回もハルさんが関わってる?』
解放祭の時、彼の命が狙われていたように、もし、今回イビルハートの次の狙いが彼だったとしたら?今、全世界で彼の存在は忘れ去られている。彼の命を狙うタイミング的にもイビルハートにとって好都合であった。
「可能性はありえてしまうな…そうなると、こっちも本隊を動かしておいた方がいいか…?」
サムが見下ろす窓の外には、ルナとギゼラが楽しそうに買い物に行く姿があった。
そこだけ切り取ってみると、女友達同士のただの愉快な旅行だった。
「邪魔はしませんよ」
窓の外のルナに語り掛けるように呟いたサムはリビングの窓際から立ち去った。