揺るがない純愛と変わらない深愛
気が付けばライキルは古城アイビー本館の屋上に来ていた。
目に溜めこんだ涙を熱を帯びた頬に流す。
冷たい風を受け、熱くなっていた思考や感情もすぐに冷却されていく。
頭上では青い空に綿雲が気持ちよく流れ、いつもとかわらない街並みが広がっていた。
何も変わらない景色に何も変わらない自分がいたはずなのだが、いきなりあなたは変わったと、拒絶されれば傷つくものだった。それも大好きだったフーリおばあちゃんにそこまで怒られるのは辛かった。
屋上の後ろの扉が開く。
誰が追いかけて来てくれているかは分かっていた。
後ろまで追いかけて来てくれた彼女にライキルは振り向いた。その前に涙はもう自分で拭っていた。強い自分でいたかったから。
「ごめんびっくりさせちゃったね」
「私、そのごめん…」
「ガルナは悪くないよ、きっと、私が悪いんだと思う…」
心当たりはなかった。だけどフーリおばあちゃんが起こるということは相当なことだった。なぜなら、ライキルは子供の頃から彼女に怒られたことは一度もなかったからだ。
「ライキルちゃんだって悪くない、悪いのはあのばあちゃんだ」
「ガルナ、もっとこっちに来て、来て」
ライキルの目の前にガルナが触れられる距離まで来ると彼女の胸に飛び込んだ。
「聞いて、あのおばあちゃんはフーリ・シルバって言って私を小さい頃からずっと優しくお世話してくれた、私の大好きな家族なの」
「でも、ライキルちゃんのこと叩いてた…」
「うん、だけどそれより私ね、いままでフーリおばあちゃんにぶたれたことも、怒られたことも、一回もなかったの、さっきのが初めてだったんだ。あの隣に居たギンゼスっておじいちゃんにもそう、ずっと二人には大切にされてきたの、だから、二人を悪く言わないであげて…」
「ええ、私、あの二人好きになれない…」
納得いかないといった顔のガルナにライキルは微笑んだ。
「そんなこと言わないで、あの二人は悪くない、さっきのことで悪かったのは私。これで納得してくれない?」
「それはできない、だってライキルちゃんは何も悪いことしてないんだから、そうださっき言ってたハルってやつが悪いんじゃないか?違うか?」
「それはそうかも…」
その名前を聞いただけでライキルは虫唾が走った。こんな家族の仲を引き裂いた忌々しい名前。
「ねえ、もしさ、私が他の男のところに行ったらどうする?」
「え?」
ガルナの気の抜けた声。
「だから、もし、そのハルって男のところに私がお嫁さんになるって言ったらガルナはどう思う?」
「ライキルちゃんが、そのハルって男のことが好きなら、私は頑張れって言うけど…」
彼女の反応からも愛されていないわけじゃない、きっと、元からこういう子だから、ライキルも好きになったのだ。抜けていてそれでいてどこまでも優しくて愛を知っている人。
だけど少しは強引に自分を手繰り寄せて欲しかった。遠慮なんかしないで彼女の思うがままにめちゃくちゃに愛して欲しかった。
だけどそんなことを自分以外の他人に求めてはいけない。してほしかったらまずはこちらから求めなければ何も始まらない。
だから。
「ガルナは私が誰かに奪われてもいいんですか?」
少し挑発した態度を取ってみる。
「それは嫌だ」
良かった。ここで素直に別にいいけどなんて言われていたらショックで立ち直れなかったかもしれない。
「そう、だったらもっと愛して欲しいです。私を離さないように傍に居て欲しいです」
自己中心的かもしれない。それでも彼女が傍に居て欲しいのは確かだった。
ライキルがガルナの胸の中で上目遣いで見上げる。そして、少し背伸びをして彼女の顔に自分の顔を近づけた。
したいことは決まっていた。
「ダメですか?」
互いの吐息がかかる位置まで二人の距離は近づいていた。
そこでガルナが屈託のない笑顔で言う。その純粋無垢な笑顔が何よりもライキルには無い者だったのかもしれない。
「うん、私もライキルちゃんが好きだからずっと傍にいたい!ん!?」
それだけ聞ければよかった。ライキルが彼女の唇を奪う。
腰に手を回し逃げないように、愛する人が二度と離れて行かないように逃げ場を失くす。
だけど、ガルナはいっさい抵抗せずにそのまま目を閉じてくれていた。嫌がる素振りも無くただ、ライキルが注ぐ愛を受け入れてくれていた。
キスをした時間はそれほど長くなかった。
だけど、二人の距離が一気に近づいたことだけは確かだった。この愛は何ものにも揺るがないと心の底から思うことが出来た。
恥ずかしそうにライキルが彼女から距離を取る。先ほどとは違った意味で頬の赤みが増していた。全身がとろけるように熱かった。興奮した身体の熱で頭がクラクラした。
「ごめんなさい、その、嫌だった?…えっと女の子同士でこういうこと…」
自分から唇を奪っておいて、今さら何を言うかと思ったがそれでも彼女が嫌なら今後は控えなければならないと思ったが矢先だった。
「ッ!?」
本日二度目のキスをライキルはあっさりと迎えた。
ガルナが手を伸ばして、ライキルの腕を引っ張り、逆に逃げないように腰に手を回し抱きしめてから、頭を後ろから支え完全に逃げ場を失くし、あとは貪るようなけれど優しいキスにだけ集中していた。
急な出来事にライキルの感情は嬉しさと興奮と溢れんばかりの愛情でグチャグチャになった。
ただ、ライキルもそっと彼女のことを抱きしめる。
屋上には愛し合う二人がいた。
秋風の冷たさも忘れて、二人はそこで互いの愛を確認し合っていた。
もう止まることはできなかった。
*** *** ***
使役魔獣。
凶暴な魔獣を人間になつくように改良した魔獣のこと。
そんな白魔馬という白い魔獣に跨って、綿雲浮かぶ青い空と緑の草原が広がる街道を、疾走する二つの影があった。
「ルナさん、本当に良かったんですか?」
「何が?」
「他の任務のことですよ、ほったらかしてこんなところまで来て、あとで怒られないんですか?」
使役魔獣の上で胸まであるウェーブのかかった金髪を風になびかせるギゼラが、先頭を走っているルナに声を掛けた。
「怒られる?私が?私に怒れる人なんてギゼ、あなたぐらいだよ」
「え、ああ、ううん、まあ、それならいいんですけど…」
ギゼラは先頭を使役魔獣で駆けるルナの姿を見つめた。小柄で可愛らしい幼い身体に闇に溶け込むような艶々のロングの黒髪、そして後ろからでは見えないが、彼女はとても美人でそそられるものがある。ここがパーティー会場なら他の有象無象の男どもがまず黙って彼女を見過ごさないほど、彼女の外見的側面だけで言えば、美しさと可愛さを兼ね備えた完璧な女の子だった。
女性であるギゼラ自身でもいくら見ていても飽きない美しさなのだ。男なら我慢すらできないだろう。
しかし、そんな彼女はレイド王国の裏の守護者として最高の殺し屋など言われて誰が信じるだろうか?
ルナ・ホーテン、それが彼女の名前だ。特名もあるがいくつも保持しているため、その場その場で変わってしまうというまさに例外的な女性だった。ホーテン家はレイド王国の影の王家など裏では呼ばれているほどで彼女の地位の高さを表していた。
そんな彼女と二人で行動しているギゼラはただの裏部隊に所属している一般的な騎士であり、地位なども持ち合わせていない。そんな自分が彼女と行動を共にできているのは、友人として彼女がギゼラを認識してくれているからなのだろう。
そうじゃなければ、恋人に会いに行くからあなたもついて来てと連れ出されるわけがない。そもそも、恋人がいたことなど初耳だった。
「流石に恋人に会いに行くって言うのは、その、えへへ、ルナさんも乙女なんですね」
そこで使役魔獣の速度を緩めたルナが、ギゼラと並走してくると彼女は真っ赤な瞳を輝かせて言った。
「ギゼラ、私の恋人の名前知ってる?」
「え、知りませんけど…」
「そう、ならいいの」
少しだけ彼女が悲しい顔をした気がしたがすぐにまた先頭に戻ってしまった。
そこでギゼラはあるひとりの名前を思い出した。それはルナから聞かされた名前だった。
『そういえば、先月かな、ルナさんに誰かの名前をしつこく聞かれたことあったな。えっとハルって名前の人だっけ?たしかそんな名前だったような、違ったっけ?』
それにしてもルナに恋人がいたことにギゼラは少しだけどんな人なのか興味を持った。
『ルナさんを落したとなると相当な実力者かそれか相当甘え上手な人か、それか相当な面の良い男か、分からん、ああ、めっちゃ気になってきた』
「ルナさんの恋人ってどんな人なんですか?」
たまらず質問してみることにした。すると案外彼女はすんなりと返してくれた。
「優しい人、私の全てを認めてくれるほどね」
「なるほど、確かにその手を使えばルナさんってころっと落せそうですね」
「どういうことよ」
「いやあ、なんでもないです。ルナさんはそんな軽い女じゃないぞ!?」
まるで誰かに説教するようにギゼラは叫ぶ。その様子を少し引き気味に一瞥したルナが前を向く。
「まあ、いいんだけど…」
「何か言いましたか?」
「別に、それより、見えて来たわよ、エルフの森の入り口」
「うわ、ほんとです、おっきな街ですね」
ルナとギゼラの前に大きな樹海を背後に抱えた巨大な街が現れる。
「急ごう、ハルが待ってる…私を……」
二人は使役魔獣を飛ばし、スフィア王国王都エアロへと向かった。